私はとにかく身の程知らずで、その上傲岸不遜であることは人後に落ちない。よって、親だろうが教師だろうが上司だろうがそう簡単には服従しないし(ために随分損をしてきたが完全に自業自得である)、まして尊敬するなど極めて稀だ。
だが、そんな私でも無条件に頭が下がる人が何人かいる。
そのうちの一人が、勤め人時代の上司Tさんである。
Tさんと出会ったのは、とある新規事業の立ち上げメンバーとして中途採用された会社でのこと。配属された部署の主任で、直属の上司となったのがTさんだった。Tさんが採用されたのは私のほぼひと月前なので、同期といえばほぼ同期である。だが、半月ほどで、課長でも次長でもなく、この人が実質的な部署の“ボス”なのだと私は本能的に悟っていた。
一見、カールおじさんを縦長にしたような、のんびりした田舎のおじさんっぽい雰囲気を漂わせるTさんだが、中身はまったく違った。“真に頭のいい人”というのはこういう人なんだなと素直に思った。案の定、ものの半年も経たないうちに、課内はもちろん、同部署内の他課からも一目置かれる存在になっていた。
とにかく、質量ともに他の追随を許さないレベルで仕事をする。だからといってギスギスすることはなく、誰にでも適切な距離を持って付き合う。部下には優しいが甘くはない。叱られたこともあったが、それもまた見事なものだった。声を荒らげることなくごく冷静にダメな点のみ指摘し、寸鉄人を刺す人物評を加えながら、同時にフォローをいれる。内容はいちいちごもっともで、ぐうの音もでないどころか、自分の至らなさが身に沁みてくる。そんな風だから、指摘が己の成長に益するのはミジンコでもわかる。とにかく、Tさんとのやり取りで嫌な思いをしたことはただの一度もない。
なんならTさんの超人伝説を列挙してみたい気もするが、それをやり始めるとどんどん話がそれるので、とにかく尊敬に足るすごい人である、と感謝の意を込めて記すだけにして本題に移ろう。
Tさんが会社にいたのは二、三年だった。単身赴任されていたのだが、どうしてもご家族の元に帰らなければならない事情が発生し、退職されたのだ。
帰郷後には地元の病院へ事務員として就職した、という話は聞いていた。だが、驚いたのはその後の経緯である。次に消息を知った時には、なんと事務方のトップになっておられたのだ。この間、数年もなかったように記憶している。呆れるやら感心するやらだが、とにかく、そういう人なのである。
そんなわけで、Tさんに頼めば、医療関係者から話を聞けるのではないかと思ったのだ。そこで恐る恐るメールをしてみたところ、二つ返事で引き受けてくださった上に、取材のセッティングまでやってくださった。実にありがたいことだった。持つべきものはよき元上司だ。
こうして、私はお二人の医療ソーシャルワーカー(MSW)からお話を聞く機会を得たのであった。
取材に応じてくださったのは、大分県のとある地域の中核病院でMSWとして働いておられる井元哲也さんと今尾顕太郎さん。長年、現場で医療に携わってきたベテランである。
職業柄だろうか。お二方とも物腰柔らかく、対面者を緊張させない空気の持ち主である。それに力を得て、私も勉強不足丸出しの恥ずかしい質問を、遠慮なくさせてもらった。
まず聞いたのは、MSWという職業そのものについてだった。
「医療ソーシャルワーカーとは、患者さんに困りごとがでるたびに、何に困っているのかを聞いてアドバイスをする役割です」(今尾さん)
「ここ二十年ぐらいで広がった職業ですね。今では百床を超えるような病院には必ず配置されるようになりました」(井元さん)
医療の高度化、そして高齢化による医療費公費負担増大が問題視されたのは、二十年ほど前のことだ。強い危機感から医療改革が始まり、医療分野の機能分化が進められていった。
例として、私たちにもっとも身近なのは、一九九二年の医療法改正に始まる医薬分業だろうか。
昔は病院にかかると、会計を終えて院内薬局で薬をもらうまでが一通りだったが、今は処方箋をもらい、院外の薬局に行くのが一般的だ。制度が変わった当初はなんてめんどくさいことをさせるのかと思ったものだが、今では当たり前のようにやっている。人間とは、所詮慣れの生き物だ。
それはさておき、病院の機能分化は、医療資源の分配を最適化することで無駄なコストを抑え、年々増大する医療費を抑制するのを目的としている。一つの病院があらゆる機能を持つとその分ムダも増えるので、適宜役割分担していきましょう、というわけである。
しかし、社会のあらゆることがそうであるように、業務が分化/特化すると同じ院内や地域でも連携が取れなくなってしまうケースが多発する。それによって不都合が生じたり、かえって無駄が増えたりでは意味がないので、間を取り持つコーディネーターが求められる。
