第三章

一(承前)

 聖パウロ聖堂から取り巻きの聖職者と共に出てきたバレンテに、多聞は駆け寄った。

「司教代理、お願いがございます! どうか私の話を聞いてください!」

 バレンテに近づく前に、二人のイルマンに割って入られてしまった。

 さらに、バレンテの補佐を務めるパードレが多聞の前に立ちはだかった。

「セバスチャン、お前は司教代理の命に従わなかった。上長への恭順は絶対だ。司教代理に従わぬということは、ローマ教皇様に従わぬことと同じ。恐れ多いことだぞ」

「パードレ、セバスチャンを院長室まで連れてくるように」

「司教様、よろしいのですか? このような者を!」

 バレンテは軽く頷くと、先だって大神学校へと入っていく。

 イルマンたちに両脇を固められたまま、多聞も大神学校に入り、バレンテの後ろから院長室に向かった。

 院長室には大神学校の院長がいたが、バレンテが入室すると、うやうやしい態度で席を譲って出ていった。

 バレンテと二人きりになった。多聞は、椅子に腰を下ろしたバレンテの前に立ち、丁寧に頭を下げると、俯き加減の姿勢を取った。

「セバスチャン、そろそろわたしのもとに来る頃だとは思っていた。むしろ遅いくらいだ」

「お願いがございます」

「破門を解いてほしいのだろう? 真のキリスト者なら破門は耐えられないはず。長崎で、日本人にキリストの教えは根付かないと聖職者とよく話していたが、そなたもそうなのかと。やはり日本人には真の信仰を持つのは無理だったかと残念に思っていた。」

 多聞は、押し黙った。日本人というだけで、イエス・キリストへの信仰がないと思われるのは不本意だった。しかし、異国の聖職者から見れば、そう映るのだろう。もしポルトガル人が自分と同じような行動を取ったとしたら、「やはり無理だったか」と言われるだろうか。そうはならないはず。不条理だと思った。

「日本での宣教は厳しくなっている。パードレの中には、交易は続けられているのだから、いずれ以前のように宣教ができるようになると考える者もいるが、わたしからすれば、太閤様や内府様がいらした時とは明らかに違う。今も日本からマカオやマニラに追放されたり、自ら逃れてくる信者が絶えない。事態はより深刻になっていると思わねばならんだろう」

 バレンテは、居住まいを正した。

「そこで、日本における信仰の灯火ともしびを絶やさぬよう、日本人の宣教師を増やそうと思う。日本人信者を導くのは、やはり日本人のほうがよい。ヨーロッパ人は目立つから迫害下では、すぐに捕まってしまう。それでは宣教師の命を不用意に危険に晒すことになるし、匿う信者も無事ではすまない。そなたは、大神学校でも優秀だったと聞いている。だから、そなたをパードレに叙階し、日本へ帰国させることも考えているのだ」

 驚いて顔を上げると、バレンテがしたり顔でこちらを見ている。今の言葉は真だろうか?

「今後は、日本人の宣教師をより多く育成してマカオやマニラから日本へ派遣するつもりだ。そなたも心しておくように」

 パードレ・ロドリゲスは、日本人のパードレが求められる時がくると言っていた。今がそうなのか。破門が解かれ、パードレとなって日本へ戻れる? こんなことがあっていいのか? 信じられなかった。

「ところで、破門を解くにあたって、そなたに引き受けてもらいたいことがある」

 途端に警戒し、身構えた。

「タデウス・カルバジャルについて証言をしてもらいたい。あの者がマヌエル・カルバジャルと暮らしていた頃の話やマカオでのようすを。タデウスは、隠れユダヤ教徒であり、邪教徒である。信者のふりをして暮らしながら、反キリストの教えを崇めるという大罪を犯した上、マカオでは傭兵たちを率いて内乱を企てている……というようなことをな。なにも難しいことではあるまい。そなたは、タデウスを童の頃から知っているはず。信憑性のある話ができよう。あの者が真のキリスト者ではないことをに言えばいいのだ。私の言う意味はわかるな?」

 龍之進に不利な証言を、真実であろうとなかろうと、並べ立てよということか。浮き立った心があっという間にどす黒い奈落へ沈んだ。

「龍王は、隠れユダヤ教徒ではありません。それに、内乱など企てておりません。傭兵が彼の周りに集まるのは、龍王がかつて傭兵だったから……慕われているのです。決して暴動を起こすためなどではありません」

