第1回
○江戸入り
◆天正十八年(一五九〇)七月二十三日──
秀吉より関東七ヵ国(伊豆・相模・武蔵・上総・下総・上野・下野・常陸の一部)を賜った家康は、約八千人の家臣団を引きつれ江戸に入った。
この日より遡ること七月五日、小田原城に籠城し、豊臣軍に抗していた城主北条氏直はついに降伏の白旗を揚げた。父氏政と弟の氏照は切腹、氏直は家康の娘督姫の女婿であったがために助命され、高野山に追放となった。
これにより後北条氏は滅亡し、ついに秀吉の天下統一が果たされた。
その秀吉は家康が江戸に足を踏み入れたとき、奥州平定のために駒を北へ向けていた。
「止まれ!」
すんだ秋空に声を轟かせたのは、家康軍の先手を務める本多忠勝だった。徳川三傑のひとりである。
声と同時に約八千の部隊が足を止めた。そこは貝塚(現在の千代田区平河町)のあたりだった。
本多忠勝が発した大音声で、駕籠に乗っていた家康は簾をめくり、そのまま大地に降り立った。すぐに供侍がそばを固め、本多忠勝と重臣の井伊直政が家康のもとに騎馬でやってきてひらりと降りた。
「これが江戸にございまする」
井伊直政が報告するまでもなく、家康は眼前の景色を黙したまま眺めていた。
かねてより聞いてはいたが、なるほどかようなことであったかと、表情ひとつ変えず内心でつぶやいた。
一言でいうなら、
「荒涼たる地」
であった。
町といえるほどの町は見あたらず、銀鱗のようにさざ波を打つ海が眼前に迫っており、目に映るのはいまにも倒れそうな茅葺きの家ばかりである。森と林が点在し、その間を縫うように幾筋もの川が流れ、葦原が広がっている。
ぴーひゅるー、ぴーひゅるー……
空に舞っている鳶が声を降らしてくる。のどかな土地であった。
「城はどこじゃ?」
家康が誰にともなく問うと、
「馬へ」
と、本多忠勝が自分の馬に乗せてくれた。その分視界が広くなった。
ふと気づくと、近くに榊原康政と戸田忠次()が百人ほどの家来を従えて坂下に立っていた。
この両名は小田原城の支城であった江戸城を無血占領していた先遣隊()で、家康を出迎えに来たのだった。
家康は静かに眺めて無言のままねぎらうようにうなずき、また遠くに視線を移し、
「城は?」
と、再び問うた。答えたのは迎えに来ていた榊原康政だった。
「あれにてござります」
家康は榊原康政の指さすほうに目を向けた。
竹林()と雑木林()の向こうに、城と呼ぶにはあまりに貧相な建物が見えた。石垣()はなく、代わりに土塁()を積んである。
太田道灌()が造り、その後上杉家()の手に移り、さらに北条氏が領有した“城”であった。
「正気でございますか」
小さなつぶやきが耳に入った。本多忠勝のものだった。
家康はそのつぶやきの意味がどういうものであるか、即座に理解した。
家康は東海五ヵ国の大名だった。小田原北条家を滅亡させたあとも、その地に留()まり、北条家の所領をもらうこともできた。だが、秀吉は家康に関東移封を望んだ。
無論、家臣の榊原康政、本多忠勝、井伊直政ら以下の重臣たちは、関東移封に反対した。しかし、家康は聞かなかった。
「ならば、小田原を居城にされてはいかがです」
井伊直政の進言に、他の者たちも大きくうなずいた。北条氏直のとった籠城戦にもかかわらず、小田原城はほとんど無傷で、城下の町も整()っていた。
無論、家康自身も迷った。家臣の考えには大いにうなずけるところがある。だが、家康は豊臣政権下の一大名に過ぎないということをわきまえていた。いまは秀吉の腹の内を探り、さらに先を見すえなければなるまい。
「太閤殿下()の意に添うてやろう」
家康は覚悟した。そのうえで、関東にあっても天下は取れるという算盤()をはじいたのだ。
「あれが城か」
家康は目を細めて、馬の腹を蹴った。馬は蹄()の音を立てながらもゆっくり進んだ。迎えに来ていた榊原康政が、配下の家来に道を開けるように号令を発すると、家康麾下()の旗本()・鉄砲隊・槍隊()・足軽()・郎党()・中間()・小荷駄()を運ぶ人夫()ら八千の兵も動きだした。
家康を先導し案内する役目は、甲斐()奉行()の成瀬正一()と日下部定好()が務めた。沿道には老若男女()が集まって、行列の行方()を畏怖()しながら見守っていた。百姓や漁師、町人たちはみな、揃()ったようにみすぼらしいなりであった。すでに北条家の家臣らは江戸から遁走()しており、その姿はなかった。
