第1回
1章 未来職安
時計がなくても朝は来る。でも時計を見るまで信じない。
カーテンの隙間から漏れてくる陽射しは明らかに早朝のそれではないし、ベランダの向こうにある道路から聞こえてくるのは学校に向かう小学生たちの元気な声。つまり、この部屋にひとりで3年住んでるわたしの経験から言うと、これは朝8時を過ぎている。それは今ベッドで夏布団を被っているわたしにとってかなり不都合な事実だ。
でもこんな言葉がある。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、と。
つまり、今日はなにか学校で運動会的なイベントがあるので児童たちが早朝の登校を強いられているとか、年々の気温上昇で熱中症を避けるために登校時間を繰り上げたとか、そういう歴史的なイベントがあったという事もありうる。あって何が悪いのだろう?
学校へ向かう子どもたちの声はほんとうに楽しそうだ。毎日行くべき場所と帰るべき場所があるってことは、人間にそれなりの幸せを提供してくれるのだろう。
公立学校にはもう教員がいないのだから、いっそ教科システムを各家庭に配ってしまえばいい、その方がコストカットになる。そんな事を主張している政治家がいるのをわたしは知っている。とんでもない事だと思う。あの子たちの声から言っても、わたしの経験から言っても。
そんなことを考えているうちに、子どもたちの声が聞こえなくなる。
うーん。聞こえるのも問題なんだけど、聞こえなくなるのはもっと問題のはずだ。 おそるおそる布団から顔を出して時計を見る。
8時17分。
その瞬間にようやく現実は現実として確定する。朝です。
わたしは20代女性にふさわしくない悪態をついて布団をはねのける。口をゆすいで冷蔵庫の中に入っているスティック一本で朝ごはん。歯を磨いて顔を洗って、ボックスに顔を入れてオートのメイクだけ済ませる。
公務員の頃から持ってるスカートをはいてスーツを着て、時計を見ながらギリギリまでヘアアイロンで癖毛を伸ばす。こっちも早くオートになってくれればいいのに、そうすればもうちょっと髪を伸ばせるのに、と毎朝思う。
ヒールを履いて、玄関ドアを開けたら8時40分。アパートの廊下にまですっかり夏が訪れていた。こんな中で急いで「職安」まで行ったら汗で大変なことになりそう。わたしは車を拾うことにした。お金が勿体無いけど、お金より大事なものがあるのが幸せな人生。
車道に立って手で「空車待ち」のサインを作ると、すでにお客さんを乗せた車が何台もひゅんひゅんとすり抜けていく。朝なので結構乗車率は高い。車に乗っている人はだいたいスーツを着た生産者たちで、歩道をのんびり歩いているほうはポロシャツを着た消費者が多い。服を見ればだいたい分かってしまう。
ようやく一人乗りの空車がわたしの前ですっと停まり、ドアがすっと開く。きんきんに冷えた空気が外に流れ出す。
乗り込んでカードをタッチして「職安」のあるビルの場所を言う。モニターに地図が表示されて「この場所に向かいます」と機械音声が告げ、右下に料金が表示される。わたしは苦い顔をしながら「OK」ボタンを押す。
走っていくうちに空調の温度がちょっと上がる。たぶん女性が乗ると設定温度が高めになる仕組みなのだと思う。外がこう暑い日は、最初の一瞬だけ涼しいというのは悪くないサービス。
朝支度の疲れでぼーっとしているうちに、自動車のセンサーは的確に人と車の流れを掴んで、するすると車道を走って事務所の前までつく。
「到着しました」
と音声。モニターに出た金額に「支払い」ボタンを押すとドアがすっと開く。そういえばもしカードの残高が足りなかったら、このまま車に閉じ込められちゃうんだろうか、とちょっと思う。
「本日午後に道路が非常に混雑することが予想されます。お帰りの際はご注意ください。またのご利用をお待ちしております」
