すでに顔馴染みとなった「わが家」に顔を出すと、女が待っていた。女の顔は青白く、目だけがぐっと出ていた。

 その日、店主であるママはいなかった。バイトの女の子と障害者の男が店を手伝っている。店を手伝うといっても、男は手や足が不自由なものだから、邪魔にこそなれ、そうたいしてやることもない。六人も入れば満席になる小さな店だから、おでん鍋を時々、かきまわしている。それに震える手で熱燗を出すものだから、客が気を遣って立ちあがって受け取るくらいだ。

 どこでもそうだが、知らない場所に行くと、必ずといって良いほど、馴染みの店をつくるようにしている。「わが家」もそんな店で、誰の紹介もなく一見で入ったのだが、ママの気風の良さが一度で気に入り、私はそこに入り浸るようになっていた。ママがいなくても平気でふんぞり返っているから、そこはバイトの女の子もママの知り合いかと、気を利かせて愛想が良い。

 初めて八戸に来たときのことは今でもよく覚えていて、八戸駅の周囲に呑み屋も何もないのに唖然としたものだ。仕方なく入った居酒屋は、煮物も冷え切ってつまらなかった。しかし客の一人が「阪神」のことを「はんすん」と訛って話していたので、自分はとうとう東北に来たのだなと思ったものだ。その夜はビジネス旅館の、鍵のついてない部屋で寝たのを覚えている。

 八戸はもともと、駅周辺には何もない。私が降りたのは新幹線の八戸駅で、これは新しい駅なので周囲は民家しかない。本八戸駅が中心部の最寄り駅となるが、この駅の周辺もまた、何もない。本八戸から二〇分ほど歩くと、八戸の繁華街に出る。

 それがわかったのは、二度目に八戸に来てからだ。八戸は寂れているようでも城下町なので、城跡を中心にして町が広がっているので、駅周辺には何もない。これは八戸だけでなく城下町ならたいてい、どこでもそうである。

 以来、私はおそらく一〇回以上は八戸を訪れている。取材で来たのだが、何のあてもなく来ていたので、とにかく通って馴染みをつくらないことには手掛かりがつかめなかったのである。昼間は図書館で調べ物をして、夜はただ呑み歩くだけ、という日もあった。

 しかし私にとって、八戸はどこか惹きつけずにはいられない、魅力ある町でもあった。そうでなければ、いくら取材の手がかりがないからといって、そうそう何度も通えない。

 私が初めて八戸を訪れたのは二〇〇〇年頃だが、それ以前の寂れようはもっとひどかったらしい。私が二度目に訪れたとき、八戸市は繁華街の活性化をはかって「みろく横町」という小さな路地裏をつくった。ここは以前流行った「屋台村」みたいなもので、だいたい六、七人が入れるような小さな店が密集しており、私のような一見客が入るのに便利なところだ。東京でいうと新宿のションベン横町やゴールデン街に似ている。

 そこへ毎日通うようになり、馴染みの店ができるようになった。「わが家」もそんな店で、私は今も、八戸にくると必ずこの店に寄るようにしている。後日、私の取材が数日で片がつくようになったきっかけも、実はこの「わが家」のママのつてのおかげだった。

 その日、店で待っていた女は、私が席につくと「お腹すいてるの」といって、せんべい汁を注文した。

 私は、せんべい汁などというものは観光客が食べるもので、地元の人間が今も食べていると知らなかった。しかし泣いた後のような顔で、無心にべしょべしょに汁を吸ったせんべい汁をすすっている女を見ていると、店で一人で待たせていたのが悪かったような気がして、私は出された酒を猪口についであおった。

 私が二度目に八戸を訪れた際に泊まったホテルで、マッサージを呼んだ時に来たのがこの女だった。

 その日はとつとつと雑談しただけだったのだが、二、三日してから呼ぶと、またこの女がきたのである。また何気なく話していると、今夜は私が最後の客だという。そこで私が冗談半分に「じゃあこの後、呑みに行かない」と誘うと、「いいですよ」と、女は答えた。

