オリンピックに沸く一九六四年の東京。漫画雑誌を万引きしたという濡れ衣を着せられた小学生の健太を、高校生のお姉さんが鮮やかな推理で助けてくれた──。

 という第一話を読んで、なるほどノスタルジックでかわいい昭和ミステリなのね、と思った。が、全然違った。

 第二話では健太の兄である高校生の幸一が、その「お姉さん」が自分の中学時代の同級生、小野田涼子ではないかと思い、調べ始める。だが調べるうちに、涼子をめぐる謎や不審な点が次々と浮かび上がってくるのだ。

 貧乏な家の子のはずだったのに、今はお屋敷町で運転手付きの車に乗っている。父親が失踪し、母は出稼ぎで、祖母と暮らしているはずなのに、その住所に家はない。

 物語はそこから視点人物を変えながら、一九六四年の彼らを描いていく。甥の暮らす団地を訪ねた中年女性が、その部屋の前の入居者を捜す老人に出会う話。ビートルズを教えてくれた従兄のお兄さんが突然いなくなり、戸惑う女子高生の話。他の商売に比べてオリンピック景気に乗れないでいる和菓子屋の息子の話。実業家の邸宅に招かれた婦人のネックレスが紛失した話。

 それぞれの物語で事件が起き、それが解決されるミステリである。だがそれだけではない。そのすべてに、前述の涼子が何らかの形で登場するのだ。そして各話で少しずつ彼女についての謎とその真相が明らかになっていく。彼女に何が起きたのか、その遠因はどこにあったのか──実に細かいところまで練られたミステリなのである。

 何より感心したのは、涼子自身の物語も各話の事件も、一九六四年という時代と密接にリンクしていることだ。漫画雑誌が次々と創刊されたこと。オリンピックに向けて町は再開発され、アスファルトが敷かれ、団地が建てられたこと。学校でも町内でも「オリンピックの準備」にやたらと駆り出されたこと。そして何より、前回の東京オリンピックが開催された一九六四年とは、まだ終戦から十九年しか経っておらず、戦争で家族を亡くしたり生活が変わったりした人々が当たり前にいたこと。だがそんな「戦後」がオリンピックという大きな祭りに飲み込まれていく。

 ものすごい勢いで時代が変わる、その潮目で、それでも人は鋏で切り離すように過去と決別できるものではないのだと、本書は伝えてくる。涼子はその象徴なのだ。

 そして再びのオリンピックイヤー。今回は何の潮目なのか。考えずにはいられない一冊だ。