この連載を始めるきっかけの一つだった「死に際の意思表示とそれを確実に実行してもらう方法」の模索は、ある程度目処がついた。

 またまた私の心は少し軽くなった。

 よいことである。

 だが、軽くなる一方で、なんとなく薄目でやり過ごしてきた死を巡る「シビアな現実」をいよいよ直視せねばならなくなってきた。

 今度こそ、こいつとがっぷり四つに組んで対峙しなければならない。

 そいつの名は「お金」。

 現代社会を生きる上で絶対に無縁ではいられないし、こいつのために泣きもし、笑いもする。誰もが愛憎半ばする複雑な思いを抱えているのではないだろうか。

 かく言う私は、お金を愛している。

 とてもとても愛している。

 こんなに愛した人は他にはいない、というほど愛している。

 だが、この思いは永遠の片恋に終わる運命らしい。彼らにとっての私は来ては去りゆく通過点に過ぎないのだ。「これ小判 たった一晩いてくれろ」と詠んだ江戸時代の見知らぬあなた。お気持ち、本当によくわかります。

 とはいえ、私だってただ指をくわえて見ているだけではない。

 今宮戎でガンガン銅鑼を鳴らしたり、銭洗弁財天で高速アライグマのように小銭を洗ったり、石山寺で授与された大黒袋に預金通帳を保管したり、とにかく涙ぐましいまでの神頼みをしている。けれども、お金の神様は一向に振り向いてくれない。なんでこんなにつれないのだろう。

 でもいいの。みおこ、グチは言わない。これ以上続けたらすさまじい怨念が貞子の姿になって、この駄文を読んでいる皆様のPCやスマホの画面から這い出していきそうだし。

 気を取り直して、例のごとく関連するデータをチェックしてみよう。

 お国のエラい人が言うには、人ひとりが“安心の老後”を迎えるために必要な資金は最低でも二千万円ってとこらしい。

 はあ? なんですって? って話だが、まあ現実としてそうなのだろう。

 暮らしていけるだけの年金をもらえるのは団塊世代まで、それ以下はどんどん厳しくなり、団塊ジュニア世代である私なんかは「悠々自適の年金生活」なんてプランは最初から許されていない。

 一方、金融広報中央委員会(お金関係の宣伝や啓蒙活動をやっている公的機関)が二〇二一年一月に発表した「二〇二〇年 家計の金融行動に関する世論調査」によると、いわゆる預貯金――投資などを抜いた、なにかに備えて貯めているお金の平均額は、単身世帯で六五三万円なのだそうだ。

 あら皆さんけっこう持ってらっしゃいますのね、と顔が引きつりそうになるが、中央値となるといきなりドンと下がって五十万円になる。

 要するに、持っている人は持っているけど、持っていない人は持っていないのだ。貧富の差がデータにはっきり現れている。全く以てトマ・ピケティ氏の言う通りだ。やっぱりここは一発、格差反対の社会運動にでも参加するべきなのかもしれないが、ひとまず脇に置いておこう。優先すべきは自分の懐である。

 さて、このデータに従って、差し障りのない範囲で私の貯蓄状況を公開すると、平均値ははるか頭上に影も形も見えず、中央値には遺憾ながらとても親しみを覚える、というところだろうか。

 あら、五十歳を目前にしてそれは情けなくないかしら? とせせら笑うお方もいらっしゃることだろう。

 そんな向きには、これだけ言っておきたい。

 人生、どんなところに落とし穴が待っているかわかったものじゃありませんのよ。堅実に貯めていても、無くなる時は無くなるのです。自分にまったく責任がなくても、そんなことは起こりうるのです、と。

 何があったかを開陳するつもりはないが、そんなこんなで私にはお金がない。

 だが、お金がなければ私が望む「きれいなフィニッシュ」を成功させられないのは、これまで明らかにしてきた通りである。

 以前に概算したように、「葬式無用、戒名不用」を気取ったところで、遺体の始末をつけるには最低二、三十万円必要だ。さらに遺骨の処理、住んでいた家の後片付けなど、現世的手続き諸々の代行まで視野に入れると百万円で足りるかどうか。二百万円あればようやく一息つける。三百万円もあればきちんとした法律事務所かなんかで死後事務委任契約を結ぶことができ、心安らかに死んでいく準備は万端になる。

 つまり、安心を得るには「死の代金」として百万を超える金を別途取っておかなくてはならないわけだ。

 貧乏人にはなかなかインパクトのある金額である。

 諸々の疑問や不安を一つ一つ潰していった結果、「心安らかに死んでいく」のを妨げる最大の障壁が経済問題っていうのはなかなか泣けてくる話だ。だが、泣いてばかりもいられない。目標達成のためにはなんとしても百万、望みうるなら三百万を用意したい。