そこで注目された存在がMSWだった。
実は、MSWの役割を果たした人たちは戦前からいた。日本における草分けは、米国で学び、帰国後は聖ルカ病院(現在の聖路加国際病院)で勤めた浅賀ふささんとされている。
また、戦後すぐにはGHQの指導によって各保健所に配置されもしたそうだが、業務規定があいまいだったこともあり、一時は下火になっていたそうだ。
だが、介護保険が始まったことで状況は変わった。介護と医療の橋渡し役が必要になったことで再びMSWが注目され、一定規模の病院には「地域医療連携室」が設けられるようになったのだという。
「病院によってソーシャルワーカーの使い方は違います。入院患者全員につける病院もありますし、病棟の看護師や医師の判断によってMSWが介入することもあります」(今尾さん)
私がMSWのお世話にならなかったのは、入院した病院が後者だったからだろう。だが、もし経済的な問題や、退院後になにかの問題を抱えることが確実な場合、MSWは必ず登場し、力になってくれたことはずだとお二方はいう。
「日本は健康保険がありますが、入院医療を受けるとなると、やはり最低でも月十万円ぐらいは必要になります。そして、患者さんの中には、それさえ払うのが難しい方がいる。病院としては患者さんに命にかかわる病気が見つかった時に治療しないという選択肢はありません。治療を妨げているのが経済問題であるならば、負担軽減のために利用できる制度を探し、それを利用する手続きのお手伝いをするのが私たちの仕事です」(今尾さん)
MSWは基本的に社会福祉士の資格を持っている。社会福祉士は国家資格であり、「社会福祉士及び介護福祉士法」に「専門的知識及び技術をもって、身体上もしくは精神上の障害があること、または環境上の理由により日常生活を営むのに支障がある者の福祉に関する相談に応じ、助言、指導、福祉サービスを提供する者又は医師その他の保健医療サービスを提供する者その他の関係者との連携及び調整その他の援助を行うことを業とする者」と定められている。つまり、医療福祉分野における調整業務の専門家なのだ。専門家に手伝ってもらえるほど心強いものはない。
では、経済問題以外のところ……つまり、今の私が抱えているような諸問題についてはどうなのだろうか。
たとえば、入院の保証人や手術の同意書にサインしてくれるような第三者がいない場合は?
「もちろん介入できますよ。ただ、そういったケースは本当にケース・バイ・ケースになるとは思います。しかし、少なくとも、病院が第三者の同意がないことを理由に治療拒否するのは考えられません」(今尾さん)
では、なんらかの措置を取ってくれると?
「そうですね。手続きとしては、まず本人に意思決定能力が十分にあるかどうかを検討することになるでしょう。そこに問題ないとなれば、その患者さんに関わるすべてのスタッフに意向が共有され、本人の同意だけでいこう、となるはずです。ただし、決定までには多少時間がかかるでしょう。院内会議でのディスカッションが必要になりますので。そして、最終決定までに交わされた議論が書面として残されると思います。専門家が複数集まってディスカッションをしたという実績が、本人の意向が正当だったことを証明する証拠にもなるわけです」(今尾さん)
よかった。第三者がいないからといって放り出されるというわけではないようだ。だが、意思決定できない状態と判断された場合はどうなるのだろうか。
「それもケース・バイ・ケースとしか言いようがないですね。この部分に関してはずっとグレーなままで、法的にはなにも定められていないんですよ。実際、MSWの中でも意見が分かれています。MSWが患者さんに変わって意思決定すべきだと考える人たちもいますし、それは流石に重すぎると反対する人たちもいます。代理意思決定権はそんなに簡単なものではありませんので、ずっと線が引かれないまま来ているんですね。だから、その都度病院スタッフみんなで悩みながら、ベストではないけれども、ベターという道を捜す作業を続けていくしかない、ということになります」(今尾さん)
確かに、まったくの赤の他人の生死にまつわる判断を、本人の同意なしに下すのはかなり難しいだろう。
「あくまで個人的な意見ですが、やっぱり当人がどうありたかったのかを探ることをしない限り、結論は出ないと思っています。ですから、ご本人がどんな死生観を持っておられたか、どんな最後を迎えたいのかなど、核になる部分を知っているような方がいたら、家族や親族に限らず接触を図って聞いた上で決めることになるでしょうね。独善的に、あるべき論だけで決めることだけは避けたいので」(今尾さん)
