MSWとして数多の死に際に接してきたお二人の話を聞きながら、私はぼんやり感じ始めていた。

 やっぱり鍵は“意思表示”なのだ、と。

 病院は命を救う場所である。だから、基本的には目の前の命の火を消さないことを何よりも優先する。けれども、死なない=元の生活に戻れる、ではない。極端な話、本当に命が繋がっているだけ、の状態にもなりうる。

 それがいいのか悪いのか。これについてはすでに何度かふれてきたので、改めて蒸し返すつもりはない。

 だが、身寄りのない私にとって、医療機器と病院スタッフの手を借りながらただ呼吸し、脈だけ打っているような状態は恐怖すら覚える。リヴィングウイルに登録したのは、そんな事態を防ぐためなのだが。

「数年前のことです。Sさんという女性が救急で運ばれてきました。搬送時はかなり危険な状態でしたが、スタッフの懸命な措置によってなんとか蘇生はしたのです。しかし、人工呼吸器に繋がれ、挿管を外すと命を保てない状態でした。そして、すべての処置が終わった後に駆けつけた親戚――たしか甥とか姪とか、そういう立場の方だったと思いますが――によって、ご本人が署名したリヴィングウイルが示されたのです」(井元)

 搬送時、Sさんの所持品からは意思表示カードなどは見つからなかった。

「そこからが大変でした。ご親戚は『Sは救命措置をしてほしくなかった。私たちもSの意思を尊重したかった。それなのになぜ助けたのか』と抗議をされまして。ただ、救急病院では、運ばれた時点で何も確認できない場合、救命しか選択肢はありません」

 至極当然である。

「ですが、親族の方々はリヴィングウイルを盾に、人工呼吸器の挿管を取ってくれと主張されました。しかし、病院としては受け入れられない要望です。さらに胃瘻が必要と判断されるに至り、先方もかなり感情的になってしまいました。どうしてSの意思が尊重されないのだ、とお怒りになったのです」

 病院はやるべきことをやっただけだ。本来責められる筋合いはない。だが、説得する立場にいる井元さんも、疑問を感じないではなかったという。

「最終的にSさんは療養型の病院に転院することになりました。ですが、ご本人に意識があれば『こんなはずじゃなかった』とおっしゃったことでしょう。私自身、何が正解だったのかと自分に問い続けています」

 このような事例は誰の身にも起こりうる。

 私のように身近に家族が住んでいない人間は特に危険だ。

 以前は一度延命装置を付けてしまうと、それを中止するという判断はほとんど取られることはなかった。しかし、医療現場でSさんのような例がたびたび発生した結果、後から明確な意志を確認できた場合は延命治療を中止してもいいのではないかとする医師も増えて始めている。だが、積極的に中止の判断をする医療関係者はまだまだ少ない。法的にかなり危ない橋を渡る事になるからだ。

 それに、いわゆる延命治療については誤解も少なくないと今尾さんは指摘する。

「たとえば、あるALSの患者さんは、主治医に気管切開を勧められましたが、当初は断るつもりでいらっしゃいました」

 ALSが進行すると痰などの分泌物が気管を塞ぎ、窒息してしまう恐れがある。医師が勧めたのは、それを防ぐために吸引装置をつけるためだったのが。

「一度気管切開してしまうと人工呼吸器を付けられてベッドの上に縛り付けられた状態になり、風呂やデイサービス通いなど、それまで享受してきた生活ができなくなると懸念されたのです。ですが、実際にはそんなことはありません。気管切開後の一般的な生活をきちんとご説明したところ『ならば一度考えてみる』と言って帰宅されました」

 ところが、直後に大きな不幸が起こってしまった。気管切開を受け入れると決めたその夜に、窒息して亡くなってしまったのだ。

「患者さんが治療方法についてすべて正しい知識を持っているとは限りません。たとえば、胃瘻は一度付けたら外せなくなり、一度も経口摂取に戻れないまま死ぬまで無理やり栄養を取らされる、というようなイメージを持つ方が多いかと思います。ですが、そんなことはないんです」

 これに関しては私も経験がある。亡父が脳出血で入院した時、医者から胃瘻を勧められた。すでに認知症がかなり進んでいた父の、実質上の代理意思決定権者だった私は、提案を聞いた瞬間に強い抵抗感を覚えた。今尾さんがおっしゃったように、胃瘻に対して「二度と戻れない無駄な延命処置」という漠然としたイメージを持っていたからだ。

 けれども、よくよく話を聞くと、あくまで一時的な治療手段であり、必要がなくなれば穴を閉じて経口摂取に戻れるという。そして、実際その通りになった。胃瘻していたのはわずか二週間ほどで、外した後は無事経口摂取に復帰した。

