国民的人気を誇る「ゲゲゲの鬼太郎」の生みの親・水木しげる。南方戦線で左腕を失い、戦後も売れない貸本漫画家として極貧を耐え抜く支えとなったのは、文豪ゲーテの名言だった。「水木サンの80%は、ゲーテ的な生き方です」──創作、仕事、恋愛など縦横無尽に語り尽くした93編を厳選し、人生の杖となる言葉をユーモアたっぷりに解きほぐす。
元「幻想文学」の編集長で、現在は文芸評論家・アンソロジストとしても活躍し、怪談文学研究などの分野で精力的に著述活動を展開している東雅夫氏のレビューで『ゲゲゲのゲーテ』の”目玉”をご紹介します。

■『ゲゲゲのゲーテ 水木しげるが選んだ93の「賢者の言葉」』水木しげる /東雅夫 [評]
この本は、何と言っても、そのタイトルが抜群に素晴らしい。
現代日本において、「ゲゲゲの」と言われたら、まず百人中九十九人の日本人は、大きな声で「鬼太郎!」と答えることだろう。
残りの若干名は「……女房」と、小さな声で答えるかも知れないが、そうした少数意見は、圧倒的多数の「鬼太郎」ファンの大合唱の前にかき消されそうである。
それくらい「ゲゲゲ」という言葉は、いまや「鬼太郎」を指す代名詞として、広く普及していると言っても過言ではない。
そこへ、いきなり「ゲーテ」と来た。「ゲゲゲのゲーテ」……これは、たんなる言葉遊びや語呂合わせの類ではない。真面目もマジメ、大真面目なのだ!
「鬼太郎」の生みの親である漫画家の水木しげるは、軍靴の響きが日に日に高まる昭和戦前期、いつ「赤紙」が自分のもとに届いて、兵役に召集されてもおかしくないという極限状況にあって、刻々と迫りくる「死」の恐怖に怯えながら、それを必死で克服するべく、数多くの書物(おもに哲学書や宗教書)を読みふけった。
その際、いちばん感銘を受け、共感を覚えたのが、ドイツの文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテだった、というのだ。とりわけゲーテの秘書・エッカーマンが書き残した『ゲーテとの対話』の岩波文庫版を、暗唱出来るくらい愛読したと言い、雑嚢に入れて戦地にも持って行ったという。
大文豪ゲーテの言葉は、戦後、餓死寸前の「売れない貸本漫画家」だった水木にとって、「生きる指針」「人生の指南書」となってゆく。ゲーテの言葉を紙に書き写しては、仕事場の壁にペタペタ貼りまくっていたと、妻の武良布枝は証言している。
水木が携帯した文庫本の現物(読み古されてボロボロ……)は、鳥取県境港の水木しげる記念館に、いまも収蔵されている。
本書は、若き日の水木が熟読して傍線を引きまくった『ゲーテとの対話』のハイライト部分九十三編と、それらをめぐる水木自身の絶妙にしてユーモアあふれるコメントを中心に構成されており、要所に、著者や御夫妻のインタビュー、それに復員後、生き方に悩む御母堂に宛てた水木の貴重な書簡(抜粋)、ゲーテからの影響が歴然な短編自作漫画「剣豪とぼたもち」などが収録されている。
要するに本書を一読すれば、ドイツが生んだ大文豪にして「知の巨人」たるゲーテと、戦後日本が生んだ不世出の漫画家・水木しげるという両天才の真髄が、たちどころに会得できる仕組みなのだ!
「水木サン(自称)の80%はゲーテ的な生き方」「ゲーテはひとまわり人間が大きいから、読んでいると自然に自分も大きくなった気がする」「99%は馬鹿だから、話せる人間は100人に1人」等々、痛快無類な水木ブシを堪能できること請け合いの好著!