歓喜の絶叫も、息を呑む沈黙も、サッカー実況者・倉敷保雄さんはずっと言葉にしてきた。Jリーグから欧州、南米、そしてW杯まで──。長年にわたり世界中のフットボールを見つめてきた実況者が、初めて書き下ろしたサッカー小説が『星降る島のフットボーラー』だ。

 

 なぜカリスマ実況者は、“小説”という形でサッカーを描こうとしたのか。作品に込めた思いから、2026年W杯日本代表への期待、そして世界のフットボールの未来まで、たっぷりと語っていただいた。

 

 

──実況者として、これまで数えきれないほどの「物語」を目撃してきた倉敷さんですが、初めて「小説」という形でサッカーを描こうと思われたきっかけを教えてください。

 

倉敷保雄(以下=倉敷):僕が海外サッカーの仕事を始めたのは93年でした。Jリーグが誕生したこの年に当時のCS放送という媒体を通して、現在のような海外サッカーを毎週楽しむ文化がスタートしました。通信衛星という星から降ってくるフットボール文化を楽しむ日本列島。この小説のタイトルにはそんな気持ちもちょっと添えています。

 

──なるほど。単なるファンタジー的な“星”ではなく、倉敷さんご自身が見てきた海外サッカー中継の原風景ともつながっているんですね。

 

倉敷:日本ではサッカーと呼ばれますが、競技の発祥の地であるイングランドを始めとするFIFA(国際サッカー連盟)加盟国の約9割ではサッカーではなくフットボールという名称で親しまれています。この競技の実況者になってからフットボールを日本のファンにもっと親しんでもらうために僕はたくさんの機会を与えられ、多くの時間を費やしてきました。その代わりにフットボールは多くのものを僕に与えてくれました。

 映画出演やCMのナレーション、バラエティ番組の司会もありました。この小説もそのひとつです。ある日、出版社の方(現COLORFUL編集長)から連絡があり、小説を書いてみませんか? と言われたのが直接のきっかけです。そんな依頼がくるとは思いもしませんでした。たとえこの世に出なくともあなたが読んでくれるだけで構わない、とすぐに返事を書きました。

 

──その返事には、倉敷さんらしいロマンがありますね。まさに“小説を書く人”のような言葉です。

 

倉敷:いえいえ、子どもの頃から本好きでしたが、自分が書き手になることはまったく想像していませんでした。雑誌でコラム、エッセイの連載を持ち、本を数冊出版しただけでも驚きなのに、今度は小説まで? フットボールはすごいなあと思いました。ただの実況者を次々と知らない世界へと誘ってくれる不思議なスポーツ。様々な業界のトップランナーの方々と知り合え人生に彩りを与えてもらったことに感謝しています。

 

──『星降る島のフットボーラー』では、「七つの島によるリーグ」という幻想的な舞台設定が印象的です。この“天の川リーグ”というアイデアは、どのように生まれたのでしょうか。

 

倉敷:僕は星を見上げているのが好きで、星がらみの名前を使い、作中のあれこれを星でくくりたいと最初から考えていました。この小説の主人公のポジションはウイングですが、この物語を書き始めた頃の日本代表には現状を打破し切り拓いていくウインガーがいなかったので願望を込めた設定をしました。現在の代表には世界に誇れる優れたウイングが何人もいて、そこが戦術のバリエーションになっているのがとても嬉しいです。主人公のハルと重ね合わせて彼らを応援しています。

 

──日本サッカーへの思いも、ハルというキャラクターには込められていたんですね。

 

倉敷:日本代表が苦戦しても真っ先に戦ってくれる未知の選手が現れるとしたら、それは誰も知らない場所だろうと考えました。そして、それはおそらく島であろうと。

 現在、中継を担当しているスペインリーグにはペドリ(バルセロナ)という超絶技巧を持つ選手がいますが、彼はカナリア諸島の出身です。ペドリだけでなくカナリア諸島からはダビド・シルバ(元マンチェスター・シティ)やファン・カルロス・バレロン(元デポルティーボ・ラ・コルーニャ)といった天才肌のフットボーラーが誕生しています。島ならではのやや閉ざされた環境が天才を育んでいるのではないか。ひとりではなく次々と天才が誕生する土壌に興味を持ち、大陸ではない閉ざされた島で独自に発展するリーグを舞台にできないだろうかと考えました。

 

──たしかに、“島育ちの天才”って独特のロマンがありますね。主人公ハルが所属するエストレージャFCには、他にも「対人恐怖症のストライカー」「機動力ゼロの天才パサー」など、一癖も二癖もある選手たちも集まっています。こうした“不完全な才能”を描こうと思われた理由をお聞かせください。

