第1回

game preparation

「ああ、疲れた」

 フィッシュテールドレスの上に羽織っていたブルーのデニムシャツを脱ぎ捨てた里美が、ベージュのロングソファに腰を下ろした。

 毅は、その頬に軽くキスしてから、光沢のある紺のジャケットと、同色の蝶ネクタイをサイドテーブルに置いて隣に座った。

 深く息を吐くと、里美も同じタイミングで息を吐いたので顔を見合わせて笑った。

 シャワーはどうすると尋ねると、それより眠いと里美が答えた。ごもっとも、と毅は大きくうなずいた。

「わかってはいたけど、結婚式って長いよな」

 ホントに、とストレッチをするように背中を伸ばした里美が、テーブルにあったクッキーを齧った。

 里美との挙式を終えたばかりだった。今朝、役所に婚姻届を提出し、里美が田崎から自分の姓である樋口になったその足で銀座のセント・バレンタインチャペルへ向かった。式自体は昼の十二時からだったが、九時から準備を始めた。それでも、ヘアメイクやドレスの着付けなどやることはたくさんあり、時間は足りないぐらいだった。

 結婚式は流行の人前式で、カジュアルでありながら厳かな雰囲気の中、執り行われた。指輪の交換の時に毅の手が震えて、参列者たちから笑いが漏れたが、全体的には滞りなく進み、一時間ほどで終わった。

 その後、同じ銀座にあるフレンチの名店〝シェ・イザワ〟へ移動し、六十人ほどが出席した披露宴が始まったのは午後二時だ。

 披露宴は五時半過ぎに終わり、その三十分後には二次会がスタートした。要所要所で多少の休憩は取っていたが、主役である二人はほとんど出ずっぱりの一日だった。

 二次会の終了予定は九時だったが、三十分以上オーバーして、ようやくお開きとなった。幹事を務めてくれた友人たちに礼を言い、二次会会場のスペインバルから銀座四丁目の24カラットホテルのセミスイートルームに入ったのは五分ほど前で、十時を回っていた。着替えるのさえ億劫なほど疲れていた。

「何か飲むか」

 十分ほど経って、毅は立ち上がった。テーブルには色とりどりのブーケと、ハッピーウエディングのカード、そしてケーキやクッキーなどの菓子、シャンパンのボトルが入っているアイスペールが置かれていた。

「いらないって言ったのになあ」カードに記されている四人の友人の名前に目をやりながら、毅は頭を?いた。「二人でボトルのシャンパンなんか、飲めるはずないじゃないか」

 みんな優しいよね、と里美がブーケを取り上げた。高校の同級生たちが手作りしてくれたものだ。

 ありがたいと思ってる、と毅はシャンパンを開けて、グラスに注いだ。受け取ってひと口飲んだ里美が、シャワー浴びようかな、とつぶやいた。

「明日、羽田に八時でしょ? もう十時半だよ。七時にはチェックアウトしなきゃならないし」

 新婚旅行はバリ島だ。六泊七日、二人だけでのんびり過ごすことになっている。

 早く寝た方がいいとわかっていたが、毅はシャンパンに口をつけながら備え付けのデッキにディスクを差し込んだ。ブライダル会社が撮影してくれた挙式と披露宴のDVDだ。二次会の間に編集を済ませ、ホテルまで届けてくれるというサービスがあり、チェックインした時、フロントで渡されていた。

 いい結婚式だったな、とソファに腰を下ろして里美の肩を抱いた。ホントだね、と里美が頭をもたせかけてきた。

 毅と里美は丸の内に本社がある永和商事に勤務している。同じ営業部に所属する先輩と後輩社員だった。

 交際を始めたのは、二年前に里美が営業部へ異動してきた時で、毅は二十九歳、里美は二十六歳だった。

 順調に交際は進み、一年後に毅がプロポーズし、スムーズに結婚が決まった。

「毅のお父さん、ボロボロだね」里美が画面に顔を向けた。「花嫁の父ならわかるけど、花婿の父があんなに泣くなんて、聞いたことないんですけど」

 俺もそう思ったんだよ、と毅は困った時の癖で頭を強く掻いた。

「どうしちゃったんだろう、あの人。俺がフォローしなきゃいけなかったのかもしれないけど、それどころじゃなかったし。みっともないから止めろって言いたかったよ」

 人前式なので、列席者たちが結婚の証人となる。司会を務めてくれたのは、同じ営業部の柴田と女性社員の小幡だった。二人が列席者にこの結婚を認めますかと問いかけ、全員がうなずき、結婚が成立した。

