これ以上の言い訳は通用しない。
 なにより、彼らを恐れて蛮行を見て見ぬ振りをする臆病な男に、星咲直美の一の舎弟を名乗る資格はない。
 譲二は、清水の舞台から飛び降りる気持ちで足を踏み出した。
 こういうことなら、床屋に行っておくべきだった。髪の毛が伸び、パンチパーマの威力が半減していた。
 それに、眉毛も剃っておくべきだった。
 ヤクザ時代はコワモテ磨きに余念がなかったが、ショコラティエになってからは手入れを怠っていた。
 
 俺は腐っても元「東神会」の組員、半グレなど恐るるに足らず。
 
 譲二は、己を鼓舞した。
「兄ちゃんたち、もう、そのへんでやめとけや」
 譲二は声が震えないよう気をつけ、ドスを利かせたヤクザ的な言葉遣いで半グレ達に声をかけた。
「あ? お前、誰だよ?」
 振り返ったシャネルピアス男が、片眉を下げて譲二を睨みつけてきた。
 ほかの四人のガンが、放たれた矢のように譲二の恐怖心に突き刺さった。
 容赦なく浴びせられる殺気――譲二は早くも後悔した。
 彼らの眼は、完全にイッていた。
 まともな会話が成立する相手とは思えない。
 かといって、力ずくで押さえ込むのは不可能だ。
 やはり、「東神会虎の威」を借りて従わせるしかない。
「っつーか、お前、めちゃめちゃ弱そうなくせに、もしかして、俺らに命じた?」
 茶ロン毛男が、小馬鹿にしたように確認してきた。
「なにお前、パンチパーマ失敗したキャバ嬢?」
 柔道体型男が、小馬鹿にしたように言った。
「ちげーよ。パンチフェチ相手のデリヘル嬢じゃね? 即尺専門の!」
 顎髭男が男性器を咥える真似をすると、半グレ達の爆笑が起こった。
 みな厳つい風貌だが、間近で見るとあどけなさが残る顔立ちをしていた。間違いなく全員、譲二より年下だ。
 込み上げる屈辱と恐怖に、譲二は奥歯を噛み締め拳を握り締めた。譲二を馬鹿にできるのは、ここまでだ。
 自分の過去を知ったら、態度を改めるはずだった。
「ずいぶんヤンチャな不良達だな。懐かしいぜ」
 譲二はクールに笑った……つもりが、頬が痙攣した。
「さすが譲二ちゃん。半グレ達を前にしても、ちっともビビッてないわ」
「やっぱり、元ヤクザは肚の据わりかたが違うな」
 背後で、春江と橋田の声が聞こえた。
 みんなが、自分に期待している。
 この窮地から彼らを救い出せるのは、自分しかいない。
 一生に一度くらいは、ヒーローになってもバチは当たらないだろう。
「おい、ちびパンチ、なに粋がってんだ? 昔は俺も相当な悪だったとか、言いたいわけ?」
 シャネルピアス男が挑発するように、譲二の頭頂部を掌で何度も叩いた。
 もしかしたら十代かもしれないガキに、元ヤクザの自分が頭をはたかれている。
 喉がからからに干上がり、膝が震えた。
 悔しいが、譲二の心は怒りよりも恐怖に支配されていた。
「どんなヤンチャをしてたのか言ってみろよ? おら!」
 徳永を放り投げた金銀坊主男が、いきなり譲二の尻を蹴り上げた。
「大丈夫!?」
 すかさず春江が園子を、橋田が徳永を介抱した。
「お前ら、俺が何者か知ったら後悔するから……」
「聞いてやるから、言ってみろよ!? てめえは、誰だよ? あ? さっさと言えや!」
 柔道体型男が、物凄い力で譲二の胸倉を掴み引き寄せた。
「俺は……『東神会』の元組員、鬼山譲二だ!」
 ついに、自分の正体を明かしてしまった。
 
 さあ、早くその無駄に太い腕を離して跪け。
 お前らも土下座して詫びれば、いまなら許してやる。
 
 譲二の意に反して、柔道体型男は胸倉から手を離さなかった。
「き……聞こえなかったのか? 俺は……」
「聞こえてるよ。『東神会』の元組員だろ?」
 柔道体型男が、薄笑いを浮かべあっけらかんと言った。
「それを聞いて……どうして平然としている? 『東神会』は、お前ら『東京倶楽部』のケツ持ちだろう? そんな態度を取っていいと……」
「トーシンカイなんて、関係ねーし!」
 顎髭男が、譲二の言葉を遮るように後頭部を叩いた。
 譲二は耳を疑った――これは、幻聴か?