行列は城下を通ったが、町は貧弱な茅葺きの家ばかり、それも百を数えるほどであった。川べりには葦が生()い茂っている。
七つ(午後四時)過ぎ、家康は城と呼べるかどうかという“館()”の下に到着した。
その館は十余丈(約三十メートル)の崖の上にあり、崖下には堀がめぐっていた。その堀には拮橋()がわたされているものの、数は少なかった。
しかし近くまで来ると、なるほど、一応城の体裁()だけは整っているのがわかった。要所要所に櫓()や門が設()けられていたからだ。
「ご入城、しばしお待ちくださりませ」
家康の足を止めたのは、榊原康政だった。
「何故()じゃ……」
「城は傷()みがひどく、雨漏()りがいたしますゆえ、ただいま普請()をしておるところです」
榊原康政は新設した仮寓()があるので、城内の普請が整うまで待ってくれという。
家康は紅に染まりはじめた空を見あげ、よかろうと諾()した。城内に入るまでの間、城下を視察し、壮大な構想のまとめに没頭した。
そして、晴れて城内に足を進めたのが、八月一日であった。以来この日を、家康の江戸入りと公式に決められた。
◆寛永()十三年(一六三六)──大井村()
南品川宿()の南端にある海晏寺()は、境内()に植えられている楓()や銀杏()の木々が燃えるような緋()や黄に色づいていた。
鈴木近江守長次()は一本の柿()の木の前で足を止めた。数羽の目白()が枝に取りつき、熟柿()をついばんでいる。木そのものには枯葉が数葉ついているだけで、枝はすみわたった空に罅()を走らせていた。
長次はコホンと小さな咳()をして、熟柿をついばみながら小さくさえずる目白を眺めた。
「大丈夫でございますか?」
そばについている妻のお栄()が心配そうな声をかける。
「海を見に行こう」
長次は妻の問いには答えず、足を進めた。
海晏寺境内を出ると、ゆっくり東海道()を横切り、海辺に立ち、しわ深くなった自分の頬()を節()くれだった手でなでた。
目の前には西日を受ける海がまぶしく輝いている。潮騒()の音を立てる波が真砂()を洗い、静かに引いては、また打ち寄せてくる。
「あれから何年になる?」
「は……」
お栄が小首()をかしげる。
「そなたも年を取ったな」
長次はお栄に顔を向けて、口の端に小さな笑みを浮かべた。
お栄がまばたきもせずに見てくる。色白の瓜実顔()には小じわが目立っていた。しみもところどころに散らばっている。
「おまえ様も同じですよ」
「そうだろう」
「何年になるとは、いつからのことでございますか?」
「そこに座ろう」
長次は岩場に立つ松の根のそばに腰をおろし、お栄を隣にいざなった。
そのままふたり並んで、しばし海を眺めた。
「人の一生とは、あっという間のことだな」
「…………」
「考えておったのは、そなたと出会ったときのことではない。叔父()に連れられて江戸にやってきたときのことだ」
長次は指を折りながら、頭のなかで勘定()した。
「……足かけ三十八年だ」
「そうなりますか……。考えれば長()うございますね」
「いや、長いようで短かった。まるで昨日のことのように覚えておる」
長次は目尻に深いしわを寄せ、目を細め静かな海を眺めていると、頭のなかに来()し方()の思い出が走馬燈()のように甦()ってきた。
◆慶長()三年(一五九八)──
この年の八月十八日、豊臣()秀吉が薨去()した。享年()六十二であった。
だが、天下人()の死を知る者は多くなかった。
まして、遠州山名郡木原郷()(現・袋井市木原())という寒村()には、そんな知らせなど届きはしない。
真っ青に晴れわたった空に、杵()や小槌()の音がひびいていた。
鈴木長次は父與八郎()とともに家普請に精を出していた。股引()に腹掛()けだけなので、上半身はほとんど剥()きだしである。肌には汗が光っていた。
「長次、長次!」
遠くから近づいてくる蹄の音とともに、よく通る声が飛んできた。
材木に墨()を引いていた長次は、作業の手を止めてカッと目を見開き、馬上の男を仰()いだ。馬袴()に打裂羽織()、羽織の下に黒染めの小袖()、手甲脚絆()である。ひと目で立派な武士だとわかる。
