亡くなった人の口内や目蓋の裏に綿を入れて穏やかな表情を作り、ご遺体を丁寧に清め、髪も優しく洗う。遺族が「すっきりしたねぇ」「母さん、極楽だなぁ」と声をかける。きれいに化粧を施し棺に納めた後、故人の思い出の品がそこに添えられる。葬儀社で働く「湯灌・納棺師」の睦綾乃の物語は、そんな荘厳で穏やかで、温もりのある最期の描写で幕を開ける。

 なるほど、葬儀社の人々を通して描く「おくりびと」的なお仕事小説だな、と思った。だがそうではなかった。もちろん湯灌・納棺を含む葬儀社の仕事が細やかに綴られ、職業小説としての読み応えはたっぷりある。それが大きな魅力であることは間違いない。しかし本書の核は、綾乃を通して綴られる「生きる」意味だ。

 綾乃は三十代後半だが、子どもの頃のとある体験から常に死が身近にあり、生きることに執着がない。そのため人と深く関わることもなければ、何かに感情移入することもない。孤独なのが当たり前で、無愛想がデフォルト。いつその日が来てもかまわないと思いながら淡々と日々を送っている。そんな綾乃が仕事で接したさまざまな遺体とその背後のドラマを綴ったのが本書である。

 幼い少年の葬儀に彼の好物を供え、自殺をほのめかす女子高校生のために駆け回る同僚がいる。どんな状態のご遺体でも動揺せず、ご遺体に声をかけながら仕事をする先輩がいる。パワハラを繰り返す上司のプライベートを知る。魅力的な人物も多く、それぞれを主人公に据えればどれも感動的な物語になるだろう。だが著者は敢えて綾乃を通して描いた。これは綾乃の再生の物語だからだ。

 死を近しく感じながらも、なぜ生きているのか。本書は彼女がそれを知るまでの物語と言っていい。綾乃は個々のエピソードを通して、同僚たちを知っていく。それが少しずつ綾乃に変化をもたらす。綾乃の一人称視点は常に淡々と叙事的かつ客観的なのに、「変わってきている」ことがわかる。ここが巧い。淡々としているからこそ、情緒的に引きずられることなく彼女の静かな変化が染みてくるのである。特に会社の先輩・民代とのエピソードは圧巻。著者の構成力・描写力の高さに感心した。

 生きるとは何かという深遠なテーマを、死をそばに置くことで際立たせた佳作である。綾乃が到達した境地をじっくり味わっていただきたい。人を「生きさせる」ものは何なのか。その答えのひとつがここにある。