というアナウンスを聞き流しながら、熱気の間をすり抜けて古びたビルの中まで歩いて、エレベーターで4階まで登って「職安」の中に入って8時58分。ギリギリセーフ。
もちろんわたしが遅刻したところで「職安」での仕事には何の問題もない。だいたい大塚さんのほうが遅く来るわけだし。勤務時間を記録するログはあるのだけれど、そんなものを機械オンチの彼がチェックしているわけがない。
ただ記録はきちんと記録としてサーバーに残るし、何かあったときに
平成時代の探偵事務所に似たこの「職安」には、ふたつのデスクとひとつの応接用テーブルがある。正面にあるウォールナットの大きな机はきれいに片付いていて、上には茶トラの猫が一匹、木彫りの工芸品のようにちょこんと乗っている。
「所長、おはようございます」
と、わたしは猫に挨拶する。所長はスコティッシュ・フォールドのオス3歳。といっても製造3年目という意味ではない。なんと
もちろんこのビルはペット禁止なのだが、こうも堂々と飼ってると来客はみんなネコッポイドの新機種だと思いこむので、逆に問題にならないらしい。大塚さんという男は、要するに、そういうやつだ。
金属製デスクに置かれたトラックパッドをちょんと叩くと、画面が起動して今日の予定が表示される。10時から新規のお客さんがひとり。それ以外に、午後に何人か来るかも、という予報が表示されている。確率は60%。
過去のデータを元にして天気予報みたいに来客を予測するシステムらしいけど、こないだ90%で身構えていたのに誰も来なかったので、あまり真に受けないほうがいいかもしれない。そもそも不特定の誰かの行動を予想するなんて、いくらなんでも無理がある。
同予測によると、大塚さんの今日の出勤予想時刻は9時37分。こちらは天気と気圧と昨日の帰宅時刻から算出しているので、かなり信憑性は高い。
彼が来るまで所長とじゃれて遊ぶ。「にゃーにゃー」とネコナデ声を出してみるが、所長は借りてきた猫のようにおとなしく黙って、机を降りて勝手にトコトコとソファのほうに歩いて行く。だんだん虚しくなってきたので、毛取りシートでスーツの毛を取って椅子に座り、大塚さんの出勤を待つ。
エレベーターが4階に停まるポーンという音が聞こえて、それからカツカツという足音がする。またあの無駄に硬そうな靴を履いてるのだろう。ドアが開く。
「おはよう、目白。今日も暑いな」
と快活な声で大塚さんが現れる。9時39分。予測値とのズレ2分。
「目黒です」
とわたしは答える。しかし彼はその訂正を無視して、ソファの背もたれの上に丸まっている猫に敬々しく頭を下げる。
「所長、本日もよろしくお願いします」
所長は目だけ開いて大塚さんを見ると、おもいっきり口を開いて「ふにゃー」と眠そうな声をあげた。肉食動物らしい牙がちょこんと上顎についている。
メイクもオートだけで慌てて出てきたわたしと対照的に、きちんとワックスで髪型を決めてきて、派手なネクタイに縦縞スーツを着ている。年齢不詳だけどたぶん30代半ば。職安の副所長、というよりもヤクザの若衆のように見える。
「大塚さん、今日は10時からお客さんがひとり来ますので、準備して下さい」
「あいよ。早いな」
と言って色の薄いサングラスを外して、ウォールナットのデスクの上に置く。
「消費者なら一日中暇だろうに、ずいぶん早い時刻に来るやつだな。しかも前週に事前予約ときている。けっこう律儀なやつだ」
「こないだみたいに契約期間中に雲隠れされる心配はなさそうですね」
「分からんぞ。そういうタイプほどトンズラも上手かったりするからな」
と彼は笑って言う。先月の事件のせいでこの「職安」の利益がほとんど消えて、わたしの給料はほぼゼロになったのだ。生産者的な生活スタイルが染み付いているわたしは基本金だけでは生活費が足りず、貯金をいくらか崩す羽目になった。わたしにとっては全く笑えない事態だが、彼はそんな事も面白がっているようだった。
