第三章

一(承前)

 ――公判の当日。

 雷鳴が轟き、大粒の雨粒が地面を激しく叩いた。

 バレンテは、左手に金色の棍棒のような杖を持ち、取り巻きのパードレやイルマンと十人の傭兵を引き連れて、元老院庁舎を足早に進んだ。マカオ総司令官の執務室の前までくると、躊躇なく扉を開けた。室内で総司令官は窓辺に立って書類を見ていたが、不意に入ってきたバレンテを見てきょとんとした。

 バレンテが傭兵に合図をすると、あれよという間に総司令官は傭兵に両脇から取り押さえられた。

「これは、なにごとですか!」

「総司令官、すべてはそなたのふがいなさが招いたこと。自らの責務に忠実に生き、責任を持ってあたられよ!」

「なんのことです。わたしは明日マカオを発たねばならない。急ぎでやらなければいけないことが――」

 取り押さえられた総司令官の肩を、バレンテは杖頭で軽く叩いた。

「マカオの統治を任される総司令官が部下の聴訴官を押さえていれば、不当な公判が開かれることはないのだ。日本と明との交易で留守がちとはいえ、統治に無関心では困る!」

 事態が飲み込めず、総司令官は、当惑した顔をバレンテに向けた。

「職務怠慢を国王陛下にご報告申し上げることにする。総司令官の職を解かれることになると心得られよ」

 その時、雷光が鋭く室内を照らし、バレンテの顔に濃い陰影を作った。

 元老院庁舎にある法廷の窓から、多聞は、曇天を切り裂く雷を見た。

 書類を整えながら、隣にいるディアスを窺った。彼の顔色は芳しくない。バレンテの脅しや妨害で、心労が重なっているせいだろう。

 窓際の席に就いた小柄な判事は、じっと開廷を待っている。

 裁判所の長官が肥えた体を左右に揺らしながら入廷してきて、壁際の一段高い位置にある椅子に腰を下ろした。

「では、審理を始めましょうか。聴訴官、訴状の内容をどうぞ」

 ディアスは、椅子から立ち上がり、訴状と調書を読み上げた。その声は掠れており、少し肩で息をしている。無理を押してこの場に臨んでいるのを、彼の後に座る多聞はひしひしと感じた。

 さほど広くない法廷には、公判の関係者しかいなかった。多聞の隣には藤九郎がいた。彼は顔を強張らせ、見るからに緊張している。振り向くと、壁際の長椅子に龍之進がひっそりと腰を下ろし、藤九郎を見守っていた。目が合ったので、小さく頷いた。大丈夫だ、きっとうまくいく。

「船長フェルナンデスは、司教代理に同伴してマニラへ行った際、国王陛下の代理商人と称して交易を行いました。それにより、マカオでの関税を逃れ、強いては国王陛下の収入に損害を与えたのです」

 ディアスの正面に座る長官は、前のめりになって聞き入っている。

「また、明の男女を正当な奴隷か否かを確認せず、不正な手段で買い求め、マニラへ連れていきました。その際、一人当たり十クルザードで買い、マニラでは百二十クルザードで売ったとの人買い商人の証言と証文もあり、事実は明白であります。その他にも、前金十クルザードを渡す手口で、唐人を集めてはマニラへ送り込み、売っていたという水夫の証言もあります。先月も、同様の手口で唐人と日本人を集め、民家に監禁しておりました。ここに証人がおります」

