「おいおい、どうした!? 頭を殴られ過ぎておかしくなっちまったか?」
 下呂が気味が悪そうな顔で言った。
 工藤も攻撃の手を止め、怪訝な顔で直美を見ていた。
「傷だらけのぉぉぉ~ ヘビメタぁぁぁ~ 生きる為に戦いたいのだけれどぉ~ ヘビメタぁぁぁ~ 僕が僕であるあまりぃ~ よ・め・が泣いてるぅ~!」
 直美が突然、激しく頭を前後に振り始めた。
 ヘヴィメタのライブなどでリズムに合わせてファンが頭を振るヘッドバンギングだ。
 工藤が振り落とされないように、慌てて直美の頭を掴んだ。
 ロデオの荒馬に乗っているように、工藤の身体が前後に揺れた。
「なっ……なんなんだありゃ。工藤を首一本で振り回してやがる……」
 下呂が驚きの表情で、頭を前後に振る直美を見た。
 海東は厳しい表情で腕を組み、ヘッドバンギングする直美を見据えていた。
 これまでに直美の数々の怪物ぶりを目の当たりにしてきた譲二も、驚きを隠せなかった。
 七十キロはありそうな工藤を首で支え振り回すには、桁外れの脛骨の強さと僧帽筋の筋力が必要だ。
 譲二の胸に、驚きと同時に安堵が込み上げた。
 やはり、直美は猛獣でなければならない――譲二のヒーローでなければならない。

 
「ロン毛 大門グラサン そでなしGジャン ピチパン ブーツにイン! ちまたのヤングがまさかのファッション! どうやらメタルがきてるのかぁ~!」
 ふたたびシャウトする直美の頭の前後するスピードが速くなった。
 工藤に攻撃する余裕はなく、振り落とされないように必死にしがみついていた。
 宙に白っぽい液体が飛散した。
 飛散したのは、工藤の嘔吐物だった。
 激しい揺れに工藤は船酔いしたように、気持ち悪くなってしまったのだろう。
「さあ、ここからが本番だ! おめえらっ、目の玉ひん剥いて、よぉ~く見とけや!」
 直美が海東と下呂を指差すと中腰になり、前後だったヘッドバンギングを上下に変えた。
 直美の頭が振り下ろされると、工藤の顔面が床に打ちつけられた。
 工藤の悲鳴が室内に響き渡った。
 頭を上げる直美。顔面血塗れの工藤。
 二度、三度、四度と頭を振り下ろす直美――朦朧とする工藤は、本能だけで直美の頭にしがみついているようだった。
 恐らく、工藤の意識は飛んでいるに違いない。
 工藤の自慢のプラチナシルバーのロングヘアは赤く染まり、鼻はひしゃげ、前歯は全損していた。
「こんなんで失神させねえよ」
 直美は首に絡みついている工藤の両足を引き剥がし、床に叩きつけた。
「おらっ、まだおねんねの時間じゃねえぞ! 眼を覚ませ!」
 俯せに倒れる工藤に馬乗りになった直美が、髪の毛を鷲掴みにして雑草をそうするように毟り始めた。
 あっという間に斑禿げになった工藤が、激痛に眼を開けた。
「俺はたいしたダメージを受けてねえからいいが、若頭の仇はきっちり取らせて貰うぜ!」
 直美が背後から工藤の顔を両手で掴み、薬指を鼻孔に小指を口のなかに突っ込み勢いよく後ろに引いた。
 工藤の絶叫とともに、直美の顔が返り血に染まった。
「痛てててててて! 痛いっ! 痛いっ! 痛いっ!」
 激痛に見悶える工藤の両腕を、直美は足で踏みつけた。
「隠させねえぜ! その不細工ヅラを、おめえの大好きな包茎野郎とおめえを恐れる雑魚半グレどもに見せてやれや!」
 工藤の口角は「バットマン」のジョーカーさながらに裂け、鼻尖と鼻翼がもげて鼻孔が 剥き出しになっていた。
 血と涙に塗れた崩壊顔は、クールで端正な顔立ちの工藤と同一人物とは思えなかった。
 

「う……」
 下呂が口を掌で塞いだ。
 「東京倶楽部」の半グレ達は熱り立つことも忘れ、蒼白な顔で固まっていた。
「おっさん、噂ほどたいしたことないね~って、さっきの威勢はどうした!? お!?」
 直美は左手で工藤の右耳を掴み引き摺り起こすと、右ストレートを顔面に浴びせた。