 アットホームな雰囲気で式は進行していた。列席者たちがアップになり、それぞれが口々におめでとうと声をかけたり、手を叩いて自分たちを祝福してくれていた。

 ありがたいよな、と毅は画面の端を指さした。そこに映っていたのは永和商事の畑中営業部長、社長の市川英一、そして会長の市川聡一郎だった。

 そこが永和のいいところね、と里美が飲みかけていたシャンパンのグラスを置いた。

 永和商事は現会長の市川聡一郎の父、源二郎が戦前に創業した商事会社で、その経営理念は〝会社は家族である〟というものだった。

 世間的に有名な話だが、永和商事に定年制度はなく、創業以来タイムカードも出勤簿もない。家族に定年はない、というのが源二郎の信念だった。

 十年前、二代目社長だった聡一郎が会長職に退いた時、時代の波に抗しきれず、株式を上場したが、それまでは非上場大企業の雄として知られていた。非公式にだが、株主の利益より社員の利益、と聡一郎は語っていたし、現社長の英一もその姿勢を継承していた。

 傘下に百以上のグループ会社を持つ永和の家族主義を象徴しているのは、社員の冠婚葬祭に社長もしくは会長が出席することだった。

「どっちかっていうのは聞くけど、社長と会長が二人とも来るなんてね」

「だよな。珍しいんじゃないか?」

 期待されてるってことだよ、と里美が言った。

 結婚式に会長と社長が参列してくれたのは、同じ本社の社員同士ということに加え、里美の叔父が経営管理部門の取締役であることが関係しているに違いないが、自分が勤める会社のトップが揃って来てくれたのは素直に嬉しかった。

 DVDの映像が披露宴に変わった。相変わらず父親は泣き通しだった。情けないと思いながら里美の髪に触れると、やや厚ぼったい唇の間から、かすかな寝息が漏れていた。寝るなよ、と肩を揺すった。

「シャワーはともかく、ドレスを脱がないと皺になるぞ」

 里美が目を閉じたまま、あと五分とつぶやいた。無理もないか、と毅は頭を振った。

 二次会で飲み過ぎたせいか、毅にも急に酔いが回ってきた。

 スマホのアラームを確認して、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを半分ほど飲んだ。

 シャワーを浴びようと、ワイシャツのボタンを外そうとしたが、思うように指が動いてくれなかった。

 部屋が暗くなったような気がした。まぶたが垂れ、眠気が一気に襲ってきていた。

 少しだけだとつぶやいてベッドルームに入り、そのまま横になった。ダイニングルームから拍手の音が聞こえている。

 DVDをつけたままだと思ったが、面倒だと目をつぶった。少しだけ、三十分だけだ。別にいいだろう。

 急激に眠りの底に引きずり込まれていく感覚があった。よほど疲れているのだろう。

 物音がしたような気がして、一瞬目を開いた。ドアが開いたような音。

 空耳だ、と枕に顔を伏せた。オートロックのホテルのドアを開ける者など、いるはずもない。

 目を閉じた時には、もう眠っていた。

instruction manual

 どこかで電子音が鳴っている。その音がだんだん大きくなっていた。

 スマホのアラームだ。

 起きないとまずい。飛行機に乗り遅れたら、大変なことになる。

 無理やり目を開けると、周りが赤く見えた。飲み過ぎで目が充血しているのかと思いながら、毅は上半身を起こした。

 体が痛い、と二の腕をさすった。寝ていたのはベッドではなく、床の上だった。冷たく固い感触に、思わず顔をしかめた。

 いつの間にか、ベッドから落ちていたらしい。それにも気づかないまま眠っていたのか。寝相はいい方ではないが、こんなことは初めてだ。

 違う、と手で床に触れた。ホテルの部屋にはカーペットが敷かれていたはずだ。指で探ると、フローリングですらなく、剥き出しになった鉄の板だった。

 24カラットホテルは、都内での有名なシティホテルだ。鉄板の床など、あるはずがない。

 目が慣れてきて、ぼんやりとだが辺りの様子が見えるようになったが、何がどうなっているのか、わからなかった。

 身につけているのはVネックの白いアンダーシャツと、ブルーのストライプのトランクスだけ。ワイシャツを脱ごうとしていたことは覚えていたが、脱いだかどうかはっきりしなかった。スラックスもそうだ。脱ぐつもりはあったが、そこまでしただろうか。