長次が目をみはったのは、編笠()の下にあるその顔だった。
「これは叔父上。しばらくお見かけしないと思っていたら、大層()出世されたそうで」
相手は木原吉次()。長次の母の弟だった。
「さほどのことではない。それより腕はあがったか?」
「なんの腕です?」
長次がそう訊()くのは、剣術の心得があるからだ。大工仕事をしているが、守護人()から扶持()や給分を受けて軍役()をになう、いわゆる「被官()」であった。よって、いざ戦()がはじまれば合戦場()に赴()くが、いまはその気配はない。
「決まっておろう。大工の腕だ」
吉次はひらりと馬を下りて、長次の前に立った。後ろに二頭の馬があり、家来らしき男が乗っていた。
「これは誰の家か?」
吉次は普請場を眺めて訊()ねる。作業をしていた者たちが、長次と吉次を遠まきに見ていた。そのなかからひとり、歩み寄ってきた者がいた。長次の父與八郎だった。
「高部()の親爺()が隠居()したんで造ってやってるんだ。小さな家だから造作()ないが、どうしたんだ? 江戸にいたんじゃなかったのか?」
與八郎は首にかけた手ぬぐいで、汗を押さえながら吉次を見た。
「ほう、高部の親爺もついに隠居したか。寄る年波には勝てぬというやつだな」
吉次はガハハハと高笑いをした。高部の親爺は、長次の遠い親戚だった。
「江戸はどうだ? 内府()様(家康)は江戸に居座られるんだろう」
「さようだ。いま江戸は大きく変えられている。わしが内府様とともに江戸に下ったときは、ここが北条家の支城だったのかと思うほどの荒れ地だった。竹藪()と雑木林がほうぼうにあり、城のそばまで海が迫っておってな。川の畔()には葦と薄()が生い茂り、茅葺きの家は風が吹けばいまにも倒れそうなものばかりだった。それも百軒あるかないかだ。呆れて開いた口が塞()がらなかったわい。正直なところ、内府様も物好きなお方だと思ったほどだ」
「城はあるんだろう」
「あったはいいが、使い物にならん館だった。雨漏りはひどいし建て付けが悪くなっておって、隙間風()がぴゅうぴゅう入りやがる。屋根板も剥()がれ、城の土台は土塁だ。まあ崖の上に建っているのが救いで、まわりの堀もどうにもならん。戦()でも起こればあっという間につぶされる城だ。太田道灌という人が造られたらしいが、よほど悠長()な御仁()だったのだろう」
「叔父上、もしやこちらに戻ってこられるのでは……」
長次が聞いた。まわりの大工たちはすでに三人の立ち話に興味を失ったのか、仕事に戻っていた。
「いや。わしは江戸に土地をもらった」
「土地を……」
長次はまばたきして、よく日に焼けた吉次を見た。
「さよう。ゆえにこちらの土地は人の手にわたった。知っておろうが……」
「ええ、どうされたのだろうかと父上と話しておったのです」
長次は父與八郎と目をあわせてうなずいた。
「江戸城から少し離れてはいるが、新井宿村()(現・大田区山王()あたり)というところだ。それにわしは旗本に取り立てられ、四百四十石取りになった。名も鈴木から木原になった」
「旗本に取り立てられたとは聞き知っておったが、名前を変えたとは……」
與八郎はまじまじと吉次を見る。
「與八郎殿、わしと浜松城()の普請にあたったときのことを覚えておられるか」
「浜松城だけではない。小田原攻めのときにも、石垣山()に城を造ったであろう」
與八郎が言葉を足す。
「そうであった。あの頃、内府様はわしの顔を見るたびに、木原、木原と仰()せであった。よって覚えめでたくするために、木原に変えたのだ」
吉次はハッハッハと笑った。
「それで、なにをしに帰ってきたのだ?」
「太閤様がお亡くなりになった」
長次と與八郎は目をまるくした。吉次はつづける。
「これからは内府様の時代になる。そして、わしも忙しくなる。いや、いまも目がまわるほど忙しいのだが……」
そこで言葉を切った吉次は、一度空をあおぎ見た。日は西に傾いている。
「こんなところで立ち話も無粋()だ。與八郎殿、そなたの家に参ってもよいか。もうわしの家はないからな」
「それはかまわぬが……」
「泊まっていくぞ」
吉次は勝手に決めつけて、長次に顔を向け、
