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第二話 死神仲間

 

「どう足掻あ がいたって人口が減ってるのはどうしようもないんだよ。小学校なんて見てみろ、俺らの時代は十クラス近くあったのに、今じゃギリギリ二クラスだ」

 雪杜駅西口市街地再開発準備組合の理事である男性の話に、「ねぇ……」という溜め息交じりの相槌が、会議室にいくつも響く。外から来た人間である沖晴まで、会議室の端で静かに肩を落としてしまった。

 組合では月に一度、梓川建設の人間も参加して意見交換会を開く。再開発に向けて、現在の商店街と周辺地域が抱える課題を洗い出す話し合いを重ねているのだ。

 再開発で商店街がなくなるわけではないが、道路の拡張工事や新しい商業ビルの建設にともない、大きな区画整理も行われる。プロジェクトが始まってもう三年になるのに、議題ばかりが山積みの状態だった。

 会合は、欅の道商店街事務局の建物にある会議室を必ず使う。商店街の中ほどにある二階建ての建物で、会議室は正直手狭だ。それでもここを使う意味を、神田が「梓川建設側が商店街に出向くことに意味があるから」と教えてくれた。

 二時間に及んだ意見交換会の中で、老舗しにせの店はどこも後継者不足だとか、新しくオープンした店もなかなか長続きしないとか、悲観的な話が随分出た。「再開発で商業施設ができたら商店街への人の流れはどうなるのか」という意見を、神田がうんうんと大きく頷きながら親身に聞いていた。

 テーブルの端でひたすら議事録を取るのが、沖晴の仕事だった。ノートパソコンと組合の面々に交互に視線をやりながら手を動かしていたら、商店街のマップがすぐ側に飾ってあるのに気づいた。

 アーケードの端から天井に入って少し歩いたところには、先日行った「カフェ・天井裏」の名前があった。

 以前、都市開発部の面々が言っていた通り、カフェ・天井裏は再開発準備組合には加入していない。あの店員は常連に「マチちゃん」と呼ばれていたけれど、商店街の全店舗が加入している事務局のリストにはそれらしい名前は書いてなかった。

 ということは、社員か、バイトかパートなのか。ぼーっとそんなことを考えてしまって、神田が「ありがとうございました!」と会合終了の挨拶をしたのに、反応が一歩遅れた。

「志津川さん、東京から転勤してきたばっかりなんでしょ?」

 会議室の片付けを参加者全員でしていたら、商店街でバーを経営する関口せき ぐちという若い男性が話しかけてきた。

「はい、四月に転勤してきたばかりで」

「へえ、じゃあ、まだ二ヶ月ちょっとなんだ。俺も、一昨年まで東京だったんすよ」

 最近組合に加入したと、関口は会議の前に自己紹介をしていた。歳は二十八で、父親が経営していた居酒屋を継いでバーに改装したのだと話していた。組合どころか、商店街の事務局の中でも最年少のメンバーだという。

「俺の店、この近くなんで、よかったら飲みに来てくださいよ」

 会議中からそんな感じがしたが、気さくで人懐っこい性格のようだ。「最初の一杯だけ、サービスしますから」とノリよく肩を叩かれた。

「関口さんのお店、何度か前を通ったことがあるんで、今度行きますね。あんまりお酒強くないですけど」

「ノンアルでも大歓迎ですよ。商店街のお店、どこか入ってみたりしました? 少ないなりに若い連中も頑張ってるんで、ぜひ来てくださいよ」

 欅の道商店街にあるパン屋や精肉店には、すでに何度か寄ったことがある。オープンから一年もたっていないような新しい店舗もあるが、基本はこの場所で何十年と営業してきた店が多い。

 あとは──。

「商店街のはずれにあるカフェ・天井裏に何度か行きました。小さいけどいい雰囲気のお店ですよね」

「ああ、天井裏ね。めっちゃ無愛想な店員がいたでしょ」

 あははっ、と笑う関口に、どうリアクションをすべきか迷ってしまった。

「……多分、いました」

「あの子、同じ中学だったんですよね。大浪おお なみ万智っていうんです。たわら万智と同じ万智」

「俵万智と同じ万智」

「苗字は、良って書く方の〈浪〉で、大浪」

「良って書く方の〈浪〉で、大浪」

 オウム返しすると、脳裏に無愛想に注文を取るあの店員の顔がするっと浮かぶ。ナポリタンを食べて以降、休みの日に二回ほど行ったのだが、必ずあの大浪万智という店員はいた。