「今日の依頼人の方の情報ですが、23歳の男性ですね。Skynote の経歴によると、
とわたしが画面の情報を読み上げると、彼は手で制止する。
「そういうのはいいよ。実物に聞いたほうが早い」
「そうでしたね」
とわたしは答える。毎回言われるのだけど、構わずやる。なにか仕事をしている気分になるからだ。要するにこの職安は、世の中のたいていの職場と同様に、ヒマなのだ。
10時ぴったりに職安のドアがノックされる。そんな事をしなくても人がきたのは通知でわかるのだけれど、そういう古典的なビジネスマナーをどこかで学んできたらしい。やはり律儀な人だ。わたしがボタンを押すとドアがすーっと横に開く。
「ごめんください」
といって訪ねてきた依頼人は23歳男性。細い身体に消費者らしい国産シャツを着て、SNSの顔写真にあるとおり、いかにも純朴な日本人といったかんじの顔立ちだ。都市圏でいまどきこんな歴史の教科書みたいな顔はかえって珍しい。
「ようこそいらっしゃいました。当職安の副所長、大塚晴彦と申します」
と言って大塚さんは紙製の名刺を差し出すと、依頼人の男性は怪訝そうな顔でそれを受けとって、書いてある情報を読んだあとに名刺を返そうとする。返さなくていいんですよ、という事を彼は手で示す。
「はじめまして」
と依頼人は自分の名前を言い、それから大塚さんに尋ねられるままに簡単に自分のプロフィールを説明した。職業訓練大学(あの看板に偽りしかない学校)に行ったけど途中で辞めてしまい、それから3年ほど消費者をしていて、何か仕事がほしくなったので来た、という事らしい。資格、特技のたぐいは特になし。もっとも、いまどき資格化できるような仕事はほとんど機械化されてしまったのだけれど。
「ふむ」
と大塚さんは彼の顔をじろじろと見た。23歳というわりに見た目は幼い。大塚さんと並べると、お菓子の家に迷い込んだヘンゼルのように見える。太らされて食べられそうだ。
「失礼ですが、インドに行かれたことは?」
と大塚さんは依頼人に尋ねる。
「いえ。興味はあるのですが……」
と依頼人は首を振る。基本金頼みで生活している消費者が、海外旅行なんて行けるわけがない。
「あの国はいま熱いですよ。宇宙開発や人工知能研究の重心も、どんどん中国からインドに移っていますからね。私の知り合いで情報工学の専門家も何人か、あっちの会社に籍を置いて研究しているんです」
と大塚さんはセイロンティーを飲みながら言った。唐突にそんな専門職の説明をされて、依頼者は戸惑っているようだった。まさか大学も出ていない消費者が、そんな職を求めているわけがない。
「で、高所得の生産者がいる街があちこちに出来てるわけです。そうなると彼らは、稼いだ金の使い所を求める。生活必需品はどれもこれも安いけど、彼らは生産者である以上、なにかしら顕示的な消費がしたい」
依頼人は黙って頷く。
「それが、たとえば飯です。あちらに日本食レストランがありましてね。日本人を募集しているんです。行ってみませんか」
「え、でも、僕、料理なんてできませんよ」
「大丈夫ですよ。べつに料理の技術が必要なわけじゃないんです。そういうのは機械の仕事ですから。それより、店頭に日本人が立っていることが大事なんです。舞台の演出ですよ。モノを売るわけではなく、体験を売るんです。あなたのように純日本人顔で、職人の雰囲気があればいい演出になるでしょう」
と大塚さんは説明し、依頼者が戸惑いつつも頷く間に顔だけでわたしの方を見て言う。
「目白。こないだ言った職が、まだ空いてるか確認してくれ」
「はい」
とわたしはムンバイに問い合わせのメッセージを送る。面倒なので名前を訂正するのは一日一回にしている。別に自分の姓に愛着があるわけでもない。
インドも日本と同様にもう人間の調理師なんてほとんどいないけれど、高級店では雰囲気を出すために店頭に人間を配置することが多いらしい。
