第三章

二(承前)

 聖パウロ聖堂内では、蝋燭が灯る仄暗い中、バレンテの取り巻きの聖職者たちが一心に祈りを捧げていた。そのようすを、バレンテは二階からしばらく見守っていたが、聖堂を出て大神学校へと続く回廊に出た。

 自らの存在を隠すようにフェルナンデスが回廊の柱の陰に立っていた。

「かような場所にいてよいのか。そなたも戦うのであろう?」

 マカオの民たちは総がかりで砦や町の各所に武器を運んだり、酒樽や木材を積み上げて障害物を作ったり、木や竹で逆茂木さかもぎ乱杭らんぐいを仕立てていた。

 眉を寄せてフェルナンデスは首を振った。

「俺は戦いを避けるために傭兵を雇っているんですよ。それなのに、俺に戦えだなんて。こんなことになるなら、広州にでも買い付けに行って、マカオを留守にしていればよかった」

「そなたの父は、勇猛な軍人だったと、確かそのようなことを言っておったではないか」

「ええ、父は歩兵でしてね。長槍密集隊同士の戦いで突き殺された。だから、俺は接近戦はいやなんです。銃のほうがよっぽどましだ。それなのに、大砲や銃の工場を護るよう言われて。そんな重要な場所、オランダ兵が狙ってくるに決まってる!」

 フェルナンデスはまたもや嘘をついていた。初めて会った時、彼は父が国王陛下の指揮下でイスラム教徒と勇猛に戦った下士官だったと自慢した。兄とともに父から武芸を鍛えられたが、なにをとっても兄より優れていたため、父の死後、嫉妬した兄に早々に家を追い出された。それで、生きるために商船に乗り、一攫千金を求めて交易商になったと話していたのだ。今の話が事実なら父は下士官などではなく隊の一兵で、イスラム教徒とも戦っていないのだろう。一攫千金を夢見て海に出たのは事実かもしれないが、兄に家を追い出されたのは彼になにか問題があったからではないか。しかし、もはやどうでもいいことだった。

「だから、ここに隠れておったのか。教会も安全な場所とはいえないと思うが? 異教徒どもが雪崩れ込んでくることもありうる」

「その時は白旗を上げるし、ここにはあなたがいる」

「頼られても困る。負ければ二十歳以上の男は殺されると聞いた。ここは戦ったほうがいいのではないか」

 フェルナンデスは、衝撃を受けたようで、目を剥いた。

「よくもそんなことを! 今になって突き放すのか! 俺がいたから旨味を味わえたんじゃないか! これまでどれだけ――」

「それはお互いさまだ。それに、このところ、わたしの負担のほうが大きい」

「俺に死ねと、戦って死ねというのか!」

「そんなことは言っていない。他の者たちは戦いの準備をしているのに、そなたはポルトガル人でありながら、自分だけ逃げるつもりか!」

 これ以上付きまとわれるのは御免だ。フェルナンデスはもう用済みだ。とっととどこかへ行ってほしかった。

 フェルナンデスは、バレンテを睨んだ後、太鼓や笛の音のするほうに視線をやった。

「オランダ兵があなたに向かって引き金を引く時、少しでも躊躇うことを祈りますよ」

「オランダ兵であっても、わたしに銃を向けることはあるまい。それこそ神をも恐れぬ所業だ」

「その言葉、異教徒に通じるといいですね」

 フェルナンデスは、力の抜けた足取りで回廊から立ち去った。

 物言いは気に障ったが、構ってはいられない。今は我が身が大事、策を練らねばとバレンテは自分に言い聞かせた。

 異教徒どもめ、こんな時に戦をしかけてきおって。ああ、頭の痛いことが重なった。セバスチャンの言うことが真実なら、例のイエズス会の収支文書はゴアへ向かっているはず。早急に文書を手に入れる方法を講じなければと思っていたが、ここは戦の勝敗にかかわらず、生き残る手段を考えなければ。

 バレンテは、回廊を抜けて聖パウロ聖堂の鐘楼へ上った。潮風が吹いてきて、僧服がはためいた。聖堂は丘の上に建っているので、鐘楼から半島に築かれたマカオの町が一望できる。町と砦に灯る赤い炎がぼおっと浮き上がって見えた。

