縄文神社とは「境内やその周辺に縄文遺跡がある神社」のこと。その遺跡のほとんどに祈りの痕跡があります。つまり私たちと同じか、近い場所で縄文人もお祈りしていたのです。関東甲信地方の人間が連綿と受け継ぎ、自然とともに育み続けてきた1万年級の聖地がこの本の中に詰まっています。

 

初詣は近くの「縄文神社」へ! 最高に清々しい、1万年クラスで祈り続けられてきた本物の聖地!

 

 多くの人にとって初めて耳にするワードであろう「縄文神社」。それもそのはず、これは発売中の『縄文神社 関東甲信篇』の著者である武藤郁子さんが提唱する呼び名です。「縄文神社」をひと言でいえば、「神社と縄文遺跡が重なる場所」のことです。武藤さんが神社に巡拝するうちに、境内やその周辺に縄文遺跡が多くあることに気づいたのがすべての始まりでした。そしてそれらの縄文遺跡にはことごとく祈りの痕跡があり、そこが「1万年級の聖地」であることを確信したのでした。

 

パワースポットの根拠って一体……!? そうだ、日本には縄文遺跡があるじゃないか!

 

 その後、その観点に留意しながらお詣りを続けると、当てはまる神社が実に多かったのです。

 今回『縄文神社 関東甲信篇』でご紹介するのは、著者が200社以上を訪れたなかで、とりわけインスピレーションを得た64社。

 1都8県、有名な神社から地域に大切にされている素朴なお社まで様々な神社を取り上げています。

 中からいくつか挙げますと、長野県の諏訪大社、小野神社、矢彦神社、池生神社、山梨県では駒ヶ岳神社、河口浅間神社。関東地方からは鹿島神宮、御岩神社、祖母井神社、一之宮貫前神社、赤城神社など。

 また、意外や東京の都心部でも明治神宮や池袋氷川神社、上目黒氷川神社などがあり、本当に多くの「縄文神社」との出会いがありました。

 そして、それら「気持ちのよい場所」、“パワースポット”というものが肌で感じられる場所を多くの方に知ってもらいたくなったのです。

 

縄文時代の人口は東日本が圧倒的多数! 当時の地形から見えてくる「聖地の条件」!

 

 最後の氷河期が終わり、縄文時代は海が内陸まで進出、いわゆる「縄文海進」が起きて、荒川や利根川の流域などが海となり、7000年前頃には栃木県のあたりまで湾が広がっていました。

 神社がなぜそこにあるのか、普段考えてもみないと思いますが、当時の海岸線、特に海に突き出た突端や、内陸においても台地の先、つまり「崎」に位置することが多いことに気づかされます。ほかにも縄文神社が鎮座しがちな地形条件を、武藤さんは「縄文ロケーション」と呼んで紹介しています。

 温暖な時代になって、長野・山梨以東、つまり東日本の地域からは縄文遺跡が多く発見されます。人口も偏重していて、まさに「縄文王国」と呼ぶにふさわしい隆盛ぶりなのです。

ビルも道路もない時代の「一等地」が縄文神社! 土と川と海と森──地形が生んだ最高の土地が「祈りの場」に!

 

 海に突き出た場所や台地の突端の「崎」……「縄文神社」は、よく観察すれば昔の地形において、見晴らしのよい一等地に多くあります。そのほか、自分の力が到底及ばぬような神々しくも鬱蒼とした森、圧倒される巨木、そしてきれいな清水がこんこんと湧き出る場所などが「縄文神社」にはあります。それらの場は我々と同じ感慨で、縄文人にも神聖に映ったことでしょう。

 つらつら書き連ねてきましたが、つまりは「縄文神社」には美しい泉やら岬の突端やら、巨木のそびえる静謐な森やらがあり、さらには見晴るかす絶景があり、そして多くにはそれらがいくつか合わさっているという、「誕生の条件」があるのです。

 

縄文人と同じ場所でお祈りしよう!

 

 木や泉や山そのものなど、すべてに神が宿ると信じる、アニミズムに生きた縄文人が選んだ聖地です。そこに身を置くだけで、気分がよくなるのは言葉で説明できるものではなく、まさに肌感覚です。

 初詣をすると、みな、気分一新、清々しい気持ちになれますよね。一年の初めに「縄文神社」にお詣りして、太古からの祈りに思いを馳せてみるというのはいかがでしょうか。

 本書を開けば、実は生活圏のすぐそばに「縄文神社」があって、驚く方も多いでしょう。関東甲信地方にお住まいの方はご注目! もしお近くに「縄文神社」があったら、ぜひともこの新年に足をお運びください!