日本料理店では顔の似た中国人を使っていたそうだが、「日本食レストランなのに店員が中国人だ!」とネットで騒ぎ出す客が増えてきたので、日本人を回してほしい……とインドの外食産業の偉い人が言っていたそうだ。なんでそんな人と大塚さんが知り合いなのかは知らない。
チャットボットからすぐに返信が来て、すぐに日本語に翻訳される。
「あと1件空きがあるとのことです」
とわたしは答える。本当は3件なのだけれど、部門別に見て1件という項目もあるので、まあ嘘ではない。
「どうします?」
と大塚さんは彼の目をじっと見る。人と目を合わせることに慣れていないのだろう、依頼人はちょっと目をそらす。
「まあ、他の国という手もあります。幾つかアテはありますが……私どもの方としてはインドが一番かと思いますよ。今はもう日本よりも治安がいいくらいですから。似たような案件はいくつかあるんですけど、やはり日本人が行きたがらないような国になってしまいますからね」
と言われると彼は不安そうな顔をして、
「ええっと、外国ってパスポートとか必要なんですよね?」
と当たり前の質問をする。会話の主導権を握らせまいとする虚しい抵抗のようだった。
「あれは申請すればすぐ通りますよ。インドも今やROUNDプログラム加盟国ですので、滞在にビザも要りません。便利な時代になったものですね」
「でも、外国だと滞在費とか……」
と依頼人が何か聞くたびに、大塚さんが見てきたようにインド事情を説明していく。この人がネットで海外の事情を調べるというのがいまいち想像できないので、たぶん実際に行ったことがあるのだろう。渡航費をどうやって工面したのかが気になる。
その間にわたしは(ヒマなので)件のインドの日本食レストランについて調べている。
自動翻訳されたヒンディー語記事によると、店員の「国籍偽装」が問題になっている店は、店舗に実際に行った人ではなく、店舗の画像から顔認証システムを使って中国人だと判定しているらしい。いまどきの顔認証は人間の目よりも正確なので、日本人ですら分からないような日本人・中国人の区別をやってのける。
どうせ飾りの店員なのだから、見て分からないならわざわざ調べなきゃ済む話だと思うのだけれど、このところのカシミール情勢の不安定化で反中感情が高まって、そういう活動が活発になっているらしい。しょうもない。
大塚さんのヤクザ的話術であっという間に話がまとまって、最初の1年の給与のうち何%を職安が仲介料として受け取る、という契約を結ぶ。わたしが認証端末(大塚さんはこれに触りたがらない)を差し出して、依頼人がそれにカードを触れると契約が締結された。
依頼人がすごすごと帰っていく。
エレベーターのドアが閉まる。
所長が「けけけっ」とカラスみたいな声でクラッキングする。話がまとまった雰囲気が分かるのか、契約が締結されると彼はそういう声を出す。日本語に訳すと「これにて一件落着!」だろうか。あいにく猫語の自動翻訳はヒンディー語ほどには発達していない。
それからわたしが口を開く。
「別にわたし達もヒマなわけですし、そんなに急いで決めさせることもないと思うんですが。それに、他に紹介する案件もありますし、本人に選ばせてやっては」
「なあに、あれは海外に行きたがるタイプだよ」
「なぜ分かるんですか?」
「学校を途中でやめてその数年後に来る、ってのはそういうやつだ。学校の勉強が退屈で、辞めれば何か面白いことができる、と漠然と思っていた。でも何年も何もなかったから、とりあえず職安に来てみた。金や社会貢献が目的なら、学校に入り直す方が効率的だからな。そういうやつは、とりあえず海外に送るのが正解。少なくとも刺激はある」
「本人に迷う時間くらいは与えてもいいのでは?」