 また戦か。ポルトガル、ゴア、日本とこれまで何度、目にしてきたことか。炎と人々の悲鳴、銃声……守る術のない者は、ただ泣き叫び、無残に殺されていくしかない。弱い者が生き残るには、強い側につくことだ。

 子供の頃、とても弱い存在だった。親にも周りの大人にも守ってもらえず、我が身に降りかかる理不尽な災難をただじっと耐えるしかなかった。そうすることでしか、生きられなかったのだ。だから、権力のある不可侵な存在である教会に属することで身の安全をはかり、生き残ることを選んだ。

 その選択に誤りはなかった。修道院に入れば、寝所と食べ物は与えられるし、信者はわたしを敬う。そして出世のために異国での聖職者の道を選び、今では司教代理の地位にまで就いた。よくここまでやってきた。そう、わたしはよくやったのだ。

 物心ついて記憶にあるのは、戦禍を逃れて六歳の時に故郷を遠く離れた縁者に引き取られた忌まわしい思い出ばかりの頃からだ。実の両親の顔は覚えていない。

 引き取られた家は薄暗く、狭く、汚かった。養父母は、わたしをよく娼婦の子と呼んだ。母は資産家の隠れユダヤ人の愛人で、不自由のない暮らしをしていたのだという。それを知った従妹である養母はたびたび母に無心をしていたことも夫婦の会話から伺い知れた。そして、養父母から見れば、贅沢な暮らしをしている従姉である母は、嫉妬の対象だったようだ。

 養母は、母は戦禍ではなく、裕福なユダヤ人を狙った野盗に押し入られたせいで亡くなったと言った。同衾していたところを二人とも殺され、家中を荒らされた挙句、火をかけられたのだという。その時、わたしは母と二人で暮らしていた近くの家にいて助かり、母が残していた財産とともに養父母に引き取られた。でも、わたしが持ち込んだ櫃や着ていた衣類はすべて取り上げられた。後々、理解したことだが、彼らがわたしを引き取ったのは、わたしが持ち込むお金が目当てだった。にもかわらず、それらの金品ではわたしを育てるには足らないし、雨風しのげて食べられるだけ感謝しろと言われて育った。

 母の死の原因は、確かめようがない。しかし、母とわたしをさんざん貶めた上、恩着せがましい口ぶりをする養父母には子供心に嫌気がさした。

 そもそも業突く張りの夫婦に、わたしをまともに育てようとする気はなく、すぐに下働き扱いするようになった。他に生きていく術がないので、彼らに従うしかなかった。大人と同じ働きを求められ、朝早くから遠くの川まで水汲みに行かされ、畑仕事にも駆り出され、畑の作物が収穫できないうちは日が暮れても家に入れてもらえなかった。夫婦の機嫌が悪いと八つ当たりされて怒鳴られ、天候が悪いのも畑の野菜に害虫がたかるのもすべてわたしのせいにされ、殴られたり、熱した焼き串を押しつけられたりした。近隣に住む大人たちは、わたしが酷い目に遭っているのを知っているにもかかわらず、止めようともしなかった。むしろ笑って見ている者さえいて、子供であるわたしが言うことをきかない、あるいは悪さをした当然の罰だと言う夫婦をたしなめる者は誰もいなかった。

 ある日、村の教会のパードレが家に微税を取り立てにやってきた。わたしは、藁にも縋る思いでパードレにどこでもいいから修道院に入りたいと相談した。神に祈るのは願いを叶えてほしい時だけで、信仰の意味もわからなかったが、ただあの家から出たい一心だった。しかし、寄進する資産がないから、無理だろうとパードレに諭された。その上、相談したことは誰にも言わないでと約束したにもかかわらず、話は夫婦に筒抜けだった。そのせいで、わたしは折檻を受けた。

 養父母と告げ口したパードレを罰するように神に祈り続けたが、なにも変わらなかった。逃げ場もなく、ただじっと耐え続けた。しかし、九歳の時、もうこれ以上は無理だ、養父母を殺すか、自分が死ぬしかないというところまで追い詰められた。絶えず脅える暮らしのせいで、ぐっすり眠れず、とうとう朝に起き上がることもできなくなり、役立たずと罵倒され、殴られて蹴られる。満足な食事も与えられず、精神的にも肉体的にももう限界だった。

