「え?」
とっさに意味がわからず、訊き返す。きょとんとする私に、大賀は興奮気味に語った。
「今の話だよ。ダム底に沈んだ村の悲劇。神隠しの伝承が残る東北の地で、突然消えた子供。十三年前の集落で起きたのは地球外生命体による連れ去りか、はたまた異常性愛者による連続児童殺人事件だったのか。令和の夏、水底から現れた廃村を、かつて住民だった本誌記者が真実を求めて取材する――うん、タイムリーかつドラマチックじゃないか」
ひと息にまくしたてられ、あっけに取られて彼を見る。大賀は上機嫌なときの癖らしい、顎先を撫でる仕草をしながら、「いいね、次の特集はそれでいこう」と一人で頷いた。
「よし、決まりだ。お前を山形に取材に行かせてやる。雰囲気のある写真、バッチリおさえてこいよ。ダム底から運よく子供の遺体でも見つかってくれりゃ盛り上がるんだがな。まあ、めぼしい収穫がなくても〈廃村で亡くなった友達の声を聞いた〉とかなんとかうまいことまとめりゃ、それなりに面白い記事になるだろ」
大賀はさも素晴らしいアイディアを思いついたという表情でニヤニヤしている。守銭奴な大賀が、こんなふうに遠方への取材をあっさり許可するのは珍しい。しかし、彼が軽薄な口調で繰り返す「面白い」という言葉には、センシティブな過去の出来事を土足で踏み荒らされるような嫌な感じがした。
大賀がひときわ大きな声を出す。
「そうだ。お前の父親、月沢村の駐在所の警察官だったって云ったよな? 当時の事件のこととか、親父さんに色々話を聞けたら――」
「父は亡くなりました。私が大学生のときに、脳梗塞で」
意図せず、やや硬い声が出た。私がさっき父のことを「警察官だった」と過去形で話したことに思い当たったのだろう、大賀が一瞬ばつが悪そうに言葉を切る。けれどすぐまた、口を開いた。
「取材に行くのだってタダじゃないんだからな、その分、しっかりやってこいよ。せっかくだから、どこかのタイミングで取り上げようと思ってたみちのく怪談の取材も一緒に頼むか。山形の即身仏とかムカサリ絵馬とか、なんか適当なネタをいくつか拾ってそっちも企画書まとめといてくれ」
反発めいた気持ちを覚えてつい黙ると、私の鼻白んだ表情を読み取ったらしく、大賀が「仕方ねえなあ」とわざとらしく息を吐いた。恩着せがましい表情になり、云う。
「今回の取材でいい記事を書けたら、次号の『ZONE』の特集記事、お前に担当編集を任せてやるよ」
その言葉に、とっさに大賀を見た。
『ZONE』は、日の出書房から年に一回刊行されるサブカルチャー系のムック本だ。その内容は、編集部がその年に注目するクリエイターやタレントらを独自の切り口で紹介する記事がメインである。
数年前に〈ジャパニーズホラー特集〉と称し、人気のB級ホラー映画の主演女優が実際にいわくつきのスポットを訪れる、という特集を『ZONE』で組んだところ、これが思いがけず好評を博した。また、お笑い芸人が東京の川で漂流物を拾いアート作品を作るという企画も、たまたま昼の情報番組で紹介されて話題になった。
売れない月刊誌『トワイライト』とは立ち位置の異なる、日の出書房がそれなりに力を入れている媒体といえるだろう。
「クリエイターの特集企画、前からやりたいって云ってたろ。なんだ、不服か?」
じろりと睨まれ、戸惑いながらも「……いえ」と慌てて答える。大賀は満足げに頷き、「じゃあダムの取材、しっかりやれよ。せいぜい使える記事を書いてこい。あ、そこの資料、コピー取って机に置いといてくれ」とぶっきらぼうに云い放って書類仕事に戻った。
もやもやと複雑な気持ちで再びテレビに視線を向けると、番組は既に別の話題を報じていた。けれど、私の脳裏には、さっき見たダム底の光景がまだこびりついている気がした。
大賀の発した言葉たちがよみがえる。
ダム底に沈んだ村の悲劇。消えた子供。遺体。十三年前の真実を求めて――。
落ち着かない心地で席に着いた途端、机上の電話が鳴りハッとした。胸のざわつきを打ち消すようにかぶりを振り、私は慌ただしく業務に取りかかった。
◇
ハンドルを握りアクセルを踏むと、周りの景色が後方へと流れていく。
朝早くに東京駅から山形新幹線「つばさ」に乗り、目的の駅で降りて、私はレンタカーで青葉ダムを目指した。
店舗で免許証を提示し、書類に六月二十八日という今日の日付を書き入れて〈小川瑞希〉と署名する間中、ずっと心がそわそわしていた。うまく云えないけれど、自分が何か間違ったことをしようとしているのではないかという漠然とした不安があった。それは痛ましい過去の記憶を忌避しようとする防衛本能めいたものか、あるいは別の感情なのか、自分でもよくわからなかった。
家族で月沢村を去る日、少女だった自分が、深い喪失感を覚えたことを唐突に思い出す。
