小杉健治の「蘭方医・宇津木新吾」シリーズが、ついに本書で十冊になった。二桁の大台だ。本シリーズの人気のほどが、これだけでよく分かる。しかも今回から、物語は新展開を迎えた。騒動続きだった松江藩のお抱え医師を辞めた新吾が、恩師である町医者・村松幻宗の勧めもあって、牢屋医師を務めることになったのだ。しかし新たな職場には、厳しい現実があった。医者として高き理想を掲げる新吾は苦悩する。
そんな新吾だが、ふたりの囚人が気になってならない。ひとりは、たまたま新吾が捕まえた、凶悪な押し込みの頭・人食いの紀三郎。病魔に冒されている彼は、処刑ではなく、病で死ぬことを狙っている。もうひとりは、質屋の主人夫婦を殺した罪で捕らわれたが、無実を訴えている佐吉だ。ふたりの男に、自分は何ができるのか。悩み迷いながら、新吾は動き出す。
長崎帰りの町医から始まった新吾の物語は、松江藩のお抱え医師時代を経て、牢屋医師へと変転した。つまり本書からシリーズは、サード・シーズンに突入したのだ。作者も、このことを意識しているのだろう。非常に力の入った物語になっている。ミステリーの面白さと、医師や医療に関するテーマが、高いレベルで結びついているのだ。
ミステリーの部分を担っているのは佐吉である。彼の無罪を信じる新吾は、独自に調査を開始。途中の意外な展開や、紀三郎のアドバイスにより、真犯人の目星をつける。だが証拠がない。どうする、新吾。タイムリミットを設定し、サスペンスを盛り上げる展開には、読んでいるこちらの心拍数まで早くなる。手掛かりをもたらす人物にも工夫があり、ミステリーの面白さを堪能した。
一方、重いテーマを担っているのが紀三郎だ。死罪になるような人物の病を、治す必要があるのか。そんな疑問を抱えながらも新吾は、病死は逃げだと思い、真っ当な人間になって罪を償ってほしいと願う。だから、病死を勝ち逃げと考える紀三郎と、激しく対立する。幻宗まで巻き込んだ新吾の奮闘が、紀三郎の気持ちを変えることができるのか。作者は、ラストにミステリー作家らしい仕掛けを加えながら、ひとつの答えを導き出す。実に真摯な作品なのだ。
さらに前作でケリがついたと思った、松江藩の騒動や幻宗の謎も、まだ尾を引きそうだ。盛りだくさんの要素が詰まった、人気シリーズの今後から、ますます目が離せないのである。