アンソニー越し――トレードマークの毛皮のベストを筋骨隆々の素肌に羽織ったリアルビッグフット。
 柄が一メートルはありそうな特大ハンマーを軽々と片手に持った直美が、ニヤつきながら大股で歩み寄ってきた。
「直さん……」
 歓喜と安堵に、譲二の眼に涙が浮かんだ。
「勝手に入ってくるんじゃねえぞ!」
「ぶっ殺すぞ! うら!」
「頭蓋骨叩き割られてえのか!」
 平半グレ達が金属バットや木刀を振り上げ凄んでみせたが、直美のビジュアルインパクトに腰が引け気味だった。
「雑魚どもには用はねえ。雑魚の頭は誰だ?」
 人を食ったように言いながら、直美が半グレ達の顔を見渡した。
「誰が雑魚だ! おら!」
「死ねや!」
 二人の平半グレが、金属バットと木刀を振り翳し直美に殴りかかった。
 直美は上体を沈め、特大ハンマーで二人の膝を立て続けに打ち砕いた。
 膝蓋骨が粉砕する痛々しい音と悲鳴のデュエット――バランスを崩して倒れた平半グレ達が、砕かれた膝を抱えてのたうち回った。
「この野郎っ、舐めた真似しやがって! あいつを喰い殺せ!」
 シャネルピアス男が、マスチフをけしかけて鎖のリードを手放した。
 マスチフは、四、五メートル先から睨みつけてくる直美を前に一歩も動く気配がなかった。
「なにやってる! 襲え! 喰い殺せ!」
 シャネルピアス男がどんなに叱咤しても、マスチフは動かなかった。
 動くどころかマスチフは、直美から眼を逸らし尾を垂れていた。
 獰猛なはずの闘犬も百獣の王を前に、すっかり戦意喪失していた。
 それは、ほかの四頭も同じだった。
 アンソニーだけは、譲二から離れて直美と向き合い唸り始めた。
「やめとけ。俺はケダモノは許さねえが獣には手を出さないタイプだ。ちんぽの長さじゃ負けるが、喧嘩じゃ俺の敵じゃねえ。本当は、わかってるんだろうが?」
 直美が鋭い眼光で睨みつけながら諭すと、アンソニーがいきなり仰向けになり腹を見せて服従の意を示した。
「ワンコのほうが、てめえらよりよっぽど頭がいいな。おい、いまからでも遅くねえ。武器を捨ててワンコみてえに仰向けになれば、雑魚どもは見逃してやろう。だが、『歌謡曲』で調子こいたガキどもはだめだ。三億積んでスーパーモデルを十人抱かせると言っても、絶対に許さねえ」
 直美が平半グレ達を見渡しながら言った。
「おいっ、おっさん、ふざけたことばかり言ったらぶち殺すぞ! うら!」
 赤い坊主の平半グレが鉄パイプで直美に殴りかかるのを合図に、七、八人が武器を振り回しながらあとに続いた。
 直美はハンマーを捨てると、先頭の赤坊主の振り下ろした鉄パイプを左の前腕でブロックし、振り回した右のフックを頬に叩き込んだ。
 陥没した頬骨にめり込む拳――口から飛び出した歯とともに赤坊主が四、五メートル吹き飛んだ。
 間を置かずに突っ込んでくる先頭の平半グレが振り下ろした木刀に、直美は左のハイキックを合わせた。
 真っ二つに折れる木刀を尻目に、直美はもう一回転して左ミドルキックを平半グレの脇腹にヒットさせた。
 爪先から伝わる肋骨の折れる感触――平半グレが蹲り苦しげに呻いた。
 直美は、金属バットを振り回す二人の平半グレの懐に潜り込んだ。
 肩甲骨を痛打する金属バットを物ともせず、直美は左右の腕をそれぞれの平半グレの胴に回した。
 直美は左右の腕を、オールを漕ぐように引き寄せた。
 灌木が折れるような音が室内に響き渡った。
 突っかかってきていた残りの平半グレが、呆気なく破壊されてゆく仲間を目の当たりにして躊躇した。
「てめえら! なに、ビビってんだ! どけっオラ!」
 シャネルピアス男を先頭に、五人の半グレ幹部が平半グレを押し退け直美を取り囲んだ。
