死に方探しもいよいよ最終節。

 信頼できる人と死後事務委任契約を結び、万々歳!

 で、終わるはずだった。

 ところが、そうは問屋が卸さなかった。問屋さんが、支払いが無理なほど高額な代金を請求してきたのである。

 もちろん比喩表現だ。比喩表現ではあるが、気持ち的にはこの通りなのだ。

 死後事務委任契約について、私の死亡保険金をあてにしていたのは前回に書いた通りだ。

 そして、受取人たる母が私より長生きし、かつ後見人不要なほどしっかりした頭を保っている場合はこれで問題ない。

 だが、母が著しく老耄した場合や、先に死んだ場合――可能性としてはこちらの方が高いわけだが――話はややこしくなってくる。

 保険金の受取人がいない、なんていう困った事態が発生するのだ。

 そのため、私のような子なし人間は、前金でなければ死後事務委任契約を結ぶことは難しいとわかったのである。

 保険会社が一般的に推奨する受取人の範囲は三親等以内の親族だ。だが、私に「三親等以内の親族」なんてものが早晩いなくなるのは、ここまでツラツラ書いてきた通り。「誰にでも いると思うな 三親等」である。保険の標語コンクールでもあれば送ってやろうかしら。

 とにかく。

 近いか遠いかはわからないが、「私の死」は絶対確実にやってくる。

 これがもし、余命宣告を受け、死に支度をする猶予を与えられる理想形で眼前に現れるのであれば、さほど問題はない。なぜなら、加入した保険にリビングニーズ特約をつけているからだ。

 リビングニーズ特約とは、医師による明確な余命宣告があった場合、一定条件下において生きている間に死亡保険金を受け取れるという制度である。

 これは、とてもいい。だって何かとお金のかかる「死」を前に、まとまった銭金が手に入るのだから。経済的不安や後顧の憂いさえなければ、人は比較的従容として死にゆくことができるんじゃないだろうか。たぶん。

 もちろん、病苦は襲ってくるだろう。でも、心労の最たるものは間違いなく「経済苦」だ。不景気になると自殺者が増えるのを見ても明らかである。お金がないといっても最低限の衣食住に心配がなければ、貧乏生活も趣味にできないことはない。だが、食うや食わず、あるいは棲家を失う不安と常に隣り合わせであれば、まず平常心ではいられない。

 逆に言うと、そこさえクリアしていれば、私の性格を鑑みるに死にゆく過程さえ楽しめるんじゃないかという気がしている。昔から、危機という名の非日常を眼前にすると、アドレナリンが脳内を駆け巡る傾向があるからだ。その昔、脳腫瘍の疑いを告げられたときも、なんだか興奮したものだった。それは結局誤診だったが、あの時妙にワクワクと高揚したのだから、私という人間はきっとどこかイカれているのだ。まあ、今も同様かは、実際その局面になってみないとわからないが。なんにせよ、落ち込んで何も手に付かないなんていう状況には陥るまい。

 よって、問題となるのはサドンデス。

 突然の死である。

 この場合、受取人がいなければ保険金が宙に浮いてしまう。こうなると計画は崩れ、私は死ぬに死ねなくなる。だから、信頼できる第三者を受取人にして、よろず後事を任せたいわけだが、それができない。

 なぜなら、現行の制度では他人を受取人にするのはほぼ不可能だからだ。

 理由は簡単。

 保険金を巡る事件を防ぐためである。要するに第三者が誰かに保険金をかけて殺す、なんてことが起こらないように予防しているのである。

 だが、果たしてこの対策に意味はあるのだろうか。

 だって、人間っていざとなれば、金のために肉親だって殺すじゃない?

 私の場合、保険金殺人というと真っ先に思い浮かぶのが「ロス疑惑」事件である。

 昭和生まれには説明する必要もないほど有名な事件だが、平成生まれが三十代に突入しているご時世だ。念の為、簡単に振り返っておこう。

 昭和五十六年(一九八一)、とある日本人女性がロサンゼルスの駐車場で銃撃を受け、瀕死の重傷を負った。強盗の仕業とされたが、夫は足を撃たれただけで命に別状なかった。妻は脳死に近い状態になり、帰国だけはなんとか叶ったが、その後薬石効なく死亡。

 遺された夫は、一億円を超える保険金を受け取った。

 事件後、妻が死亡するまで、夫は大仰なほど悲嘆に暮れる姿をマスコミに見せていた。そして、献身的な看護を続けているとの触れ込みで美談の主となった。

 だが、三年後、事態は急転する。週刊文春が「疑惑の銃弾」というタイトルで一連の事件を保険金詐欺の疑いありと報じたのだ。今で言うところの文春砲だが、これをきっかけにマスコミあげての大報道合戦が勃発した。

 ワイドショーでは連日、手を変え品を変え、あらゆる角度から事件を報道した。

 事件現場での独自検証はもちろん、アメリカの元捜査官という男性が夫を犯人と断定するがごとき発言を繰り返したり、夫の過去を暴き立てたり。こうなるともう推定無罪の原則も人権もあったものではない。夫はたちまち美談の主から、妻を金のために殺した極悪人へと転落した。

