最初から読む

 

 

 翌朝。九時過ぎに杉本から電話があった。

「厚生課の係長が話を聞きたがっている。今から会えるか」

 私はすぐに行くと答え、指定された会議室に向かった。

「厚生課管理係の田村です」

 杉本が連れてきた男は、朝から疲れがにじんだ表情をしていた。四十歳を過ぎているように見えるが、疲れが年齢を上に見せているだけかもしれない。

「厚生課の課長には話を通してある。面倒を持ち込むなって顔をされたが、無視できない話ではあるようだ」

 杉本が言った。昨日のうちに話を通してくれたのだろう。同じ警務部とは言え、監察官室は他の課との関わりが薄い。杉本の顔の広さにはいつも助けられている。

「釜場署の東堂副署長の件ですが、危ない筋というのは本当ですか」

 田村がいくらかうんざりした口調で言った。

「調査中ではあるがその疑いはある」

 まいったな。田村がつぶやいた。

「ようやく、今年の定年退職者の再就職先が固まったところだったんですが。東堂副署長のように、ご自身で再就職先を見つけてくれる人は正直助かります。それが新規再就職先の確保にもつながるなら尚更です」

 だが、再就職後に、官製談合が発覚すれば県警が被るダメージは大きい。田村もそれを懸念しているのだろう。

「分かりました。我々としても懸念事項は早めにつぶしておきたいですし。課長の承諾も得ています。東堂副署長の再就職先は畠森建設という中堅どころの建設会社です」

 釜場署新築で建物の建築を入札した会社だ。それだけではない。昨夜、調べた県内にある労働組合の一覧。そこにも畠森建設の社名があった。M県建築業連合会の事務局も兼ねている。

「我々も入札情報まではチェックしていませんでした。今後の課題ですね。ただでさえ、公務員の天下りは批判を受けやすいですから。自分で再就職先を見つけてきたということは、裏があると疑ってみるべきでした」

 今後、厚生課の仕事が増えるかもしれない。本来は警察官一人一人が己を厳しく律するべきなのだ。たとえ、目の前にどんな餌をぶら下げられたとしてもだ。

「協力ありがとう」

「いえ、お礼を言わなければならないのはこちらのほうです。定年時に警視以上の階級だった方々の再就職先は公開しています。公開後に官製談合が発覚したらと思うと胃が痛くなります」

 田村が胃の辺りを手で押さえながら会議室を出て行った。

「役に立ちそうか」

 杉本の言葉にうなずいた。

「もちろんだ。いつもすまんな」

「礼には及ばん。結果的に県警のダメージを最小限に抑えられているからな」

 杉本が首を振った。

「なあ、杉本。私はこれまで少しでも警察組織を変えたいと思ってきた。そのために民間企業の仕事の仕方を学んだりもした。だが、何かを変えることができたと思うか」

「白峯が変えたいのは、制度や仕組みの話か、それとも風土とか、体質とかか」

「どちらかと言えば後の方だな」

「それなら、まだだろうな」

 やはり、そうか。自信があったわけではない。それでも表情に落胆の色が浮かんだのか、杉本が慌てたように付け加えた。

「勘違いするな。変わるのはこれからだって言いたかったんだ。白峯の背中を見て、考え方を変えた人間は大勢いるはずだ。同僚や部下だけじゃない。同期だってそうだ。白峯が蒔いてきた種が芽吹くのはこれからだろう」

 言葉を返すことができなかった。

「何があったのかは分からないが、いい加減、自信を持てよ」

 杉本が立ち上がった。礼を言おうとしたが手で遮られた。

「礼はいい。それより早くお前の下で働かせてくれ」

 会議室を出ていく杉本を見送った。右足をわずかに引きずっている。二十代の頃、勤務中に事故に遭った後遺症だ。

 しばらく、そのまま座っていた。杉本から与えられたものは情報だけではない。それに応える義務がある。

 