 父は、その後二年は生きた。その二年が当人にとって幸せなものだったかどうかはわからない。だが、少なくともベッドの上でただ生かされるだけではなく、心身に問題を抱え、徐々に衰えてはいきながらも、いわゆる“日常生活”を送れていたのは紛れもない事実だ。

 中途半端な知識では、命の問題さえ誤断する可能性がある。それが情報化社会の怖さだと今尾さんは指摘する。

「胃瘻についてはドクターの間でも議論がありました。昔は飲み込みの能力が悪くなったら即胃瘻を作って誤嚥を防ぐべし、という流れがあったのです。しかし、その処置が本当に最適なのかについては、これというエビデンスがありませんでした。むしろ、病院都合で胃瘻を作ることが多かった。背景には手間のかかる経鼻栄養を嫌う病院が多いため、胃瘻にしないと療養型病院に転院させづらいという事情がありました。制度の弊害が出ていたんです。よって、『胃瘻を安易に考えすぎているのではないか』という議論がドクターの中でも起こったわけです」

 患者側にしてみれば、転院のためだけに本当に必要かどうかわからない手術をされた、という印象が残りかねない。

 ベッドの上で呼吸するだけの廃人のようになってしまった患者を目の当たりにした家族が、胃瘻をつけたがために生き長らえ、無駄な苦しみを負わせてしまったと感じたら、以後は胃瘻を全否定するだろうし、周囲にもそれを話すだろう。

 一方、私の亡父のようなケースは、一過性の治療として時が経てば忘れてしまう。

 こうして「胃瘻=悪」の漠然としたイメージだけが積み上がっていく。

 胃瘻に当てた焦点を「延命治療」全体に拡大しても、同じ流れが起こっているようにも思える。みんな口を揃えて「無駄な延命治療はしてほしくない」という。だが、何割が「無駄な延命治療」とはどんなものなのか深く考えたことがあるのだろうか。

 正直、この連載を始めるまで、私も延命治療に対してもぼんやりとしたイメージしか持っていなかった。医者は金儲けのために何が何でも延命させようとするのだろうという程度の認識しかなかった。

 だが、実際は違った。

 医療の現場では、制度の壁にぶつかりながらも、理想の終末期医療を模索している人たちがいる(ただし儲け主義の病院があるのも事実である)。

 なぜ試行錯誤が繰り返されているのか、その理由は簡単だ。

 私たちが、人類史上初めての「なかなか死ねない世の中」を経験している世代だからだ。

 唐突で恐縮だが、今、私の手元には一葉の古いモノクロ写真がある。母方の家族の集合写真だ。昭和三十年になるやならずの頃に撮られたそうだ。

 五センチ四方の枠の中に収まっているのは幼い母と伯父、そしてまだ若い祖母とその母、私にとっては曾祖母にあたる人だ。そしてもう一人、曾祖母と同世代と思しき親戚の女性という人が写っている。

 曾祖母と親戚の女性の見た目は八十代のお婆さんのようだが、年齢を逆算すると撮影時はおそらく五十代前半だったはずだ。私とそういくつも変わらない年齢の女性は、写真の中では明らかに今の私より何十歳も老けている。

 安楽死問題を取り扱った回でも触れたように、旧来は死んでいた命を繋ぎ止められるようになったのは一九七〇年代以降のこと。日本では、その時期、初めて平均寿命が男女ともに七十歳を超えた。そして今は男女ともに九十歳を超えようとする勢いだ。たった半世紀ほどで、寿命が二十歳も伸びたのである。それに伴い、外見も二十歳かあるいはそれ以上若さを保つようになった。

 一方で、健康寿命は今でも男性が七十二歳、女性が七十四歳にとどまっている。

 つまり、ごくごく単純に数字だけで解釈すると、死ぬ前の十数年間は多かれ少なかれ誰かの手を借りなければ生きていけない状態になると覚悟しなければならないわけだ。

 ところが、昔の老人に比べてなまじ体力があり、見た目も若々しいがゆえに、自分の人生が下り坂に入っていくことに気づきづらくなっている。

 今の五十六十は老人と呼ばれるには少し早い。それは確かである。

 しかし、単純に生物として見た時、もういつ死んでもおかしくない領域に入り始めているのも間違いない。

 特に奇禍に遭うこともなく、健康に気をつける生活していれば、かなりの確率で九十歳まで生きる時代だ。

 だが、誰もが心身頭脳すべて健康な状態でたどり着けるわけではない。それを自覚した上で、少なくとも五十代に入ったならば蘇生処置や延命治療に関する最低限の意思表示は行っておくべきだろう。いや、むしろ、まだまだ活躍できる世代こそ、真剣に考えておかなければならないのだ。

