10

 鎖に縛られたまま床に転がされている直美は、ピクリとも動かなかった。 
 まだ、睡眠薬の眠りから覚めていないようだった。
「いまから、直さんの前には三人の刺客が現れます」
 海東が下呂に言った。
「三人!? たった三人で、直を倒せると思ってんのか!? お前も、あいつの怪物的な強さを知ってるだろうが!? 直を倒すには、最低でも三十人は必要だ。それも、ただの三十人じゃねえ。格闘技のチャンピオンクラスの実力が……」
「大丈夫ですよ。刑事さんは、余計な心配をせずにショーを愉しんでください」
 海東が、下呂を遮った。
 譲二は、海東の余裕の態度が不安でならなかった。
若頭かしら、到着しました!」
 出入口に佇むセラミック男が、海東に伝えた。
「第一の刺客が到着したようです」
 海東が、口元だけで薄く笑った。
 セラミック男が、男の子の手を引いてオクタゴンに向かった。
 男の子の身長はセラミック男の腰のあたりで、小学校の低学年に見えた。
「おい、第一の刺客とやらはどこにいるんだよ?」
 下呂が怪訝そうに訊ねた。
「もう、到着していますよ」
 海東が意味深に言った。
「は? どこに……」
 オクタゴンに入る男の子を見て、下呂が言葉の続きを呑み込んだ。
 セラミック男が、男の子に四、五十センチほどの警棒のような物を渡した。
「おい、海東、あれはスタンガンじゃねえのか!?」
 下呂が素頓狂な声を上げた。
「はい。百五十万ボルトの世界最強クラスの電圧を誇ります」
「百五十万ボルトってお前、そんな危険な物をガキに持たせてどうするつもり……おい、まさか第一の刺客って、あのガキのことじゃねえだろうな!?」
 下呂が強張った顔を海東に向けた。
「あの男の子の父親は、ウチの系列の闇金から金を借りている多重債務者です。父親の妻……男の子の母親は、不運にも一ヵ月前に赤信号を無視して突っ込んできた車に轢き逃げされて亡くなりました。男の子の目の前で撥ねられ、頭蓋骨骨折と内臓破裂の即死だったようです」
 海東が、淡々とした口調で語り始めた。
「ひでえ話だが、そのガキの話と直がなにか関係あるのか?」
 下呂が訊ねた。
「男の子には、信号無視して母親を轢き殺したのは直さんだと話しています。借金をチャラにすると言ったら、父親は喜んで息子を借してくれましたよ」
 海東が片側の口角を吊り上げた。
「お前、ガキになにをさせるつもりだ!?」
「母親の仇討ちですよ」
「ガキに嘘吹き込んでまで、危険なことをやらせる意味があるのか!? 俺は、これでも刑事だぞ!? お前らが潰し合うのは見て見ぬふりをしてやるが、堅気……しかもガキを巻き込むのを黙認するわけにはいかねえ!」
 下呂が、激しい口調で海東に食ってかかった。
 譲二は、下種と野卑の間に生まれたような下呂のまともな言葉を初めて聞いた。
「そう興奮しないでください。これはショーです。普通に直さんを仕留めても面白くないでしょう?」
 薄笑いを浮かべながら、海東が言った。
「だからって小学生のガキを危険な目にあわせるのは……」
「安心してください。直さんの身体は、鎖で拘束したままです。仮に手足が自由でも、男の子が危険な目にあうことはないですから」
「どうして、そう言い切れるんだよ!?」
「直さんの弱点は、弱者です」
「弱者? そりゃ、どういう意味だ?」
 下呂が怪訝な顔で質問を重ねた。
「強者や弱者を食い物にする輩には猛獣のように凶暴になる直さんですが、女、子供、老人……昔から直さんには、弱者を放っておけないという妙な正義感があります。そこが私や工藤と違うところであり、つけ込む余地です」
「直が手を出さねえとしても、ガキが倒せるわけねえだろうが」
「だから、ショーだと言っているじゃないですか。 男の子はスタンガンで直さんにダメージを与えて、ショーを盛り上げてくれれば十分です。第二、第三の刺客が歌舞伎町の生ける伝説に終止符を打ってくれますから。始めていいぞ」
 海東が、下呂からオクタゴンの中のセラミック男に視線を移して命じた。
「さっきも言ったけど、守君のママを轢き殺したのはあそこに転がっているゴリラみたいなおじさんだからね。この棒の先っちょをゴリラおじさんの首に当ててスイッチを押せば、ビリビリが出るからね」