 監察官室に戻り、佐伯にこれまでのことを報告した。

「東堂副署長に会ってこようと思います」

 まずは揺さぶりをかける。そこで東堂がどんな反応を示すか。

「畠森建設の件は俺から木崎に伝える。あいつも無視はできないだろう。うちは東堂の監視体制を敷く」

 佐伯が立ち上がり、ちょっと集まれ、と監察官室にいた全員に声をかけた。

「白峯中心に、釜場署新築の官製談合事案を追っているが、副署長の東堂が関わっている可能性が出てきた。見返りは再就職先の確保と思われる。今から白峯が東堂に揺さぶりをかける。その後、東堂に監視体制を敷く。また、本件は先日釜場市内で発生したジャーナリスト殺害事件に関係している可能性もある。被害者の刈谷は過去に企業の不正をネタにした威力業務妨害の前科がある。釜場署新築を入札した畠森建設を強請ろうとしていたとしたらそこに動機が存在する。だが、捜査本部が目を付け、任意で引っ張ったのは、釜場署新築の情報開示請求をした市民団体の関係者だ」

 佐伯が反応を確かめるように監察官室を見渡した。全員が真剣な眼差しを佐伯に向けている。佐伯が、監察官室員全員に調査指示を出すのは初めてのことだ。

「事実関係はどうあれ、事案の構図は、官製談合の疑惑を持たれた釜場署が、不都合な情報開示請求を妨害するために市民団体の関係者を容疑者に仕立て上げていると疑われかねない。そんな疑いを持たれるぐらいなら、さっさと東堂を処分した方がましだ」

 極端な物言いは普段通りだ。しかし、何時になく熱がこもっている。

 東堂監視の指揮は猪狩が執ることになった。彼は監察官の先輩だ。一度、考え方の違いから対立したことがあるが、最後には事案解決に協力してくれた。信頼できる相手なので任せておけば心配はない。

「室長、ありがとうございます」

「何のことだ。俺は自分の仕事をしただけだ」

 佐伯は不機嫌そうに答えた。

「さっきも言ったが、うちの案件と刈谷殺害事件はつながっているはずだ。そっちの情報収集も怠るな。これは命令だ」

 すぐに言葉を返すことができなかった。

 私は佐伯に敬礼し監察官室を出た。

 

 釜場市に向かう電車の中で申橋から着信があった。釜場駅に着いてから折り返しの電話をかける。

「白峯さん、情報ありがとうございます」

 申橋は外にいるようだった。かすかに車の音が聞こえる。

「そっちはどんな状況だ」

「捜査本部には東堂副署長が頻繁に顔を出していましてね。木崎管理官も畠森建設の話を出すか迷っています。情報漏れの懸念がありますから」

「捜査本部は動かないってことか」

「いえ、私を含め一課の三人が畠森建設の線を追います。元々遊軍扱いなもんで」

「木崎管理官の指示か」

 私の問いに申橋が笑いを含んだ声で答えた。

「木崎管理官が言いにくそうにしていたので、私が提案しました。色々と、しがらみを気にする人ですからね。いい部下でしょう」

「まあ、それは認めるが」

「白峯さんの動きも気にかけるように言われています。表向きはどうあれ、白峯さんのことは認めているようですから」

 木崎の顔を思い浮かべた。しかめっ面しか思い出せない。

 こちらの情報はすべて提供することを約束し電話を切った。

 