 そんなことはいい、と辺りを見回した。明らかにホテルの部屋ではない。

 天井には裸電球がひとつぶら下がっていた。赤のカラーキャップを被せているため、光が赤いのだとわかった。

 普通の白熱電球とは違って、全体に薄暗い。手を伸ばすと、そこに壁があった。やはり鉄製のようだ。

 そのまま壁を伝って、歩き始めた。狭くはない。角に行き当たったところで方向を変えると、歩幅で壁一辺のおおよその長さがわかった。

 角から角まで、約八メートルほどだ。一周したが、正方形のようだった。

 電球を見上げると、天井までの高さは五メートル近かった。真下にパイプ椅子が置かれていたが、他には何もない。

「どういうことだ? どうなってる!」

 叫び声が大きく反響して、思わず耳を押さえた。何なんだ、これは。いったいどうなってる? 誰がこんな悪戯をした?

「神保、お前だな?」大学時代のサークル仲間の名前を叫んだ。「飯塚もか? 本当にお前らは最低だな」

 苦笑が浮かんだ。大学のオールラウンドサークルで、三人でよく悪ふざけをしたものだ。あの二人なら、何をしてもおかしくない。

 左の手首に目をやったが、腕時計はなかった。部屋には窓もなく、外光は入ってこない。

 それでも、大体の時間は体感でわかった。朝にはなっているだろう。七時か八時ではないか。

「神保、飯塚、いや、それとも誰か別の奴かもしれないが、もういいかげんにしてくれ」椅子の背に手をかけたまま、毅は努めて冷静な声で言った。「今、何時だ? バリ島行きの便は午前十時発だ。二時間前に空港に着いていなきゃいけないルールは知ってるだろ? 多少遅れたって構わないが、銀座から羽田まではどんなにタクシーを飛ばしても二十分はかかる。間に合わなかったらどうなると思ってるんだ? 責任は取ってくれるんだろうな」

 声が大きくなっていた。怒りを抑えきれない。冗談にしては度が過ぎている。いくら親しい友人でも、ハネムーンの朝にこんなことをするのは、人として最低だ。

「おい、わかってるのか? 返事をしろ! チケット代だって安くはないし、バリ島のホテルだって押さえるのが大変だったんだ。今すぐここから出せ! 里美はどこだ? 一緒なのか?」

 部屋を一周した時、ドアがないことに気づいていた。もちろん、ドアがないということはあり得ない。自分がここにいるのだから、どこかにドアがなければならない。

 すべて確認したつもりだったが、見逃したのか、それともわかりにくい場所にあるのか。

「誰だか知らないが、この辺で止めてくれ。もう十分だ。今なら笑って済ませてやる。どうすればいい? 降参したと謝ればいいのか? おい、何とか言え、いい加減にしろ、この野郎!」

 いつの間にか、スマホのアラームは止まっていた。あれはどこから流れていたのか、と毅は辺りを見回した。

 薄暗かったが、床は見えた。どこにもスマホはない。だが、アラーム音は異常に大きかった。

 どこかにスピーカーがある、と天井を見上げた。電球の明かりが届かない四角にでも、スピーカーが隠されているのだろう。毅のスマホのアラーム音を、そのスピーカーから流していたのだ。

