手っ取り早くやっちゃおう。適当に終わらせよう。わからなければいいよ……。そんな言葉に背を向ける人間たちを描き続ける作家・三羽省吾が、今作で描くのは「バッティングセンター」。今や絶滅危惧種となった「バッセン」建設に関係する様々な人間を通して、私たちが生きる上で大切にしなければならないものを教えてくれます。単行本刊行時、話題となった作品が文庫となりました。

「小説推理」2021年8月号に掲載された書評家・細谷正充さんのレビューで『俺達の日常にはバッセンが足りない』の読みどころをご紹介します。

 

 

 

■『俺達の日常にはバッセンが足りない』三羽省吾  /細谷正充[評]

 

「俺達の日常にはバッセンが足りない」。いい加減に生きているエージの放った一言から、物語が動き出す。三羽省吾が描き出す、愉快で切ない人々の物語。

 

『俺達の日常にはバッセンが足りない』。このタイトルを見たとき、まず“バッセン”とは何だろうと思った。しかし作品を読み始めて、すぐに判明。バッティングセンターのことだったのだ。

 犬塚シンジは、家族経営の土建屋『犬塚土建』の専務である。といっても実際は、事務所の電話番だ。長引く不況により経営は下降線。2代目社長の父は、土建屋以外の仕事に活路を見出そうとしているが、上手くいっていない。

 そんな『犬塚土建』の居候が、シンジの中学生時代の同級生だった兼石エージだ。高校を中退してから、思い付くままという感じで、さまざまな商売に手を出しては「飽きた」と放り出し、フラフラと生きている。そのエージが、昔、よく行っていたバッセンがなくなっていることを知った。「俺達の日常にはバッセンが足りない」と言い出し、新たなバッセンを作ろうとする。やがてシンジだけでなく、メンキャバの店長の葛城ダイキや、信用金庫の窓口担当をしている阿久津ミナといった、元同級生を巻き込み、バッセン建設の話が動き出すのだった。

 常に騒々しく、いろいろな常識が欠けている。シンジの視点で語られるエージは、読者の共感を呼ばない人物だ。しかしシンジの祖父の「足掻いている」というエージ評や、商才があるらしいことが分かり、人物のイメージが変化していく。このあたりの描き方の巧さは、さすが三羽省吾というしかない。

 さらに途中で視点人物が変わり、ミナとダイキ、さらにエージたちとは微妙な接点しかない狩屋コウヘイのエピソードが綴られる。既婚者と不倫しているミナの物語は、意外な展開で驚いた。だが、それに続くダイキの話は、もっと驚く。何者かに嫌がらせを受け、ついにはメンキャバの店にまで放火されたダイキは、予想外の犯人を指摘するのだ。優れたミステリー作品として読める内容になっているのである。また、グレーな営業で家族を養っているコウヘイの、ささやかな再生の物語もよかった。

 ここから再びシンジに視点が戻り、バッセン建設が本格的に進む。ストーリーは、もう一波乱あるのだが、それは読んでのお楽しみ。エージの過去が浮き彫りになり、バッセンにこだわる理由が分かると、彼の行動を応援せずにはいられなくなる。そして、厳しい現実を一時でも忘れられる、老若男女の“溜まり場”としてのバッセンに、魅了されてしまうのだ。