「長次、おぬしに大事な話があるのだ」
その夜、旅塵()を払い旅の垢()を風呂で流した吉次は、どっかりとあぐらを組んで長次と與八郎の前に座った。吉次が連れてきた供の家来は、與八郎の妻の接待を別の座敷で受けていた。
「まずはまいろうか」
吉次は徳利()を掲げて、與八郎に勧める。これではどちらが家の主なのかわからない。だが、いっこうに気にせぬ素振()りで與八郎に酌()をしてやり、自分も独酌する。
「おぬしはまだ早いから茶を飲んでおれ」
と、長次に釘()を刺す。
「叔父上、おれに話とは?」
長次は吉次を見る。
「明日、おぬしを江戸に連れて行く」
「なんですって」
長次が驚けば、與八郎も呆れ、
「藪から棒になにをいいやがる」
と、苦々しい顔をした。
「まあ聞いてくれ。太閤様亡きあと、天下を取るのは内府様だ。その内府様の城を築くんだ。江戸には人がうようよ集まってきておる。大工にかぎらず職人が足らんのだ。とくに、腕のいい木原大工のような者は少ない。長次だけではなく、他の大工も連れて行く。それも城造りのためだ」
「城を……」
長次は目を輝かせた。
「叔父上、ほんとうですか。おれに城を造らせてくれるんですか」
「嘘()ではない。わしは本気だ。わしも城を造りたい。曳馬()……いや、浜松城の城普請には関わったが、あれには満足できなかった」
吉次は鮎()の塩焼きにかぶりついた。近くを流れる太田川()の鮎だった。吉次が「曳馬」と口にしたのは、家康がそれまで本拠としていた岡崎()の地を離れ、曳馬城に入ったとき「浜松」と変名させたからだ。「馬に曳()かせる」では、縁起が悪いと考えてのことだったらしい。この浜松城大改修のとき、吉次は普請方の総奉行のひとりだった。ひとりというのは他にも何人かいたからだ。その上に統括()する者がいた。
「やっぱりこちらの鮎は格別だ」
吉次は酒を口に運んで言葉をついだ。
「浜松城は土造りだった。石垣もなかった。瓦()葺きでもなかった」
長次は興奮していた。城には物心ついたときから興味を惹()かれていた。
「だが、江戸城には立派な石垣を造り、天守()を建てる」
「叔父上ッ!」
思わず声を張った長次は、膝()をすって前に出た。
「なんだ」
「おれにやらせてください。おれに天守を造らせてください」
吉次は笑()みを消し、目の奥にキラリと光を宿した。
「連れて行ってください。江戸にまいります。父上、お願いです、行かせてください」
言葉を重ねる長次は、父與八郎に頭を下げた。
突如()、吉次がガハハハと笑い声を立て、膝をポンと打った。
「與八郎殿、長次がそう申しておる。連れて行ってよいな」
聞かれた與八郎は渋面で酒を飲み、短く思案した。それから吉次を見た。
「長次はこの家の跡取りだ。家を離れさせるわけにはいかぬ」
長次は顔をこわばらせた。
「いっときのことだ。ずっと江戸に引き留めておくというわけではない。しばし旅をさせて、大工の腕をあげさせるだけではないか」
與八郎は、「ふむ」と考え込んだ。
「父上、天守を造ることができるのです。おれはそんな大工になりたい。日()の本()一の大工になりたいのです。父上、行かせてください」
長次は頭を下げて頼み込んだ。大工といっても長次は、正しくは大名家に勤仕()している「御()大工」で、町や村にいる大工衆より位()が高かった。いわゆる被官職の大工である。この「大工」の下にいるのが棟梁()である。
「わしは城造りに関わりはするが、職人としての腕はない。だが、長次は大工職人としての腕をあげていると聞いた。村の大工たちも皆、そう申しておる。親戚のよしみでもあるし、長次のことは生まれたときから知っておるのだ。與八郎殿、長次の頼みはわしの頼み、内府様の頼みだと思って聞き入れてくれぬか」
「内府様の頼みだと……」
與八郎はまじまじと吉次を見た。
「さよう。わしは作事方()の下奉行にもなっておる」
「作事方の……」
與八郎は再び考え込んだ。普請方は土木仕事が主だが、作事方が請()け負うのは主に建築物である。
「わしは長次に城造りをさせたいのだ」
吉次は言葉を足した。
「わかった。よかろう」
長次は父親の返事を聞いたとたん、ぱあっと顔を輝かせた。
*
四日後、長次らは多摩川()の渡船場()に下り、あとから来た馬船()から自分たちの馬を下ろした。
