セルフパブリッシングの電子書籍が評判になり、商業出版される。欧米ではすでに当たり前になっているが、日本でも見受けられるようになってきた。飛騨俊吾の『エンジェルボール』も、そのひとつだ。広島カープの守護神になった男を主人公にした、ハートウォーミング・ストーリーである。その作者の新刊は、デビュー作と同じく、優しさが溢れている。

 本書には中篇二作が収録されている。「ニューサマーオレンジ」は、犬と人の物語だ。広島でフリーのグラフィックデザイナーをしている倉橋真央は、動物の殺処分ゼロを目指すNPO法人の仕事の情報収集で、市の保健所の施設を訪れた。そこで、殺処分寸前のトイプードルを引き取る。小夏と名付けたトイプードルと暮らすことで、真央の人生は、良き方向へと変わっていく。

 といったストーリーが、真央と小夏の視点で、交互に語られる。真央の人生の重大な節目を、小夏のパートで簡潔に描くところなど、巧みな小説技法であった。また後半になると、人と犬の死が、大きくクローズアップされる。たしかに本作は優しさに満ちているが、同時に生の厳しさを見つめている。その厳しさがあるからこそ、優しさが引き立つのであろう。

 さて、もうひとつの「麦ねこ」だが、こちらは猫と人の物語だ。鎌倉の家で暮らす慎也と智美。慎也は医者で、智美は喫茶店を経営している。籍は入れていないが、夫婦同然の生活を送っている。しかし慎也が病気により、なにもしなければ余命数カ月との宣告を受けた。ふたりの心が揺れる。

 それと並行して、ふたりに飼われている、元野良猫の麦の日常が活写されていく。さまざまな猫と人に出会い、別れる麦の“猫生”も、興味深い読みどころになっているのだ。そして麦の鋭い人間観に、胸を突かれるのである。「ニューサマーオレンジ」の小夏が一途に真央と、その家族を慕うのに対して、「麦ねこ」の麦は、慎也と智美を好きでありながら、どこか人間をシニカルに捉えている。そこに犬と猫の違いが、表れているのだ。

 その一方で、ふたつの物語は、共通したテーマを抱えている。生き物の死だ。犬や猫は、人間より寿命が短い。しかし人間だって、結局は死ぬ。その厳然たる事実を前にして、命はいかなる意味を持つのか。小夏と麦の物語が、答えを教えてくれるのである。