「か、関係ないって……どういうことだ!? こんなことが、『東神会』の耳に入ってただで済むと思っているのか!? いまのは、聞かなかったことにしてやるから、すぐにこの手を離せ!」
 我に返った譲二は、瀕死寸前の勇気を振り絞って柔道体型男を一喝した。
「だから、トーシンカイなんて関係ねえって言ってるだろ? それに、元組員って言ってもさ、お前はただのパシリだろ? た・だ・の・パ・シ・リ! た・だ・の・パ・シ・リ!」
 柔道体型男がおちょくるように、言葉に合わせて譲二に往復ビンタを食らわせた。
 狼狽、動転、錯乱の三重奏が、譲二の脳内で鳴り響いた。
 なにがいったいどうなっているのか、さっぱりわからなかった。
「おい、雑魚キャラ。チクりたいなら、チクってみろよ」 
 シャネルピアス男が、譲二のパンチパーマを鷲掴みにして顔を近づけてきた。
「お、お、お、お前ら……『東神会』が、こ、こ、怖くないのか?」
 譲二の声は、滑稽なほどにうわずり震えていた。
「お、お、お、俺らは海東さんの舎弟で、ト、ト、トーシンカイなんて知らねえよ。さあ、どうする? あんた、ヤンチャだったんだろ? 見せてくれよ? 雑魚キャラのヤンチャがどんだけすげーのか」
 シャネルピアス男が、譲二の真似をしながら人を食ったように言った。
「はいはいはい、俺、いいこと思いついたぜ!」
 金銀坊主男が、ワクワクした顔で挙手した。
「なんだよ? いいことって」
 譲二の胸倉を掴んだまま、柔道体型男が訊ねた。
「ちびパンチに、スク水ババアにバーコード禿のちんぽをしゃぶらせるの邪魔した責任を取って貰おうぜ! こいつを波平禿にして、スク水ババアにフェラさせよう!」
 金銀坊主男が、嬉々として言った。
「お! いいね! ほらよ!」
 柔道体型男が譲二を俊敏な動きで羽交い絞めにした。
 金銀坊主男が素早くベルトのバックルに手をかけ、顎髭男が春江を突き飛ばし園子を引き摺ってきた。
「園子ちゃんになにするのよ!」
「引っ込んでろ!」 
 茶ロン毛男が、追い縋る春江の腹を蹴りつけた。
「お前ら……やめろ……やめろ!」
 譲二は羽交い絞めから逃れようと身を捩ったが、柔道体型男の腕力が強くビクともしなかった。
 あっという間にズボンを脱がされ、ボクサーパンツ姿になった。
「さあ、の登場だ!」
 金銀坊主男が、譲二のボクサーパンツに手をかけた。
「やめろ! やめ……」
「やめなさい」
 ドアチャイムの音に続いて、二人の制服警官が現れた。
「お巡りさん! 遅かったじゃないか! こいつらを捕まえてくれ!」
 常連客の一人、薬局の店主……加藤が、待ってましたとばかりに半グレ達を指差した。
 
 助かった……。
 
 譲二の張り詰めていた全身の筋肉が弛緩した。
 今日ばかりは、制服警官が救世主に見えた。
「君、彼を放しなさい」 
 若いほうの警官が、譲二を羽交い絞めにしている柔道体型男に言った。
「君も、やめなさい」
 若い警官が、ボクサーパンツに手をかけていた金銀坊主男に視線を移し命じた。
「お巡りさん、なんの用?」
 柔道体型男が、譲二の羽交い絞めを解かずにふてぶてしい口調で訊ねた。
「通報があったんだよ」
 若い警官から、緊張感が伝わってきた。
 まだ、新人なのかもしれない。
「通報? 友達同士でふざけてるだけなのに、なんで通報されんの?」
 金銀坊主男が、人を小馬鹿にしたように両手を広げた。
「嘘ばっかり! こいつら、いきなり私の店に乗り込んできて友達や常連さんに暴力を振るったり卑猥なことをやらせようとしたり……お巡りさんっ、いますぐ、全員逮捕してください!」
