今をときめく人気作家が集結し、うっとりするほどの悪を描き下ろした新作5編!
殺し屋への依頼は「古本屋に勤める男をひと月以内に殺すこと」──阿津川辰海「シリアルキラーvs.殺し屋」
東大を目指す女子高生が、ゲーセンで景品を落とす音と人が転落する音に魅入られる──木爾チレン「脳JILL」
殺人犯は、自身の無実を信じる女性と生活を始めるが──櫛木理宇「テキストブック・キラー」
飛び降り自殺の名所がある街で暮らす漁師は、あるものを引き上げる──くわがきあゆ「私の伴侶」
月に一度、乗客を殺すゲームをする個人タクシーの運転手と標的の駆け引き──結城真一郎「ご乗車の際は」。
書評家・あわいゆきさんのレビューで『シリアルキラーアンソロジー 人殺し日和』の読みどころをご紹介します。

■『シリアルキラーアンソロジー 人殺し日和』阿津川辰海 木爾チレン 櫛木理宇 くわがきあゆ 結城真一郎 /あわいゆき [評]
小春日和、行楽日和……〈〜〜日和〉ときくと、どこか穏やかな日常を連想する。実際、意味を調べても〈空模様・天気〉を指すほか、〈晴れていること〉〈なにかをするのにちょうどよい天気〉といった意味も含んでいるようだから、和やかなイメージは概ね合っていそうだ。
それでは、『シリアルキラーアンソロジー 人殺し日和』はどうだろう。……あまりにも、物騒すぎやしないだろうか? 〈シリアルキラー〉と〈人殺し〉の字面から抱く強烈な印象を、〈日和〉で中和できていない。参加している5名の作家も、名前を目にするだけでシリアルキラーを描いた作品をつい連想してしまう方々ばかりだ。そもそも人殺し日和って、そんな日和があってたまるか!
しかし——もし、人殺し日和が、人殺しにうってつけのタイミングなんてものが本当にあるとしたら? はたしてそれは、どんなときなのだろうか。そう考えずにいられないのは、タイトルから抱く日常からかけ離れたイメージとは裏腹に、収録作のどれもが、身近で起きている可能性を抱かせるものだったからだ。
現に、巻頭を飾る阿津川辰海さんの「シリアルキラーvs.殺し屋」は、殺し屋の綺羅と仲介業者のエビスが、都内にある何の変哲もない個室サウナで「殺し」の相談をする場面からはじまる。綺羅がエビスから告げられた次のターゲットは、古書店でアルバイトをする五十嵐将志。綺羅は彼を「人畜無害そうな男」と見定めるが、尾行している最中に五十嵐の手によって監禁されてしまう。五十嵐は日常に溶け込んでいながら、実は何人もの人間を殺してきたシリアルキラーだったのだ。
シリアルキラーと探偵の対決は『紅蓮館の殺人』でもみられたが、本作では「殺し」の技術を鍛えてきた人間同士だからこそ、これまでとは異なる緊張感を有している。おたがいの動機を探る対決をする背景で、いかに相手を殺すか、優位性をめぐる駆け引きも繰り広げられるのだ。だからといってルール無用の殺し合いにはならないところに、作者の矜持がみられる。どちらが勝つか最後までわからない、高度な駆け引きを楽しめるはずだ。
つづく木爾チレンさんの「脳JILL」は、女子高生が凄惨なデスゲームに巻き込まれる『二人一組になってください』と同様に、女子高校生が主人公の物語だ。タイトルの「JILL」は主人公の高瀬樹莉が好んで所有するブランドの名前であり、少女を意味する言葉であり、快感を得たときに脳内で分泌される「汁」でもある。
そして本作が恐ろしいのは、物語冒頭で〈自殺幇助三件/自殺教唆一件/殺人二件〉の容疑があると示される樹莉が、シリアルキラーでもなんでもない、真面目に勉強に励む優等生だった点だろう。さらに彼女の運命を変えたのも、全国どこにでもある、ゲームセンターのUFOキャッチャーだ。景品が落ちるときの「ゴトン」と鳴る音の快感に魅了された彼女は、次第に「落とす」対象を小さなぬいぐるみから、さらに大きなものに変えていくようになる。自ら落として手に入れた——いわば苦労と引き換えに手に入れた快感は、苦労すればするほどリターンも大きくなるのだ。モノをただ所有するだけでは飽き足らない、自らの手でモノを動かしたい、落としたい欲望がスリリングに示されている。
