下総高岡藩井上家は、一俵でも禄高が減れば、旗本に格下げになる、一万石のギリギリ大名だ。その井上家に婿入りし、世子となった正紀は、常に金策のため奔走している。
という物語の大枠の説明も、愛読者には不要だろう。千野隆司の「おれは一万石」シリーズは、本書が第十一弾となる人気作なのだから。一揆や廻米騒動を乗り切り、なんとか一息つくことができた高岡藩に、今度はどんな騒動が襲いかかるのか。正紀たちには悪いが、ワクワクしながら本を開いたのである。
それにしても作者は手練れだ。冒頭から読者の意表を突いてきたのである。なんと騒動の原因となったのは、勘定頭の井尻又十郎だ。金勘定は確かだが小心者。シリーズでお馴染みの脇役だが、とにかく影が薄い。そんな井尻が、繰綿問屋の蓬莱屋庄九郎に誘われ、繰綿相場の「空売り」に、藩の公金をつぎ込んでしまったのだ。
ところが繰綿を積んだ菱垣廻船が、いつまでたっても到着しない。さらに船が行方不明だという読売まで出回る。繰綿の値上がりが続き、このままでは「空売り」も大損必至だ。井尻の失態を知り、相場の動きに不審なものを感じた正紀は、自ら動き始める。
一方、脇両替商の息子で、正紀と旧知の仲の房太郎も、蓬莱屋の娘の甘言に乗り、「空売り」に手を出した。正紀のアドバイスにより、目を覚ました房太郎も、独自に調べまわるのだった。
今回、クローズアップされているのは、井尻又十郎と房太郎である。どちらの扱いも面白いが、特に注目したいのが井尻だ。小心者の彼が、相場に手を出した理由のひとつに、正紀から守りの姿勢を叱責されたことがある。そのようなエピソードを配置し、人が魔に魅入られる心の動きを、巧みに表現しているのだ。併せて井尻のキャラクターも屹立させている。そうか、井尻はこういう人間だったのかと思っているうちに、どんどん物語に引き込まれていくのだ。
もちろん、ストーリーの素晴らしさも見逃せない。正紀と房太郎の両面からの調査により、相場を操った金儲けの裏にある、悪の繋がりが見えてくる。蓬莱屋が井尻をターゲットにした理由など、アッといわされた。終盤の畳みかける展開と、チャンバラも堪能。大満足の一冊なのだ。
なお本書の騒動により、高岡藩は新たな敵を作ったようだ。正紀の妻で、臨月間近の京がどうなるかも含めて、次巻の内容が楽しみでならない。