 釜場署一階の受付カウンターには三日前と同じ警務課員がいた。

「東堂副署長につないでくれないか」

「お約束でしょうか」

 警務課員が戸惑いながら聞いてきた。

「アポは取っていない。一つ覚えておくといい。監察官は調査の際、いちいちアポをとったりしない」

 彼には気の毒な言い方だが、こちらの本気度を伝えたかった。

「不在なら待たせてもらう」

 ダメ押しの一言で、警務課員はお待ちくださいと言い、内線に手を伸ばした。

「応接室にご案内します」

「ありがとう。助かったよ」

 礼を言うと、ほっとしたように警務課員の肩から力が抜けた。

 応接室のソファに腰かけ、東堂を待った。

「お待たせしました」

 それほど待たずに、応接室のドアが開いた。定年間近だが、若々しく見えた。染めているのか、髪は黒々としている。

 私は座ったまま正面に座るよううながした。東堂の頬が引きつった。非礼は承知の上だ。

「先日は失礼しました。変死体が発見されたとの通報があった直後でしたので」

「結局、緊急配備は敷かれなかったようですね」

 東堂が開きかけた口を閉じた。

「総合的に検討した結果です」

 無理に平静を装おうとしているのを感じた。

「畠森建設はご存じですね」

 再就職先、あるいは釜場署新築を請け負った業者。どちらを答えるか。

「ええ、釜場署新築を担当した業者です」

 自身の再就職先とは答えなかった。

「釜場署新築の入札経緯について情報開示請求を受けていることはご存じですね」

「はい。ですが我々は直接業者選定に関わっていません。お話しできることはありませんが」

 こちらが東堂の再就職先を掴んでいるとは思っていないようだ。

「間もなく定年とのことですが、再就職先はお決まりのようですね」

「ええ、ありがたいことに」

 答えが返ってくるまで間が空いた。

「畠森建設だそうですね。どのような経緯で決まったのですか。厚生課の斡旋ではないそうですが」

「いったい何の調査ですか、これは」

 東堂の質問は無視した。警察官は相手の質問には答えない。相手から情報を引き出すだけだ。

 私は東堂が口を開くのを待った。根気比べなら望むところだ。

「……知り合いの紹介です」

「その知り合いの名前と連絡先を教えてください」

 東堂の答えに畳みかけた。東堂が露骨に嫌な顔をして声を荒げた。

「ですから、何の調査ですか」

「なぜ、答えられないのでしょうか」

 再度、質問を無視した。しばし、にらみ合った。

「私は監察官です。当然ながら、これは非違事案の調査です」

 東堂の視線が私から外れた。

「畠森建設が入札したのは二年前。あなたは三年前から副署長を務めている。これを第三者が見た時、どう感じるか」

「偶然です。やましいことはない」

 強い口調だったが、東堂は私と目を合わせようとしない。

「情報開示請求を出した市民団体の関係者が、釜場署に拘束されています。談合事件を追っていたと思われる刈谷の殺害事件に関わっていたとして。これも偶然ですか」

「増田のことですか。あいつは公務執行妨害の現行犯で逮捕していますよ。うちの刑事に暴行を加えたのでね。元警察官らしいですが、罪は罪です。もっとも、三か月で警察学校を逃げた人間を、元警察官と呼んでいいのか分かりませんが」

 増田が犯人だと確信しているのか、東堂の口調には余裕が感じられた。

 拳を握った。爪が掌に食い込む。掌の痛みに集中した。そうしなければ、乱れる心を抑えることができない。

「増田が暴れたきっかけは?」

 絞り出した声は、自分でも戸惑うほど低かった。東堂の顔色が変わった。余裕は失われ、表情が強張る。

「捜査中の事案につき、お答えしかねます」

 東堂が上ずった声で答えた。

 揺さぶりをかける。その目的は果たせた。この後、何らかの行動を起こすのではないか。その感触はある。

「今日のところはこれで失礼します。あなたは元警察官でも罪は罪と言いましたね。同感です。現職の警察官でも罪は罪。容赦はしない」

 立ち上がり、応接室を出ようとして、ローテーブルに足をぶつけた。ドアを閉める音はいくらか大きかったかもしれない。振り向いた。ドアに拳を叩きつけたい衝動にかられた。

 若いころから、年長者に対して、自分でもどうしようもない怒りにかられることがあった。誰にでも、というわけではない。中身の伴わない高圧的な態度。怒りを感じるのはそれだった。怒りを爆発させたことはない。怒りを感じる理由は自分で分かっていた。増田を退職に追い込んだ教官。その姿とだぶった時、感情が昂る。一方で、その教官と同じ振る舞いをすることへの嫌悪感が、怒りを爆発させることを許さない。