とわたしは食い下がる。言ってから少し後悔する。なるべく彼のやり方に必要以上に干渉すまいと思っているのだが、弱い人を擁護したくなってしまうのは、わたしの持病であり、遺伝病でもある。
「考える時間を置いたところで、自分の意思で決めたという満足感が残るだけだ」
「別に満足感をあげてもいいと思うんですけど」
「グズグズしてると他の職安に客を取られちまう。もっと安い仲介料でやります、ってところは一杯あるからな。うちみたいな高コスト体質なところは、とにかくスピードとタイミングが勝負だ」
と大塚さんは所長の背毛を撫でながら言った。
高コスト体質なのは、こんな実物の事務所を構えて、従業員が2人(+1匹)もいるからだ。いまどきの職安経営者はほとんど自宅とネットで済ませてしまう。うちがこんな前時代的な形式をとっているのは、まずもって大塚さんが機械に触れないのと、相手を実際に見て判断するタイプの人間だからだ。
そういう地道な努力の甲斐あって顧客満足度は高い……となれば良いインタビュー記事になるんだろうけど、特段そういうデータはない。むしろネットで大量の求人データを掻き集めて独自の評価関数で効率的に仕事を見つけ出しているところのほうが、顧客の評価も高かったりする。「職安」も他の大多数と同じく、機械に奪われつつある仕事のひとつだ。
ただ大塚さんはそんなことを気にする様子もない。もともと利益目的でやってるわけではないらしい。
「別に生活費に困ってるわけでもないしな」
と彼はオットマンに脚をかけながら言う。この人の私生活がうまく想像できないが、これだけ機械オンチの人間が基本金だけで普通に生活できるとは思えないので、何か裏の収入源があるのかもしれない。
「じゃ、なんで職安やってるんですか」
「まあ、それは」と言って脚を組み直す。「趣味だな」
「職安は趣味でやるような事ですか」
「おいおい、職安ほど人間の本質が見える趣味はそうそう無いぞ。そう思わんかね、目白」
と、大塚さんは口を「3」の字に尖らせて、人をバカにしたような口調で喋りだす。
「知りませんが」
「考えてもみたまえ。たいていの動物は生活のために働いている。その心配がなくなった以上は、一日中のんびりしていればいい。うちの所長みたいにな。ところが人間は仕事の必要がなくても、わざわざ仕事を探しに来る。まさにここに人間の本質が顕れていると言えるだろう。そういうのを観察して、分類して、発送するのがおれの趣味なのだ」
偏屈な人間観察趣味をひとりで出来ないのが困ったものである。
もちろん、そのお陰でわたしが職業にありつけているのだから文句を言えた義理ではないが。
この「職安」の仕事を紹介してくれたのは、前の職場(県庁)にいた先輩だ。
「変なやつがいるんだよ」
と、先輩は大塚さんのことを、親戚の厄介者を指すように言った。
「大学時代の友達なんだけど、とんでもない機械オンチなんだ。タッチパネルもまともに触れないくらい」
「へえ。すごいですね」
どうやってそれで生きてるんだ、とわたしは思う。厚生福祉省の基本金の申請すらまともに出来ない気がするのだが。
「そいつも最初は僕と同じ生産者志望だったんだが、機械に触れないんじゃ仕事がないからな。だいぶ長いことブラブラして、最近になって『職安』を始めたらしい」
「はあ?」
「つまり、他人に仕事を紹介する仕事をすることにしたんだ。それで事務員を募集してる。アテにしていた人がすぐ辞めちゃって、経歴が確かで機械に触れる人間なら誰でもいい、って。目黒さん、どうしても職業が必要なら、やってみないか?」
先輩の話を聞くだけで、かなり厄介な人間であることは容易に想像がついた。
が、訳あって県庁を辞めることになったわたしは再就職先が必要だった。それこそ職場であれば何でもいい、というくらいに。さまざまな家庭事情により、わたしは消費者になることができないのだった。
そこに、人間であれば誰でもいい、という雇用主がいたのだから、捨てる神あれば拾う神あり、とはこのこと。と思ってわたしはこの「職安」に飛び込んだのだった。