「では、証人の話を聞きましょう」

 長官の言葉を受けて、ディアスが藤九郎に向かって目で合図をした。その時、どこからか鐘を打ち鳴らす音が聞こえてきた。その音は徐々に近づいてくる。

 長官から注意をするよう命じられた官吏が法廷の入り口を開けた途端、手に持った鐘を打ち鳴らすイルマンとパードレが入ってきて、その後からバレンテと総司令官が現れた。

「この審理は閉廷とする。皆、速やかに退廷せよ!」

 総司令官が大声を出すと、鐘は鳴りやんだ。

 ディアスと長官、判事はそれぞれ顔を見合わせる。

「聴訴官、あなたの証拠集めに不正があるとの告発があった。証拠を捏造し、証人に偽証を強要したと」

「そんなことはありません。総司令官、これは明との関係にかかわる重大な――」

 再びイルマンとパードレが鐘を激しく鳴らした。

 公判を妨害するために鐘を鳴らしている! 多聞は、止めようともしないバレンテを信じられない思いで凝視した。

 鐘音に負けじとディアスは、声を張り上げた。「明の官僚からも、略奪された大勢の男女を不正取引で買い入れ、マニラに送ったとして抗議の文書が届いております!」

 総司令官がイルマンとパードレに連打をやめるよう手で合図した。

「あなたから偽証を強要された明の民は命の危機を覚えており、バレンテ司教代理が彼らを保護している。聴訴官、これ以上、明との問題を増やさないでいただきたい!」

「何を仰る! 明との問題を増やしているのは、フェルナンデスとその船主のほうです!」

「わたしがわたしの船をどうしようと、聴訴官には関係ないこと。それとも、マニラへの航海はいけないとでも? それに、教会の自由は保障されているはず。あなたは、教会の自由を侵すおつもりか」

「司教代理、この度の人買い事案と教会の自由は別の話ですぞ」

 総司令官は、ディアスの眼前まで近寄ると、声を殺した。

「明の官僚も、民が国外に連れ出されていることくらい知っている。ここで取りざたするほどのことでもない。そもそも明の人買い商人がポルトガル人に売るのが悪いのだ」

「それは問題のすり替えではありませんか!」

 じっとりと額に汗をにじませたディアスは、総司令官を睨みつけた。

「わたしは、無事ポルトガルに戻りたい。ここでの揉め事はまっぴらなのだ。それに、明日、北京に向けて発たねばならない。大砲を届けねばならないからな。このような小さな事案にかかずらっている暇はない。閉廷だ、閉廷!」

「小さな事案じゃない、命にかかわる大きな問題だ!」

 龍之進が立ち上がって叫んだ。彼は、総司令官に近づこうとしたが、二人の官吏に立ち塞がれ、取り押さえられた。

 総司令官は、くるりと反転し、法廷から出て行く。

「審理はまだ終わってない! 総司令官、マカオに連れてこられた人々の立場は弱い。でも、彼らがいなければ、この町は成り立たない! 彼らを足蹴にしていたら、いつかしっぺ返しを――放せ! 放してくれ!」

 龍之進は、官吏に廊下に連れ出されてしまった。

「龍王!」

 立ち上がって廊下に行きかけたが、藤九郎が脅えた目で自分を見ているのに気づいた。多聞は、励ますためにその肩に片手を置いた。

「ディアス殿、残念だったな」

 不敵な笑みを浮かべたバレンテがディアスの前に立ち、杖頭でディアスの胸を小突いている。

「だいぶお疲れのようだ。フェルナンデスが釈放されれば仕事も減る。ゆっくり休まれよ。行くぞ!」

 バレンテは、踵を返した。

「教会は、弱き者を助けるのではないのですか! もてる者がもたざる者を助けるのではないのですか!」

 多聞は、思わず声を張り上げていた。

「人買いに遇うのは、たいてい貧しく、権力のない弱き者です。弱き者は、虐げられ続けると、怒りの感情を失い、声を上げることさえ忘れる。このままでは、いつまで経っても彼らは救われない! 司教代理も、マカオの奴隷がどのような待遇で、その多くが惨めな最期を迎えるのかよくご存じなはず。ましてや死ぬまで酷使されるのがわかっていながら他国へ送られるのを、隣人を愛するなら黙って見過ごすことはできない!」

 振り返りもせず、取り巻きを引き連れて、バレンテは急ぎ足で法廷を出ていく。

「司教代理、お待ちください!」

 追いかけようとする多聞の右腕をディアスが摑んだ。

「よしなさい。公の場でイルマンが上長に逆らったらどんなことになるか。ほんとうに破門されてしまうぞ。それに、なにを言っても無駄だ。よもや……このような暴挙に出てくるとはな。わたしは方策を誤った!」

 バレンテがいなくなった入り口を多聞はじっと睨み続けた。バレンテ相手に愚直すぎると失敗する、正攻法で立ち向かうと不利になる。それをパードレ・ロドリゲスは、十二年前、身をもって示した。そしてまた、バレンテの卑怯な手を目の当たりにすることになるとは!