 何のためにそんなことを、とスピーカーを探していると、正面の壁の中央がいきなり明るく光った。

 鉄板だと思っていたそこに、モニターがはめ込まれていた。

 椅子からモニターまで、約二メートルの距離があったが、画面はよく見えた。そこに映っていたのは、下着姿の里美だった。

 音声は聞こえない。画面に里美の顔が大写しになる。涙で汚れ、表情が歪んでいた。

 叫び声を上げながら、毅はモニターに突進した。

 わけわかんない、と溢れてくる涙を拭いながら、里美は床を這っていた。

 目が覚めたのは、頭が痛かったからだ。二日酔いかと思ったが、どこかから聞こえてくるアラーム音のためだった。

 酔いが残っていた。止めてよ、と何度も言ったが、毅も眠っているのか、その気配はなかった。仕方なく目を開くと、理解不能な光景が目の前にあった。

 薄暗く、閉ざされた空間を、赤い光がぼんやりと照らしていた。ホテルの部屋ではないと、すぐにわかった。

 毅を何度も呼んだが、返事はなかった。意味がわからない。ここはどこなのか。

 なぜ自分はブラジャーとショーツ姿なのか。どこから音が鳴っているのか。毅はどこにいるのか。

 わからないまま、自分の体を探った。怪我はしていない。悪戯された形跡もなかった。

 それには安心したが、かえって不安が強くなった。では、どうして自分はこんなところにいるのだろう。ホテルの部屋にいたはずなのに。

 そして、強い尿意が下腹部を襲っていた。薄暗い照明の下、四つん這いになって床と壁を探っていると、不意に鉄の扉が開き、そこに白い便器があった。

 何も考えられないまま、そこに座って用を足した。形は水洗便器だが、水が流れないことに気づいたのはその後だ。

 よく見ると、便器の底が小さく削り取られ、黒いビニール袋が取り付けられていた。小さい頃、田舎の親戚の家へ遊びに行った時、くみ取り式の便所に驚かされたが、構造としては同じだ。ビニール袋があるため、その奥は見えなかった。

「助けて! ここから出して!」

 恐怖にかられて四方の壁を叩いたが、手のひらの皮が剥けただけで、他には何にも起きなかった。体ごとぶつかってみたが、跳ね返されて床に倒れた。座り込んで涙を拭う以外、どうすることもできなかった。

 部屋にあるのは一脚のパイプ椅子だけで、他は何もない。時間を確かめようと思ったが、結婚祝いに両親から贈られたカルティエはなかった。

 夢を見ているのだろうか。だとしたら、とんでもない悪夢だ。

 二次会を終えて、ホテルのセミスイートルームに入ったのは、数時間前のはずだ。どんなに長くても、七、八時間しか経っていないだろう。

 シャワーを浴び、パジャマに着替えてベッドに入るつもりだった。五時間ほど寝たら、起きなければならない。バリ島行きの便は午前十時で、それまでに羽田空港に着いていなければならなかった。

 ハネムーン、と里美はつぶやいた。定番のハワイか、行ったことがないタヒチか、それともセイシェル諸島か。

 さんざん毅と話し合い、一度は深刻な喧嘩にまで発展したが、結局二人とも行きたかったバリ島に決めた。

 フォーウインドーホテルのコテージ。毅と二人だけで過ごす一週間。誰にも邪魔されることのない新婚旅行。

 それなのに、どうしてこんなところに閉じ込められているのか。誰の仕業なのか。こんな最悪の冗談、許されるはずがない。

 でも、本当に冗談なのだろうか。里美は辺りを見回した。

 鉄板で囲われた密室。ドアも窓もない。悪戯にしては、手が込み過ぎている。いったい何のために、こんなことをしているのか。

 拭っても拭っても、涙は止まらなかった。恐くて、全身の震えが止まらない。誰か、誰か助けて。お願い、毅、ここから出して!

