交通の便がよいわけでもなく、古代の都があった場所でもないところに多く存在する、歴史ある神社。「パワースポット」としても人気ですが、誰かがそこに決めたわけでもありません。しかし、その地に誕生した必然的な理由が必ずあるはずです。「なぜ? いつから?」そこにあるのか、キーワードとともに迫ってみました。
 

 

■キーワード1「荒ぶる大地とその恵み」

 

 地球上において稀な、4つものプレートがせめぎ合う日本列島は、必然的に世界でも有数の火山地帯です。日本列島の住民は火山の噴火を荒ぶる神の怒りとして恐れ、鎮静であることを祈りました。富士山本宮浅間大社や阿蘇神社は山体や火口そのものをご神体として仰ぐ火山信仰の神社です。
 

 火山は人類にとって恐るべき災厄の源である一方、恵みをもたらす存在でもあります。火山に由来する鉱床は、金、銀、朱(水銀)をはじめとする金属資源の宝庫でした。さらに、温泉や神秘的な風景美も火山活動の恩恵です。果たして、その土地に古代人はどんな思いを抱いたでしょうか。

 およそ1500万年前という途方もない昔、列島史上最大といっていい超巨大噴火で形成されたのが熊野カルデラです。那智の滝、神倉神社のイワクラなど熊野を特徴づける巨岩は、このときのカルデラ巨大噴火によって形成された火成岩です。熊野エリア全体が、その太古の巨大噴火によって形成された火山の聖地であるといえます。
 

熊野・神倉神社(イワクラ)

 1500万年前という年代は、ユーラシア大陸の東端が剥がれて、日本列島の原形ができたころです。ちょうど同じころに活動した火山の跡が、出雲地方にもあります。決して有名とはいえない、島根県松江市にある花仙山です。今は標高200メートルほどのかわいらしい形をなす山ですが、あまりに巨大な噴火を繰り返した結果、山容が吹っ飛んでしまった結果なのです。
 

 

■キーワード2「宝石、鉱石」

 

 花仙山は、勾玉や管玉など玉作りの原料である玉髄・メノウの採取地でした。当地は古墳時代以降、国内最大の玉作り産地となり、ヤマト王権の歴史と濃密にむすびついています。

 玉髄・メノウは赤、青、黄色などさまざまな色合いをもつ美しい鉱物ですが、それに加えて、非常に硬い石でもあります。そのため、出雲を中心とする山陰、山陽地方では、縄文時代よりも古い旧石器時代から、玉髄・メノウが石器素材として使われていたことが判明しています。

 考古学の最新のデータでは、当地における玉髄石器の出現は、10万年前くらいとされる砂原遺跡(島根県出雲市)の年代にさかのぼります。2021年現在、「国内で最古」と考えられている石器がこの遺跡から出土しているのです。10万年前にさかのぼって神社のはじまりを考える──というタイトルの由来はここにあります。

 さて、ところかわって諏訪地方は全国有数の黒曜石産地としても知られています。そばにそびえる八ヶ岳は気象庁が指定する活火山のひとつであり、黒曜石は火山活動にともなって形成される火山岩の一種です。本書では、それが諏訪信仰の歴史といかに関わるかについても検証しました。

 今ひとつ例を挙げれば、伊勢地方は国内有数の辰砂(朱の鉱物)の産地です。辰砂とは、神社の鳥居などをいろどる朱色の塗料となる鉱物ですが、水銀の原料でもあるので水銀朱とも呼ばれています。

 辰砂、水銀は、不老長寿をうたう古代中国の神秘的な医学で珍重されていました。非常に高価な天然資源だったのです。日本列島は東アジアでは希少な辰砂の産地なので、弥生時代、邪馬台国の時代から平清盛の日宋貿易のころまで、辰砂、水銀は貴重な輸出品でした。

 辰砂も金や銀と同じく、火山活動にともなう熱水鉱床として形成されます。伊勢神宮の歴史の遠景にも、太古の火山活動が見えるのです。
 

 

●キーワード3「温泉」

 

 花仙山のふもとにあるのが、観光地として有名な玉造温泉です。「出雲国風土記」にもしるされているこの古い温泉は、出雲大社の宮司をつとめる出雲国造が、代替わりのときに潔斎することが定められていた神聖な場所です。

 諏訪大社の鎮座する諏訪地方は、温泉観光地という印象は薄いかもしれませんが、実は熱海、別府に匹敵するほどの湯量を誇る温泉地です。
 

諏訪湖間欠泉
諏訪の間欠泉

 世界遺産となった熊野本宮大社の鎮座地の周辺は、古代にさかのぼる有名な温泉エリアです。熊野カルデラ(あまりに昔のことゆえ今は痕跡が乏しいのでピンとこない向きも多いでしょう)の亀裂をとおして、摂氏90度以上の温泉が現在も湧出していると説明されています。
 

 

●キーワード4「断層」

 

 日本列島は世界屈指の活断層エリアであり、「地震列島」の異名をもちます。地震は百害あって一利なしの絶対悪のように思われがちですが、こちらにも恵みの一面はあります。

 億年単位の過去からの断層活動すなわち地震のくりかえしによって、直線的地形(リニアメント)の山並み、谷筋が形成されています。諏訪をはじめ、その地形は自然発生した「道」であり、旧石器時代、縄文時代の人びとがその道を使って黒曜石や翡翠など貴重な鉱石を運び、往来しているのです。

 いよいよ、この記事の最大の主眼について述べますが、日本列島を貫く最大の活断層帯である中央構造線に沿って、諏訪大社、伊勢神宮など歴史ある神社が鎮座している不思議な事実があります。これについては、いみじくも本書発売2日後にあたる2021年8月21日放送のNHK『ブラタモリ』「諏訪~なぜ人々は諏訪を目指すのか?」の回で、タモリさんが言及されたので驚きました。本書166ページに掲載の「二大構造線に沿った神社と鉱物産地」とそっくりの図がテレビ画面でも紹介されたのです。
 

 タモリさんは「断層の上ってのは人が感じるのでしょうね」と諏訪の地に立って仰っていました。本書が追いかけたテーマもまさにそこです。出雲大社でも、参道と交差して「大社衝上断層」が走っています。
 

 なぜ人が祈り、祀る場所がそこなのか。原初的な理由がないはずがない。

 さきほど、伊勢の辰砂の話をしましたが、私たちは朱色の鳥居を目にするだけで聖なる気配を察知します。そうした感覚は、いつの時代にさかのぼるのでしょう。

 伊勢地方の辰砂は、朱色の塗料として縄文時代から利用されており、関東、東北にまで運ばれていた痕跡があります。朱の鉱石を求めて、列島各地の縄文人が伊勢を訪れていたこともわかっています。

 そこに伊勢神宮よりもはるかに古い、聖地としてのはじまりを見ることができるのではないでしょうか。

 という具合に、本書『聖地の条件 神社のはじまりと日本列島10万年史』では、日本の大地の歴史から、各地の歴史ある神社について、誕生の秘密を探っています。古代史の謎が大好きな方々はもとより、「ブラタモリ」のファン、パワースポット、パワーストーンなどに関心のある人に、ぜひともお手に取っていただきたい一冊です。