櫛木理宇さんの「テキストブック・キラー」は、『死刑にいたる病』『氷の致死量』をはじめ、今回の執筆者のなかでも最もシリアルキラーの心理を繰り返し掘り下げてきた著者ならではの一作だ。幼少期に父親からの凄惨な虐待を受けた33歳の釘沢眞悟は殺人を含む犯罪を繰り返し、少年院や自立支援施設を含めると人生の半分以上を何らかの施設に収容されて過ごしてきた。家裁調査官から「連続殺人者のテキストブック・ケース」とまで言われ、11年間の服役を経て満期出所した眞悟は、プリズングルーピーの新木春奈とともに生活することになる。
眞悟が春奈と接するにつれて抱いていく、形容しがたい「じわり」とした感覚が目をひく。春奈を都合のいい存在として支配しようとする眞悟は、彼女の態度に「じわり」と絆され、愛情を知るにつれて支配の欲望を緩めていくのだ。しかしそれは裏を返せば、支配される可能性が高まっているともいえる。シリアルキラーの心理形成を深く描きながら、支配する/されるの凄惨な連鎖を描いた一作としても、読み応えがある。
『レモンと殺人鬼』で一躍名を馳せたくわがきあゆさん「私の伴侶」は、懸想岩と呼ばれる投身自殺の名所がある、海辺の小さな街が舞台だ。父親と乗っていた漁船の網から自殺死体を引き上げた語り手の男は、前日にたまたま出会っていた、街の外からやってきたらしい青年も自殺志願者ではないかと訝しむ。そして発見頻度が増えつつある懸想岩の自殺者を前に、高校時代に片想いしていたものの、懸想岩から身を投げた同級生のことも思い出すのだった。
青年はいったい何者なのか、自殺した死体がなぜこうも見つかるようになったのか——二転三転する展開もさながら、登場人物らが抱える孤独から目が離せない。孤独とは、気持ちを理解してくれる相手の不在だ。だから孤独を突き詰めてしまうと、相手との相互理解を諦めて、むしろ自己満足的に利用することで寂しさを埋めようとしかねない。シリアルキラーの「理解されなさ」による負のスパイラルに目を向け、救いを探そうとする一作だ。
そして最後に収録されているのは、夢のなかで殺人鬼に襲われる『プロジェクト・インソムニア』を執筆した結城真一郎さん、「ご乗車の際は」だ。個人タクシーの運転手をする男は月に一度、自ら決めたルールに則って、条件を満たしたら乗客を殺すゲームをつづけていた。しかし、28人目の標的となった乗客は「適当に走り続けてください」と男に告げ、車中の駆け引きがはじまる。
男が乗客をゲーム感覚で殺す動機となっているのは、殺すことによって得られる愉悦ではない。その前段階にある、相手の生殺与奪の権を握っている実感だ。相手の命を握れている、いつでも殺せる優位な状況の維持にこそ意味があって、殺す/殺さないは最終的な結果にすぎない——その倒錯によって発生するこだわりが、怪しい乗客をすぐさま殺す選択を拒み、物語を想像もつかない方向に運んでいく。倒錯を抱えた男のすがたを前に、私たちがタクシーに乗るときにほとんど意識しないであろう、運転手に「命を預ける」選択を、自覚せずにはいられない。
そして、男の生きがいになっている「生殺与奪の権を握っている」感覚は、実のところ、他の4作品にもある程度共通しているのではないだろうか? 優位性の奪取、「自ら落としたい」感情、あるいは他者の支配や利用……。これらはすべて、いかにして他人の運命を握るかに根ざした行動でもある。
だから、人殺し日和なんてものがあるとすれば、それはきっと他人を思うがままにできるときだ。さらに他人に命を預ける/預かるタイミングは、日常の至る場所に潜んでいる。だとすればシリアルキラーになるかどうかを決めるのは、相手の運命を握ること自体に快楽を覚えてしまうか、ただそれだけでしかない。シリアルキラーの存在を、あるいは自分自身が一歩踏み間違えればそうなっていたかもしれない可能性を、突きつけてくる短編が揃っている。