 そんな時、思いがけなく村に異端審問官がやってきた。あの告げ口したパードレが異端派を信仰し、妻帯していたというので糾弾されたのだ。パードレと養父母はよく酒盛りをし、下卑た話をする仲だったようで、家にも異端審問官がやってきた。異端審問官に対して養父母が畏まり、脅えたようすで話すのを見て、今こそこの夫婦から逃げ、夫婦を罰する絶好の機会がやってきたのだと悟った。

 異端審問官は、わたしに質問した。わたしは体の傷やあざを見せ、いかに夫婦から残忍な扱いを受けてきたか、祈りのない夫婦の退廃的な暮らしぶりやパードレとの付き合いについて、大げさに時には嘘や涙を交えて訴えた。異端審問官の誘導に従い、夫婦に不利になるであろうことならば、なんでも肯定した。

 結果として、養父母はパードレとともに縛り首になり、火刑に処された。それまでわたしが悪い子だから神は助けてくださらないのだと自らを責めたこともあったが、異端審問官は神は耐え忍ぶお前の姿をご覧になり、夫婦を罰するためにこの村に自分を寄こしたのだと言った。その時、わたしは神に守られ、神が悪魔に勝ったのだと思った。

 わたしは、異端審問官に村から連れ出してほしいと訴えた。悪魔のような夫婦に長年虐待されていたわたしを哀れに思ってか、異端審問官は、リスボンにある教会付属の孤児院に預けてくれた。衣食住には困らなくなったものの、いい暮らしは望めなかった。子供同士の陰湿ないじめはあるし、パードレやイルマンも軽率な振る舞いをする子や言うことをきかない子に容赦なく鞭をあてた。貧しく、厳しく、退屈で、窮屈だった。こんなところにいたくない。ここから出たいとすぐ願うようになった。

 いつも満たされなかった。物質的に精神的にも。追われるようになにかをしていなければ、落ち着かなかったので、文字の習得に励み、よく意味のわからない聖書の言葉を丸暗記した。なにかに没頭していれば、漠然とした不安から逃れられた。それに、聖書に向かっているとパードレたちが褒めてくれるので、気分がよかった。

 そんなある日、孤児院内で寄付を持ってきたという親子に出くわし挨拶をした。身ぎれいな恰好をした父と子。「マヌエル」と父親に呼ばれていた息子は、わたしと同い年くらいで、上着からラッフル襟が見え、帽子、ズボン、靴とどれをとってもいいものを身につけていた。手指もあかぎれておらず、なに不自由のない暮らしをしているように見えた。

 彼が羨ましかった。なぜ自分は、こんな境遇なんだろう。親もなく、常に周りの大人の顔色を窺い、粗末ななりをして、始終しじゆう腹を空かしている。

 金持ちの家に生まれればよかった。そうすれば、贅沢な暮らしができるし、周りに脅えたり、虐げられたりすることもなかっただろう。

 その商人は多額の寄付金を持ってきたにもかかわらず、対応したパードレの言動は少し冷ややかだった。彼が金貸し商人で、キリスト教徒に改宗したユダヤ人だからとパードレは説明した。迫害を受けるユダヤ教徒は、キリスト教に改宗するか、異国へ逃れる者が多いと教わった。

 その時、閃いた。異国へ行くという選択肢があることを。海の向こうの未知の世界へ行き、いい暮らしをするのだと希望が湧いた。

 その思いは断ち切れず、十三歳の時、孤児院を抜け出し、ゴア行きの商船に潜んで密航した。飢えと水あたりで死にかけたところを、同乗していたイエズス会のパードレが救ってくれた。それから、そのパードレの付き人となり、身の回りの世話をするようになった。身寄りがないと知ると、パードレは、おまえは聡く、文字も読めるから、これから向かう土地の聖職者になりなさいと勧めてくれた。資産を持たなくても学問を究めれば、異国の宣教師になれるし、身を立てることもできるだろうというのである。