 しかし、今日明日で捻出できる金額ではないし、そもそも死ぬ前に生きていかなきゃいけない。生きるにはもっとお金がかかるんだから、死後に備えてばかりもいられない。

 ああ、どうしたものか。

 一難去ってまた一難。

 しかも、今回の難に対して、私はあまりに無力だ。神様にも見放されているし。

 けれども、打ちひしがれていてもお金は降ってこない。持たざるものの矜持を持ちつつ戦わなければならない。そして、持たざるものの武器は知識である。だが、これまでの人生、金融関係にはほぼ興味なしだったのが仇となり、戦力が圧倒的に不足している。預金も保険も年金も漫然と入っているに過ぎない。

 そういうわけで、図書館に行って老後資金に焦点を当てた金融関係の本を探しまくったのだが、なんだか今ひとつピントくるものがなかった。

 そもそも、ほとんどの本は勤め人対象で書かれている。当然といえば当然だが、金融のプロからしてみれば、私みたいにフリーランスのくせに四十路卒業間際になってやっと危機感を覚えるようなのんきもの――歯に衣着せぬなら単なるバカを相手にするつもりなんぞねえ! ってところなのだろう。

 また、近年は単身者向けの終活本が急増しているが、正直いって私のような特殊設定の人間に役に立つのは、盛り込まれた情報の半分ぐらいである。

 とりわけ、“社会の成功者”が執筆した本は読むだけ無駄だった。

 当然だろう。十分な資金と社会的地位があれば、「いかに上手に老いていき、老後を楽しむか」的なふわっとした精神論でことがすむ。

 だが、こちとらそうはいかない。

 お金で幸せは買えずとも、ほとんどの不幸は回避できる。同時にお金がなくても幸せは感じられるが、不幸を跳ね返すのに大変な労力が必要になる。一方、老化とは労力を構成する体力知識気力が漸減していく過程である。とどのつまり、存在者として弱々になっていく。そこを補えるのは、ハイデガー先生の御高説ではなく、お金だ。

 けれども、私にはそれがない。

 あゝ無情。

 たとえ年金を受け取れる年齢になったところで、あの月額では到底暮らしていけない。であるからには、別途民間の個人年金保険をかけた方がいいのだろうか? っていうか、今から加入して間に合うのか?

 いや、待てよ。それ以前に、年金が出る前に働けなくなってしまったら完全に詰むんじゃないの。だったら就労不能保険とかも必要なのか? 入院保険だって今ので問題ないのか???

 考えれば考えるほど、状況は絶望的だ。負のスパイラル・ブーストである。

 お金のない怖さは身にしみている。だから、死を想像するよりもっと強い恐怖心がわいてくる。

 もしかして、私は自分で思っている以上にお先真っ暗なんじゃないの?

 気づかぬうちにどこまでも広がる無明の野をさまよっていたとか?

 いや、しかし、どこかに光はあるはずだ。たとえ血の池地獄でプカプカ浮かびならでも、目を皿にしていれば一筋の蜘蛛の糸が垂れてくるはずである。お釈迦様、どうか私を見放さないで……とか思っていたある日の朝である。

 いつも通り仕事部屋でメールのチェックをしていると、一通のDMが目に止まった。

 タイトルは「老後資金が不安なあなたへ。お金のプロに無料で相談」。

 あら、あなた、私のボヤキ聞いてたの? っていうぐらいタイムリーなキャッチである。差出人は私が使っている会計ソフトの会社。野良DMではない。

 ざっくり目を通して見ると、お金のプロっていうのはファイナンシャル・プランナーのことらしい。直訳すると財務計画者。なんだかすごそうだ。とはいえ、私にはファイナンシャル・プランニングなるものの知識がなく、ファイナンシャル・プランナーと聞いても「保険勧誘員のシャレオツ呼称?」程度の認識しかないので、いったいどんな相談に乗ってくれるのかすら想像できない。

 DMの短い文言によると、一度コンタクトを取れば生涯にわたってお金のことを相談できるパートナーになってくれるそうなのだが、結婚でもするのだろうか?