 その夜は二軒ほどの店をまわったが、それからというもの、私は八戸を訪れるたび、この女に連絡をつけて呑みに出かけた。

 私が定宿にしていたホテルは、八戸でもそれなりのビジネス・ホテルだったが、女が「このホテルは受付が玄関にあって外から入りにくいから、Uホテルに変えて。そしたらいつでも私、入れるから」と言うので、それからはUホテルが私の定宿になった。このUホテルは東京にも支店を出し、近年までわりに手広くチェーン展開していたが、数年前にホテル部門から手をひいてしまって今はない。

 マッサージの客が少ないと聞いたときは、わざわざ指名してホテルに呼んだこともある。女は私の部屋に来るなり、「はあーッ」といって、私の横にドサッと横になった。

「あのさあ、一応、君をマッサージで呼んだんだよ」

「今日は疲れたの。とっても」

「そうか。まあ、じゃあ、しょうがないね」

 私はマッサージ代金の四五〇〇円が惜しくなり、咄嗟に女の首を締めあげたい衝動に駆られたが、仕方なく女としばらく横になっていた。

 いつも会うのは深夜の暗い居酒屋ばかりだったので、明るい電灯のもとで女の顔をまじまじと見ると、NHKで放送している『おじゃる丸』というアニメに出てくる「薄井幸代」という女にそっくりだと思った。しかし肩幅はがっしりとしていて、体はどちらかというと豊満だが乳房は小さく、指は節くれ立った形のまま曲がっており、まるで男の手のようだった。そして顔は左側が崩れたようになっており、ぐっと出ている眼球もあらぬ方を向いていた。

 なぜこのような女に興味をもつのか、自分でもよくわからなかった。最初は八戸という土地を、さらに深く感じることができるだろうと思い、面白半分で付き合っていたのだが、こうして何度も会っていると、どうもこの女そのものに興味が向いてきたようだ。私は頼んだマッサージもせず、豚のように寝転がっている女をただ見ていた。

 その夜も「仕事、終わったよ」と女から連絡をもらったのだが、私は四五〇〇円の怨みもあって、三〇分ほど遅れて行った。女はすでに少し酔っていた。そして初めて、身の上話のようなことを話し始めた。

「私ね、実は結婚してたのよ」

「そうか」

「まだ、ちゃんと離婚してないけど」

 自分は岩手で所帯をもっていたのだと言った。私はそれよりも「なんだ、君は八戸の出身じゃないのか」と訊ねた。

「私、北海道の人間。知らないと思うけど、留辺蘂るべしべっていう小さな町」

「その町、知ってるよ。そうか、君は留辺蘂の人間か」

 明治から大正にかけて、北海道の旭川から網走までの道路を通す大工事の際に、網走刑務所の囚人が大量に投入された。高倉健主演の映画『網走番外地』は、まさにあの当時のことを描いている。

 しかし当時のことだから囚人の管理が悪く、手枷足枷てかせあしかせを付けられたまま、次々と囚人たちは倒れていった。そして行き倒れになった囚人は、その場で他の囚人たちの手によって埋められたのである。

 だから今でもその道路端を掘ると、鎖を付けたままの人骨が出土するという。さらに留辺蘂の近くには、同じように酷使し生き倒れた人夫を、人柱として埋めたトンネルもある。私はそこを取材したことがあったので、留辺蘂という、アイヌ語で「道に沿って下る川」という由来をもつ、特殊な土地の名を知っていた。

 しかし留辺蘂という、日本の中でも辺境にある土地の名を私が知っていたことを、女はまったく意外に思っていないようだった。留辺蘂という一種、独特な暗い歴史をもつ町に生まれたことなど、女にとって、どうでもいいことなのだろう。

「それが、どうして岩手に行ったの」

「就職先が岩手だったの。それで今の彼と出会って、結婚したんだけど、姑に苛められて、彼に暴力振るわれてたの。それまでは我慢してたんだけど、あの人、違う女をつくって、家に引き込むようになったの」

