18歳の春に早稲田大学建築学科に入学した。中学生の頃、インテリアコーディネーターの母と建物の絵を描いたことがきっかけで建築に興味を持ち、著名な建築物をいくつも訪れるうちに“建築を学びたい”と自然に思うようになったのだ。

 早稲田大学は、オープンキャンパスで建築学科があることを知り、そこで目にした、手書きで仕上げた細かい図面や、細部までこだわり尽くした木造建築の模型の展示に衝撃を受けたのを覚えている。泥臭さと異常な熱量に惹かれたのだ。



 建築学科は三年生が花形。美術館や小学校などを舞台にした設計課題が、1年間に4つ提出される。ただかっこいい建築の形を考えればいいのではなくて、なぜその形が生まれたのか、どのように使われるのか、どんな魅力があるか伝えるところまでが一つの課題なのだ。

 そうなると1つの課題にかけられる時間なんてあっという間に過ぎてしまう。課題の検討と教授への相談を繰り返していると気づけば提出直前になり、修羅場に突入する。

 三年生の課題は模型が大きくなりがちなので学校から地下にあるだだっ広いスタジオを作業場として提供される。

 教室一つ分ほどの大きさで、レーザーカッターなどの設備がある。数十台の机と100脚以上の椅子が置かれ、希望者は自由に使っていいようになっている。これからはバリバリ設計に励むぞ! と意気込んでいたのも束の間、地下で待ち構えていたのは地獄のような日々だった。



 スタジオ利用者は20人ほど。早速本や模型材料を持ち込んで、授業以外の時間はほとんどそこで過ごした。提出期限に余裕がある時は、酒を持ち込んで夜中まで酒盛りをしたり、いかにかっこいい集合写真をとるかを追求したり、ゴミ箱とホウキでリンボーダンスをしたりと、めちゃくちゃ楽しんでいた。最近できたかっこいい建築が話題になり、それなら今から見に行こうとカメラを片手に遠出する時間も楽しい思い出だ。

 しかし課題の期限が迫ると家に帰るのもめんどくさいからと泊まり始める者が続出し、最終的には1週間にいっぺん家に帰るかどうかという暮らしぶりを見せる者が大半になった。

 スタジオでの生活はこうだ。

 まず、昼前に机の下に敷いたペラペラの寝袋から這い出て、地下の学食で昼食をとり、午後の授業で久々に地上に出ていき、授業は爆睡するか設計課題を内職する。夕飯は地下のスタジオで、大学のゴミ捨て場で拾った炊飯器を使って米を炊き(大学のゴミ捨て場には結構イイ物が捨ててあるので、よく巡回していた)、100円ローソンで売っていたレトルトをかけて空腹をしのぐ。同級生に設計のアイデアを相談しながら深夜まで作業を進め、これ以上は無理というタイミングで寝袋に入って就寝した。

 生活レベルとしては底辺の底辺だったため、そんな生活を続けていくとあらゆる問題が発生する。まず、困ったのがお風呂問題。2~3日風呂に入らなくても問題はないが、それ以上経つとそういう訳にはいかない。体がベトついて気持ち悪くて耐えられない。キャンパスから徒歩10分のところに銭湯はあったが、正直歩くのが億劫なのと時間の余裕がないことが多かった。私は近隣の友人の風呂を借りるなどして解決していたが、猛者は近場のスポーツジムのシャワーを無断拝借したり、トイレの手洗いに頭を突っ込んで髪を洗っていたりしたそうだ。

 ちなみに、一度大学近くのコインシャワーを試したこともあるが、四隅に見たこともない虫を発見し、無言で熱湯をかけて以来訪れることはなかった。

 次に寝床の問題。各自工夫をしてスタジオで睡眠をとるのだが、幾つかパターンがあった。

 まずは、手すりがないフカフカの椅子を3つほど並べ、その上に寝袋を敷いて眠りに着くスタイル。寝返りなど打とうものなら椅子から転げ落ちるのだが、慣れてくると寝返りをせずともグッスリ眠れるようになるのだ。

 一番多いのは机の下に寝袋を敷きっぱなしにして、眠くなったら寝袋に潜り込んで眠りに就くスタイルなのだが、床はカチコチのタイルなのでそのまま眠ると背中が痛くなる。折り畳めるマットレスを持ち込んだり、寝袋を重ねたりして、各人工夫をしていたが、私はエアーマットを愛用していた。ドンキホーテでたまたま見かけて購入したのだが、家レベルの睡眠を得られるとスタジオ内で大人気になった。持ち主である私の時間を確保した上で、空き時間をシフトに分けて貸し出していたのだが、私の眠る時間を過ぎても眠りこけているヤツもいた。そろそろ起きてよ、と肩を軽く揺らしても全く起きない。エアーマットを蹴り上げても寝言で返事をされたので使用禁止にした覚えがある。