「明の官僚からすれば、武器を持つ日本人商人は倭寇と同じだ。それに、日本人の傭兵は、これまでもマカオで騒ぎを起こしてきた。タデウスは、傭兵を抱える商船の船長で、マカオにいる大勢の傭兵たちにも慕われているなら、危険視されるのも無理からぬこと」

「龍王は、むしろ暴徒と化すような傭兵たちを取り締まってきました。それは元老院も認めているはずです。慈愛堂を作り、貧しさ故に野盗にならないように困窮した人を受け入れ、病人や働けない人たちを保護し、今では日本人ばかりか、他国生まれの者たちも世話するようになりました。私財を投じて人々のために尽くしている彼が暴動など企てるはずはございません」

 よりによって、龍之進を陥れる手伝いをせよと。龍之進に不利な証言をすることが破門を解く条件とは。一瞬でもバレンテに善意があると期待した自分が情けなかった。

「私の願いは、捕らわれた龍王を解放していただくことです。どうかお聞き届けください」

「言っておいたはずだぞ。裁判にかかわれば、容赦はしないと。それは、タデウスにも忠告した。それなのに……そなたは、破門を解いてほしいのではないのか!」

 一瞬、心が揺れた。二十年以上キリストの教えを心の支えとして生き、パードレになるべくさまざまな学問を修めてきた。その心の拠り所と決別することができようか。

 しかし、龍之進を裏切ることはできない。多聞は、心の揺らぎを断ち切った。

「龍王は、マカオの人々のために尽くしてきた無二の男です。マカオの繁栄と平安のために海と陸で戦い、尽力してきました。この町に必要な人物なのです。今一度お考え直しを!」

「もうよい。下がれ。そなたに用はない!」

「私にはまだ話したいことがございます」意を決し、多聞は、懐から丸めた紙を取り出した。「これをご覧になり、もう一度お考えいただけないでしょうか」

 ゆっくりと手を伸ばし、バレンテは丸めた紙を怪訝そうに受け取り、開いた。紙を一枚二枚と見ていくうち、次第に手が小刻みに震え、その表情は険しくなっていく。

「なぜこれがここにある」

「長崎にいた時、入手しました。そこに書かれているのは、長崎のイエズス会の収支です。司教代理に多額のお金が渡されています。そして、司教代理が渡したはずの相手が受け取りを否定している場合や受け取り額が少ない場合、丸い印がついております。そのお金はどこへいったのでしょう。よもや教会の資産を懐に入れ、それを元手にしてあのガリオン船を手に入れ――」

「確かそなたは、パードレ・ロドリゲスの下で働いておったな。その時手に入れたのだな。このようなもの、今さらどうということはない。ここで燃やしてしまえば終わりだ」

 バレンテの声は、上擦っていた。

「それは控えでございます。本物は既にゴアへ向けて発送されました。司教代理のご対応如何によっては、ゴアで要職にあるお方に告発書と共に届けられる手筈になっております」

「なんだと」

「本物を持っている者は、ゴアでそれらを龍王に渡し、引き換えに金銀を受け取ることになっております。もし、龍王が現れなければ、その者は要職者にそれらを渡すことになるでしょう」

「そなたは、自分がなにをしているのかわかっておるのか。わたしを脅しているのだぞ!」

「止めるには、龍王を解放するほかありません。要職者に渡れば、文書の内容は裁判所や教会の知るところになります」

 ディアスとトリスタンに文書を見せて預けたが、それを持ってマカオを出た者はまだいない。しかし、ここで捨て身の賭けに出なければ、龍之進は救えない。

 今まで見たこともない恐ろしい形相をして、バレンテは多聞を睨みつけている。

「さては、その者とは、ディアスか元老院議員の縁者だな。なるほど、生きているタデウスがゴアへ行って受け取らなければ、文書は公的機関へ渡るというわけか。そなたは悪知恵が働く、タデウス以上に恐ろしい男だ。あの時、ロドリゲスと共に、そなたも排斥しておけばよかった」