 セラミック男が、不自然なほどに白い歯を剥き出しにして笑った。
「ゴリラおじさん、死なないかな?」
 守が不安そうに訊ねた。
「死なないよ。痛くて苦しいだけ。ママを殺した悪い奴に、お仕置きをしないとね。天国のママも、きっとそれを望んでるよ。守君に、できるかな?」
 セラミック男が凶悪顔に似合わぬ体操のお兄さん風な優しい口調で言うと、守が頷いた。
「いい子だ。スイッチはここだからね。先っちょをゴリラおじさんの首に当てて、スイッチを押すんだよ。じゃあ、神様の代わりにお仕置きをしてあげて。終わったら、ユーチューバーのデメキンに会わせてあげるからね」
「ほんと!? デメキンに会わせてくれるの!?」
 守の顔が、パッと輝いた。
 セラミック男が、不気味な笑顔で頷いた。
 守が弾む足取りで直美に近づいた。
 直美はまだ、眠ったままだ。
 守がスタンガンの先端を直美の肩に押し当てた。
「守君、違う違う、ここだよ、ここ」
 セラミック男が言いながら、自分の首を指差した。 
 守が頷き、スタンガンの先端を直美の首に当ててスイッチを押した。
 十メートル以上離れたオクタゴンの外にまで、バリバリという放電音が聞こえた。
 直美の身体がバウンドすると、守が驚いて尻餅をついた。
 直美が顔を顰めながら、うっすらと眼を開けた。
 電気ショックで、眼が覚めたのだろう。
「おい……坊や、なにをやってるんだ?」
 直美が、守を睨みつけた。
「ぼ、ぼ、僕……おお、おじさんに言われて……」 
 守が、蒼白な顔で言った。
「あ? おじさん? どこにいる?」
 直美が、緩慢な動きで首を巡らせた。
「おい、百五十万ボルトの電流を首に流されたのに動いてるじゃねえか!?」
 下呂が驚愕の声を上げた。
「なんだ? てめえか? 坊や。あいつはおじさんじゃなくて、お兄ちゃんだ」
 直美がセラミック男で視線を止め、ニヤニヤしながら言った。
「しかも、笑ってやがるぞ……」
 下呂が、信じられない、といった表情で呟いた。 
「ま、守君っ、もう一回! もっと長くビリビリして!」
 動転したセラミック男が、上ずった声で守に命じた。
「ぼ、僕……怖いよ……」
 守が、半べそをかきながら言った。
「そのゴリラおじさんは、ママを轢き殺したんだぞ! そんな弱虫の守君を見たら、天国のママが哀しんで地獄に落ちちゃうぞ!」
 セラミック男が、でっち上げた物語で守を焚きつけた。
「ママが地獄に落ちるのは嫌だー!」
 守が叫びながら立ち上がり、ふたたび直美の首にスタンガンを押しつけた。
「ママを返せー! ママを返せー! ママを返せー! ママを返せー!」
 五秒、十秒、十五秒――守が放電を続け、直美の身体は激しく波打った。
「直さん! なあ、海東さん、やめさせてくれ! あんなに電流を流されたら、死んでしまうよ!」
 譲二は、海東に訴えた。
「心配はいらないよ。スタンガンでは、死にはしない。ただ、百五十万ボルトの電流を長時間流され続けると数分間は身体が硬直するけどね」
 海東が涼しい顔で、痙攣する直美を眺めながら言った。
「本当に死なねえだろうな!? 俺が新宿署のマル暴ってことを忘れるんじゃねえぞ」
 下呂が海東に釘を刺した。
 さすがに、目の前で殺人事件が起きてしまうと立場的にまずくなるのだろう。
「第一の刺客では死にません。第二の刺客の攻撃力は尋常ではないので、試合中に事故が起こらないともかぎりませんけれどね」
 海東の含みを持たせた言い回しが気になった。
 直美を殺してしまうほどの尋常ではない攻撃力の持ち主とはいったい……。
 譲二は胸騒ぎに襲われた。
「なんだそりゃ? 第二の刺客ってのは人間なんだろ? 試合中の事故なら仕方ねえが、武器はだめだぞ。チャカや刃物はもちろん、バットや木刀もだめだ。そんなもん持ってたら、試合じゃなくて傷害だからな」
 下呂が、譲二の不安を代弁した。
「人間であって人間でない。第二の刺客は、説明が難しい相手です。まあ、いまは第一の刺客の戦いを愉しんでください」
 海東がオクタゴンの中――百五十万ボルトの電流を流しづける守に視線を移した。
 直美はもう、三十秒以上もスタンガンの電流を浴びていた。
「ストーップ! 守君、よくやった!」
 セラミック男の声に、守がスタンガンのスイッチを切った。