 何を注文しようと、沖晴が「どうも」と挨拶をしようと、彼女はくすりともしない。何を思っているのか、全く読み取れないのだ。

「あの店員さんって、いつもあんな感じなんですね。歓迎されてないのかなって、行くたびにちょっと緊張しちゃうんです」

 肩を竦める沖晴に、関口が「違う違う」と右手を振る。

「あの人、中学の頃からずっとあんな感じだから。友達もあんまりいなかったしね。経営者じゃないとはいえ、一応は商店街で働く同世代だし、商店街の若者会に入らないかって何度か声をかけたんですけど、つーんって顔で断られちゃって」

 店員と客として三度顔を合わせただけなのに、関口が「同じ中学だったよね~?」と親しげに声をかけ、あの店員に素っ気なく対応される姿が想像できてしまった。

「ちょっと不思議ちゃんが入ってる子なんですよ。同じ小学校の奴いわく、死神に笑顔を取られた~みたいなことを昔言ってたとか」

 ──死神。

 笑いながら話す関口の前で、頬が強ばった。背筋を、津波の日の記憶がぞわぞわ這い上がってくる。

 それ、どういうことですか? 問いかけようとしたら、組合の最年長の男性(沖晴が何度か買い物をした肉屋の店主だ)が関口を呼んだ。

 このまま飲みに行くか~と笑い合う男性と関口を横目に、沖晴は壁に飾られた商店街のマップを見つめた。

「カフェ・天井裏」の名前が、欅の道商店街の片隅にひっそりと並んでいる。

 

 再開発準備組合の議事録を都市開発部のグループチャットで共有して、沖晴は「お疲れさまです!」とオフィスを飛び出した。

 午後八時前の駅前は帰宅する人々で混雑していて、ロータリーのバス停には列ができていた。日中は夏日に迫るほど暖かい日が続いているが、夜になると肌寒くなる。東京とは違う、肌に染み入るような寒暖差だ。

 横断歩道を渡って欅の道商店街に入ると、夕方の組合で出た「跡継ぎがいない」とか「新しい店が長続きしない」という話が大袈裟に感じられてしまうくらい、明るく賑わっていた。

 すっかり聞き慣れたテーマソングが流れるアーケードの下を、沖晴は真っ直ぐ歩いていった。精肉店から漂うコロッケの香りにも、カレー屋から流れ出てくるカレーの匂いにも、惑わされなかった。

 気持ちばかりがいて、何度かメインストリートに敷かれたレンガの継ぎ目に躓いた。焦っている……というか、困惑している。

 商店街を端から端まで早歩きで進み、細い路地を曲がった。

 古びたステンドグラスの窓から、ぼんやりとオレンジ色の明かりがこぼれていた。カフェ・天井裏の営業時間は、午前九時から午後八時まで。三度も通っているうちに覚えてしまった。

 店の看板を見たら、もういてもたってもいられなかった。閉店ギリギリの店内に沖晴は駆け込んだ。ドアベルが転げ回るように甲高い音を立てた。

 レジ前に大浪万智はいた。ベルの残響が跳ね回る中、目を真ん丸に見開いて沖晴を凝視している。

「あの……もう閉店なんですけど」

 開け放ったドアには、外に向けて「CLOSED」という札がかかっていた。壁に掛かった振り子時計は七時五分を指している。もちろん、店内には客は一人もいない。

「あー……すみません、その」

 なんと続ければいいかわからない。えーと、えーと、と続ける沖晴に、彼女はますます怪訝な顔をした。

「大浪さん、そのう、つかぬことをお聞きしますが」

「その名前で呼ばないでください」

 こちらの言葉をはたき落とすように、きっぱりと言い切られた。

「はい?」

「大浪って苗字、好きじゃないんです」

 いつも通り素っ気なく言って、彼女は沖晴から視線を逸らした。レジの中の千円札を取り出し、一枚一枚数え始める。どうやら、閉店作業をするのも彼女一人らしい。彼女以外の店員がこの店にいるのを、沖晴は見たことがなかった。

「じゃあ、万智さん?」

 恐る恐る口にすると、彼女がじろっとこちらを睨んでくる。「なんで下の名前を知ってるの?」という目だ。

「この前、お客さんがそう呼んでいるのを聞いたので。下の名前まで駄目って言われると、何と呼べばいいか……」

 売上の確認は終わったのだろうか。「いい」とも「悪い」とも言わず、万智はレジを閉めた。手元にあった布巾で、木製のカウンターを拭いていく。ペンダントライトの金色の光に照らされて、カウンターは飴のように艶やかに光った。