 増田も同じだったのではないか。

 事情聴取の途中で暴れ、刑事に暴力を振るった理由。

 刑事がどんな態度で増田に接したのかは分からない。だが、応接室で東堂が口にした増田への言葉。警察官は良くも悪くも仲間意識が強い。仲間の輪から途中で外れた「元警察官」は「元仲間」ではない。極端な悪感情を抱く人間もいる。

 釜場署の外に出た。建物を振り返る。増田がこの場所にいる。今、何を思っているのか。これほど近い場所にいながら顔を見ることすらできない。立ち去りがたい思いを断ち切り釜場署を後にした。

 

 釜場駅まで歩き、駅舎の中を通り抜けて駅裏に出た。さくら会の事務所がある雑居ビルを目指す。

 今日も、榎本は一人だった。

「来るような気がしていましたよ」

 突然の訪問だったが、榎本は事務所に招き入れてくれた。

「増田が逮捕されたそうですね」

 榎本の口調は淡々としていた。昨日の朝のように、私を責める様子はない。

「事情聴取の途中で、刑事を殴ったそうです」

 榎本に聞きたいことがあった。榎本は、私の知らない増田を知っているはずだ。

「増田は事情聴取の途中で態度を一変させたそうです。詳しい状況は分かりませんが、以前にも似たようなことはありませんでしたか」

 私の質問に榎本は天井を見上げた。真摯に思い出そうとしてくれているようだ。

「今はどうか分かりませんが、私が務めていたころの工場は、良く言えば職人気質、悪く言えば荒っぽい従業員が多かった。特に年配の従業員に。増田はそういう従業員とそりが合わなかったようです。一度、現場で大喧嘩したと聞いています。それ以降、一目置かれるようになったそうですが、本人は自分の行動を恥じていました。そういう古い体質を変えたいとも言っていました」

 同じだ。私と。場所は違うが、同じものを目指していたのか。

「白峯さん。あなたは増田とどういう関係ですか。どうも増田に肩入れしているように思える」

 榎本の観察眼が鋭いのか、私の態度に表れていたのか。

 榎本は協力する態度を見せてくれている。こちらも手札を見せる、いや、腹を割るべきか。

「榎本さんのおっしゃる通りです。増田とは小学生のころからの付き合いです。友人であると同時に警察学校の同期でもあります」

「そうですか、あなたが……。増田から聞いたことがあります。友達が、今も警察官を続けていると。白峯さんのことだったのですね」

 こみ上げてくるものを堪えた。友達。増田もそう思ってくれていたのか。

「白峯さんは、釜場署に対して、どういう立ち位置なのですか」

 何かを測るような問いかけだった。

「先日もお話しした通り、私は監察官として、釜場署の官製談合疑惑を調査しています。謂わば釜場署を追う立場です」

 勝負所。そう感じた。駆け引きは逆効果だ。

「申橋さんでしたか。先日、白峯さんといらした刑事は。捜査一課の方とうかがったが、釜場署の捜査本部に入っているのですか」

「はい。ですが増田とは別の線を追っています」

 さすがに畠森建設を追っていることまでは言えない。だが、榎本は納得したようにうなずいた。

「組織というのはどこも一枚岩というわけにはいかないようですね。さくら会も同じですが」

 さくら会にも色々な考えを持った人間がいる。二日前、榎本は自嘲気味にそう言った。

「白峯さんにお話ししなければならないことがあります」

 榎本が居住まいを正した。

「さくら会の中には警察に敵愾心を持っている人間もいます。いや、私も少々意固地になっていたかもしれない」

 榎本が恥じるように目を閉じた。沈黙。私は黙って続きを待った。

「釜場署新築に官製談合の疑いがある。その情報は増田からもたらされたものです」

「増田が?」

「増田は現在槻木建材で品質保証課長を務めています。槻木建材は畠森建設にも住宅建材を納入している関係で、定期的に畠森建設の購買担当と打ち合わせをしています。三か月前、そこで釜場署新築の話題になり、購買担当者が警察にパイプがあることを匂わせたそうです。自慢げにね。さすがにその場では追及しなかったようですが、後日相談を受けました。増田は、非常に正義感の強い男です。ご存じかと思いますが」