 誰の目にも明らかだとしても、その時の力の強弱で理不尽がまかり通る。これでいいのか、これで。これが世の正義なのか。

 ぎゅっと両手の拳を握り締め、強く瞼を閉じた。

 これでは虐げられ、弱い立場の人々は命を搾取され続ける。龍之進や藤九郎の命を賭けた訴えさえも無駄になる!

 悔しさと怒りがい交ぜになり、抑えきれない爆発的な衝動が全身を駆け巡った。

「こんなことが許されていいわけがない!」

 目を見開き、椅子の背凭せもたれの笠木を両手で叩いた。小刻みに震える手を見ると、強く叩き過ぎたせいで掌が真っ赤になっている。

「聴訴官!」 

 どさりと音がし、判事の声が法廷に響いた。

 ディアスが倒れている。

 駆け寄ると、ディアスは顔を真っ青にし、苦しそうに胸を押さえている。

「ディアス殿! ディアス殿、お気を確かに!」

 公判の閉廷から五日後、船長フェルナンデスは、関税未納の事実を認め、納税を約束して釈放された。

 その知らせを万吉から聞いた龍之進は、すぐさま家の書房にある帳簿を次々と取り出し、机に広げた。

「万吉、手伝ってくれ。急いで千クルザードを用意するんだ」

 フェルナンデスの関税未納に関する審理が思っていたよりも早く終わったことに驚いた。バレンテが早期にフェルナンデスを釈放させるため、手を回したに違いない。

「そんな大金をどうするの?」

「フェルナンデスは、今回の人買いの件で、十クルザードを渡した日本人や唐人を見つけ出してマニラへ送ろうとするだろう。確かフェルナンデスは、千クルザードを渡せば、彼らを自由にすると言っていた。だから、彼らに代わって俺が金を払う」

「千クルザードか。手持ちがあるかな。この帳簿をすべて洗い出してみればいいんだね?」

「頼む。たとえ大方の資産がなくなったとしても、また交易で稼げばいいから。ところで、藤九郎たちは?」

「龍王に言われた通り、別の宿を手配したよ。分かれて宿を取ったから、すぐには全員捕まらないはずだ。藤九郎だけは、念のために傭兵たちのねぐらに泊まらせてもらってる」

 藤九郎は自分のそばにいるより、今は離れていたほうがいい。バレンテが俺に報復してくるかもしれないから。

 五日前の公判を思い出すたび、感情が高ぶった。田畑を耕す牛馬や物言わぬ物品のように人が扱われるのが小さなこと? 冗談じゃない! とりわけ異国で日本人が見下され、そのような酷い扱いを受けるのを黙って見ていられるか。

 しかし、あの公判に拘ってはいられなかった。藤九郎たちを守るために、バレンテとフェルナンデスの動きに備えなければならない。早く次の手を打たなければと焦った。

 龍之進と万吉が頭を突き合わせて数字を書き出していると、ハイニャ・ド・マール号の水先案内人が入ってきた。

「龍王、階下で呼んだんだが、返事がないから勝手に上がってきた」

「ああ、すまない。今、手が離せなくて」

「なら、聞くだけ聞いてくれ。今朝港に入ってきた唐船の船長から妙な話を聞いた。オランダ艦隊十一隻が占城ベトナム方面からこちらへ向かっているそうだ」

 龍之進は、手を止めた。五月末からポルトガル船を待ち伏せするため、オランダ船とイギリス船がマカオ沖にいる。その数は、合わせて四隻。十一隻は、商船狙いの海上封鎖にしては数が多かった。

「もし、マカオ沖の船と合流したら十五隻になるな。いつ頃この辺りを通る?」

「たぶん一週間もない。数日中だ」

「この話、元老院には?」

「伝わっているんじゃないか? 海上は常に警戒してるはずだから」

「念のために、元老院に報告しておこう。その船長はどこに? 詳しい話を聞きたい」

 龍之進は、机から離れ、万吉に作業を任せて水先案内人の男と書房を出ようとした。その時、階下から大勢の足音がし、兵が勢いよく階段を上がってきて、龍之進の行く手を塞いだ。

 兵を掻き分けて一人の男が龍之進の前に立った。元老院で見かける執行官だ。

「龍王だな」

 龍之進は身構えた。男は顔色一つ変えず、持っていた巻物の紙を広げた。

「タデウス・カルバジャル。マカオに対する反逆的徒党の首領として、その身柄を確保するようにとの聴訴官の命が出た。また、お前には有害にして、反逆的である隠れユダヤ教徒の嫌疑がかけられている。この罪は審問の対象になるので、私財は没収、身柄は直ちに足枷をして牢に繋ぐ。周りの者も尋問の対象となる。全員身柄を確保せよ!」