まさか大人になってからこんな形で訪れることになるなんて、と、ふっと苦笑が漏れた。
エアコンを付けている車内は涼しいけれど、外は陽射しが照り付けて暑そうだった。東北の夏はさぞ涼しいのだろう、と東京の友人からよく云われるけれど、山に囲まれた盆地である山形の夏はたいてい暑い。
ダムに向かう途中、小さな道の駅で昼食を取ることにした。観光案内所や土産物屋、地元野菜の直売コーナーなどと共に営業しているフードコートは、平日ということもあってかひっそりとしていた。『地域限定 くわ、ずんだ、山ぶどう味のソフトクリーム』『おいしい玉こんにゃく』といった手書きのポスターを横目に、少し迷い、山形名物の冷たいラーメンを注文する。氷の浮いたラーメンを前に食べたのはもうずっと昔、子供の頃だろう。
手早く食事を済ませて車に戻り、エンジンをかけようとしたとき、ふいにスマホが着信に震えた。画面に表示された名前を見て、どきりとする。
取ろうか取るまいか一瞬悩んで、結局出た。
『もしもし、瑞希?』
電話をかけてきたのは、仙台に住む母だった。とっさに、外のスピーカーから流れる軽やかなBGMが向こうに聞こえていないか気になった。自分が山形に来ているのを母に気づかれるのではないかと、後ろめたいような緊張が走る。
電話の向こうの声が云う。
『いまお昼休みなの? 電話して大丈夫?』
「うん。――何? お母さん」
さりげない声を作って返すと、母は「再来月のお父さんの五周忌のことだけどね」と話し出した。
「お盆あたりに近しい身内だけでやろうと思うんだけど、あなた、お盆には帰れるの?」
母と電話するのは久しぶりだけれど、偶然にも東北に来ているタイミングで連絡があったことに、母親というのは娘が近くにいるのを本能で察知する生き物なのかもしれない、などという妄想がよぎる。
「ええと、どうかな」
言葉を選びながら答える。
「ちょっと忙しくて、夏休みがいつ取れるか、まだわからないかも」
『帰ってこないってこと?』
母の声が微かに尖るのがわかった。ため息まじりに、諭すような言葉が続く。
『忙しいっていうけど、あなたは正社員でもないんでしょ。お盆休みくらいもらって当然じゃないの? 親戚が来るのに、娘は帰ってきませんじゃみっともないでしょう』
「うん、ごめんね。なるべく帰るようにするから」
しおらしい口調で云いながら、母の発した「みっともない」という言葉がチクリと心をかすめるのを感じた。ある時期から、母はそんなふうに周りの目を強く意識するようになった気がする。
『たまには瑞希もお墓参りに来ないと、お父さんだってきっとさみしがってるわよ』
「……うん、そうだね」
神妙に返すとやや機嫌を直したのか、母の声が柔らかくなった。
『まあそれだけじゃなくて、どうしてるかなって思って。最近連絡なかったから』
「こっちは変わりないよ、大丈夫。お盆の予定、決まったら早めに連絡するから」
『そう? 本当に帰ってきてね。お母さん、待ってるから』
電話を切ると、一気に肩から力が抜けた。すぐ隣の県にいるのがバレなかったことにひとまず安堵する。それから、自分が今からあのダムに行こうとしているのだともし母が知ったらどう反応するだろう、と思った。
お父さんだってきっとさみしがってるわよ、という、さっきの母の言葉がよみがえる。子供の頃、私は父のことが大好きだった。警察官の制服を着た父は格好良くて、幼い私にとって頼もしいヒーローみたいな存在だった。
――父との間に微妙な距離ができたのは、いつからだったろう?
いや、本心ではわかっている。父が警察官を辞めたのも、母が神経質に周りの目を気にするようになったのも、月沢村の事件が起こった後だ。思えば、村を去り、家族で仙台市に移り住んだ後も、私たちの奥深い所にはあの悲劇がずっと沈んでいたような気がする。
……実家に帰省することを思うと気が重くなるのは、おそらく、今の自分の状況のせいでもあった。
ほんの一年前まで、私は大手出版社である『翔談社』で編集者として正社員で働いていた。望まぬ形で退職し、今こうして不安定な立場にあることに、私自身が引け目のような居心地の悪さを感じているのだ。
母は当時の私が眠るためだけに家に帰るような忙しい日々を送っているのを案じていたので、体力的にしんどくなって辞めたのだろう、くらいの認識でいるらしかった。しかし私にとって、希望を抱いて入社した出版社を辞めざるをえなかったことは大きな挫折であり、心の傷となっていた。
ふう、と息を吐き出す。取材に行くのだってタダじゃないのだからしっかりやってこい、という大賀の言葉が思い出されて気を引き締めた。
大賀は口が悪いし、横柄だし、控えめに云って俗物だ。
けれど味方のふりをして相手を騙し討ちにしたり、他人を陥れて踏みにじるような真似をする狡猾な人間ではないだけマシだと思う。
(つづく)