 私は無言でうなずいた。

「その担当者の名前は分かりますか」

「矢部という男です」

 矢部と増田の間に仕事上の付き合いがあったとすれば、矢部が増田の名刺を入手していても不思議ではない。

「私も、矢部とは面識がありましてね。議員時代、県の建築業連合会の集まりで名刺交換をしています。確か、転職組で、前の会社でも積極的に組合活動をしていたと言っていました」

「どんな印象でしたか」

「押しの強い男でした。当時の私の立場では、ちょっと警戒してしまうくらい」

 議員だけでなく、警察官とも距離を縮めようとする人間がいる。全員が悪意を持っているわけではないが、所轄の刑事課長時代は名刺交換にも気を遣った。どんな使われ方をされるか分からないからだ。

「もっと早くお伝えしていれば、増田が拘束されることはなかったかもしれません。ですが、警察に協力するという行為に抵抗を感じていたのも事実です。公正さを欠いていたのは私の方だったかもしれません」

 榎本は、市議会議員時代、労働組合が支援する革新系の政党に属し、四期十六年、一貫して野党だった。榎本なりに譲れない一線があったのだろう。だが、意固地な老人、というわけではない。公正であろうとする姿勢を無くしてはいない。

「ありがとうございます。官製談合の調査と、刈谷殺害事件の捜査。どちらに対しても大きな手掛かりになります」

 礼を言うと、榎本は複雑な表情を浮かべた。大きな手掛かり。それを黙っていたことを後悔し、私の感謝を素直に受け取れないのかもしれない。

 だが、遅くはない。

 一つ、気になる点があった。

「増田は現在品質保証課長を務めているとのことでしたが、五年前の役職はご存じですか」

「五年前ですか。確か係長でしたね」

 もう一度礼を言い、事務所を後にした。

 外に出て、申橋に電話をかける。

「畠森建設の矢部という男の名はこれまで出てきているか」

「矢部ですか。いえ、出ていませんね」

 榎本から聞いた話を申橋に伝えた。

「分かりました。矢部という男、こっちで探ってみます」

「それと確認して欲しいことがある。刈谷が持っていた増田の名刺の肩書だ。五年前は係長だった」

「すぐに調べます」

 電話を切った。矢部の件は申橋に任せるしかない。

 東堂に矢部の話をぶつけるのはまだ早い。十分揺さぶりをかけた。矢部に接触するかもしれない。監視は猪狩たちに任せる。

 事態が動き始めた。その感触はある。

 私はどう動くか。申橋と猪狩からの連絡を待つ以外ないのか。

 釜場駅に着いた。増田もこの駅を利用していたのだろうか。

 電車で神無市に戻った。

 今夜は県警本部で待機するつもりだ。申橋と猪狩。二人からの連絡を待ち、いつでも動けるようにしておく。

 県警本部に着いた時にはすっかり日が暮れていた。

 佐伯に報告を済ませる。榎本から聞いた矢部の話もだ。

「今夜はいつでも動けるようにここで待機します」

 好きにしろ。佐伯は私と目を合わせず言い放った。

 自分の席に戻り、パソコンを立ち上げた。調べたいことがある。二年前、定年退職したOBの依頼で犯罪歴照会を行い、個人情報を外部に漏らしたとして、所轄の刑事課の警部補が処分を受けた事案。犯歴照会を依頼したOBの名前をメモする。

 午後八時過ぎ。申橋から電話があった。

「白峯さん。刈谷と矢部の接点が見つかりました」

 申橋が興奮している様子が伝わってきた。

「矢部は畠森建設に中途採用で入社しています。その前は千葉県の建設会社に勤めていました。そこを辞めたのが十三年前。同じころ、刈谷は威力業務妨害で逮捕され、実刑を食らっています。その時、刈谷が脅迫していた相手が矢部の勤めていた会社です」