「長次、もうここは江戸のうちだ」
吉次が白い歯を見せて微笑()みかける。
長次は馬を引いて土手を上がった。だが、眼前に広がるのは田畑と森や林である。
(ここが江戸……)
信じられなかった。故郷の木原村となんら変わらぬ、ただの田舎ではないか。
「なにをぽけーっとしておる。参るぞ」
馬に跨()がった吉次が先に進みはじめた。ふたりの家来がそれにつづく。長次も馬に飛び乗ってあとを追いかけた。
一行が進む東海道はまだ整備されておらず、道幅もまちまちであった。周囲に田園風景が広がっている。
「今夜はわしの家で旅の疲れを癒()し、明日、城下に入る」
吉次が馬に揺られながら告げる。
「叔父上の家は近いのですか?」
「一里半(約五・九キロ)といったところだろう。妻も重次()もおぬしに会いたがっておる」
重次は吉次の継子()で、下には重義()という弟がいた。重義の顔を長次が見たのは、まだ三つにもならないときだが、重次とは幼い頃によく遊んだことがある。ただ、病弱な子供だった。
吉次の家は新井宿村にあった。荒藺ヶ崎熊野神社()のそばだ。近くには池上本門寺()があり、家康は村を通過する際に同寺を参詣し、のちに寺領百石を与え、徳川夫人や御三家()の墓所とした。そして、長次が同寺に五重塔()を建てたのは、これよりあとのことである。
「叔父上、ほんとうにおれに城を造らせてくれるのですね」
長次の頭のなかは木原村を発()ってから、ずっとそのことで占められていた。さらに、途中で見た小田原城には心を打ちふるわせた。
平山城()ではあるが、土塁の上に建つ天守の白い壁と、陽光を照り返す黒い甍()。なんとも荘厳()で威厳()があった。
(こんな城を造ることができたら……)
おれは死んでもよいと思ったほどだった。
「江戸に入ったら、すぐに城造りにかかるのですか?」
心を急()かしている長次は吉次に聞く。
「いずれな。だが、遠い先のことではない」
「では、何をするのです?」
「城下の町造りだ。城普請もあるが、まあ明日にはわかる。さあ、もうすぐだ」
その夜、長次は吉次の妻妙()の歓待()を受け、郷里木原村のことをあれこれ聞かれた。長男の重次は昔と同じひ弱な男で、口数も少なかったが、次男の重義は十歳でありながら長次のことを覚えているという。
(まさか……ほんとうだろうか)
疑う長次の心を見透かすように、吉次は「三つ子の魂()も馬鹿にできぬ」と大声で笑った。普段の声も大きいが、笑い声も豪快だった。それに普請場で声をあげつづけているせいか嗄()れていた。
長次は磊落()な男だが、どうも吉次の前だと調子が狂う。それでも大事な叔父だし、自分を引き立てようとしているのがわかるので、おとなしく従っている。
(明日は城下か……)
その夜、長次はいつまでも眠れず、暗い天井()をにらむように見ていた。これから城造りに携()わることができると思うと、興奮で胸がふくらむ。
「いい叔父がいたものだ」
長次は我知らず声に漏らして、にんまり笑った。
叔父の吉次は旗本として作事方を担当し、大工を束()ねる役職にあった。
作事方の長は奉行で、以下順に、大工頭()・大棟梁・大工棟梁・肝煎()・絵図師()・物書()などとなり、またこれとは別に大棟梁の下に、勘定役・小役()・手代()・同心・御手()大工、さらにその下に諸棟梁・諸請負人()・諸肝煎・諸物書などの役があった。
いまでいう大工にあたるのは、大工棟梁の差配()によって動く職人のことである。つまり、現場において下拵()え・切組切継()・建方()・材木据方()を担当する者たちだ。それ以外はほとんど役人の扱いであった。
長次は現場ではたらく大工職人ではあるが、武士としての身分もあるため、いざ戦となれば武器を持って合戦場にも赴く。後世でいう町場の大工とは一線を画す存在だった。
翌朝、まだ夜が明けきらぬうちに、長次は吉次の案内を受けて城下に向かった。
昨日までとは違い、徐々に人の姿が多くなる。城下に近づくと、さらにその数は増した。人足()姿の者もいれば職人のなりをした者もいる。無論、武士の姿も多くある。
「ここからが城下だ」
吉次が馬を止めて一方を指した。