まあ、論理面でいえばどう考えてもこの判断は間違っていないはずだ。そのことをいちいち確認しないと、どうも雇用主に対する負の感情に押しつぶされそうになる。
「所長、お食事の時間ですよ」
といって大塚さんは戸棚から猫缶を取り出して、フタを開いて所長の前に置く。中に魚肉のフレークが入った本物の猫缶だ。底にQRコードがプリントされたネコッポイド用ではない。生産量が少ないので、大塚さんが定期的に遠くのショップでまとめて買ってくる。
前に調べたら猫缶はわたしの普段の一食分よりも高かったが、所長が事務員より食事が豪華なのは当然ともいえる。
この所長は職安でとくに何か仕事をしているわけでもないのだけれど、「働かなくていいなら働かない」という合理的な態度を貫いているぶん、猫というのは人類よりも生物種として先輩格である。というのが大塚さんの持論であり、彼が猫を自分より格上の所長にしている理由であるらしい。
そんなことを知ってか知らずか、所長は食欲と睡眠欲がほどよくブレンドされた顔で缶をぺろぺろと舐める。
この職安における賃金は、月額制ではなく、実際に得た収入から事務所の経費を引いた額を、2人と1匹(現物支給)で分割する仕組みになっている。
もちろん大塚さんが雇用者でわたしが被雇用者なので、労働法に基づいた最低賃金というものはあるのだが、現在この労働法というものは「手動運転時の道路交通法」と肩を並べる二大有名無実法・オブ・ジャパンであり、基本的に機能していない。
そもそも最低賃金というのは、生存に必要な最低限の収入を定めたものなのだけれど、いまは生活費は厚生福祉省の基本金によって保障されるので、最低賃金など守らなくても国民も司法もまったく気にしない。
ついでに言えば、最低賃金という数字は上げることはできても下げることはきわめて困難なので、これだけデフレが進んでも数十年前の水準のままであり、その金額はこの職安の利益からはとうてい払える額ではない。
だからわたしは、書類上は大塚さんから「最低賃金」を受け取ったあと、それをいくらか自主返納することになっている。わたしに選択権はないけど「自主返納」である。世界はそのようなフシギな日本語で満ちている。
お昼の時間。ネットでお弁当を注文すると、数分で渡し鳥がビニール袋を吊り下げて窓から現れる。わたしはカードをタッチして支払いをする。大塚さんは小銭をじゃらじゃらと渡し鳥の中に入れる。
四階の窓から下を眺めると、ふだん人通りの少ない国道にずいぶん大勢の人が集まっている。
「またデモをやってるみたいですね」
「消費者デモだろう。無料でできるからな。それに歩くのは健康に良い」
まだ準備中のようだけど、「基本金UP」と書かれたプラカードを立てている人が見える。国から支給される基本金だけでは生活に最低限のものしか買えないので、彼らは人間らしい生活のために常に増額を要求している。与党によると、物価上昇を避けるために慎重に行う必要がある、とのことらしい。
「ヒマだな」
と大塚さんはお昼のサンドイッチとフルーツヨーグルトを食べながら言う。彼はビーガンじゃないベジタリアンなので、サンドイッチの具は野菜と卵である。わたしは普段は通勤路のお店で買ってるのだけど、今日は車で来たのでそぼろ弁当を注文する。
「そりゃヒマですよ。大塚さんがあんなにサッサと依頼人を片付けるせいで」
とわたしは言う。皮肉を言ったつもりなんだけど、どうも褒め言葉に聞こえてしまう。
「何かもう少しめんどくさいやつが来ないかな。元犯罪者とか」
めんどくさいやつならわたしの目の前にいるのだが、とは言わない。生産者なので社会的な言葉を選ぶ。
「元犯罪者が何しに職安に来るんですか? 普通に基本金で生きていけばいいじゃないですか」