 白目を剥いて足を痙攣させる直美を、守が呆然と見下ろしていた。
「第二の刺客のスタンバイができたなら、連れてこい」
 スマートフォンを耳に当てた海東が、誰かに指示を出していた。
「守君、こっちにおいで。君の役目は終わったよ」
 手招きするセラミック男のもとに駆け寄ろうとした守の動きが止まった。
 直美が、守のズボンの裾を掴んでいた。
 突然、守が俯せに倒れた。
 直美が芋虫のように身体をくねらせながら、守のズボンの裾をくわえたままゆっくりと立ち上がった。 
「おい、嘘だろ!?」
 下呂が叫んだ。
 譲二も、我が眼を疑った。
 直美にとっては鎖で縛られているだけならこれくらいの芸当は朝飯前だが、睡眠薬を射たれた上に百五十万ボルトの電流を一分近く流されているのだ。 
「ぼうふぁ、おいふぁはふぉふぉまでだ」
 坊や、おいたはここまでだ――譲二は、直美の言葉を心で翻訳した。
 驚く下呂とは対照的に、海東は眉一つ動かさずに直美を見据えていた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
 逆さ吊りになった守が、泣きじゃくりながら詫びた。
「なっ……なんで!? なんで動けるんだ!?」
 セラミック男が、幽霊でも見たかのような強張った顔で後退った。
「ぼうふぁにおいふぁふぁふぇたのふぁ、ふぉまふぇだな?」
 坊やにおいたさせたのは、お前だな?――直美が一歩一歩、セラミック男に歩み寄った。
「ちょっと……くるな……くるな! あ、あっちに行け!」
 セラミック男が取り乱し、後退りを続けた。
 上半身を鎖で拘束されていても、直美が相手に与える威圧感は相当なものだった。
「ひょうふぁんだ。ふぉまえみふぁいなだこふぁふぁいてにひない」
 冗談だ。お前みたいな雑魚は相手にしない――直美が軽く頭を振ると、守が地面に放り出された。 
「雑魚と子供をおもちゃにしねえで、次の奴を早く連れてこいや」
 直美が振り返り、金網越しに海東を睨みつけた。
「なんなら、お前が第二の刺客でお前が第三の刺客でもいいんだぜ?」  
 直美が不敵に笑いながら、工藤と海東に順番に視線をやった。
「あの野郎、高圧電流を流されてるのにピンピンしてやがる……やっぱ、化け物だ。どうするんだ? おめえらのこと挑発する余裕まであるじゃねえか?」
 下呂が、不安そうな顔を右隣の海東に向けた。
「こうじゃなければ盛り上がりませんよ。直さんには、感謝です」
 海東も不敵に笑った。
 左端のパイプ椅子に座る工藤は、興味なさそうにスマートフォンのゲームをやっていた。
「おい、ゲームはやめてショーを見ろ」
 海東の右隣りの席から顔を出した若頭補佐の林が、工藤を窘めた。
「試合が始まったら見ますよ」
 工藤が、ゲームを続けながら気のない言葉を返した。
「そういう問題じゃねえ! 若頭の前でゲームをするなんて、失礼だと言ってるんだよ!」
 林がいら立った口調で工藤を一喝した。
「若頭が言うならやめますよ」
 工藤は完全に林をナメているようだった。
「いいから、俺がやめろと言ったらやめろ!」
「チョコレート屋のおじさんにシメられた人に、指図されたくないですよ」
 ディスプレイに眼を向けたまま、工藤がふてぶてしく言った。
「東神会」の若頭補佐にたいしての工藤の態度に、譲二は驚いた。
 海東の威を借りているわけではない。
 工藤の振る舞いを見ていると、自分の力に絶対的な自信を持っているように思えた。
「なんだとこら! ナメてんのか!」
「やめなさい」
 血相を変えて席を立つ林を、海東が制した。
「しかし、このガキゃ……」
「直さんにシメられたのは、事実だろう? 座りなさい」
 海東は冷え冷えとした瞳で林を見据え、着席を促した。
「そうだそうだ! てめえは俺にボコられた」
 黙って事の成り行きを見ていた直美が、茶々を入れ大声で笑った。 
「あいつ、本当に人間か? よくこの状況で笑えるな」
 下呂が、呆れたように独りちた。
 譲二も同感だった。
 数時間前に工藤に腹を刺され、睡眠薬を注射され、百五十万ボルトの電流を流されたにも拘わらず、他人のいざこざに首を突っ込み嘲笑う――もはや直美は、心臓に毛が生えている云々のレベルを超えていた。

 

(第16回へつづく)