 

倉敷:書き始めた頃は水島新司さんの野球漫画『野球狂の詩』の初期作品のようなオムニバスを考えていました。一芸に秀でていながら大きな弱点も抱えている。それでもその競技の中で生きていきたいと願う、いたいけで愛すべき存在を描きたいと思いました。

 

──アスリート化が著しい現代フットボールだからこそ逆に惹かれる話です。

 

倉敷:陽の当たる舞台だけを見ていると気づかない名選手や物語を携えた選手がいます。それはW杯の本戦ではなく予選の中で、また欧州5大リーグと称されるイングランド、ドイツ、イタリア、スペイン、フランスなどのメジャーな国ではなく、小さな国の国内リーグの中で見つかることは珍しくありません。“不完全な才能”たちは実際のクラブの中にも存在する選手をモデルにしています。もちろんそんな選手ばかりではチームとして機能しないので大抵1人か2人ですが、小説の中のクラブ、エストレージャFCのような一芸に秀でた選手の育成を目的としたチームなら全員が不完全でも良いのでは、というか、そんな愛おしいチームを自分が見てみたいと思って描きました。

 

──本作はサッカー小説でありながら、どこかおとぎ話のようなロマンや、少年漫画的な高揚感も感じさせます。執筆にあたって、影響を受けた作品や意識された表現はありますか。

 

倉敷:漫画や冒険小説、推理小説に夢中な本好きの少年だったので、多くのものから影響を受けたと思います。特に好きだったのはソノラマ文庫で、例えば光瀬龍さんの小説を武部本一郎さんのイラスト付きで読み、その世界観に浸っているのが至福の時間でした。

 

──なるほど。あの頃のジュブナイルSF特有の“世界へ連れていってくれる感じ”は、本作にもどこか通じている気がします。

 

倉敷:この小説は荒唐無稽なストーリーですが、実はあながち嘘ではありません。かつてスカパー!のサッカー中継やジェイ・スポーツの番組『Foot!』を熱心に視聴されていた、特に海外フットボールに明るい人ほど、嘘か本当かわからなくて混乱した部分があるかもしれません。そんな話もあるの? を山ほど伝えてきた番組でした。この小説にはそんな多くの本当とフィクションが混ぜてあるからです。

 

──ファンタジーに見えるけれど、根っこは現実にあるというのが、この作品の独特なリアリティですよね。

 

倉敷:例えば、フットボールタックスヘイヴンは存在しました。FIFAゲートは、実は小説に書いている最中に起こった出来事で、当時、編集担当者から名前を外しませんか? と言われましたが、本当に各国会長を含む逮捕劇に至り、マフィア一掃の騒ぎとなりました。島での育成はイタリアのカリアリ島で現地取材をして得た情報を入れていますが、他にも実際の取材を元にしたシーンがたくさんあります。

 

──現実のフットボール界のほうが、小説より先に行ってしまったという。

 

倉敷:ブラジルやアルゼンチン、ロシア、スペイン、イタリア、オランダ、ポルトガルなど数多くの国で実際にフットボール中継を担当した際に経験したこと、現地で触れ合ったフットボール関係者の証言を参考にしてこの小説は組み立てられています。

 

──長年、世界のフットボールを歩いてきた経験そのものが、この小説の土台になっているんですね。

 

倉敷:主人公ハルの特徴などはJリーグの監督経験者の方々や南米で選手として暮らしていた亘崇嗣さんに幾度も取材させていただきながら描きました。僕が長年MCを務めた『Foot!』という番組の正式名は『WORLD SOCCER NEWS Foot!』。この番組のスタッフにはブラジルやイタリアに明るいリサーチャーが多く、そこで得た数千ページにわたる資料も参考にしましたが、まさにフットボールは小説よりも奇なり。絵空事のような事実がたくさんありました。僕の小説にはそれらも織り交ぜています。

 

──実況者として長年「言葉」で試合を伝えてこられた経験は、小説を書くうえでどのように活きましたか。逆に、実況と小説で最も違うと感じた点は何でしょうか。

 

倉敷:フットボールは世界中で新聞や雑誌、コメンテーターがそれぞれに個性的な言語化を競っているような競技で、有名な新聞は見出しを見ているだけでも面白いです。まるで各国の精鋭記者やコラムニストが異なる表現を! と毎週コンテストを行っているようです。

 

──たしかに、海外サッカーの見出しって、情報というより文芸みたいなときがありますよね。

 

倉敷:だから「言葉」集めは楽しい作業で、普段から中継の準備としてやっていることがそのまま小説にも活かされたと思います。記者会見で人気がある監督は例外なくコメントが面白く、僕もジョゼ・モウリーニョやユルゲン・クロップの会見コメントは読み物のように楽しんでいました。

