「わたし、定時で帰ります。」シリーズや『対岸の家事』など、「人が働くこと」を真摯に描いてきた朱野帰子さんによる『会社を綴る人』が待望の文庫化。人が普通にできていることができないが文章を書くことは苦にならない男性社員の紙屋と、社内では“うまく”やっているが会社の愚痴を密かにブログに書く女性社員の榮倉さん──対照的な二人が会社のなかで起きる事件に奔走するストーリーは、働くすべての人が必読の内容です!

「小説推理」2019年1月号に掲載された書評家・大矢博子さんのレビューで『会社を綴る人』の読みどころをご紹介します。

 

会社を綴る人

 

■『会社を綴る人』朱野帰子 著  /大矢博子:評

 

ダメ社員の唯一の取り柄は、文章を書くこと──。会社で綴られるさまざまな「文書」を通し、会社とそこで働く人たちを描いた新感覚感動お仕事小説!

 

『わたし、定時で帰ります。』(新潮社)や『対岸の家事』(講談社)など、「働く」というテーマを様々な側面から切り取った小説が話題の朱野帰子。新刊『会社を綴る人』は、綴る・書くという行為から会社組織を見つめ直した物語だ。なるほど、こういう見方があったか!

 主人公は、何をやってもダメで30歳を超えても正社員になれない紙屋くん。半ばコネで老舗製粉会社の総務課に採用されたが、やっぱり仕事ができない。あまりのミスの多さに上司からはむしろ何もするなと言われ、同僚のブロガーには悪口を書かれる始末。いったい、自分にできることって何だろう……?

 と、ここまでならありがちなお仕事小説・成長小説の設定だ。違うのは、仕事を構成する文書や書類など「書く」行為にフォーカスしたところ。たとえば、忙しさを盾にインフルエンザの予防接種を受けない営業部員に対し、総務課の紙屋くんは「受けてください」とメールする。だが完全スルー。どんなメールなら読んでくれるだろう、予防接種を受ける気になるだろう、と紙屋くんは考える。

 そこから彼は社内のいろいろな文書に関わるようになるのだが、まず、会社ってこんなに「書いて伝える」ことが多いんだと感心してしまった。

 総務課が送る社内メール、営業部が作るプレゼン資料、社内報や申請書。工場の現場作業員が考える安全標語もしかり。売り上げグラフだって数字で書かれたものだ。そして大きなところでは、会議の議事録や社則、社史など。会社ではいつも誰かが何かを書いている。それぞれの部署がそれぞれの言葉で何かを書き、その書かれたものの集大成が「会社」なのだ──この発想はなかった。

 書くのは、伝えたいからだ。記録を残すのは、後の人にまで伝えたいからだ。書くことを通して、その部署、その人が浮かび上がる。これだけでも仕事小説として秀逸だが、そのあとの対比が見事。さまざまな人がさまざまな文書に真摯に向き合う姿と、誰かを叩くためだけに書いたブログの対比。あるいは、真摯に綴る社員と、真摯でない綴り方をする(させる)上層部の対比。実に巧い。浮かび上がるのは、誠実であることの大切さだ。

 これで終わり、と思ったあとの仕掛けにも瞠目した。この最後があることで、物語が一気に肉厚になる。今ここにある会社の、そこで働いている人の、リアルな物語として小説が立ち上がる。働くすべての人、必読。