 バレンテは、紙を握り潰した。

「わたしからのせっかくの提案を無下にするとはな。つくづく愚かな男よ。真のキリスト者に戻れる機会を与えてやったのに、自ら地獄へ落ちるとは」

 バレンテは、すっくと椅子から立ちあがった。

「真の敵はそなただった。司教代理を脅迫するような無礼を許すと思うか。この羊の皮をかぶった狼め! タデウスは解放してやる。代わりにそなたがゴアの異端審問所へ行け」

「『人が友のために命を捨てること。これよりも大きな愛はない』と申します」

 多聞は、恭しく頭を垂れた。これで龍之進は救われる。

「『ヨハネによる福音書』とは、殊勝だな。望み通りにしてやろう。お前を異端者として裁き、火の池に投げ込んでやる」

 扉を開けると、バレンテは声を張り上げた。

「院長室にいる不届き者を捕らえよ!」

 二日後――六月二十一日。

 マカオの町に、教会の鐘が響き渡っていた。

 聖パウロ聖堂近くの地下牢にまで鐘音がぼんやりと届いている。龍之進は牢部屋の石床に蹲ったまま耳を澄ませた。鐘音の他に妙な地鳴りがする。気のせいだろうか。

「さっきからずいぶん長く鐘を鳴らしているね。いったいなんだろう?」

 そばにいる万吉がそう言って立ち上がり、鉄柵に寄った。動くたびに足輪の鎖が床を擦り、不快な音を立てる。

 鎖を引き摺る音を聞くと、地下牢にいたマヌエルを思い出す。長崎で無実の罪で薄暗い地下牢に一人で捕らわれていた。故郷を追われ、ありもしない罪から逃れるために各地を転々として身を隠すようにして暮らしていたマヌエル……それがどんなに不安で孤独だったか。今なら、あの時の彼の心情がわかる気がする。

 でも、そんな苦難を味わいながらも、彼は人に対してやさしかった。

 胸元に下がるカルバジャル家の指輪を着物の上から握り締めた。

 マヌエル、あなたは偉大だ。我が身を顧みず、この指輪を渡して、俺を守ろうとしてくれた。そのような行動を俺はとれるだろうか。

 カルバジャル家に伝わる幸運の指輪は、マヌエルが言ったように、これまで自分を守ってくれた。それでもバレンテは冷酷で、なにをするかわからない。それが恐ろしい。これから身の上に起こることを想像すると、不安と恐怖に襲われて、おかしくなりそうだ。しかし、守らなければならない人々がいると思うことで、なんとか踏み留まっている。この牢に捕らわれている仲間、慈愛堂にいる人々、そして沙羅の家族とベル……彼らのために。

 どうか俺に力を。龍之進は、指輪に強く願った。

 万吉が不安そうな顔を龍之進に向けた。

「警鐘だよね。儂らに関係することかな?」

「わからない」

 龍之進は、恐れを見せないように努めて平静を装った。

 他の牢部屋からも、異常な鐘の音を気にし、心配する声がする。

 獄吏は、ずいぶん前に誰かに呼ばれてここを出てから戻ってこない。

 地下牢には、龍之進の下で働く水夫や傭兵たちも捕らわれていた。いくつもの狭い牢部屋が通路に面して並び、他にも詐欺や盗み、殺しなどの罪を犯した者も入牢している。龍之進は、万吉の他、仲間三人と同じ牢部屋にいた。五人とも壁から伸びる足輪を付けられていて、他の仲間も分けられ、同じように獄に繋がれている。

 牢獄内を照らすかがり火は石壁を赤く染め、炎から立ち上がる細い煙が隙間風に乗って白い帯となってたなびいた。

 ふいに白煙が大きく揺れた。石段を下りてくる足音が近づいてくる。獄吏が現れた。

「あの鐘はなんだ?」

 牢部屋にいる誰かが獄吏に訊いた。

「沖にオランダ艦隊が現れた。十隻以上もな。戦いが始まるかもしれないって話だ」

 神経質そうに腕を摩りながら、獄吏が答えた。

 牢内に微かにどよめきが起こった。

 もうオランダ艦隊が! 龍之進は、立ち上がって鉄柵に寄った。思っていたよりも到着が早い。総司令官は留守だし、マカオに戦う準備は整っているのか?

