幕末の三舟と称された人たちがいた。勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟の三人だ。すべて幕臣であり、幕末から明治にかけて活躍した。本書の主人公は、その三舟のひとり、山岡鉄舟である。この人物を扱った歴史小説には、南條範夫の『山岡鉄舟』や、山本兼一の『命もいらず名もいらず』がある。しかし両作を既読の人でも、本書を新鮮な気持ちで楽しむことができるだろう。なぜなら作者が剣豪小説の第一人者の鳥羽亮なのだ。剣客という視点から、鉄舟の生涯を見事に捉えたのである。

 黒船が来航し、この国が大きく揺れた時代。飛騨の高山に、小野鉄太郎という少年がいた。後の山岡鉄舟である。父親は徳川家旗本であり、天領である飛騨高山の郡代をしている。子だくさんな小野家だが、鉄太郎には特に不満もなく、剣の修行に励む。一心に考えているのは、通っている道場の師範・庄村翁助に打ち込むことだ。そんな鉄太郎を、父親は見守っている。書や学問にも親しむように鉄太郎にいい、これが後の、禅の学びに繋がっていく。また、翁助に勝てるようになると、北辰一刀流の井上清虎を指南役として招いてくれた。剣の道に邁進する鉄太郎だが、伊勢神宮参拝の旅で、尊皇攘夷論者の藤本鉄石と知り合い、かすかに時代に目を向ける。

 そのように成長していた鉄太郎だが、父親の死により、江戸に出た。ここから彼の人生は大きく動き出す。出入りしていた山岡道場の娘を娶り、山岡鉄太郎になる。浪士の清河八郎と交わり、尊皇攘夷に奔走しながら、幕臣としての道を歩んでいく。そして維新の動乱の渦中で、鉄太郎は大きな役目を果たすことになるのだった。

 主人公と中西派一刀流の浅利又七郎の二度にわたる立ち合いなど、手に汗握る勝負も描かれている。しかし、いつもの鳥羽作品を期待して読むと、チャンバラ・シーンの少なさに、意外の念を覚えることになる。それでも本書は、剣豪小説だ。鉄太郎が江戸に迫る官軍に乗り込み、西郷隆盛と会談する場面を見よ。将軍の徳川慶喜と、江戸の民を救うため、命を捨てて使命を果たす。それができたのは、剣と禅の修行で涵養された、強い心があったからなのだ。

 しかも明治の世になってから、鉄太郎の剣と禅の修行は、さらに深まっていく。地位や名誉にこだわらず、己の道を貫く様は、まさに剣客の生き方である。剣によって鍛えられた鉄の舟は、時代の荒波を力強く乗り切った。その雄姿に、魅了されてしまうのだ。