「面識はあったのか」

「脅迫のネタは、労働組合の組合費横領です。矢部は組合の副支部長でした。横領の件は事件になっていませんが、その直後、矢部は退職しています。両親の面倒を見るため地元に戻ることを退職理由にしていますが、十中八九、刈谷の事件が原因でしょう」

「今回、刈谷は釜場署と畠森建設の官製談合疑惑を狙っていた。これまでの奴の手口は、まず労働組合に接触し、情報を集めている。そこで再会したとすれば、過去の横領疑惑を知る刈谷の存在は、矢部にとって脅威に感じただろうな」

「刈谷にとっては脅迫のネタが二つに増えたことになりますね。それと、名刺の件ですが、増田の肩書は品質保証課長でした」

「それは現在の肩書だ。刈谷が五年前の取材で入手したものなら肩書は係長なはずだ」

「矢部は、現在の増田と名刺交換する機会があったというお話でしたね。指紋は採取できませんでしたが、偽装の可能性がありますね」

「これからどう動くつもりだ」

「矢部は監視下に置いています。同時に現場周辺の防犯カメラの分析も進めています。なんとか明日の朝一番で任意で引っ張りたいんで」

 申橋たちは徹夜で捜査を続けるつもりのようだ。

 佐伯に報告しようとしたが、姿が見えない。申橋と電話をしている間に監察官室から出て行ったようだ。

 しばらくして、佐伯が戻ってきた。手にコンビニの袋をぶら下げている。

「室長、刈谷殺害事件の件、進展がありました」

 立ち上がった私に、佐伯がコンビニの袋を押し付けてきた。戸惑いながら受け取り、中を見るとおにぎりが二つとペットボトルのお茶が入っている。

「夜食だ」

 それだけ言うと佐伯は自席に戻った。戸惑いながら礼を言った。佐伯がコンビニで買い物をしている姿は想像がつかない。

「刈谷の件なら報告はいらん。木崎から聞いている」

 そう言うと、佐伯が帰り支度を始めた。私と申橋が連絡を取り合っているように、木崎も佐伯と連絡を取り合っているということか。抜け目ないな、と思ったが不思議と不愉快さは感じない。目指すものが同じならそれでいい。

「俺は帰る。お前は最後まで見届けるつもりだろ」

「もちろんです」

 パソコンに向かい、調査を続ける。さっきメモしたOBの名前を退職者データベースで検索する。対象は三人。退職時の階級は警視正が一人、警部が二人だ。再就職先は大手保険会社、警備会社、大手スーパーだ。再就職先もメモする。