 工藤が血を撒き散らしつつ後方に吹き飛んだ。
 直美はちぎれた工藤の右耳を捨てて、今度は右手で左耳を掴んで引き摺り起こした。
 工藤の顔は陥没し、両目と口が中央に集まっていた。
「怪我してないときに戦いたかったよ~って、もういっぺん言ってみろ! お!?」
 直美は工藤の口真似をしながら、左ストレートで顎を打ち抜いた。
 工藤が血を撒き散らしつつ、仰向けに倒れた。
 工藤の顎は壊れたカスタネットのように横にズレていた。
 直美はちぎれた左耳を捨てて、工藤の襟首を掴み海東の前に引き摺った。
 既に工藤の意識はなく、失禁と脱糞をしていた。
「おいっ、海東。おめえの自慢の喧嘩の天才ってのは、こいつか?」
 直美が工藤の顔を金網に押しつけ嘲った。
「さすが直さん、相変わらず桁外れの強さですね」
 海東が無表情に言った。
 平静を装っているのか本当に動揺していないのか、譲二には判別がつかなかった。
 海東の隣で下呂は口を押さえたまま顔を背けていた。
 たしかに工藤の顔は正視に堪えないほどに崩壊していたが、譲二は眼を逸らさずに睨みつけた。
 野崎を殺し、直美をひどい目に遭わせた工藤に同情の余地はなかった。
「こいつの命を助けてほしいか?」
 直美が海東に訊ねた。
「別に。殺して貰って構いませんよ」
 海東の言葉に、平半グレ達の視線が集まった。
 どの顔も驚き、動揺している。
 無理もない。
 あれだけ寵愛していた工藤を、使い物にならなくなった途端に無情に切って捨てたのだから。  
「おめえは、筋金入りの冷血漢だな。残念だが、その手には乗らねえ。未成年のクソガキを殺させて、汚物刑事に逮捕させる気だろうが?」
「そんな姑息なことはしませんよ。第一、正当防衛とはいえ工藤が先に野崎さんを殺しているわけですからね。直さんが逮捕されるなら、使用者責任で先に私が手錠をかけられますよ」
 海東が肩を竦めた。
「下着泥棒がよ、ブラジャーなんて盗まねえって言ってるようなもんだ。おめえと汚物刑事の思い通りにゃならねえよ。勘違いするな。ムショに入るのが怖いわけじゃねえ。ムショに入れば、おめえを殺せなくなるからよ。若頭を嵌め、シャブ漬けにして殺したおめえだけは生かしておけねえ!」
 直美が鬼の形相で海東を見据えた。
「誤解しないでください。野崎さんは覚醒剤を密売して破門になり、シャブ中になったんですよ。野垂れ死に寸前の病気の野良犬を保護した私に、感謝してほしいくらいです」
 工藤が悪びれもせずに言った。
「ほかのことは笑い飛ばせても、若頭のことだけは許さねえ。海東。一端の極道なら人にばかり血を流させてねえで、おめえの手で俺のタマを取ってみろや」
 直美が人差し指を手前に倒し、海東をオクタゴンの中に誘った。
「私を挑発しても無駄ですよ。私と工藤は違います。工藤の敗因は、柴犬からトラになろうとしたことです」
 海東が物静かな口調で切り出した。
「まあ、おめえの器じゃトラどころか、こそこそ立ち回ってほかの動物が仕留めた獲物を奪う機を狙っているハイエナが限界だろうがな」
 直美が挑発を続けた。
「ええ、トラにもライオンにもなろうとは思いません。ハイエナのまま、トラやライオンに勝てる方法を考えます」
 気を悪くしたふうもなく、海東が言った。
「ハイエナじゃ俺にゃ勝てねえぞ。ごちゃごちゃ言い訳してねえで、さっさと入ってこい」
 直美が海東に手招きをした。
「そうは思いませんがね。現に、過去に数々の猛獣を名乗る輩が直さんに挑みましたが、今日ほど深い傷を負わせた者はいませんよね? 私なりに、改めて確信しました。直さんは倒せない相手ではないということを」
 譲二の胸に、危惧の念が広がった。
 たしかに海東の言う通り、ここまで直美を追い込んだ者はいない。
 工藤と違い海東の恐ろしいところは、正面から戦いを挑んでも勝てないと認めていること――仕留めるためには手段を選ばないという考えを徹底していることだ。