「で、どうなるんだ? 儂らは? ここから出してくれるのか?」

「それを司教代理と相談してたんだよ!」

 すると、再び地下牢の石段から複数人の足音が響いてきた。二人の傭兵を従えたバレンテと、その後に大柄な男三人が続いた。

 バレンテが目で合図をすると、獄吏は龍之進の牢部屋の前に立った。

「龍王、出ろ」

 鍵が開けられ、足輪を外された龍之進が牢から出ると、大柄の男二人に両側から取り押さえられた。

 バレンテは、龍之進の目の前まで近づき、冷笑を浮かべて囁く。

「お前を解放してやる。ただし、お前はわたしの忠告を無視して公判にかかわり、わたしがやろうとすることを妨害しようとした。つまり、わたしに逆らい、この世の秩序を乱そうとしたのだ。そのような好き勝手を許すわけにはいかない。それでは、わたしに従順な者たちへの示しがつかないからな。制裁は受けてもらう」

 バレンテが龍之進から離れると、声を張り上げた。

「この者は、マカオの町中で剣をふるい、人に危害を加えた。その罪は、償わなければならない!」

 いったいなんのことだ?

「そんなことはしていない!」

 反論する龍之進は、二人の刑吏に押さえつけられ、身動きが取れない。剣や槍、斧といった武具が置かれている一角に無理やり連れていかれ、そこにある四角の木材の前で頭を摑まれ、床に膝をつかされた。

「十四年前、マカオの騒乱の時、お前は剣をふるっていた。わたしは、この目でしかと見ている。剣を構えたお前の足元には、血を流した男たちが倒れていたのをな」

「なんだって! そんな前のことを! それに、あの人たちは俺がやったんじゃない。彼らは争いに巻き込まれた。俺は、傷ついたポルトガル人を守ろうと盾になっていたんだ!」

「フェルナンデスからも聞いている。お前は、剣で水夫にケガを負わせたな」

「あれは、向こうが襲いかかってきたから、剣を奪って退けただけだ!」

 バレンテへの反論が虚しく牢に反響する。

「さっさと終わらせなさい。時間がない」

 バレンテの命を受けて、獄吏が感情の籠らない冷たい声で罰を言い渡した。

「町中で刀剣類を携える日本人は、法により、片腕を切り落とすか、終生もしくは十年のカレー船の漕ぎ手とすると定められている」

 ぞっとした。バレンテは、強引に理由をつけて俺の腕を切り落とす気だ。

「放せ!」龍之進は、身をよじって逃れようとする。

 もう一人の刑吏が壁に立てかけてあった斧を取り上げ、淡々と刃こぼれを確認した。それから、別の斧を手に取って満足そうに頷いた。

「安心しろ。俺は腕がいい。二度や三度、ましてやのこぎりなんか使わねぇ。すぱっと一度で切り落としてやるぜ」

 腕を振りほどこうと抵抗するが、刑吏に頭を斧の柄で殴られ、一瞬眩暈めまいがして力を抜けた。その隙に、男二人に右腕を木材の上に載せられた。

「ふざけるな! そんな法を守ってるやつなんかいねぇ!」

 牢部屋の男たちが口々に叫んだ。

「龍王を放せ!」

「やめろ、そいつで儂の腕を斬りやがれ!」

「龍王の代わりに儂のを斬れ!」万吉の声も聞こえた。

 我が身に起こっていることが信じられなかった。体の自由を奪われた上で、体を斬られる。それも理不尽な理由で。吐き気がし、冷や汗が全身から吹き出し、鼓動が耳に響いた。今この時は現実なのか、それとも俺の悪い妄想なのか。妄想ならいいのに、煙の臭いはするし、仲間たちの声もはっきり聞こえる。

 刑吏が斧を肩まで持ち上げた。

 ああ、もうだめだ! 

 覚悟を決め、強く目を瞑った。

「なにをしている!」

 咎める声とともに、にわかにどやどやと人が入ってくる気配がする。はっとして目を開けると、兵士が牢に雪崩込んで、そのうちの一人が刑吏から斧を取り上げた。

 トリスタンだ。それから、龍之進を押さえつけていた二人の刑吏も退けた。

「トリスタン殿、なぜここに?」龍之進は、右腕をさすって無事を確かめた。

「こんなことになるのではないかと案じていた」

 兵らが刑吏らを押さえると、トリスタンは、バレンテに向き直った。

「なんの権限があって、統治権を行使しようとするのですか。聴訴官が命じていないのですから、この逮捕は無効です」

「あの、ここに文書がございますが?」

 おずおずと差し出す獄吏からそれをもぎ取ると、トリスタンは、ちらりと見たただけでかがり火にくべた。

「聴訴官は、このような文書を出していない。獄吏、即刻龍王とその関係者たちを解放しなさい」

「しかし、司教代理がこうするように……」

 獄吏が戸惑ったようすでバレンテを見やった。

「マカオの治安を守るのは総司令官であり、聴訴官だぞ。一昨日付けをもって、ゴア総督とゴア控訴裁判所により、わたしはディアス殿の後任を任ぜられた。今の聴訴官はわたしだ」