 

──監督たち自身が、優れた語り手でもあるわけですね。

 

倉敷:ただ、同じ言葉を使うシーンでも実況と小説はかなり違いました。特に試合シーンは何もかも難しかったです。例えば、選手の持つスピードは一緒に走る選手と比較してみてこそ際立つもので、中継では「わお!」で伝えられるものが小説では状況の説明が必要で、まずここが難しいと感じました。ボールのスピードも同様です。

 

──実況なら一瞬で共有できる“熱”を、小説では文章だけで立ち上げなければならない。

 

倉敷:また、最初から入りそうにないシュートの場合、中継では言葉にするときのニュアンスでも伝えられるのですが、小説ではやはり難しく、そういうシーンのバリエーションにも頭を悩まされました。小説での描写はラジオ中継や解説者なしの一人実況の時とも違う言葉の紡ぎ方が必要だと感じました。

 

──装画・挿絵を担当された吉田健一さんのイラストも、本作の大きな魅力です。完成した絵をご覧になった時の印象や、特にお気に入りの一枚があれば教えてください。

 

倉敷:スタジオジブリでも描かれていたアニメーターの吉田さんが『交響詩篇エウレカセブン』で担当されたお仕事がとても素晴らしくてファンになりました。スカパー!のW杯南アフリカ大会のハイライトを伝える帯番組では何枚もその日の試合に関するイラストを描いてもらいました。時間がなくて難しい仕事だったと思いますが完璧でした。

 

──もともと、この人にお願いしたいという思いがあったんですね。

 

倉敷:大好きな絵を描かれる方にどうしても、とお願いしました。依頼自体は小説完成よりもかなり早い時期だったのですがイラストの納品は時間との戦いでした。

 吉田さんはなかなかイラストにかける時間が取れず、締め切りの迫ったある日、僕はスケッチブックを持参して吉田さん指定のレストランに出かけました。食べるものを食べてから、さあ、この場ですべて決めましょう! と作業を始めましたが、吉田さんのアイデアと集中力に圧倒されました。

 

──まるで試合前のミーティングのようです。

 

倉敷:画は限られた時間では難しいという判断で、表紙と9章分の扉絵を作り出していきました。表紙は吉田さんのイメージで、各章は僕が話すイメージのアイデアで吉田さんがみるみる下絵を完成させていきます。僕の話はただのきっかけですべては吉田さんによる構成です。キャラクターもすべてオリジナルなので大変贅沢で本当に申し訳ないお願いをしたと今でも恐縮しています。第2章の扉絵、リッカのまたがるバイクもスラスラ描いてしまうのをただのファンとして見ていました。

 

──その場で世界観が立ち上がっていく瞬間を隣で見ていたわけですね。特別な体験です。

 

倉敷:表紙も扉絵もわずか1時間ほどでイメージを共有できて、あとは仕上げますね、と吉田さんは笑って帰っていきました。その後あっという間にイラストは完成します。僕にとっては最高の宝物になりました。

 お気に入りの一枚はラストページのジュリエッタとハルの絵です。これはリクエストしていなかったもので、吉田さんのサービスカットです。限られた時間の中で最高のパフォーマンスを見せるプロのお仕事を見させていただきました。

 

──2026年6月の北中米W杯では、日本代表にこれまで以上の期待が集まっています。倉敷さんは、現在の日本代表をどのように見ていますか。また、世界と戦ううえで鍵になるポイントは何だと思われますか。

 

倉敷:『失われた30年』は日本代表においては無縁です。まずそこですね。93年のJリーグ開幕から日本サッカー代表は独自の成長を続けています。スタートはドーハ、ジョホールバル、そして日韓W杯。これらの情熱を経て前回のカタール大会までにたくさんの経験値を蓄えました。

 負けて覚える相撲かな、という言葉がありますが、現在の代表スタッフは過去のW杯での成功面と失敗面を網羅しているメンバーで構成されています。すでに誇るべき成果もありますが、スタッフだけをみても分析や対策、準備の面でこの代表チームは頼もしいレベルにあると思います。

 

──選手だけでなく、W杯を戦う組織として成熟してきた感じがあります。

 

倉敷:今度のW杯は参加国も増え、大会の開催方式も変わりました。3カ国での共同開催ですから予想できないことも多いでしょう。それゆえに大いに期待できると思うのです。準備で失敗した過去をも活かし修正と調整に心を配るスタッフとこれまで勝てなかった強豪を破る実績を重ねてきた実力のある選手達がいます。そしてすでに100試合以上を率いた森保監督。目の肥えたサッカー先進国のファンとメディアからの評価が楽しみな大会になると期待しています。