「能書き大王だな、てめえは。そっちがこねえなら、こっちから行くまでだ!」
 直美が工藤を投げ捨て、オクタゴンの扉に走った。
「私の許可なしに一歩でもオクタゴンを出たら、この子の命はないですよ」
 海東の言葉に、直美の足が止まった。
「この子の名前、なんだっけ?」
 海東が振り返り譲二の口を塞ぐ粘着テープを剥がし、鼻先にスマートフォンを突きつけた。
「ミクちゃん!」
 譲二の叫びに、直美と下呂が振り返った。
 ディスプレイに映るのは、平半グレが持つナイフを首に当てられたミクの姿だった。 
「あ、そうそう、ミクちゃんでしたね」
 海東が言いながら、スマートフォンのディスプレイを直美のほうに向けた。
「てめえっ、ババアのもとに帰したってのは嘘だったのか!?」
 直美の血相が変わった。
「昔から思っていたんですが、直さんは純粋なところがありますよね。私の言うことを鵜呑みにするわけですから。切り札を、簡単に手放すわけないじゃないですか」
 海東が酷薄な笑みを浮かべた。
「おいっ、海東! 俺のことも騙したのか!? もう、母親のもとに帰ってる頃だと言ってたじゃねえか! こりゃ、立派な誘拐と脅迫だぞ!?」
 下呂が海東に激しく詰め寄った。
「刑事さん、忘れたんですか? あなたは殺人罪の共犯ですよ」
 海東の言葉に、下呂が血の気を失い固まった。
「てめえは、どこまでも下種な男だな。ガキに少しでも怪我させたら、柴犬程度じゃ済まねえぞ!」
 直美が半死半生で倒れる工藤を指差し、海東に怒声を浴びせた。
「直さんが怖いからではなく、直さんを従わせるためにミクちゃんには掠り傷一つつけないとお約束します。ですが、従ってくれない場合は遠慮なく傷つけさせて貰います」
 海東が微塵の躊躇いもなく言った。
「あんた、なに黙ってんだよ!? これは立派な誘拐だろ!? まさか、共犯に問われる可能性があるから海東のやることを黙認するのか!? おいっ、どうなんだよ!」
 譲二は下呂の前に回り込み、厳しい口調で問い詰めた。
 下呂は歯を食い縛り、譲二を無視して眼を閉じていた。
「あんたっ、どうして返事を……」
「君もだよ。ミクちゃんを無傷で家に帰したいなら、おとなしくしてるんだな」
 海東が譲二を遮り、椅子から立ち上がった。
「今日は、面白いショーを見せて貰いました。後始末は『東京倶楽部』の連中にやらせますから、直さんもチョコレート屋に戻ってもいいですよ。あ、刑事さんもね」
 海東は直美と下呂に言い残し、若頭補佐の林と十数人の組員にガードされながら出口に向かった。
「待てや! ガキはいつ解放するんだ!?」
 直美の問いかけに、海東が足を止めた。
「直さんが今日と明日おかしな動きをしなければ、明後日の午前中には『歌謡曲』に送り届けさせますよ」
 海東が背を向けたまま答えると、ふたたび歩き出した。
「なんで明後日だ、こら! 今日中にすぐにババアに戻してやれや!」
 直美の怒声を聞き流し、海東がドアの向こうと消えた。
「くそったれが!」
 直美が蹴りつけたオクタゴンの扉が、十メートルほど吹き飛んだ。
 譲二には、苛立つ直美の気持ちが痛いほどわかった。
 恩師の命を奪った怨敵がゆうゆうと立ち去るのを、見送るしかできない自分に腹が立ち許せないのだろう。
 第一の刺客の少年、第二の刺客の野崎のために、敢えて鎖の拘束を解かずに一方的にやられた直美――ミクのために、怒りの感情を抑える直美。
 譲二の直美への忠誠心は、よりいっそう強くなった。
「うおぉおらぁーっ!」
 工藤の両足を抱えた直美が回転を始め、渾身の力で金網に叩きつけた。
 直美は工藤を離さず、振り回し続けた。
 二回、三回、四回、五回……十回、十一回、十二回、十三回、十四回、十五回――野崎へのレクイエムのジャイアントスイングを、譲二は涙目でみつめた。

(第19回へつづく)