のちの日比谷()あたりである。目の前は海で、入江()になっている。海岸線は城の近くに迫っていた。対岸には藪の茂る岬()があった。入江には漁師舟が浮かび、岬には茅葺きの家が点在している。
つまり、現代の皇居前あたりまで海だったのである。
吉次は城近くまで侵食している海を日比谷入江と呼び、入江の対岸に突きだしている砂州()を前島()と教えてくれた。
海面すれすれで、潮が満ちればその姿を消してしまう。前島は、のちの日本橋()を付け根に、突端()が有楽町()あたりだと考えればよいだろう。よって新橋()も築地()も八丁堀()も海だったわけである。
日比谷入江の付け根は平川()の河口で、前島の反対側(東)の付け根に石神井川()の河口があった。
「内府様の城が、あれだ」
吉次に教えられた長次は、ぽかんと口を開け目をまるくした。なんとも粗末な館が見える。
「お城の前には漁師らが住んでおったが、いまは別の場所に移している。おぬしの手はじめの仕事は、普請小屋を建てることだ」
「は……」
長次はまばたきもせずに吉次を見た。
「驚くことはない。これから大仕事をすると思えば造作なかろう」
「城はどうなっているのです?」
「新たな城普請はあとだ。内府様は堀を通し、新たに川を造られた。いまは城下の町造りに取り組んでおられる。内府様のお考えだから文句はいえまい。とにかくついてまいれ」
長次は昨夜の興奮が一気に醒()めていく思いがした。叔父に騙()されたのではないかと、少し腹立たしくなる。
「長次、なにか不服でもあるか」
顔色に気づいたらしく、吉次が真剣な目を向けてきた。
「いえ、なにも……」
「ひねくれ顔をしおって、この若造が。十七だからしかたあるまいが、まあいまにわかる」
吉次は馬を進めた。長次はここで逆らうこともできず、あとにつづく。
溜池()をまわり込んで城下に入ると、大手前()に近い道三堀()に案内された。
「これは舟入堀()だ。材木や兵糧()を積んだ船の出入りに使う」
長次はさしたる興味も湧()かず、ぼんやりと道三堀を眺めた。そのまま馬を進める吉次のあとに従う。やがて大きな川岸に出た。隅田川()である。
「この川の向こうからずっと東に延びている堀は小名木川()という。新たに地面を掘り起こして造った。掘った土は町人らに運ばせ、海の埋め立てに使っておる」
「なぜ、このような運河を造られるのです?」
長次には解()せなかった。
「よいことを聞く。内府様は塩に目をつけられたのだ。そして、運河であれば雨風に左右されぬ。目当ては塩であるが、兵糧も人も野菜も運ぶことができる。小名木川は行徳()という塩作りの地に通じておるのだ」
小名木川の幅は二十間(約三十六メートル)ほどあった。これなら船の往来に支障はない。実際、大きな荷船が行き交っていた。
また、道三堀に沿って町人地ができており、魚や野菜、あるいは着物や履物()などを売る店もあった。あちこちから、杵や玄翁()の音が空にひびいている。城下の至るところで家普請が行われているためだった。
隅田川をあとにすると、吉次は城を迂回()するように馬を進めた。緩()やかな上り坂があるかと思えば、急な下り坂もあった。坂の周囲は鬱蒼()と木々の生える林である。江戸城もそんな木立()に囲まれていた。
しかし、ほどなくすると真新しい家々が目の前にあらわれた。家康が旧領地(駿河()・遠江()・三河()・甲斐・信濃())から連れて来た家臣らの住まう屋敷群であった。
そこは神保町()から飯田町()、番町()、麹町()に広がる一帯だった。大工や左官()が動きまわっている新築中の屋敷も数多くあった。
さらに四谷()や牛込()方面にも屋敷が建てられている。大変な建築合戦である。
城のまわりを一周して大手前に戻ると、吉次は貧相な城を指さした。
「長次、あの城はいずれ壊され、新たな城が築かれる。立派な天守を備えた城だ。内府様はその城がどうあるべきか練っておられる。わしはその城造りに関わる。そして長次、おぬしはその城を造るために精を出すのだ」
内心腐りかけていた長次は、いまの言葉で救われ、カッとみはった目に光を宿した。
「その前に、ここに普請小屋を建てろ」
最前とは打って変わって、やる気に満ち満ちた長次は、
「承知いたしました」
張り切って答えた。
(第2回へつづく)