 その時、目の前が突然明るくなった。顔を上げると、壁にはめ込まれたモニターがあった。映っていたのは、下着姿の毅だった。

「毅!」

 モニターに駆け寄って叫んだが、声は届いていなかった。毅も自分を見ているのがわかった。

 呆気に取られたような表情。里美、と唇が動いていた。

「ここよ、ここにいる!」里美は画面を叩いた。「毅、どこにいるの? 助けて、お願い!」

 モニターと天井の赤い電球が同時に消えた。部屋が闇に包まれ、何も見えなくなった。

「助けて!」

 叫んだ里美の前で、再びモニターがついた。ピエロの顔が画面いっぱいに広がっていた。

「アンサーゲームへようこそ!」

 安っぽいファンファーレの後、ピエロが口を開いた。毅はその顔を睨みつけた。

 分厚いメイクのため、人相どころか年齢、性別すらわからない。声にもエフェクトがかかっていて、男か女か判別できなかった。

 誰なんだ、と毅はモニターを保護している厚いガラスを叩いた。

「どういうつもりだ? 俺をここから出せ! 里美もだ。こんなことをして、どうなると思ってる? 何を考えてる!」

 画面が切り替わり、里美の顔がアップになった。同じピエロを見ているのが、表情でわかった。

 オーバーラップされる形で、ホテルの部屋で見ていた結婚式の映像が流れ出した。ブライダル会社が撮影したDVDをそのまま使っているようだ。

 そうか、と毅はうなずいた。ピエロの正体がわかった。ブライダル会社の社員なのだ。

 やはり、これは一種のサプライズなのだろう。どちらかの友人がブライダル会社に依頼して、こんなことを仕組んだ。わざと離れ離れにして、感動の再会を演出するつもりなのか。

「最低のサービスだな」悪趣味だ、と毅はモニターをまた叩いた。「吊り橋効果でも狙ってるのか? あいにくだな、俺と里美にそんなものは必要ない。もう十分だ、さっさとここから――」

「コングラッチュレーション!」DVDの画像に被さるように、ピエロの声が流れた。「ご結婚、おめでとうございます。樋口毅様、田崎里美様。おっと失礼、間違えました。既にお二人は正式に婚姻届を提出していますから、樋口里美様とお呼びするべきですよね」

 笑えないぞと吐き捨てた毅の前で、モニターにピエロの上半身が映った。真っ赤な髪の毛、顔全体に真っ白なファンデーションを塗り、眉と目の周りは黒いアイシャドウで縁取られていた。

 横縞のワイシャツ、肩パッドの入った黄色いジャケット、首回りにはピンクのベビースタイがあった。

 まず自己紹介を致します、とテーブルに両手を載せたままピエロが言った。

「わたしは本日の第四回アンサーゲームのマスター・オブ・セレモニーを務めさせていただくM・I・Cと申します。マイクとお呼びいただいても結構です。本日はよろしくお願いします」

 何を言ってるんだ、と毅は足でガラスを蹴った。

「ブライダル会社の社員だな? 誰に頼まれた、神保か? どうかしてるぞ、こんな下らない真似をするのはあいつぐらいだ。悪い奴じゃないが、ここまで馬鹿だとは思ってなかった。さっさとここから出せ。神保とは二度と会わないし、口も利きたくない。今すぐ奴に――」

「毎回で申し訳ありませんが、ルール説明にお付き合いください」

 聞いてないのかと怒鳴った毅を無視するように、ピエロがブルーで強調している唇の端を吊り上げて笑った。

「ルールは簡単です。今から、十のクエスチョンをお二人に出題します。非常に簡単な問題で、。何しろ、いわゆるクイズ的な正解はありません。アンサーゲームの目的はただひとつ、お二人の回答を一致させることです」

 意味がわからん、と毅は腕を組んだままピエロを見つめた。十のクエスチョン? 簡単な問題? 正解はない? 二人の回答を一致させろ?

 突然、モニターの下部にあった鉄板が開いた。そちらに十枚のフリップボードとマジックペンが入っています、とピエロが淡々と説明を続けた。

「もう一度申し上げます。今からわたしが問題を出します。三十分以内に回答をフリップにお書きください。その後、モニターに向けていただき、お互いの回答が一致していればマッチングと見なします。正直なところ、三十分も必要ないでしょう」

 無意味な時間の浪費には耐えられない、とドストエフスキーも言ってますとピエロが顔を歪ませて笑った。

「早い段階で回答をお書きになった場合には、モニター横にあるアンサーボタンを押してください。お二人の回答が出揃えば、三十秒でも一分でも、すぐモニターにお互いの回答が映し出されます」

 下らないことはすぐ止めろ、と毅は顔を両手で拭った。お二人の回答が一致しなかった場合はミスマッチということになります、とピエロが楽しそうに言った。

「ミスマッチは三回まで許されます。それ以上はゲームオーバーになりますので、ご注意ください。ですがご安心ください。クエスチョンはお二人に共通するパーソナルな問題ばかりです」