 スタジオを利用しない友人には「スタジオで快適に寝ようとする時間があるなら家に帰って寝れば」と正論を言われてグウの音も出なかった。

 

 

 夜中まで自分の設計を形にするのも、臭くなってきた男子にファブリーズをかけるのも、寒い日に生協の自販機の近くで寝て暖をとるのも、スタジオ利用者でない友人に『地下労働者』と言われるのも、なんだかんだ楽しいひと時だった。

 しかし課題提出3日前ともなると話は別。

 皆笑顔を失いゾンビのような顔色でPCに張り付き、期限までを時間換算をするようになる。「あと56時間だから……寝ていいのはせいぜい3時間……」と睡眠時間も制限されてくる。ひどい時は、買い出し中の電車での居眠りを睡眠時間にカウントしていた。私もあまりにも眠い時は机に伏せて15分だけ休み、それでも眠気がとれない時はカッターマットの上に寝て体の痛みで起きるようにしていた。

 刻々と期限が迫るにつれ皆消耗し始め、ある者は濁りきった目でブツブツ独り言を呟いたり、ある者は人がいると集中できないからと屋外にiMacを持って作業し始めるも突然雨が降り出して悲しげな顔で部屋に戻ってきたり、ある者は眠気覚ましに踊りながら図面を描いたりしていた。

 ある女子が眠気に堪えながら「私はマグロだ」と言い始めた。泳ぐのをやめると窒息死してしまうマグロと、止まったら寝てしまう自分を重ねての発言だったのだが、皆意味を取り違えてスタジオ中が静まり返った。



 課題前夜。スタジオ中に焦りと苛立ちが充満している。やばいもうだめだ、時計の針を止めてくれ、そんな声がどこからともなくあがる。

 私はプレゼンボード用のイラストを描いていた。座ったら寝てしまうので立ちながら筆を滑らせるが、それでも意識は薄れていく。すると不思議なことに、危ないッと我に返ると少し絵が進んでいるのだ。ハテ、これはどういうことだろう? 目の前の、お手伝いにきてくれた後輩に尋ねてみると、怖いものをみたような表情で「塩谷さん、白目むいて絵描いてましたよ……」と教えてくれた。どうやら寝ながら絵を描く技術を会得していたようだ。

 夜も明けて、提出期限まであと数時間。何度か白目を剥きながら20枚ほどにまとめたプレゼンボードを教授陣が待つ部屋に提出した。ヨロヨロとスタジオに戻ると、必死の形相で最後のまとめをする者と解放感と眠気で力尽きた者たちが床に転がっている。私は余力を振り絞り、友人の手伝いをすることにした。次々と印刷される紙を、プレゼンボード用のB2サイズの厚紙に貼っていく。

「ヤベェ! あと10分!」焦りの声にスタジオ内の緊張感は高まる。残り数分というところでプレゼンボードが完成した。

 ボードを小脇に抱えて教授が待つ部屋に向かって全力で走る友人の後についていくと、もう提出用の部屋の扉が閉まりかけている。だめか、間に合わないか……!?

 その時、扉の中から「差し出せー!!」という声が聞こえた。ちょうど課題を提出していた他の友人が、扉の隙間からこちらに手を伸ばしている。

 いっっけーーー!!!

 最後の一息で友人はその手にプレゼンボードを渡し、そして部屋の扉は静かに閉じられた。間に合った……!! 

 最後の連携プレーでギリギリ提出することができたようだ。グッタリとした友人を支えながらスタジオに戻ると、皆模型のゴミが転がる床に倒れていた。

 私たちはこれ以上ないほど穏やかな気持ちで静かに眠りについた。

 

 

 これらのエピソードは10年前の話なので現在のスタイルとは異なるかもしれないが、学科時代の修羅場で得た技術は、着実に今の自分を支えていると、フリーランスの絵描きになってからヒシヒシと感じている。

 文章力はエッセイを書く力に、絵の力は図解を描く技術に、模型写真の技術は取材記事中の写真に、他者に伝える能力はトークイベントやTwitterでの発信につながっている。技術だけでなく、3日間ぶっ通しで徹夜をしたり、白目を剥いて絵を描いたりと極限状態での日々があったからこそ、何が起きても動じない胆力がついたのだと思う。

 あんな風にボロボロになりながら仲間たちと何かに突き進むような時間はもうないだろう。そう思うとあの日々も青春の一幕として美しい思い出に感じられるのだ。とはいっても、今からあの時に戻れと言われたら絶対に嫌だと突き返すのだが。

 

(第11回へつづく)