 

 ディアスのベッド脇に座り、多聞は声をかけた。

「お疲れは取れましたか」

 ディアスに笑顔を見せてはいたが、心は沈んでいた。公判の日の晩、修道院長に呼び出され、理由もよく説明されず、修道院からの退去を求められた。バレンテが手を回したのだとすぐに悟った。以後、ずっとディアスの家に滞在している。

 その翌日、パードレ・原が訪ねてきて、バレンテが各修道会との会合の席でディアスと自分を名指しで非難し、二人を破門すると公言したと教えてくれた。原は、バレンテに一刻も早く赦しを請えば破門は解けるかもしれない、改めて司教代理に恭順を誓いなさいと熱心に説き勧めた。しかし、ことはそう簡単に済むとは思えなかった。なにより、心の整理がつかなかった。

「セバスチャン、ゴアの控訴裁判所やゴア総督にバレンテ司教代理の言動は逐一報告している。ゴアから圧力がかかれば、バレンテは破門を解かざるを得ないだろう。わたしの破門は、いずれ解けよう。しかし、そなたの場合は……たとえ破門が解けたとしても、バレンテがマカオにいる限り、肩身が狭かろう?」

 どう答えたらよいのか。考えあぐねて、多聞は俯いた。パレンテが司教代理を務めている間、破門が解けるとは思えなかった。しかし、子供の頃から教会とともに生きてきた。破門は、やはり精神に堪えた。

「セバスチャン、裁判にかかわったことを後悔しているのか?」

「いえ。もし手を引いていたら、破門にならなかったとしても、後悔したでしょう」

 いつパードレになれるかもわからないのに、我が身の保身に走り、ディアスと藤九郎たちを見捨てたと思うから。

「私は、パードレになって日本へ帰ると約束した信者たちがおります。彼らは、今も日本で迫害に耐えながら信仰を守り続けているでしょう。しかし、藤九郎たちのことを見て見ぬふりはできませんでした」

 でも、結局どちらもうまくいかなかった。私の選択は間違っていたのか、それとも正しかったのか。心が揺れている。これも神が私にお与えくださった道なのか。どこを目指したらいいのか……まるで闇夜の荒野を彷徨さまよっているかのようだ。

 その心を読んだかのようにディアスが言った。

「困難に立ち向かい、挑むことを神はわれわれに望まれることがある。うまくいくことだけに挑戦するのではない。道半ばで死すことになっても、やらねばならぬ時もある」

 ディアスは、上半身を起こした。

「セバスチャンが法廷で言ったように、理不尽と不平等に耐えているうちに人の心は死んでしまう。虐げられることを当然と思うようになる前に、反撃する時まで力を蓄え、戦わねばな。なにより自分のために。自分を大切にしなければ、生きている実感は薄れてしまう」

 ディアスの言葉がロドリゲスのそれと重なった。生きていく上で大切なのは、理不尽や不平等を乗り越える力を持つこと。不条理を受け入れ、向き合い、戦う勇気を持つこと。弱音を吐いても、くじけても、心を強く持って立ち上がる……その大切さを思い出した。

 召使いが現れ、トリスタンが訪ねてきたと告げた。部屋に案内されたトリスタンは、ディアスの体調を案じた後、本題に入った。

「ディアス殿、龍王が反逆罪で逮捕されました。バレンテ司教代理が聴訴官のいない間に書記に逮捕状を書かせたのです」

「龍之進が反逆? そんなばかな!」多聞は、声を張り上げた。

 目を剥いたディアスは、ベッドから立ち上がった。「またバレンテか! 越権行為が過ぎる! 統治権にまで手を出すとは!」

 どうすればいい。今の私になにができる? 私はなにをすれば……私にはなにもない、なにも残っていない。あるのはこの身一つだけ。

 その時、脳裏に閃光が走った。

 話し合うディアスとトリスタンを残して多聞は部屋を飛び出した。それから仕事部屋に入り、机の下に置いておいた木箱を取り上げた。

 今こそパードレ・ロドリゲスから預けられた、これを活かす時だ。

 龍之進を救うために。

(第23回へつづく)