『このミステリーがすごい!』大賞でデビューした作家であり出身地の福岡市で弁護士としても活動する田村和大氏。2月18日発売の新刊『正義の段階 ヤメ検弁護士・一坊寺陽子』では、同期の弁護士・桐生晴仁から「2つの親殺し」について調べて欲しいと依頼を受けた検察官出身の弁護士・一坊寺陽子が「家族の闇」に迫っているが、今作で扱われている「親族殺人」と「相続」は現実社会でもたびたびニュースなどで報じられている社会的テーマだ。なぜ、田村氏はこれらを取り上げたのか。日本社会で現実に起こっていることを、田村氏が弁護士として関係した事件を含めて語ってくれた。

 

「親殺し」「子殺し」の遺族は被疑者の家族でもあり、被害者の家族でもある難しさ

 

──最新作では、引きこもりの子供による親殺し、というのが大きな事件として取り上げられています。現役の弁護士である田村さんは、現在起きている殺人事件のなかで親族殺人が占める割合、ほかの殺人事件と比べたときの違いなど、どう分析されていますか?

田村和大(以下=田村):割合は非常に高いというのが実感です。統計上も、令和3年の警察白書では、殺人事件のうち被害者が被疑者の親族である割合は47.1%、これに対して友人・知人は13.8%、面識なしは12.1%とされていますから、やはり格段に高い数字だと思います。殺人事件の件数は年々減っているのに、親族殺人の件数だけが変わらず、結果として高止まりしている。

 カネで揉めて刃傷沙汰に及ぶ、という事件をほとんど聞かなくなりました。「出し子」(オレオレ詐欺などの特殊詐欺で、ATMから被害金を引きだす役)のアルバイトをSNSで募る時代ですから、カネを巡って切った張ったというのは割に合わないのでしょう。もともと殺人なんて、絶対に割に合わないんですが。

 それに対して、親族間のわだかまり、感情のもつれというのはどの時代でも変わらないんじゃないでしょうか。だから件数が減らないのかもしれません。

──実際に起きた事件でも、介護に疲れた子供が親を殺す、引きこもりの子供の将来を悲観して親が子供を殺す、という事件が数多く報じられています。実際に田村さんが見聞きした事件で印象的だったものはありますか。

田村:今まさに言われたような事件を経験し、いずれも印象に残っています。介護疲れで子が親を殺した事件、育児疲れで親が子を殺した事件、将来を悲観した親が引きこもりの子を殺そうとした殺人未遂事件。

 逮捕された被疑者に接見し、その様子を被疑者の家族に報告するのですが、彼らは被害者の遺族でもある。そのときの彼らの表情は、一生忘れられないと思います。

──田村さんが親族殺人の被告人を弁護する場合、どのような点を裁判では争い、どういう点に留意して弁護を行いますか?

田村:親族間での殺人事件の場合、被疑者に何らかの精神障害が疑われるケースが多いんです。介護疲れや育児疲れといっても、そこにうつ病や双極性障害、場合によっては統合失調症といった精神疾患が絡んでくるんですね。それらの精神障害が犯行にどのような影響を与えたか、精神鑑定を求めることになります。検察官も、昔は精神鑑定に消極的でしたが、最近では捜査段階で積極的に精神鑑定を行うようになってきています。

 留意すべき点としては、やはり被疑者の家族との関係ですね。被疑者は精神障害や精神疾患を患っていました、と告げると彼らにとって更なる衝撃となりかねない。なぜ気付いてあげられなかったのだろう、もし診察を受けさせていれば事件は起きなかったのではないか、と悩むことになるのです。しかし弁護人としては、被疑者の当時置かれていた状況を、できるだけ正確かつ詳細に、証人として法廷で話してもらわねばならない。気を遣います。

──高齢化社会や貧困による格差社会が叫ばれている昨今、こういった事件がいつ身近で起きても不思議ではないように思いますが、事件を未然に防ごうとしたときに、家族のどんな変化に気をつけたほうがいいですか?

田村:うーん……。正直なところ、難しいと思います。家族に話を聞くと、確かに事件前は様子がいつもとちょっと違っていた、と言われることがある。ただ、その変化というのは、後から言われて思い返してようやく気付く、という程度の些細なものであることが多いんです。一方で、ほとんどの人々にとって家族が殺人者になるというのは、想像もしないことでしょう。些細な変化からその可能性を考えろ、というのは無理があると思います。

 それでも強いていうならば、独りにしない、ということでしょうか。見張る、ということではなく、常に関心を寄せてその負担を慮る、という意味で。

──介護疲れや精神疾患を原因とする事件が増えないために、行政ができる対策として、どういうものが考えられますか。

田村:やはり見守りでしょうね。行政による見守り、というと監視社会のように思われるかもしれませんが、そうではなく、セーフティネットとしての見守り。例えば民生委員法ですが、熱心に活動されている民生委員の方もたくさんいる一方で、制度として見たときには機能不全に陥っている感が否めない。もっとも、これはそのような制度からメリットを受ける側の協力が欠かせませんが、介護や看病で疲れている人は第三者に知られるのを嫌って内にこもる傾向がある。精神疾患などの場合は特にそうです。セーフティネットの整備と、それを積極的に活用するよう呼びかける広報。私が思いつくのはその程度です。

 

後編現役弁護士作家が直言!激増する「後見人の横領」とは? 相続問題の今を追う!に続く