 蹴られた下腹を押さえた春江が、年配の警官に強い口調で訴えた。
「君達、それは本当かな?」
 半グレ達の顔を見渡しながら確認する年配の警官に、譲二は違和感を覚えた。
「だ~か~ら~、俺達は仲間同士でちょっと悪ふざけしてただけだって」
 茶ロン毛男が、肩を竦めてみせた。
「でたらめばかり言うんじゃないわよ! あんたらとは初対面で、仲間なんかじゃないから!」
 春江が、茶ロン毛男を指差した。
「この人はそう言っているが、どういうことかな?」
 年配の警官が、ふたたび半グレ達に確認した。
 譲二の胸内で、違和感が膨張した。
 年配の警官の半グレ達にたいしての質問は、すべてがおざなりに思えた。
「たしかに、この人たちとは初めて会ったけど、パーティーでみんなベロベロに酔っぱらって羽目を外してたんだよ。じゃなきゃ、ほら、あんなおばさん達がスクール水着や赤い下着姿で飲むか?」
 シャネルピアス男が、園子と好子を指差した。
「そうだよ。俺らばっか、悪者にすんなよ」
 金銀坊主男が、ニやつきながら言った。
「どんちゃん騒ぎをしていたようだな。とにかく、君達、二人から手を離しなさい」
 年配の警官が命じると、渋々といった感じで柔道体型男と顎髭男が譲二と園子を解放した。
「大丈夫ですか?」
 譲二は素早くズボンを上げ、園子のもとに駆け寄った。
 園子が蒼白な顔で頷いた。
「彼らを連行しましょう」
 若い警官が、年配の警官に言った。
「そこまですることはないだろう。酒に酔って無礼講の度が過ぎただけだ」
「いや、でも……」
「君達も、もう、騒ぎを起こさないよな?」
 異を唱えようとする若い警官を遮り、年配の警官が半グレ達に念を押した。
「ちょっと、待ってくださいよ! まさか、注意だけで済ませる気ですか!?」
 譲二は、血相を変えて年配の警官に詰め寄った。
「東京倶楽部」の連中がお咎めなしで解放されてしまったら、このあとが地獄絵図になってしまう。
 すぐに釈放されるにしても、直美に相談する時間がほしいので半グレ達を連行してほしかった。
 直美を巻き込みたくはなかったが、ここまで騒ぎが大きくなった以上、誰かの口から「東京倶楽部」の蛮行を聞かされることだろう。
「酒場で盛り上がって乱痴気騒ぎをしていただけで逮捕するなら、ここにいる全員を連行しなければならなくなるだろう?」
 年配の警官の言葉に、譲二は耳を疑った。
「見てなかったんですか!? 徳永さんは下半身を裸にされて頭髪を毟られて、園子さんは取り押さえられて徳永さんのあれを咥えさせられる寸前だったんですよ!? 俺だって、徳永さんを助けたら羽交い絞めにされてパンツを脱がされそうに……」
「いい年齢のご婦人がスクール水着や赤い下着姿で接客している状況で、悪ふざけでズボンを脱がされたことがそんなに特別かな?」
 年配の警官の問いかけに、譲二は悟った。
 若い警官はともかく、年配の警官は「東京倶楽部」に忖度していた。
 通報があったので仕方なく駆け付けはしたが、端から半グレ達を捕まえる気などなかったのだ。
「園子さんと好子さんは春江さんを祝うためにコスプレしていただけで、こいつらは『歌謡曲』に嫌がらせするために……」
「パンチせんぱ~い、もう、やめようぜ~。お巡りさんも言ってるように、みんな、羽目を外し過ぎたんだよ~」
 シャネルピアス男が、馴れ馴れしく譲二の肩を抱き寄せおちょくるように言った。
「そうだよ~、パンチせんぱ~い、仲良く飲み直そうぜ~」
 顎髭男が、譲二の反対側の肩に手を回し友好関係をアピールした。
