第三十九回小説推理新人賞は、受賞作がなく、木江恭の「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」が奨励賞を獲得した。本書はその作品を含む四作を収録した、作者のデビュー作品集である。冒頭を飾る「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」は、本誌掲載時に読んでいたが、今回、あらためて再読した。そして思ったのが、小説推理新人賞のレベルの高さである。

 作品と一緒に本誌に掲載された選評を見ると、選考委員全員が最終候補に残った五作の中で、この物語が一番だといっている。それでも受賞に至らなかったのはストーリーの整理が不充分だったからだ。たしかに全体が雑然としている。しかし受賞作にしてもよかったのではないか。そう思わせるだけの魅力がある作品だ。

 中学校美術教師変死事件を女刑事が追う。ジャンルとしては、警察小説といっていい。女刑事が気づく、不可解な事実の衝撃。女刑事の過去のトラウマと、事件の真相を重ね合わせた巧みな構成。そしてストーリーを通じて浮かび上がってくる、人々の心の深淵と、読みごたえのある作品である。これが奨励賞になったことに、小説推理新人賞の壁の高さを感じずにはいられない。

 続く「人でなしの弟」は、何者かに兄を殺された弟が、真実を求める。アンドリュウ・ガーヴの『ヒルダよ眠れ』を始め、死者の意外な人間像を題材にしたミステリーは少なくない。本作もそのひとつだが、こういう方向に行くのかと驚いた。弟が覗き込んだ真実が、なんともやりきれないのだ。犯人の正体も考えられているが、掘り起こされた兄の姿に圧倒された。

「さかなの子」は、海辺の町で起きた殺人事件の顛末が、中学校教師の“私”の視点で描かれる。伏線を丹念に張った、テクニカルな作品なので、あまり内容に触れない方がいいだろう。殺人の異様な動機に加え、作者はそれ以上の人間の深淵を用意している。個人的なベストである。

 ラストの「メーデーメーデー」は、交通事故を目撃した交通誘導員が、事故の真実を調べている女子高生に協力することになる。相貌失認のため他人とかかわらず生きてきた交通誘導員が、人の醜さに近づいた少女を助けようと、新たな一歩を踏み出すストーリーが気持ちいい。

 このように作者は、人間の深淵をテーマにしながら、さまざまな可能性を見せてくれた。今後、どのように成長していくのか楽しみである。