 ポルトガルでの出世は難しいが、未開の異国ならば教会で上を目指せるかもしれない。人よりも要領よく立ち振る舞い、上長に認められる最高の自分になろう。そうして上へ行けば行くほど、我が身を侵す者はいなくなる。名実ともに教会の上席者となって、これまでわたしを蔑み、取るに足りない存在のように扱ってきた人たちを見返し、ひざまずかせてやるのだ。

 どんな犠牲を払っても、わたしは教会で上へ行く。この世で価値ある人間になるのだ。そうすれば、神のお役にも立てるし、神により愛されるだろう。

 しかし、「愛」について考えれば考えるほど、なぜかぼんやりとしてくる。

「愛」とはなにか、実のところ、バレンテにはよくわからなかった。

 翌、六月二十三日の夜明け前――。

 龍之進は、カシーリャス海岸に浜辺に深い溝を掘り、そこに傭兵たちと身を潜めていた。龍之進が率いるのは、日本人や明の他、他国出自の傭兵たち約五十人だ。

 そろそろ戦が始まる。暗いうちに、オランダ兵は上陸を考えるはずだ。

 火縄銃を抱えていると、ふいにロペス船長を思い出した。サン・ラファエル号で、倭寇と戦った時、ロペスは船尾楼せんびろうに立ち、銃を撃ち、剣で戦い、水夫や傭兵に指示を出し続けた。状況が不利になっていっても、決してあきらめなかった。病に倒れてからは、船員たちに弱った姿を見せようとしなかった。どんな時も、ロペスは船長の役割を演じていた。ならば、俺もそれに倣って、この場に相応しい役割を果たそう。

「龍王、これが終わったら、瓜の酢漬けを食おうぜ」

 万吉が腰を屈めたまま、隣にやってきた。

「こんな時に食い物の話か」

 龍之進は、少し笑った。なんとも万吉らしい。

「そんなことでも考えないと、手が震えてくるからさ。ちょっとした未来の楽しいことを考えるんだよ。そうすれば、やる気も出てくるってもんだろ」

 瓜の酢漬けか。サン・ラファエル号で、食糧庫からくすねて、万吉と分け合って食べた思い出が蘇った。いつの頃からか、万吉が瓜の酢漬けを作るようになって、いいことが起こった時は分け合って食べるのが二人の恒例になっている。ああ、そうか。勝って帰ろうという意味だったのかと今になって気づいた。

 万吉が意味ありげに周りに視線をやるので、龍之進も見回した。銃や槍、刀を携えた傭兵たちは、緊張からか、みんな強張った顔つきをしている。万吉が彼らに気を回せと言いたいらしい。

 龍之進は、後ろに控える傭兵たちに向き直った。

「みんな、聞いてくれ。今日は俺たちにとって忘れられない日になるはずだ。おそらく何百年にわたってマカオで語り継がれる日になるだろう。なぜなら、ポルトガル人でもなく、スペイン人でもなく、ヨーロッパ人でもない俺たちが戦ってマカオを勝利へ導くからだ」

 そこで、一息ついた。

「この戦に勝たなければ、マカオに明日はない。俺たち一人一人は王や大名でもなければ、名のある武将でもない。でも、俺たちがいなければ、彼らが戦えないように、マカオも俺たちなくして戦うことはできない。だから、俺ら一人一人が貴重で、かけがいのない存在なんだ」

 彼らが自分を食い入るように見つめているのを感じる。

「ここには、さまざまな境遇の、さまざまな国から集まった兵がいる。俺たちは、それぞれ生まれ育ちは違っても、一丸となり勇気をもって、マカオのために戦う。想像してみてほしい。戦が終わって、家族や友人に誇らしい気持ちで、いかに勇敢に戦い、町と人々を守り抜いたか語る時のことを。彼らは、身を乗り出して話に聞き入り、俺たちと同胞であることを誇りに思うだろう。この戦は、多くの人々の記憶に永遠に残ることになる。俺は、人のために立ち上がれる者たちの気概を知っている。そこには戦場から離れて、守られている者には決してわからない辛酸がある。その思いを俺たちは今日、ここでともに分かち合う! 俺たちに勝機はある! 今日のできごとは、ポルトガルやイスパニア、オランダ、イギリス、明の文書に栄光とともに刻まれる! 今こそ俺たち傭兵の戦いを見せてやれ!」 