 

──不確定要素が多い大会だからこそ、日本が積み重ねてきた“経験”が活きる可能性がありそうです。では、日本代表以外についても聞かせてください。W杯で、倉敷さんが現時点でベスト4進出を期待している国はどこですか。また、その理由もぜひお聞かせください。

 

倉敷:フランスはメンバーの質で言えば一番でしょう。おそらくデシャン監督のラストダンス。前回は優勝したアルゼンチンをとことん苦しめました。戦力は健在です。デシャン監督がエンバペよりもバロンドーラーのデンベレを中心に考えるのかに興味があります。

 

──デンベレは、チームの物語としても気になる存在ですね。

 

倉敷:スペインも完全に二つのチームを構成する選手層の厚さがあります。今度のW杯は移動の問題、気温の問題、雷による気象問題など不確定要素が多いので、どれだけの選手層を持っているか、アクシデントへの修正力を持っているかが鍵だと思います。

 

──今回は3カ国開催で、時差と長距離移動もあるので、これまでとは違う難しさがありますね。

 

倉敷:まだ最終登録メンバーは発表されていませんが、アルゼンチン代表としてメッシも最後のW杯になると思います。すでに優勝を果たしていますが、連覇という偉業を達成できる力は持っていると思います。ポルトガルのクリスチャーノ・ロナウドやクロアチアのルカ・モドリッチも最後のW杯でしょう。彼らの旅の終わりを見届けるロマン派として観戦するのも楽しいですね。

 

──単なる祭典ではなく、ひとつの時代を見届ける大会でもあるわけですね。

 

倉敷:そして僕らの日本代表。ここにきて怪我人がどれだけ間に合うのかという不安もありますが、勇気のある戦いを見せてくれるはずなので、僕はもう全力で応援します。

 

──近年のフットボール界では、フィールドだけではなく、戦術やデータ分析、クラブ経営、選手育成のあり方も大きく変化しています。倉敷さんは、これから世界のフットボールがどんな未来へ向かっていくと感じていますか。

 

倉敷:まず、クラブレベルでは「打倒、プレミアリーグ!」という未来に向かうと思います。

 現在、クラブ単位でみれば豊富な資金力を持つイングランド・プレミアリーグの実力が抜きんでています。放映権料はこれからのフットボールシーンに明確な差をつけていくでしょう。欧州の3つのコンペティションであるチャンピオンズリーグ、ヨーロッパリーグ、カンファレンスリーグの今季の決勝にはすべてイングランド勢が勝ち上がっています。いくつタイトルを取れるかはわかりませんが、決定力も守備力もお金で買える時代です。

 

──いまや世界中が、「どうプレミアリーグに対抗するか」を考えている時代ですね。

 

倉敷:今季のチャンピオンズリーグではイングランド勢が抜群に強く、ベスト8に6チームが残る可能性もありました。ところが、結果は2チームのみの通過。大きな理由は二つ考えられていて、ひとつはホーム&アウェイでの戦い方に実力差を撥ね返す方法が存在するということ。もうひとつは消耗と休息です。

 プレミアリーグは全てがタフな戦い方をするがゆえに国内で消耗します。シーズンが進めば怪我人も増えて、ダメージが顕著なクラブも出てきます。一方で、この大会に絞っている他の国のエリートクラブは国内リーグをスキップ(延期)したり戦力を落としたりして戦えました。また大会の終盤にチームのピークを持ってきたパリサンジェルマンのようなクラブも存在します。

 プレミアリーグには資金力という強さはあるけれど、常にタフに戦い続けなければならない弱点もある。そこが興味深いです。

 

──最強リーグゆえの“泣き所”もあるわけですね。

 

倉敷:一方で代表レベルでは新しい選手や国が台頭してくる面白さがあります。6月に開催される北中米W杯は出場国が16カ国も増えました。FIFAやUEFAの主催する大会の規模の拡大によって試合の質が落ちるのでは? という意見もありますが、振り返ると日本もそんな恩恵を受けながら成長してきたのです。今まで知らなかった地域から驚くような選手が出てくるサプライズにはいつでもドキドキします。

 ペレやマラドーナは去っても、メッシやロナウドが現れた。そしてまたラミン・ヤマル(バルセロナ)のような数十年にひとりのような魅力的なプレイヤーが生まれています。

 

──時代が変わっても、フットボールは必ず次の主人公を連れてくるんですね。

 

倉敷:きっとミステリアスな列島リーグのような場所からスーパールーキーが現れて世界をあっと言わせる。そんな未来が待っていると期待しています。