「我々の仕事の中では合意形成という言葉がよく使われます。患者さんを中心にした人間関係の中で合意をとっていき、共有するのが大前提なのです。MSWの専門性は、関係性の中にあると言っていい。だから、完全な孤立の中で生きてきた方にとっては、ご本人にとって最善な方法は何なのかを医療チーム全体で考えることになると思います」(井元さん)
やっぱり色々と事前に決めておかないと、大変なご厄介をかけることになるわけだ。
人の命に関する決断をするのは精神的に大きな負担になる。私も父の死の際に経験した。自分が下した決断は正しかったと確信しているが、それでも心のどこかに「本当にあれでよかったのか、他の道はなかったのか」と問い続けている私がずっといる。身内でさえそうなのに、赤の他人であればなおさらだろう。
それでも、余命わずかであることを告知された患者に対しては、希望の死に方をヒアリングすることもあるというお二人。当然、そこまで立ち入るには、患者と良好な関係性を築けているかどうかが鍵になる。
「以前、こんなことがありました。仮にAさんとしておきましょう。Aさんはとある病気で入退院を繰り返していました。けれども、病は癒えることなく、次の入院が最後になるかもしれない、という状況でした。ところが、Aさんは縁者がほとんどおらず、死後の整理を頼める相手がいない。そこで、Aさんをずっと担当していた私が『次の入院が最後かもしれないが、今後について何か希望はあるか、よかったら教えてもらえませんか?』と尋ねました。すると、Aさんは『最期はあんたに頼むしかない』とひと言おっしゃったんです。『他に頼める人がいないから』と。それからというもの、ポツポツとですが、自らの死をどうするかについて考えを聞かせてくれるようになりました」(井元さん)
死ぬ準備をするためにもう一度だけ家に帰りたい、死んだら福祉の担当者に連絡を取ってほしい、墓はどこどこにあるのでそこに入れてほしい……。Aさんは思いつくたびに井元さんを呼び出し、希望を述べたという。きちんと話を聞いてくれる相手を得て、初めて後顧の憂いを断つ気力がわいたのだろうか。井元さんは、Aさんの最後の願いを叶えるべく、尽力した。
ただし、ヒアリングした患者の願いのすべてを叶えられるわけではない。別のケースでは、患者の希望通り親族に連絡したところ、こちらでは一切関われないと断られ、結局井元さんが骨上げまでやったこともあったという。今尾さんもまた、ホームレスだった患者の死後、火葬から埋葬まで面倒をみたことがあるそうだ。
一般的には、まったく身寄りがなく、葬儀などの手配もされていない人が亡くなると役所の社会福祉系部門が“遺体処理一式”を担うことになる。だが、当然ながら葬送儀礼は一切なく、ただ遺体を火葬場に運んで焼くだけで、遺骨は破棄される(自治体によっては合同墓に納骨することもある)。
「ですが、本当にそれでいいのかという思いを個人的には持っています。日本には葬送文化がありますよね。つまり、日本人として生まれた以上、最期ぐらいは日本人らしい方法で送られるべきではないではないか、と。もし最後に関わった人間がMSWなのであれば、それも私たちがやるべきことではないかと思うんです」(今尾さん)
無料で来てくれるお坊さんを探して火葬前に少し読経してもらった上、お骨を拾ってお寺の無縁塚に納めたことも、何度かあった。
「ただ、それをしながらも本当によかったのかと悩みました。果たして縁もゆかりもない人間に骨になった姿を晒したいものだろうかと疑問も持ちましたし。僕のやったことが正解かどうかはわかりません」
みなさんは、どう思うだろうか。
ありがたいと思うだろうか。それともおせっかいと思うだろうか。
私はいざとなったらただ焼かれて廃棄されても仕方ない、と思っている口だ。だが、もしここまでやってもらえたらありがたいという言葉しかないし、もしそんな見送られ方をすると事前に知っていれば安心して逝ける、ような気がする。
だが、当然そこまでやるべきではないと考えるMSWもいるという。それはそれで理解できる。
MSWの誰もがお二方のように人間の尊厳について深く考えているわけだろう。職業観や死生観も一人ひとり違うはずだ。ゆえにMSWに繋がれたらもう安心、すべて任せられるというわけではない。むしろこのようなケースは極めて良心的な人に担当してもらえたがゆえの幸運だったと考えるべきだろう。
やはり、身寄りがない人間ほど、自分の後始末の計画だけはしっかり立てておかなければならないのだ。
そして、もうひとつ重要なことがある。
延命処置するか、しないか、の意思表示だ。
この連載でもたびたび扱ってきた問題だが、MSWとして長年医療現場に立ってこられたお二人はどう考えるのか。
次回は、その部分に触れていきたい。