 声を上げずに、男たちは一斉に力強く槍や刀、銃を振り上げた。龍之進は、そばにあった槍を持ち、柄で傭兵たちの槍、刀、銃に次々に触れていく。誰もが決意と覚悟を秘めた目をして、龍之進と己の得物を合わせていた。

 その時、海のほうから砲音が響いた。

「いよいよ始まったか。よし、みんな、守備につけ」

 龍之進も砂の溝に身を潜ませた。

 仄暗さの中、海のほうから砲撃する炎と煙が見える。近くの聖フランシスコ砦からも砲弾が発射され、激しい応酬が始まった。時々、浜辺に着弾し、その度水しぶきのように砂が舞い上がる。

「龍王、儂たちはあんたの命に従う。突撃はいつでもいいぜ」

 背後から話しかけられた。

「まだだ。必ずオランダ兵は舟に乗って上陸してくる。上陸したら、やつらに向けて一斉射撃だ」

 焦って突撃し、味方の命を散らしたくない。命をすぐに捨てるのは臆病者のすること。それは命じる者も同じこと。戦う者は死に急ぐものではない。

 まもなく海上に白い霧が流れてきた。見ると、霧はカシーリャス海岸付近だけで、遠方の海には見られない。

 オランダが湿らせた火薬に火をつけて、わざと大量の煙を出している!

「くるぞ。この煙に紛れて上陸してくる気だ」

 龍之進が言うと、溝の最前列にいた火縄銃を持った者たちが弾込めを始めた。

 しばらくして、少し離れて左側を陣取るポルトガル人率いる隊のほうから銃声がし、間をおいて海のほうから砲声がし、防御のために浜に並べた盾が砕ける音がした。

 砲音が大砲とは違う。舟に小型の火砲を積んで、それを撃ってるんだ。

「撃ち方、まだ待て。オランダ兵が上陸して、もっとこちらに近づいてからだ」

 じっと耳を澄ませた。打ち寄せる波の音がする。オランダ側にもこちらの姿は見えない。きっと不安なはずだ。

 微かに砂を踏みしめるような足音が……。龍之進は足元にあった石を取ると、乱抗と鳴子を仕掛けた辺りに向けて投げた。石が木に当たり、微かな音を立てた。すると、白煙の中から何発もの銃声がした。

 よし、今だ!

「構え、放て!」

 合図とともに、火縄銃が煙幕に向けて一斉に放たれた。

 太陽は照りつけ、蝉の鳴き声が聖パウロ砦に響いている。

 砦から、多聞は、他の砦と町のようすを眺めた。夜が明けてしばらく経ち、太陽の向きから、三時課(午前九時)頃だろうか。今も大砲の爆音と銃声が聞こえてくる。

 今日もオランダ側の砲火は聖フランシスコ砦に集中していた。応戦する砦もオランダ艦隊に向けて砲弾を撃ち込んでいるが、いまだ撃沈には至っていない。

 カシーリャス海岸には上陸用のオランダの舟が三十艘以上も寄っていて、中には小型の火砲を付けている舟もある。海に何体ものオランダ兵が浮かび、浜にも倒れているオランダ兵や旗などが小さく見える。そして、長槍と刀剣を振るい、ひと塊になって戦う人々も。

 あそこで龍之進が戦っている。

 無事でいてくれ! 握り締める両手に汗が滲んだ。

 舟一艘につき二十人ほどが乗っていて、舟数からすると上陸したオランダ兵はかなりの人数だ。海岸にいるマカオ兵に応戦する部隊と突破する部隊とに分かれていたようで、既にマカオの町に侵入したオランダ兵もいる。

 聖パウロ砦までやってくるのも、時間の問題かもしれない。

 高山右近は、「戦は人をむやみに殺し、民に多くの不幸をもたらす」とし、武器を持って戦わないと決めたと言った。そうは思うが、この戦だけは……負ければ皆殺し同然となるのだ。戦で武器を取るのはこれを最後にしようと決めた。今後、戦に加担し、武器を手にすることはない。その時は、それこそ忍耐と謙虚という徳で戦うのだ。