 あの狂騒は今思うとちょっと異常だが、被疑者男性が“悲劇の夫”のイメージ流布のため、いいようにマスコミを利用していたのが裏目に出たようにも思う。

 警察は世論に圧されるようにして夫を逮捕し、裁判にまでは持ち込んだ。だが、一審は有罪で無期懲役の刑が下りたものの、二審で逆転無罪。上告も棄却され、二〇〇三年には夫の無罪が確定した。

 マスコミの報道と、報道に乗っかって囃し立てた国民が一丸となって冤罪を生んだ。

 そんな構造になってしまったのだ。

 ところが、事件はこれで終わらなかった。五年後、夫は別の殺人共謀容疑で米国の警察に逮捕された。この殺人もまた金銭がらみとされ、人々はそれ見たことかと溜飲を下げたわけだが、被疑者がロサンゼルスでの勾留中に死亡するというショッキングな結末を迎えたことで、糾弾の空気は急速に萎んだ。

 結局のところ、彼にかかった疑惑が真実だったのかどうなのかは藪の中。すべては有耶無耶に終わった。

 ただ、形式上の話をすれば当該男性は日本では無罪とされているわけで、「ロス疑惑」はあくまで疑惑に過ぎなかったといえる。

 しかしながら、「保険金殺人事件」として世に与えたインパクトは最大級だった。少なくとも私と同世代は「保険金殺人事件」=「ロス疑惑」の図式ができあがっているはずだ。

 一方、令和になっても同様の騒ぎが起こっている。「紀州のドンファン」事件だ。これもまた夫婦間の保険金殺人疑惑である。

 つまるところ、三親等に縛ったところで保険金殺人は起きるではないか、と私などは思ってしまうのだ。夫婦は他人だと言ってしまえばそれまでだが、実際には血縁でも保険金目当ての殺人は起きる。

 もちろん、三親等縛りがあるからこそ、他人が加害者となる事件が起こりづらいのは間違いないだろう。もし解禁したら、あっという間に増える、かもしれない。

 だが、殺人事件の半数が肉親間で起こっていることを考えると、それもどうなのかなあと思う。

 ここで、ちょっとした資料を紹介しよう。

 保険金殺人が社会問題として大きくクローズアップされたのは昭和五十年代のことだった。

 昭和四十年代、国民の所得が増えたことで、生命保険が一般庶民にまで普及するようになり、保険金も高額化したことが背景にあった。また、オイルショックで高度成長にストップし、景気が悪化したのも影響がありとされている。

 昭和五十八年の警察白書を見ると、保険金詐欺だけで一項を設けられている。つまり、その頃にはかなり社会的に関心が高いイシューだったのだ。ちなみに今現在特筆されている詐欺はオレオレ詐欺などに代表される特殊詐欺である。犯罪も世に連れ、ですねえ。

 さて、白書のデータによると、昭和五十三~五十七年にかけて顕在化した保険金殺人四十四件のうち、十九件までが親族間で起こっている。それ以外となると雇用関係が十一件、金銭貸借関係が七件、無関係の人間が四件であり、同僚や知人となると三件しかない。

 つまり、私が望んでいる「信頼できる第三者」が起こす確率は決めて低いといえるだろう。まして、私がかけている金額なんてたかだかしれている。億単位ならともかく、こんな端金では殺人などやるだけ損というものだ。つまり、私が他人様を受け取りに指定しても、犯罪に巻き込まれる可能性はかなり低いはずなのだ。

 遠くの親戚より近くの他人、なんて言葉もある。今後、ますます私のような人間が増えていく中で、同様の困りごとを抱える人間は右肩上がりのはずである。保険会社ももう少し柔軟に考えてくれてもいいのではないかと思うのだ。

 死亡保険金を死後の始末代に当てる、というのは今までからごく普通に行われてきたことである。親子間、あるいは夫婦間であればそれが叶う。

 ならば、身寄りのない者は他人を受取人にしてでも同様のニーズを満たしたいと願うのはごく自然なことだ。

 悪い人間はどこにでもいる。そして、悪い人間は食い物にする相手を選ばない。肉親だろうが、他人だろうが、関係ない。

 いや、むしろ「血の繋がり」は隠れ蓑になることの方が多いような気がする。毒親やヤングケアラーの問題などがその好例だ。声を上げる人が現れて、隠れ蓑がようやく引き剥がされた結果、社会が問題として認識できるようになったのだ。