 私たちは、漠然と病気や怪我が治りさえすれば元の生活に戻れるとイメージしてしまう。だが、実際には何らかの後遺症が残ることが多い。特に年を取れば取るほど、元の生活に戻れるかどうかは危うくなっていく。

 何もできない子どものようになってしまった自分。

 ベッドの上で動けなくなった自分。

 そういう状態ならまだ考えが及びやすいかもしれない。

 しかし、それより怖いケースもある。一見以前と変わらないのに、実は何らかの障害を負ってしまうケースだ。脳疾患によって発生する高次機能障害などはその好例だろう。

 一見知的レベルは保たれているように見えるものの、実際には記憶力や判断力の低下や人格の変化が起こってしまう。

 家族なら病気のせいと理解した上で付き合えるが、さほど親しいわけでなければ気づけない。怒りっぽくなったせいで誤解を受けたり、物忘れが激しくなったせいでルーズな人と見られるようになったりすれば、仕事をはじめとする社会生活に差し障りが出てくる。好むと好まざるとにかかわらず“生涯現役”でいなければならない子無しの独り者にとって、これは致命的だ。

 とにかく、長生きすればするほど、心身の衰えは思わぬタイミングで、予想外の形で出てくる。結局、現代人には起こりうる事態を想定した上で、それに対する手当を予めしておくのが必須なのだ。

 そして、もし延命治療に対する正確な認識を持った上で、それでもなお尊厳死を選択したいのであれば、周囲の人たちに余計な苦悩を与えないよう、事前に明確な意思表示をしておく必要がある。

 逆に言うと、「延命治療を拒否する」なんてことは、いつ死んでもいいように準備を済ませている人だから言えることであって、何もしていないくせにいきなり「尊厳死させろ」はド厚かましいにもほどがあるのだ。

「とはいえ、完全にどう死にたいかを決めておくのはやはりハードルが高いと思います。ですから、せめて継続して考えておいてもらいたいなと思うんです。死についての思いは刻々と変わるものです。脳梗塞が発症して寝たきりになり、目しか動かないような状況になって、文面には延命しませんとなっているけど、死が迫って来る中でやはり生きたいと思い直す人もいます。意思決定が変わる可能性は十分あるんです。ただ、思いの傾向はあるはずですので、それを普段から考え、家族や友人にでも伝えておいてもらうと、何かの時には重要な判断材料になります」(今尾さん)。

 確かに、死に対する思いは、考えれば考えるほど変化していく。私にも変化があった。

 ただ、私の場合、「納得のいく人生さえ送っていれば死は悲劇ではなく、救済である」というベースの部分だけは変わっていない。そこを起点に考えると、私が他人に伝えておくべき「判断材料」はおのずから浮かび上がってくる。

 私は、私の人生にかなり納得している。だから、母さえ見送れば、後はいつ死んでも構わない。よって、死病を得た時点で天涯孤独の身であれば、一切の蘇生措置や延命治療は拒否する。そして、MSWと信頼関係を作った上で、死後処理の一部――具体的には関係者への死去の連絡だが――を手伝ってもらえるようお願いしておくつもりだ。

 一方、母の存命中に私に何か急なことあった場合、元の生活に戻れるなら蘇生措置と延命治療のどちらも希望する。だが、母に身体的/経済的負担をかけるような状況になりうるならば、そのまま死んでいきたい。

 あるいはこんなケースも考えられる。

 月単位の比較的近い将来に死ぬのは間違いない。けれども、延命すれば母が私の死に納得できるだけの時間を作れる。ならば、今際の際の蘇生措置だけは絶対しないという条件が満たされる場合のみ、延命治療をしてもらう。

 考えれば考えるほど細かいケースが出てくるわけだが、おそらくいずれもMSWをはじめとする医療機関の方々の協力がなければ実現できない。

 というわけで、“死に至る病(含む怪我)”で病院にかかる場合の方針は決まった。

 まず、入院までに余裕がある場合は、尊厳死協会が出している資料を元に尊厳死に肯定的な病院を探し出し、そこに入院なり転院なりできるように手配する。

 次にできるだけ早くMSWとつながり、自らの“死の方針”を伝える。

 “死の方針”はしっかりと書面化し、第三者が閲覧可能な状態にしておく。今の世の中ならブログなんかもありかもしれない。あれも社会一般様に向けて公開しているものだし。とにかく、自分が何を頼み、何を頼んでいないかを(もしいれば)第三者に伝えておく。

 以上である。

 ようやく病院関係の「繋がっておくべき人」が明確になった。

 とはいえ、まさかMSWにお骨拾いまでお願いするわけにはいかない。次は死んだ後の始末のために「繋がっておくべき人」を捜さないとダメだな。

 やれやれ、着実にゴールに近づきつつあるとはいえ、探索はもう少し続きそうだ。

(第28回へつづく)