 バレンテは眉根を寄せ、明らかに狼狽した顔をみせた。

「なりません。この者たちはマカオに害なす者」

「オランダが攻めてきたのです。戦える者が必要です。今、マカオにいて、マスケット銃を使える者はおよそ五十人、その他戦える者は百人ほどとみています。マカオのポルトガル人やスペイン人だけでは戦えません」

 愕然とした。それしかいないのか! 確かに昨年十一月に四門の大砲を北京に送り、つい先日は、新たな大砲一門と銃を届けるために総司令官がマカオを離れた。その二つの使節に付き従った約三十人がマカオを留守にしている。その上、例年六月は、日本への交易品を買い付けるため、多くの商人が広州に向かい、不在だ。今はいつにもまして、ポルトガルの住人が少ない時なのだ。

「だが、この者たちに武器を持たせたら、暴動を――」

「司教代理、では、あなたはオランダ人と戦えるのですか。龍王のように、戦いの指揮が執れるのですか。砦や前線で采配を振る人間がひとりでも必要なのです。今は、貴族、平民、奴隷、傭兵といった身分やどの国の生まれかは関係ない。町を死守し、大切な人を守り通す人間が必要なだけだ!」

 いつも穏やかなトリスタンの激高に、龍之進は驚いた。バレンテも気圧されたのか、口を微かに開けたまま言葉を失っている。

 トリスタンは、肩で大きく息をし、呼吸を整えた。それからぐるりと牢内を見回す。

「これまで人を守ったことのない者も、もし愛する人がいて、その人を失いたくないと思うなら、共に戦え! 武器を手に取って戦える者は誰であっても、パードレやイルマンであっても、戦闘に加わってもらう! さもなければ、到底千人を超えるオランダ艦隊に太刀打ちできない」

「そんな数の……」牢内にざわめきが起こった。

「十五隻の艦隊だ。総勢千人以上が乗り込んでいるだろう。この町の防衛は、傭兵がいなければ成り立たない。外にいる傭兵たちは、龍王の指揮の下でなければ戦わないと言っている。龍王ならばわれらを粗末にしない、戦いの道具にはしないからだと! 龍王は、われらに必要だ。司教代理、あの声が、あの音が聞こえませんか」

 その場にいる者は、いっせいに息を潜めた。

 先ほどから聞こえていた地鳴りのような音が大きくなっている。地を這うような唸り声も。

「あれは、傭兵たちが……いや、日本人ばかりか他国の人々までも、男も女も子らまでも、この牢の前に集まってきて、龍王の解放を願って足を踏み鳴らしている音。龍王の無事を願い、神に祈っている声です」

 地下牢にまで響く振動を感じながら、龍之進は、地上にいる人々を憶った。傭兵たちや慈愛堂にいる人々、商いや日々の暮らしで知り合った人たちの顔が次々と浮かんでくる。

 挨拶や会話はしても、彼らには彼らの家族や親しい友がいる。彼らの身近な人々と比べれば、自分は大した存在ではない。いざという時に気にかけられるような人間ではないと思っていた。だから、自分のために行動を起こしてくれるとは思ってもみなかった。

 自然と目が潤んだ。

 なんておこがましかったのか。これまで俺は人々を守ろうとしていた。人を守っても、彼らから守られることはないと。でも、意識しないだけで、俺は守られていた。

 過去のできごとが浮かんでは消えた。商いに行き詰まると商人に口利きをしてくれた人、海賊がいるからとさりげなく別の航路を教えてくれた人、慈愛堂の食料が足りないと知ると漁家を紹介してくれた人もいた。いろいろな場面で、俺は助けられていた。

 龍之進は、牢部屋にいる仲間一人一人の顔を見た。今、俺をじっと見つめているこの仲間もそうだ。俺を心配し、身代わりになるとまで言ってくれた。俺は、ずっと一人だと思っていたけど、そうじゃなかった。