「君のいない間にか」

「ううん、居る時もよ」

「居る時もか。君は怒らないの」

「怒ったけど、また殴られたり乱暴されるだけだし、言ってもしょぅがないし。それからちょっとして、仕事から帰ってきたら、その女の荷物が置いてあって、私の荷物は隅にまとめて置いてあったの」

「それで別れてきたのか」

「そう。さすがに私も我慢ならなくなって、一度私が出て行けば彼も後悔するだろうと思って、八戸に出てマッサージ始めたの」

「マッサージは岩手でもやってたの」

「ううん、こっち来てから。この仕事は寮があったから」

「じゃあ、またいつか岩手に戻るっていうのか」

「どうしようかなあ。とりあえず今は、彼からの連絡を待ってるところ」

「しかし、そりゃ駄目だよ。別れた方がいいよ」

「みんな、そう言う」

「そりゃそうだ。普通は別れる」

「だけどまだ、彼は私のこと待ってると思うんだ」

 女はこのように不幸な方へ、不幸な方へと導かれながらも、当人はちっともそう思っていないようだった。この女は、どうしてそのような男を待てるのだろうか。そのような男が、どうして自分を思っていると思うのだろうか。私にはさっぱりわからなかった。

「あの人、今、絶対後悔してると思うんだ。あんな女なんかと一緒にいて」

 私は何も言えず、黙ってしまった。

「あの人、まだ私のこと、好きだと思うんだ」

 この人はどうして、このような考えに墜ちこんでいくのだろう。どうしてそうやって不幸せな方向へ向かっていってしまうのだろう。もしかしたら、誰からも愛されたことがないのかもしれない。私はさらに杯を重ねた。

 黙ってしまった私に、女が声をかけた。

「ねえ、東京からこっちに住もうと思ったことはないの」

「東北は好きだけど、仕事で来てるだけだからね。そりゃあ、将来は田舎に住みたいとは思ってるけど」

「じゃあ、私と住んでみない」

「君と住むって、八戸でか」

「ううん。実は私、内緒で札幌に家を買ってあるの。小さいけど、まだ新築なの。だからそこに一緒に住まない」

 私は思った。この女はなぜいつも、このように陥ちていこうとするのだろうか。

 数えるほどしか会っていない、行きずりの他所の男に、最北の地で買った家で所帯を持とうなどという考えを、どうして口にできるのだろうか。よしんばそうなったとしても、とてもうまくいくようには思えない。

 しかし、女はもしかしたら、それを自ら望んでいるのかもしれない。そう思うと私は、女の提案が面白くなってきた。

 それもいいのかもしれない。

 どうせ物書きなぞ、いつまでも食えるものではない。最北の地でこの女を働かせて、自分は家で原稿を書く。ノンフィクションは取材しなければならないが、自分の好きなテーマで取材し、そして掲載されるあてのない原稿をただ書いているのも、悪くない。

「それも、いいかもしれないな」

 女と所帯をもっても良い、と私は思った。

「ね、そうしよ」

「僕はしかし、稼ぎがない」

「大丈夫、私が働くから」

「その代わり僕は料理が好きだから、家で毎回、料理つくって待ってるよ」

「私、料理できないから、面倒だったらコンビニでもいいよ」

「うん、そうだな。その時はそうしよう。今の仕事はいつでも辞められるのか」

「一か月前に言えば大丈夫。一度、岩手に戻って荷物とってくるから、そしたら引っ越せばいいだけ」

「しかし、札幌に仕事あるかな」

「私、マッサージできるから、どこでも大丈夫よ」

 私は決心した。東京には付き合っている女がいたが、誰にも知られずそこから蒸発するのだ。どうせ東京に帰ってもワンルームのアパート暮らしだ。こうなったら、この女といけるところまで墜ちてみよう。最北の地で女に寄生して生きていくのも悪くない。

 冷めきったせんべい汁を残したまま会計を済ませ、女と連れだって店を出た。男のようなごつごつとした乾燥した手で、女は嬉しそうに私の手を握った。みろく横町の出口までくると、私たちは互いに連絡することを約束して分かれたのだった。

 それ以来、私は女と連絡をとっていない。