 多聞は、城壁に立てかけて置いた火縄銃を取り、砦の外へ向けて構えてみた。おとうは鉄砲足軽だった。何度も戦場に出ていたが、あのお父のことだ。きっと戦のたび、怖さとも戦っていたに違いない。だから、きっと倅の私も踏ん張って立ち、銃を構えて戦えるはずだ。

 近くでどよめきと大音声だいおんじようが起こった。見ると、聖フランシスコ砦を砲撃していたオランダ船一隻が砦からの砲弾を受けて側面に大穴を開け、船体を横に傾けている。いずれ沈むのは明らかだった。

「別の砦から、こちらに人員を回してもらうよう手配した」

 トリスタンが周りに声をかけながらやってきた。彼は、すぐに遠眼鏡で町と砦、海岸の戦闘のようすを観察した。

「セバスチャン、オランダ兵はこの砦か、カシーリャス海岸近くのギアの丘を占領しようとするはずだ。砲手にも伝えているが、オランダ兵は必ずこの下へと進んでくる。隊列を組んで進む彼らの後ろか、いずれそのそばには火薬を積んだ荷車があるはずだ。それを大砲で狙え」

「火薬の補給を絶つのですね」

「そうだ」

「聴訴官、ギアの丘麓の泉がオランダ兵に制圧されました!」

 伝令係から報告を受けたトリスタンの顔は少し険しくなっただけで、慌てたようには見えなかった。

 トリスタンは、肝が据わった人だ。この人がいてくれてよかった。何があっても動じない姿は周りに安心感を与え、まだ余裕があるという希望を抱かせる。

 トリスタンは帽子をかぶり、上半身に鈍い色を放つ胸甲をつけていた。弾丸は通すが、刃物は防げるという胸当て鎧で、その堂々としたいでたちは仕官そのものだった。

「報告、感謝する。よし、砦の隊長にここを任せて、わたしは下の広場で隊の指揮を執る」

「神の御加護を!」

「キミにも」

 トリスタンは、落ち着いた声で返すと、随行する兵たちと砦から下りていった。

  

 太鼓の音が近づいてくる。隊列を組んだオランダ兵が近づいてきているのだ。

 いよいよ接近戦だな。

 覚悟を決めたトリスタンは、隊兵たちに激励の声をかけて回った。それから、建物の陰にいる兵らに合図した。すると、彼らは逆茂木の後ろから銃を構えた。

 トリスタンは、一列に並んだ隊の最前列に行き、その中央に立った。

「長槍隊は下がれ。前衛隊、前へ!」

 号令を受けて、マスケット銃を持った一隊が長槍隊の前に出てきて、トリスタンの横に並んだ。

「火縄銃隊は、長槍隊の両脇へ! 隊形を崩すな!」

 トリスタンの指示で、槍兵と銃兵は防御に強い方陣の密集隊形を組んだ。

 トリスタンの脳裏に、沙羅とアンドレアスとの穏やかな日々が浮かんだ。なにも特別なことはない。長椅子に腰かけたトリスタンがアンドレアスを抱き上げ、隣で沙羅が微笑んでいる。それだけのことだ。自然と口元に笑みがこぼれた。

 キミのもとに戻る。沙羅、キミはわたしの生きる源だ。キミを失うわけにはいかない。

 悔いなく戦う。あの日常を取り戻すために。

 太鼓の律動的な調子がより大きくなってくる。

 銃を構えたオランダ兵の隊列とはためく旗が見えてきた。オランダ兵は、槍兵を中心に左右に銃兵を配する陣を組んでいた。

 ここをなんとしても死守する。この先には行かせない!