 パーソナルとはどういう意味だと叫んだ毅に、どうか冷静に、とピエロが大きな耳に触れた。

「お二人は出会い、愛し合い、昨日結婚式を挙げられたばかりの新婚カップルで、お互いのことを誰よりも理解しているはずです。愛があれば、必ず回答はマッチングします。おわかりですね?」

「わからんね。こんな馬鹿な話は聞いたことがない」

 わたしも申し訳なく思っています、とピエロが頭を下げた。

「あまりにも簡単過ぎますので、馬鹿らしいと思われるのは当然です。しかし、これがアンサーゲームのルールなのです。ルールには従っていただくしかありません」

 つきあってられるか、と毅はパイプ椅子を蹴飛ばしたが、微動だにしなかった。床に溶接されているようだ。

「加えて、お二人に有利なルールが追加されております」お座りください、とピエロが言った。「まず、三回まで相談ができます。これをディスカッションと呼びますが、希望される場合にはモニター上部の白いボタンを押していただければ、スピーカーを通じてディスカッションが可能になります。時間制限は三十秒ですが、問題ないでしょう」

 聞いてくれ、と毅は椅子に腰を下ろして、正面のモニターを見つめた。

「あんたの立場はわからなくもない。客のリクエストに応えるのはブライダル会社なら当然だ。仕事として受けた以上、やるしかないんだろうが、こっちの身にもなってくれ」

 ピエロが肩をすくめた。今、何時だ、と毅は小さく息を吐いた。

「もう朝だろう。俺と里美は八時までに羽田へ行かなけりゃならない。飛行機に乗れなかったらどうするつもりだ? 責任はどう取る? サプライズと言ったって、これはやり過ぎだ。さっさとここから出せ。この状況は明らかに監禁だ。犯罪だと言われてもおかしくない。警察に通報したっていいんだぞ」

 どうやってです、とピエロが真面目な顔で尋ねた。

「どうやってって……110番通報するだけだ。俺のスマホはどこにある? 今すぐ返せ!」

 これですか、とピエロがにっこり笑いながら両手を挙げた。右手には毅の、左手には里美のスマホが握られていた。

「よろしいですか、外部への連絡手段はありません。その部屋には隠し扉がありますが、ロックを解除しない限り、中から開けることは不可能です」

 それは犯罪だ、と毅は怒鳴った。

「お前は俺と里美をホテルから拉致し、ここに閉じ込めた。そんなことをして、ただで済むと思ってるのか? 本当にまずいことになるぞ。悪いことは言わない、さっさとここから俺たちを出せ。今頃、俺たち二人をみんなが捜している。いずれは誰かが見つけてくれる。そうなったら俺はまっすぐ警察に行くし、捜査が始まったら、お前はすぐ逮捕される。そんなリスクを――」

 そんなリスクはありませんよ、とピエロが真っ赤な舌を出して笑った。

「よろしいですか、まず、お二人が宿泊していたホテルですが、既にわたしの方でチェックアウトしておきました。次に航空会社ですが、こちらもキャンセルの連絡を入れてあります。バリ島のコテージにも、一日遅れるとメールで伝えています」

 そんなことできるはずないだろうと思ったが、メール一本で済む話ですよ、とピエロが言った。

「そして何より、。お二人が今朝十時の便でハネムーンに向かわれることは、ご両親、親族、ご友人、会社の方、全員が知っています。総務部にも休暇届を出してますから、出社しなくても当然のことと誰もが思いますし、今の時代、新婚旅行の見送りなど誰もしませんよ。連絡を取ろうとする無粋な者もいません。あなただって、それぐらいおわかりでしょう」

 返す言葉がなかった。ピエロの言う通りだ。

「無論、仕事の関係などで、あなた方に電話したり、メールを送る人がいるかもしれません。ですが、返事がなくても仕方ないと思うでしょう。何しろハネムーンですからね。生涯最高の思い出となる旅です。誰も邪魔をしようとは思いません。そうでしょう?」

 毅はモニターから目を逸らした。喉の奥から、不快な澱が迫り上がってくるようだった。

 まさか、これは冗談ではないのか? 本気でやっている? だとしたら、目的は何だ?