「それで、なんのご用ですか?」

 小首を傾げた彼女の表情は、ずーっと変わらない。淡々としていて、感情の起伏が見えない。

 ──同じ小学校の奴曰く、死神に笑顔を取られた~みたいなことを昔言ってたとか。

 関口の話を思い返しながら、沖晴は小さく深呼吸をした。

 自分の吐息が震えているのがわかった。静かな店内で、その音が万智にまで聞こえてしまうんじゃないか。

「あなたは、死神に会ったことがあるんですか?」

 カウンターを拭いていた万智の手が、止まる。

 たったそれだけで、沖晴は確信した。

「何を言ってるの?」

 彼女は怒っていた。沖晴を睨みつける瞳に、はっきりと怒気が見える。

「ていうか、誰に聞いたの?」

「商店街でバーを経営している……」

「ああ、関口君ね。本当、昔からあの人ってお喋りで嫌い」

 吐き捨てるように、万智が肩を落とす。鮮やかなほどに苛立っている。

「それで、あなたはそれをわざわざ確認しに来たの? 死神に会ったことがあるなんて、そんな馬鹿みたいな」

「俺も会ったことがあります」

 決して大きな声を出したわけじゃないのに、万智の肩がびくりと跳ねた。店内が静まりかえる。柱時計の振り子の音だけが、かすかに響くだけ。

「何言ってるの」

 探るような視線を寄こした万智の頬には、ほんの少しの恐怖がこびりついていた。数回カフェに来ただけの客が、唐突に突きつけてきた問いに、怯えている。

「大浪って苗字が嫌いなのは、津波を連想するからですか」

 関口は二十八歳だった。万智も、彼と同い年。あの震災のとき、きっと小学五年生だったはずだ。

 雪杜市は東西に横長の形をしていて、東部は海に面している。この街で生まれた若者の多くがあの震災を経験している。

「津波のときに、あなたは死神に会ったんですよね?」

 他に客がいなくてよかった。これじゃあ完全に、俺が変な人だ。

「そのとき、命と引き換えに、何か持っていかれませんでしたか?」

 なのに、万智は「ふざけないで」とも「何言ってるの」とも言わない。沖晴の話を、真剣に、深刻に、聞いている。

 柱時計の振り子の音が聞こえる。沖晴の鼓動と、綺麗に重なっている。

「……例えば、感情を、持っていかれたとか」

 万智はやはり何も言わない。

「よ、喜びの感情を、持っていかれたり、しませんでしたか」

 だん、と木製の床を鳴らして、万智が大股でこちらに歩み寄った。暗いブラウンの前髪を左右に揺らしながら、沖晴の前に仁王立ちする。

「あなたもなの?」

 声が強ばっているのがわかる。言葉尻が小さく震えている。

「俺も、死神と取引をしたことがあります。津波のときでした」

 小さく頷いたら、首元からギシッと音が聞こえた気がした。こんなに堂々と「死神」と口にするのは、高校生のとき以来だ。

「えーと、俺、小学生だったんですけど、家族と一緒に津波に流されて、多分そこで死ぬはずだったというか……」

 でも、助かった。自分一人だけ、助かった。

「俺はずっと、死神が気まぐれに助けてくれたんだと思っていて。そのとき、多分、取引をしたんです」

 人間には、五つの基本感情がある。《喜び》《悲しみ》《怒り》《嫌悪》《怖れ》この五つが、人間の感情の根幹にある。ネガティブなものが四つ、ポジティブなものが一つという、不思議なバランスで人間の感情は成り立っている。

「喜び、悲しみ、怒り、嫌悪、怖れのうち、喜び以外の感情を死神に差し出す代わりに、命を助けてもらった……というか」

 事実を話しているはずなのに、耳のあたりがじわじわと熱くなっていく。高校生の自分は、どうしてこの話を涼しい顔でできたのだろう。

 高校生の沖晴にこの話をされて、踊場京香は困惑した。訝しげに眉を寄せ、何を言っているのだこの子は、と言いたげに首を傾げた。

 でも、今沖晴の目の前にいる大浪万智は違う。

 静かに沖晴を見つめる彼女の目に、困惑はない。

「そう……そうなの」

 能面のような顔のまま、大浪万智は頷いた。天井からぶら下がるペンダントライトの金色の光が、彼女の頬でチラチラと揺れていた。

 

(つづく)