 さらに、出身校、入庁後の経歴、全て調べる。

 次に警視正の再就職先の保険会社に、過去二十年の間に再就職した人間を調べた。五人いる。全員神無高校出身だ。

 道筋が見えてきた。偶然とは思えない意図がそこには感じられる。特定の個人の意図ではない。代々受け継がれる類の意図だ。

 しかし、その道筋は二年前に途絶えている。

 高校の部活並みの上下関係。武則の言葉を思い出した。同じ高校の出身というだけで四十年以上続く関係は、果たして絆と呼べるのだろうか。

 私と増田の関係も同様だ。三十年間、一度も会っていない。それでも私は増田を友人だと思っている。私の一方的なこだわりなのかもしれない。

 佐伯から渡されたコンビニの袋からお茶とおにぎりを取り出した。おにぎりの具は鮭と昆布。佐伯の好みか、単に無難なものを選んだのか。

 おにぎりをお茶で流し込みながら考えた。

 東堂が二年前に畠森建設に入札情報を流した理由。それは見えたように思える。少なくとも、東堂を追い詰める材料は手に入った。

 午後十時過ぎ、東堂の監視についている猪狩から電話があった。

「白峯さん。東堂副署長ですが、今、神無市で人と会っています」

「矢部ですか」

 刈谷殺害事件の捜査情報はメールで猪狩に連絡してある。

「いえ、違うようです。神無駅前の居酒屋に入っていきましたが、我々の他に監視している人間は見当たりません」

 相手が矢部ならば、申橋たちが監視下に置いている。無論、周囲に悟られないように動いているはずだが、警察官同士なら察することができる。

「調査員を二人、店内に入らせました。可能なら相手の写真を撮るよう指示しています」

 お願いしますと告げ、電話を切った。

 所轄の副署長が、管轄を離れて夜に会う相手。今の東堂に、気楽に飲み歩く余裕があるとは思えない。県警OBか。

 一時間後。猪狩からメッセージと写真が送られてきた。東堂が会っていた相手。離れたところから横顔を撮影した写真だ。四十代男性。少なくともOBではない。メッセージには二手に分かれ、東堂と密会相手を追っていると書かれていた。承知しましたとメッセージを返す。

 続いて電話の着信があった。申橋かと思ったが木崎からだった。

「白峯さん、いまどちらにいらっしゃいますか」

「本部だが……」

「私も本部に戻っていますので、今から会っていただけませんか」

 落ち着いているというより、思いつめた声に聞こえた。理由は聞かず、会議室を指定した。

 会議室のドアを開けると、木崎が立ったまま待っていた。

「お呼びたてして申し訳ございません」

「いや、構わない」

 座ろうかと促したが、木崎は直立不動の姿勢を崩さない。どうした、と聞こうとすると木崎が深々と頭を下げた。

「昨日は白峯さんに失礼な発言をしてしましました。申し訳ございません」

 いくらか面食らった。事件の話だろうとは思っていたが、木崎の謝罪は予想外だった。

「顔を上げてくれ。君の指摘は間違っていなかった。私情を挟まない努力はしていたつもりだが、そう見えていなかったのなら私の責任だ」

「いえ、意固地になり、視野が狭まっていたのは私です。結果的に誤った判断をしてしまいました」

 木崎は頭を下げたまま言った。私は息を吐いた。

「きりがないな。お互い自分の過ちは胸にしまって、本題に入らないか」

 ようやく木崎が顔を上げた。私が椅子を指さすと今度は従ってくれた。

「現在、白峯さんの情報を元に申橋たちが畠森建設の矢部の身辺を洗っています。そこで新たな事実が確認されました」

 木崎が手帳を取り出した。

「刈谷が殺害されたと見られる一月十二日の日曜日、矢部の姿が現場近くのショッピングモールの防犯カメラに映っていました。店内に併設されたホームセンターの工具売り場を三十分ほど徘徊し、ハンマーなどの工具を購入しています。映像からも伝わるほど挙動不審で、私服警備員らしき人間が刈谷の後をつけている姿も映っていました。今、警備会社に問い合わせているところです」

「現場付近の他の防犯カメラは?」

「ショッピングモールから現場の途中にコンビニがあります。そこの防犯カメラの映像も解析中です。立ち寄っていなくても矢部の車が通り過ぎたところが映っていることを期待しています。あの辺りはNシステムも国道以外設置されておりませんので」

 事件の話になると木崎の表情が活き活きとしてきた。彼も刑事畑の人間なのだと改めて思った。

「増田の名刺の件も含め、矢部の容疑が濃厚になってきています。ただ、釜場署から情報が漏れないかが気がかりで申橋たちだけ動かしています」

 私は東堂が神無市で人と会っていることを伝えた。

「やはり東堂副署長が……」

「東堂副署長はうちが監視している」

「矢部は九時過ぎに帰宅していますが、今夜は朝まで監視を続けます」

 お互いにうなずき合った。

 情報が集まってきている。高揚感を感じているのは私も同じだ。

「動きがあるとすれば朝になってからだろう。お互い少しは体を休めておこう。明日に備えてな」

 私は立ち上がり、腰を伸ばした。木崎が何か言いかけ、首を振りながら立ち上がった。

「私は明日に向け、人員配置を見直します」

 失礼します、と言って木崎が会議室を出て行った。

 今夜も、増田は留置所で夜を迎えている。

 二度目の夜だ。

 三度目の夜は迎えさせない。

 

(つづく)