「われらには勝利に導く聖ヤコブがついている! 怯むな!」

 トリスタンのときの声と合図で、方陣の両側に置かれた大砲が火を吹き、オランダ兵に向かって砲弾が飛んだ。白煙が辺りに立ち込め、悲鳴がし、土埃が舞った。

 トリスタンは、剣を抜いた。

「撃て!」

 銃声がマカオとオランダの双方から轟いた。

 龍之進は、槍を振い、襲いかかってくるオランダ兵たちを次々となぎ倒した。

 目の前の敵を倒すことに精一杯で全体の戦況がわからない。勝っているのか、負けているのか。どっちだ。

 少し冷静になると、自分の荒い息がやけに大きく聞こえる。額の汗を手で拭うと、血と砂が手にこびりついた。返り血だ。口の中も砂だらけだ。

 みんな、無事か。あちこちでオランダ兵と傭兵たちが刀と剣、槍で戦っていた。海にはオランダ兵の死体が浮かび、浜辺にもマカオ側からの一斉射撃を受けた大勢のオランダ兵が倒れ、オランダの旗や太鼓、砕けた盾が散乱している。

 早朝から始まった銃撃戦が槍と刀剣を交えた戦いになると、砂の中に身を潜めていた傭兵たちが次々とオランダ兵を不意打ちした。オランダ兵の中には混乱して舟へ戻ろうとする者が出たほどで、そこでまた多くのオランダ兵が銃弾に倒れていった。しかし、上陸してくる兵の数はあまりにも多く、一部のオランダ兵は海岸を抜けて奥へと侵入してしまった。それを龍之進も意識していたが、どれほどの人数が前線を突破したのかわからない。

「龍王、オランダ兵が隊列を組んで町中を進んでる!」

 万吉が駆けてきて、凄まじい形相で叫んだ。

 龍之進は焦った。昨夜のトリスタンの指示を思い出した。多くのオランダ兵が町に入るようなら、内陸の部隊に合流するようにと言われていたのだ。

 周りにいるポルトガル人部隊のようすを見た。海岸のあちらこちらで、彼らはオランダ兵と拮抗して戦い、侵攻をなんとか食い止めている。

 ここは気張ってくれ。頼む。マカオを守るんだ!

 龍之進は、彼らに向けて心の中で叫んだ。

「ここを離れるぞ! 聖パウロ砦の麓に向かう。町の部隊と合流する!」

 砲撃が絶え間なく聞こえてくるので、時々耳を塞ぎながら、フェルナンデスは、急ぎ足で倉庫へ向かっていた。

 一晩中持ち場の工場に詰めてはいたが、夜明け間際に金目の物を持って明へ逃げようと思い、こっそり自宅に戻ってみた。しかし、あるべき場所に金貨や銀貨がない。鍵をかけていた棚も壊され、貴金属を入れていた櫃もなくなっていた。家中を見て回ると、裏戸が壊されていて、戦いの混乱に乗じて盗みに入った輩がいたらしい。そこで、海辺の倉庫に行って、金目の物を取ってこようと考えた。

 人目につかないように建物の陰に隠れながら、フェルナンデスは海辺へ向かった。人通りはない。まるで廃墟だ。目指す倉庫はもうすぐだった。

「おい、そこでなにしてる」

 びくっとして振り向くと、兵を率いたポルトガル人がいた。

「頼まれたんですよ。俺は商人で、倉庫にあるありったけの弾丸を持ってくるようにと」

「一人でか? ついでだ。手伝おう」

「いや、平気です。一人で運べる量ですから」

「そうか。砲弾が飛んでくるから、気をつけろ」

 兵たちが駆けていくのを見送ると、フェルナンデスは、そそくさと倉庫へ向かった。

 まさか兵と出くわすとは。でも、ごまかすことができてよかった。倉庫に付いてこられたら、金目の物は持ち出せない。

 倉庫の壁は砲撃を受けて一部瓦解していた。恐ろしさに一瞬怯んだが、とにかく中に入り、運びやすく売れそうな品を捜した。怖さと焦りで頭が混乱し、なにが明で売れているのか思い出せない。香辛料、時計、火薬、刀剣類、どれも違う気がする。

「落ち着け、落ち着くんだ」

 自分に言い聞かせて、倉庫の中で立ち尽くしていると、遠くから砲撃音がした。次の瞬間、大音響を轟かせて倉庫の壁を破壊した。

 とっさに頭を守って屈み込んだ。倉庫内は埃と土煙が立ち込めて真っ白だ。それから、信じられない思いで穴が開いた壁を見つめた。腰の力が抜け、なかなか立ち上がることができなかった。