 工藤は、最初に殴り飛ばされ頬が陥没した赤坊主の背中をベンチ代わりに腰を下ろし、事の成り行きを無表情に眺めていた。
 直美の圧倒的な破壊力を眼にしても、工藤から恐れや焦りの感情は窺えなかった。
 工藤が平然としているのは、数十人の配下に囲まれているというのが理由ではなさそうだった。
「お? 『歌謡曲』で馬鹿騒ぎしたガキどもか? てめえら、こいつらみてえに肋骨くらいで済むと思うんじゃねえぞ」
 直美が、瞳を輝かせながら言った。
 直美が正気を失ってしまうのではないかという不安は杞憂に終わった。
 反面、下半身裸で縛りつけられ大型犬に犯されそうになっている譲二を見ても、いつもと変わりない直美に寂しい思いもあった。
 直美にとって自分の存在は、その程度のものだったのかと……。
「伝説だかなんだか知らねえが、歌舞伎町ででけえ面してんじゃねえよ! 海東さんのアニキ分だったから見逃してやってたが、殺してもいいって許しが出たからよ」
 シャネルピアス男が、懐からバタフライナイフを取り出した。
 ほかの四人の手にも、サバイバルナイフやジャックナイフが握られていた。
「直さん、ヤバいよ……」
 譲二は、硬い声で呟いた。
「ほう、やっぱり、海東の描いた絵か。で、おめえらのちんぽみてえに貧弱なナイフで俺を殺すつもりか?」
 直美が、五人を見渡し小馬鹿にしたように言った。
「余裕ぶっこいてんじゃねえ!」
 シャネルピアス男が足を踏み出すと、ほぼ同じタイミングで四人も突っ込んだ。
 五本のナイフの切っ先が、同時に直美に襲いかかった。
「直さん!」
 譲二の絶叫が、五人の半グレ幹部の怒声に掻くき消された。
 直美の身体が消えた……いや、跳んだ。
 巨体からは想像できない物凄い跳躍力――まるでトランポリンを使用しているように半グレ幹部の頭上を飛び越えた直美は、体操選手さながらに美しい前転を決めてすっくと立ち上がった。 
 呆気に取られてキョロキョロと首を巡らせる茶髪ロン毛と顎髭男の背後に素早く取り付いた直美は、二人を抱えたまま綺麗なブリッジで後方に投げた。
 二人の後頭部が床に叩きつけられるゴスッという生々しい音が、衝撃の強さを物語っていた。
 茶髪ロン毛男と顎髭男が、揃って白目を剥いて揃って泡を吹いた。
「死ねや!」
 ブリッジしている直美の腹を目掛け、金銀坊主男がジャックナイフを振り下ろした。
 カウンターキック――覆い被さってくる金銀坊主男の顔面を、直美は両足で蹴り上げた。
 すかさず反動を使い跳ね起きた直美は、鼻が歪み血塗れで倒れる金銀坊主男の顔面を立て続けに蹴りつけた。
 金銀坊主男の前歯は全損し、鼻骨が鼻孔から食み出ていた。
「てめえっ、いい加減にしろや!」
 視界の端――左からバタフライナイフを構えて突進してくるシャネルピアス男の右手首を掴み、一本背負いで背中から叩きつけた。
 直美は掴んだままの右手首を捩じり、逆関節の角度から肘を踏みつけた。
「おぅあぎゃー!」
 シャネルピアス男が悲鳴を上げた。
 格闘漫画に出てくるような骨の折れる音が、譲二の耳にもはっきり聞こえた。
 直美は、シャネルピアス男の肘の皮膚を突き破った上腕骨を踵で踏み躙った。
 既に失神しているシャネルピアス男が、悲鳴を上げることはなかった。
 泣く子も黙る半グレ幹部が呆気なく破壊される光景を目の当たりにした数十人の平半グレは、武器を手にしているにも拘わらず、誰一人として直美に襲いかかる者はいなかった。
「おい、デブ。幹部はてめえ一人になったな。命乞いでもしてみるか? まあ、命乞いしても、見逃すことはできねえがな」
 直美が柔道体型男に顔を向け、歯を剥き出して笑った。
