たとえば二十年前の自分を思い浮かべ、さてその頃から自分は変わったのだろうか、少しは成長したのだろうか、いやいやダメなところはやっぱりダメで、二十年間何してたんだと思わないでもないけど、でもとりあえずここまでいろんな人に助けられてなんとかやってこれたわけで、それは充分ハッピーなことだし、もし自分もそんなふうに誰かの助けになれたことがあったとしたら嬉しいな……。
桜井鈴茂『できそこないの世界でおれたちは』を読み終わったとき、思わずそんなふうに句点なしの饒舌体で我が身を振り返り、ちょっと楽しくなった。
主人公は四十代半ばのコピーライター、吉永シロウ。メジャーのドラマーとして活躍している旧友から、彼に電話が入る場面で物語は幕を開ける。旧い女友達の久美ちゃんがパラグアイへ移住してからかなり経つが、最近はフェイスブックの更新もなく、メールも返ってこないという話になり、これまた昔馴染みのジャズバーの店主ヒロコさんにも焚きつけられ、シロウはパラグアイまで行ってみようかなと考える……というのが第一話である。
ところが第二話で、思わぬ場所で久美ちゃんと予想外の再会を果たすことになり、そこでさらに予想外の彼女の事情を聞くことになるわけだが、この久美ちゃんの事情を中心にしながらも、同時にシロウに降りかかったいろいろな出来事を並行して物語は描かれていく。
四十代半ばになったって悩みはあるし、バカなことをやっちゃうこともある。将来が心配になることもあるし、今のままでいいのか迷うこともある。そんな不安を抱えながらも、ささやかではあっても皆がハッピーでいるために自分にできることを精一杯やろうと考えるシロウに励まされることこの上ない。
何より魅力的なのはこの文体だ。とめどない思考をそのまま言葉に乗せたような、飄々とした饒舌体はとても心地よく、文章を漂っているうちにいつのまにか読者はシロウと同化する。この世界にはどうしようもないことがたくさんあるけど、誰かのハッピーのために行動できるならまんざら捨てたもんじゃない──と、気持ちが温まる。
実はこの物語、著者のデビュー作『アレルヤ』の続編である。前作の読者にとってはそれこそ旧い友人と再会した気分で感慨もひとしおだ。本書単体でも魅力は充分に味わえるが、できればこの機会に『アレルヤ』の復刊、もしくは電子化を切に願う。