 以前の私なら、この時点で「ふ」とニヒルな笑みを浮かべ、そのままDMを削除したことだろう。こう見えて、むちゃくちゃ人見知りのビビリなので。

 だが、死に方を探す旅に出たことで、私は変わった。

 図太くなったのである。

 ちゃんと死にたきゃ、準備しろ。そのためにはトライ・アンド・エラーだ。当たって砕けろ。砕けたところで命までは取られやしねえ。

 弁天小僧菊之助ばりに威勢のいい姐さんが脳内に登場し、啖呵を切った。

 なんか、かっこいい。

 なので、姐さんのご宣託に従うことにした。

 添付のURLから応募フォームに飛んで、無料相談を申し込んだのである。

 希望日を複数選択、対面でもオンラインでも可だったので、躊躇なくオンラインを選ぶ。コロナ関係なく、単なる出不精ゆえだった。そして、後から思えばこれが大正解だった……のだが、今は話を先に進めよう。

 相談したい内容はチェックボックスで選ぶ仕様だ。私は迷わず「貯蓄/家計」「税制/国の制度の活用方法」「老後資金」をクリックした。

 漏れがないか確認して、送信。すぐさま受付完了の自動メールが送られてきた。

 あとは、先方からの連絡を待つだけだ。なんだかお見合いを申し込んだようで、ちょっとだけドキドキする。

 先方はどんな方なのかしら。素敵な方だったらいいのだけど……。男性なら竹野内豊、女性なら竹内結子さんのような人が理想だわ……。とかなんとか、完全に何かを勘違いしたまま待つこと一日。正式予約完了のメールが届いた。

 相談に乗ってくれるファイナンシャル・プランナー氏は竹内豊(仮名)さん。男性らしい。お、これは竹野内豊来た? いや、竹中直人かもしれない。それはそれで嬉しいけど。竹内力だったらちょっと怖いな、金融だけに。

 無駄な心配ここに極まれりだが、とにかくこの時点ではファイナンシャル・プランナーのイメージが「保険の勧誘員」から一歩も出ていなかったのだ。

 そして迎えた相談日当日。

 パソコンにカメラとマイクをつなぎ、指定されたURLに接続して待つこと一分。オンタイムに、ファイナンシャル・プランナー氏が画面上に現れた。

 それは夢にまで見た竹野内豊……なはずもなく、二十代半ばと思しき若い男性だった。画面越しに見ても、今どきの人らしくシュッとしている。

「はじめまして。今回担当させていただく竹内豊(仮名)です。どうぞよろしくお願いいたします!」

 笑顔も口舌も爽やかである。なんだかちょっと肩の力が抜けた。正直言うと、現実として想像していたのはすだれヘアの小太り、あるいは痩せメガネの中年おじさんだったのだ。まさか、こんな好感度の高い若い男性が現れるとは……。これならちゃんと化粧をしておけばよかった、と心の片隅で薄っすら思ったのは、かすかに残存する乙女心のなせるわざだったのだろうか。

 私が心中無用の葛藤を繰り広げている間も、竹内氏はテキパキと話を進めている。まずは相談内容の確認、そして守秘義務の説明と説明を受けたことに同意するシステム上のやり取りが行われた。たいへん機能的である。なるほど、これならオンラインで十分だ。

 一通り事前手続きが終わると、竹内氏は言った。

「では、具体的なお話を伺いたいと思います。今回は老後資金についてのご相談が主ということですが、どういう点が気になっているのでしょうか?」

 ほんの数分の会話の中で、彼の良い意味でビジネスライクな態度に好感を抱いた私は、腹をくくった。ちゃんと、正直に情報開示して、本気でアドバイスをもらおう、と。

 なので、こう切り出した。

「有り体に言いますと、自分のお金関係全部を見直したいんです。家計も、貯蓄も、将来への備えも。余剰資産なんてあるはずもないので投資はできないですが、かといって金利がほぼゼロの預貯金ではどうしようもありません。おまけに独身かつフリーランスっていう超ワルワル条件ですので、もしもの時の備えもしておきたい。どうすればいいでしょう」

 私の中の冷徹な観察者は「無料をいいことに全部盛りかよ」と冷めたツッコミを入れてきたが、そんなもの、かまっていられない。こちとら背水の陣なのである。

 竹内氏は何かメモをとり、時には簡単な質問を挟みながら、一生懸命訴えを聞いてくれている。

 そして、私の熱の入った長口上が一通り終わったと見てとるや、ニッコリ笑ってこう言った。

「ご希望はわかりました。では、必要な情報を順番に整理していきましょう。ところで、家計簿は付けておられますか?」

 はい、来た!

 家計簿! 家庭財務の基本!

 さて、これに私はなんと答えたのだろうか。

 待て次回!

(第29回へつづく)