 大丈夫だ。俺は生きてる……生きているぞ。

 すると、白い粉塵とともに頭上から細かい石の欠片かけらが落ちてくる。見上げると、軋む音を立てて天井を支える壁が歪み、天井もひび割れていく……。

 フェルナンデスの目に最期に映ったのは、崩れ落ちてくる天井と大きな壁の塊だった。

 バレンテは一人だった。今、周りには誰もいない。町にオランダ兵が入り、進軍してきたと知ると、取り巻きの聖職者たちはあれこれと理由をつけて姿を消したきり戻ってこない。

 聖パウロ聖堂の内陣で、消えていた蠟燭に自ら火を灯し、ビロード張りの椅子に腰かけて彼らが現れるのを待った。

 戦いに恐れをなしてどこかへ身を潜めたのか。司教代理のわたしを置いて逃げるとは、揃いも揃って不甲斐ない。これまでわたしに従順だったのに、権力のある者になびくが、我が身に危険が迫れば、さっさと身を翻すというわけか。しょせん、それだけ小物の集まりだったということか。

 どれくらい時間が経ったかわからない。扉がゆっくり開き、側近のパードレが身廊をそろそろと歩いてくる。

「どこに行っていた。他の者はどうした」

「司教代理、彼らは人々に福音を説き、励まし、ともに戦うために砦におります。もうここへは戻ってこないでしょう」

「なぜだ」

「失礼ながら、あなたさまに司教代理の座に相応しい器があるのかどうかを考えたからです。上長に従うのは当然のことと思い、わたしも皆もこれまで従って参りました。しかしながら、あなたさまの昨今のお振る舞いは教会の品位をおとしめるだけでなく、司教代理としてあるまじき行いでございました。司教代理自ら奴隷売買に携わり、生まれによって差別するなど、品位を求められ、他の聖職者の手本となるべき高位聖職者がかかわるべき事柄ではございません」

 パードレは、うやうやしく頭を少し垂れていたが、口調は毅然としていた。まさかこれまで黙って従っていた男が反旗を翻してくるとは思いもしなかった。

「あなたさまは、マカオの教会組織を束ね、宣教を押し進めるにあたっての判断力も決断力もおありです。そして、弁舌に優れ、聴衆を引き込むのもうまく、公的にはもっともと思われることを仰います。しかしながら、御側にお仕えしてみてわかったことがございます。これまで一度たりとも、あなたさまから人への許しや慈しみを感じることがなかったということです。身近にいた彼らが去ったのは、あなたさまが自分たちを銃弾や刃の盾に使うと考えたから……命が惜しいのではなく、あなたさまから神の愛を感じられないからです」

「よくもそのような無礼なことを! そなた、いや、あの者たちも破門されたいか」

「われらは司教代理選挙におけるあなたさまの不正を告発して選挙自体を無効とし、改めて司教代理の選任を行うつもりです」

 バレンテは、上半身を引いた。信じられなかった。どんな時も黙って従ってきたはずの彼らが裏切りを考えていたとは。

 聖堂の外から、大砲の砲音が轟き、銃声も間断なく聞こえてくる。

「あなたさまの根底にあるのは、人への厳しさと人を罰したい心だけです」

 パードレは、一礼すると聖堂から去っていった。

 うまくやってきたはずなのに、どこをどう間違えた。これまでうまく運んでいたではないか。

 バレンテはゆっくり立ち上がり、よろよろと内陣の階段を下りた。

 虐げられる者が生き残るためには少しでも上へいき、自らが虐げる者になることだ。それが一番手っ取り早い方法だ。時として手段を選ばず非情な決断を下さなければ、決して上へはいけない。

 上を目指す……なぜなら、弱く何も持たない、ほんとうの自分では、誰にも相手にされないから。

 いや、あんな小物たちの裏切りなど、今後も続くわたしの栄光に満ちた人生の、ほんの小さな傷に過ぎない。大したことではない。

 これまで神に生かされてきた。命にかかわるような局面でも救われてきた。きっと今回もうまくいく。わたしには神がついている。

 わたしはここで終わる人間ではない。

(第26回へつづく)