 目的はゲームそのものです、と見透かしたかのようにピエロが言った。

「お約束しますが、ミスマッチが三問以内であれば、隠し扉が自動的に開き、あなた方お二人はそこから出ることができます。十のクエスチョンに対し、時間を目一杯使っても、一問三十分ですから、トータル三百分、つまり五時間後には二人とも自由の身になれるのです。今日の便に乗ることは、おそらく難しいでしょう。ですが、ご安心ください。明日の同じ時刻の便を予約してあります。しかもファーストクラスにアップグレードしています」

 チケットはこちらに、とピエロが胸ポケットから二枚の航空券を取り出してテーブルに載せた。

「新婚旅行が一泊短くなることについては、大変申し訳ないとお詫びするしかありません。ですが、その代わりに豪華商品を用意してあります」

 背後の物音に、毅は反射的に振り返った。壁の一部が開いていて、中に白い便器が見えた。

「そちらのトイレですが、ご自由にお使いください。そして、便器の後ろにバッグがありますが、現金で一千万円入っております。人生で一度の新婚旅行を一日短縮させてしまう代償とお考えください」

 そんなものはいいから、さっさとここから出せと毅はモニターに向かって怒鳴った。

「里美はどこだ? 無事なんだろうな。髪の毛一本でも傷つけていたら、俺はお前を許さないぞ」

 ご自分はいかがですか、とピエロが肩をすくめた。

「お怪我されていますか? そんなはずはありません。あなたにしても奥様にしても、細心の注意を払っています。お二人を傷つけるつもりなど、まったくありません。それがアンサーゲームのルールです」

 毅は無言でトイレに向かった。尿意もあったが、気にしている場合ではない。

 便器の後ろを探ると、小さなボストンバッグがあった。中を開くと、帯封のついた札束が十個入っていた。

「付け加えておきますと、マッチングすればささやかなプレゼントをわたし、MICからさせていただきます。ただし、ミスマッチの場合は罰ゲームが待っております。この辺りはゲームのお約束と考えていただけますと幸いです」

 椅子に座り直した毅は、持っていたバッグをモニターに向けて投げ付けた。

「金なんかいらない。もういいだろう。手の混んだサプライズだと認めるし、悪ふざけが過ぎるのも本当だが、その責任を取れとも言わないし、他言もしない。だから、ここから出せ! 里美と会わせろ!」

 冷静に、とピエロがアルカイックスマイルを浮かべた。

「よろしいですか、あなた方お二人は愛し合って結婚されました。お互い、誓いの言葉を述べておられます。お忘れですか?」

 映像が切り替わり、人前式の様子が映し出された。カメラが捉えているのは、列席している人達の前で誓いの言葉を述べている毅、そして里美の姿だった。

『本日、私たち二人は、皆様の前で結婚の誓いをいたします。今日からは心をひとつにして、お互いに思いやり、励まし合い、力を合わせて、皆様に安心していただける夫婦になることを誓います』 

 声を揃えて同時に言った後、毅と里美が交替で改めてお互いに対する誓いの言葉を続けた。

『私、樋口毅は里美さんを生涯妻とし、幸せや喜びを共に分かち合い、悲しみや苦しみは共に乗り越え、永遠に信じ合い、愛し合うことを誓います』

『私、田崎里美は毅さんを生涯夫とし、思いやる気持ちを忘れず、お互いを大切にし、かけがえのない存在となり、わかり合える夫婦となることを誓います』

 素晴らしい、とピエロが手袋をはめた手で拍手した。

「まさに理想のカップル、完璧なご夫婦です。堂々と胸を張って、クエスチョンにお答えください。必ずお二人の回答がマッチングすることを信じています」

 いったい何がしたいんだ、と毅は顔を両手で覆った。アンサーゲームです、とピエロが答えた。

「さて、早速ですがアンサーゲームを始めさせていただきます。ファーストクエスチョンはこちら!」

 けたたましい音と共に、モニターに文字が浮かび上がった。

『あなたたちが最初に会ったのは、いつ、どこでしたか?』

(第2回へつづく)