 血の繋がりは時として呪いになる。

 個々の信頼関係を作るのに、血縁なんぞ意味がない。

 今後、世の中は確実にそっち方向に転んでいくはずだ。少子高齢化生涯未婚率アップ社会においては、「血縁」自体が減っていくのは確実なのだから。

 そんな中、保険金受取人の扱いについても、保険会社や社会の意識が変わっていくことを切に願うのである。

 だが、どれだけ願おうと、今すぐには変わらない。

 やはり私は今この瞬間にも訪れるかもしれないサドンデスに備えなければならない。

 今の所できるのは、老母が負担なく私が望む諸手続きを進められるよう、万事整ったマニュアルを作成することぐらいである。これに関してはここまでの蓄積があるのでそう難しくはない。

 私はさっそくエンディングノートとは別にマニュアルノートを作り、母に送ることにした。不吉だと嫌がるかもしれないが、こればかりは受け取ってもらうしかない。

 次にやるのは、母の他の受取人候補を探すことだ。可能性があるのは年下のいとこである。いとこは父方母方に複数いる。誰に頼むのか、いや誰になら頼めるのか、慎重に見極める必要があるだろう。なにせ、負担を掛けることになるのだ。保険金の一部は謝礼に回すという条件ぐらいは必須だろう。あと、もし今後私が大ベストセラー作家なんかになっちゃったりしたら、著作権継承者になってもらうから、なんて条件を付けられたりしちゃったりするかもしれない。……まあ、夢は大きい方が良い。

 なんにせよ、保険金の受取人を設定することでさえ面倒なのがよくわかった。

 結局のところ、独身子無しは死ぬことそれ自体が面倒なのである。

 もっといえば、生老病死いずれもとことん面倒くさいものなのだ。

 長らく続いた死に方を探す旅に出た末に見えてきたのは、人間ひとりでは死ねないという今更ながらの事実だった。

 もちろん、生物学的にはいつでも一人で死ねる。

 だが、社会的生物として死んでいくには、誰かの手を借りなければならない。そして、日本社会は「誰か」の条件を徹底的に「血縁」や「婚姻関係」に限ろうとしている。それはつまり、発想がかつての村社会、家制度のままであることを意味する。

 けれども、生涯未婚率がすでに男性で二三パーセント、女性で一四パーセントを超えている現状において、このままだと社会全体が行き詰まる。さらに言うと、子供を設けないカップルは晩年を考えると未婚にほぼ等しい。どちらが先に死ぬかのチキンレースになるだけだ。

 結局のところ、私世代の将来ぼっち確定者は、今のうちから「一人で死ねる社会」を構築していけるよう、各方面に働きかけなければならないのかもしれない。

 幸いなことに、少しずつではあるが芽は出てきている。

 この芽がうまく育つよう、我々「ひとりで死んでいく者」はともに手を携えていこうではないか。

 社会のために、というより、自分のために。

 さて、長々と続いた本連載も、今回で終了となる。

 連載を始めた頃は、タイトル通りの気持ちしかなかった。

 だが、ある程度自分の死に方――人生のゴールの切り方が見えてきた今、私はようやく落ち着いて今後の「生き方」に向かい合えるようになってきた。

 平均寿命まで生きるのであればあと四十年近く生きていかなければならない。今までの人生をもう一度繰り返すのに等しい、長い時間が待っている。だが、質はまったく違う。これまでは時間の先には「成長」「発展」というご褒美があった。しかし、これからは罰ゲームのような「衰え」との二人三脚になるわけだ。しかも、衰えを支えるためのに必須の原資――貯金も乏しいときている。

 お先真っ暗なのは、変わりない。

 うんざりである。

 だが、少なくともゴール地点に灯りを点すことだけはできた。

 闇夜に荒野を彷徨う中、一つ屋から漏れる窓の光を捉えることができたのである。これがどれだけ精神的安定に繋がったことか。

 死に方を見つけた結果、私は生き方に集中する心の余裕を得た。

 武士道と云うは死ぬ事と見付けたり、なんて言葉も、案外こんなところから来ているのかもしれない。

 行き先さえ見えていたら、あとはそこに向かってのんびり歩いていけばいい。

 途中で落とし穴に落ちても、なんとかなる。

 なんとかできるとわかったのだから。

 こうなると次は「老い方」探しかな。老い方だってわからないんだから。

 五十を前にして、次の課題が見えてきた。

 重畳である。

 そして、もうひとつ理解したこと。それは人との縁の大切さである。ふわっとした人生訓ではなく、縁は生活必需品として機能すると学んだのだ。この死に方探しの過程でも、頼りになったのはこれまでの人生で出会ってきた人々だった。良き縁に恵まれていたのだと改めて思い知っている。ありがたいことである。

 その上で、私は誰かにとって「良き縁」であることができているだろうか。省みると甚だ心もとないが、今後は意識して他人様のためになれる人間でいられるようにしていきたい。

 本連載にずっとお付き合いくださった読者の皆さん。皆さんの声援のおかげで、なんとか完走できました。

 これまで書いてきた内容は、もう少し整理整頓した上で、改めて再発表する予定もありますが、ひとまずはここに綴ってきた私の旅路が、皆さんの「死に方」のよきヒントになることを祈っています。

 本当にありがとうございました。

(了)