「ふざけんじゃねえ! こいつらと俺を一緒にするんじゃねえぞっ。たしかにおっさんはつええが、柔道の強化選手だった俺には通用しねえ。おっさん相手に、こんなものはいらねえよ」
 柔道体型男がナイフを捨て、直美と対峙した。
 柔道体型男の背丈は百九十センチの直美より少し低いが、横幅は勝っていた。
「馬鹿か? てめえは。ナイフどころかチャカ持ってても俺様にゃ勝てねえっつうのによ」
 直美が、鼻を鳴らして肩を竦めた。 
「だったら、オリンピックレベルの実力を見せてやるぜ!」
 柔道体型男が素早く右腕を伸ばし、直美の毛皮のベストの襟を掴んだ。 
「直さんっ、ベストを脱いで!」
 譲二は叫んだ。
 柔道家と喧嘩になった場合、上半身裸になれば戦力を半分奪えるとなにかの本で読んだことがあった。
 都合のいいことに、直美はベストを脱ぐだけで裸になれる。
 だが、直美はベストを脱ぐどころか仁王立ちしていた。
 柔道体型男は左の襟も掴み、不意に後ろに倒れ込んだ。
 巴投げ――直美が前傾姿勢になった。
 次の瞬間、譲二は眼を疑った。
 直美が背筋力だけで、柔道体型男の身体を浮かせた。
「オリンピックレベルの実力っつーのは、こんなもんか?」
 直美はニヤニヤしながら言うと、驚きに眼を見開く柔道体型男の顔面に頭突きを打ち込んだ。
 地響きとともに床に落下した柔道体型男の襟首を右手一本で掴んだ直美は、楽々と持ち上げた。
 百キロはゆうに超えているだろう巨体を床に叩きつけては持ち上げることを繰り返す直美に、平半グレ達は表情と声を失っていた。
 二回、三回、四回、五回……直美が柔道体型男を打ちつけるたびに、コンクリート床に血溜まりが広がった。
 譲二の全身に鳥肌が立った。
 さっきの鳥肌は工藤にたいしての恐怖によるものだったが、いまは直美を怒らせたときの恐ろしさによるものだった。
 いや、これでも直美は本気になってはいない。
 半グレ達をいたぶることを愉しんでいるふうだった。
 もし、直美が我を見失うほど怒り狂ったら、間違いなく刑務所行きだ。
 いまも、安心はできない。
 これ以上の大怪我を負わせたら、歌舞伎町の治安を維持するための必要悪と直美を黙認している警察も無視できなくなる。
「なあ、そろそろ直さんに謝ったほうが……」
 譲二は言葉を呑み込んだ。
 負傷した平半グレをベンチ代わりにしていた工藤の姿が見当たらなかった。
 譲二は、巡らせていた視線を止めた――直美の周囲でギャラリーと化した平半グレを縫いながら、出入り口に向かう工藤の背中を発見した。
「おいっ、お前、逃げるつもり……」
 譲二は、ふたたび言葉を呑み込んだ。
 平半グレのギャラリーから抜け出した工藤が、柔道体型男を床に叩きつける直美に近づいた。
 工藤は直美の背後を早足で通り過ぎた。
 譲二は、安堵のため息を吐いた。
 急に、直美の動きが止まった。
 直美が腰に手を当てた。
 譲二は眼を凝らした。
 腰に当てられた直美の手が、赤く濡れていた。
「なんだ、これは?」
 直美が、不思議そうな顔で血塗れの掌をしげしげとみつめた。
 振り返った工藤が、右腕を振り下ろした――直美が上体をくの字に折った。
 直美の腹には、ナイフが刺さっていた。
 譲二は絶句した。
 今度は左手を振り下ろす工藤――直美が片膝を突いた。
 直美の腹に突き刺さるナイフが、二本に増えていた。
「直さーん!」
 我を取り戻した譲二は絶叫した。
「はじめまして。雑魚の頭の工藤です。今日は挨拶代わりに、このくらいにしといてあげるよ。みんな、帰るぞ。やられた馬鹿どもを連れてこい」
 工藤は人を食ったように直美に言い残し、平半グレ達に命じると踵を返した。

(第11回へつづく)