「この者に騙されているのだ。わからないのか」

 バレンテは、龍之進を指さした。

「『黙示録』にあるぞ。地上の者たちの関心は、反キリストに向けられ、その者に従うようになる。人々は、龍を拝み、サタンは自らを神とし、礼拝されることを願う、と!」

「龍王の仲間を解放しなさい。早くしないと、地上の彼らがここに押し寄せてくるぞ」

 聖書の『黙示録』を口にするバレンテを無視して、トリスタンが周りに命じた。

 獄吏と刑吏、兵士たちが鍵を次々と開け、龍之進の仲間を出した。

 バレンテと取り巻きの傭兵をその場に残し、龍之進はトリスタンたちと地上への階段を上がった。牢から聖書の一節を唱えるバレンテのあてつけがましい大声がいつまでも聞こえてきた。

 牢の表では大勢の人垣ができていて、龍之進の姿を見つけると、彼らは大歓声をあげた。あっという間に人々に囲まれ、龍之進は無事を喜ぶ声をかけられた。人々の間に挟まれて揉まれ、龍之進は、感極まって泣きそうになるのを堪えながら、彼らへの感謝の言葉を何度も口にし続けた。

 翌日、六月二十二日になると、オランダとの戦いを恐れた町の住人たちが次々とマカオから北へと避難を始めた。龍之進は、大きな荷物を抱えたり、馬の背に載せて逃げる人々の大河のような流れを縫うようにして、ディアスの家に辿り着いた。

 トリスタンから、バレンテによって大神学校の懲戒室に閉じ込められていた多聞が解放され、今はディアスの家にいると連絡があったからだ。よほどの極悪人でもなければ、動ける者は戦闘に備えてほしいというのがトリスタンの意向だった。

 なぜ多聞が捕らわれていたのか、龍之進は知らない。ただ、バレンテを追い詰める公判を手伝ったことで、逆隣に触れたのだろうというのは想像にかたくなかった。その上、今ディアスから話を聞くまで、多聞がディアスと共に破門されていたことも知らなかった。

 二階のいつもの部屋に多聞はいた。着ている日本の衣を整え、背筋を伸ばすと、戸口に立つ龍之進に向かって微笑んだ。その顔は少しやつれている。

「多聞、大丈夫か?」

「お前こそ。捕らわれて酷い目に遭っていたのではないかと心配していた」

 多聞は近寄ってくるなり、龍之進に抱きつき、背中を叩いた。

 ふと、マカオでの再会を思い出した。あの時も多聞とこうして抱き合った。考えてみれば、これまで何度も互いに無事を確認しては喜びあった。関ケ原で別れて長崎で思いもよらずに出会えた時も、長崎を追われて俺が洞窟に隠れていた時も。そう、洞窟の時は、多聞が俺を捜して、食べ物と衣を届けてくれたのだ。その上、沙羅とマヌエルに会えるように手筈も整えてくれた。俺の人生の要所要所にいつも多聞はいて、俺を支えてくれる。そして今また重大な局面にいる。

 多聞の無事を確認できただけで気持ちが落ち着いた。短時間であっても、会えてよかったと思った。

「お前は、昔から肝心なことを言わない。ほんとうに大丈夫か? なにか俺に隠してないか」

「ないよ」

「嘘をつくなよ、多聞。少し……痩せたな」

「懲戒室で絶食の罰を受けていたからね。食べれば、すぐ戻るよ。それで、私はなにをすればいい? こういう時、お前のように刀が使えればと思うのだが」

 互いに酷い目に遭いながら、それに構っていられないほど、情勢は切迫している。戦いに突入すれば、なかなか会えないどころか、互いに命の保証はない。一瞬一瞬が貴重で、言葉を交わせるのもこれが最後かもしれなかった。だが、今はゆっくりと話している時間はない。

「火縄銃の使い方を覚えているか? 童の頃、お前のお父から教わったろ? 後でマスケット銃の扱い方と大砲の撃ち方を教える。トリスタン殿とも話したんだが、パードレやイルマンたちには、砦の守備に就いてもらうつもりだ」

 そう口にした瞬間、多聞が破門され、イルマンではないことを思い出した。しかし、構わず続けた。

「どの砦を守るのかは後で連絡するよ。そこで武器の扱いを教わってくれ。今日明日中にでも攻撃が始まるだろう。時間がない。準備を急がないと」

(第24回へつづく)