「いや、そういう『普通に生きていく』ってことが出来ないから犯罪者なんだよ。そういう層の需要も結構あると思うんだよな。掘り起こしたいところだが」
そういうものかなあ。まあ、そういうものかもしれない。
まだ人間の仕事がたくさんあった頃は、健康なのに働かない人を「社会不適合者」と言ったらしいけれど、今や日本人の99%が基本金をもらって生きる消費者で、働いている生産者は1%きりとなってしまった。となれば「社会不適合者」はむしろ働いている方、というのはまあひとつの見方ではある。
でもそんなことは言いたくないのでこう言う。
「大塚さんくらいになると、元犯罪者の知り合いも一杯いそうですしね」
「ああ。子供のころは結構見たよ」
「へえ。組員の方ですか」
「組?」
しばらく2人とも黙って、所長が「ふみゃー」と鳴く。またしばらく経って、
「……つまり、おれのいた教会に頻繁にそういうのが来てたわけだが」
と大塚さんが言い出すのでわたしはペットボトルの緑茶を吹きそうになる。
「教会?」
「親父が神父なんだよ。言ってなかったか」
わたしは緑茶をもう一口飲みながら、彼の発言を必死に飲み込もうとする。ヤクザじゃなかったのか。
「けっこう教会に来るんだよ。元犯罪者とか、法に触れないレベルでも何かやっちまったやつらがな。懺悔室、って知ってるか」
「ええ。外国の映画でよく見ます」
とわたしは答えた。ヨーロッパの教会にある壁で仕切られたふたつの部屋で、片方に神父さんが入って、もう片方で何か悪いことをしてしまった人が、プライバシーを確保した状態で罪を告白し、その赦しを与える儀式。
「懺悔室はいいぞ。あれほど人間の本質を表した施設はない。いくら機械が発達しても、あれだけは人間の仕事として残るだろうな」
「そうですかね。そのうち『バーチャル懺悔』とか『モバイル懺悔』みたいなのを売り出す人が出てきそうですけど」
「お前は本気の懺悔というものを分かってないぞ、目白」
「大塚さんは分かってるんですか」
といった無駄な話をする。ヒマなのである。
こうも非生産的な会話をしているわたし達が、社会的には「生産者」に分類されているのが日本語のフシギのひとつである。ゴミ拾いのボランティアをしている消費者のほうがよほど生産的な気もする。
世の中のたいていの人は「生産者」って言ったら、高度な教育によって得られた専門知識や技能を持ち、機械に代替できない仕事をしている1%のエリートのことを想像すると思う。
彼らが世の中の富を生産し、所得税を納め、それによって機械が配備され、基本金が支払われ、99%の消費者たちが(贅沢はできないまでも)健康に文化的に生きていくことができる……といったことが学校の教科システムによって説明される。だから子どもたちは頑張って勉強して、生産者を目指しなさい、と。
まあ、たぶんそれは大筋においては合ってるのだろう。わたしの友達にも、有名大学を卒業してその専門知識を活かした企業で働いている生産者はいる。
その一方で、わたし達のようになんだかよくわからないビミョーな生産者もいる。
そしてわたし達の仲介によって生み出される生産者も、防犯カメラに映るだけの仕事とか、インドの日本料理店の雰囲気をつくる仕事とか、なんだかすごくビミョーなものばかりだ。もちろんそれでも消費者よりずいぶん豊かにはなれるのだが、もう少しわたしが、あるいは国が、あるいは世界が上手いことやっていれば、もうちょっと素敵な生き方ができたんじゃないかな。
そんなことをぼーっと考えていると、
「ピーッ」
と音声が鳴る。誰かお客さんが来てるのだろうか、とモニターを見ると、赤いアラートが出ている。
「なんだ?」
「何か危険が迫ってる、って警告が出ています」
そのとき、職安の入り口ドアがコンコンコン、とノックされる。わたしは今朝見た「午後に何人か来るかも」という予報を思い出す。何人か、というのがちょっと変だ。職安の客は普通はひとりだ。