「お巡りさん、もしかして、『東神会』の海東若頭の顔色を窺っているんですか!? だから、奴らを見逃すんですか!? 海東若頭の報復を恐れているんですか!?」
 譲二は、年配の警官を矢継ぎ早に問い詰めた。
「海東さんは関係ない」
 ドアチャイムに続いて、声がした。
 数秒後に、肩に触れそうなロン毛をホワイトブリーチした若い男が現れた。
 白いタンクトップに白いスーツを着込んだ男は、右の瞳だけブルーのコンタクトをつけていた。
 男はまだ二十代前半……譲二より年下に見えたが、全身から発する殺気が尋常ではなかった。
 直美や海東の発する殺気とは、また違った種類のものだった。
「工藤君、お疲れ様です!」
 ホワイトブリーチヘアの男を認めた瞬間、半グレ達が弾かれたように頭を下げた。
「あれが工藤……」
 譲二は無意識に呟いた。
 関東最大の暴走族と衝突し、総長のペニスと陰嚢を切り落とし食べさせた。
 飲み屋でヤクザと喧嘩になり、ボコボコにした上にシェパードに犯させた。
 街宣活動している右翼団体の街宣車にトラックで突っ込み、十人の構成員を半死半生の目にあわせた。
 工藤の噂は数多く聞いているが、本人を目にするのは初めてだった。 
「ねえ、お巡りさん、そうだよな?」
 工藤が、年配の警官に同意を求めた。
「あ、ああ……海東は関係……」
「海東?」
 工藤が冷え冷えとした眼で、年配の警官を見据えた。
「海東さんは、関係ない」
 年配の警官が、言葉を言い直した。
 二人のやり取りで、譲二は悟った。
 年配の警官が忖度しているのは、海東ではなく工藤だということを。
「あとは俺がこいつらを注意しておくから、帰っていいよ。お疲れさん」
 海東が年配の警官を手で追い払う仕草をみせた。
「お前っ、その口の利きかたは……」
「やめろ」
 血相を変えて海東に詰め寄ろうとした若い警官を、年配の警官が制した。
「でも、こいつの態度は……」
「いいから、ここは私に任せなさい! 私達はこれで帰るが、もう騒ぎは起こさないように」
 年配の警官は取って付けたような注意の言葉を残し、若い警官の腕を引っ張り逃げるように店を出た。
「さあ、ウザいハエを追い払ったことだし本題に入ろうか? あのハエを呼んだのは誰だ?」
 フロアの中央に仁王立ちした工藤が、ズボンのポケットに両手を突っ込みみなの顔を見渡した。
 工藤はぞっとするような狂気に満ちた瞳で、一人一人の顔を見据えた。
 薬局の店主の加藤が、弾かれたように顔を伏せた。
「名乗り出たら、指一本で勘弁してやる。ほかの奴のチクリでバレたら、指じゃ済まない。犯人がわからなきゃ、連帯責任で全員の指を一本ずつ貰う」
 工藤が、眉一つ動かさずに言った。
 店内にざわめきが起こった。
 警察に通報したのは、加藤だ。
 彼を売ったら、指を切られる以上の制裁をくわえられてしまう。
 だが、加藤を庇えば全員の指が切られてしまう。
 焦燥感と恐怖感が、譲二の背筋を這い上がった。
「十秒だけ待つ。九、八、七……」
 工藤のカウントが進むのと比例するように、ざわめきが大きくなった――譲二の鼓動のピッチが速くなった。
 自分のためではない。みなを守るために、真実を告げるのだ。
「六、五、四……」
 カウントが進んだ。
 譲二の額に、玉の汗が吹き出した。
 やはり、加藤を売るような真似はできない。
 だが、売らなければ……。
「三、二、一……」
「彼です! 彼が……警察に通報しました!」
 常連客の一人が、加藤を指差した。
 工藤が、無言で加藤に歩み寄った。
「許してくれ……頼む……」
 加藤が、蒼白な顔の前で手を合わせた。
「名乗り出れば指一本で許すって言ったのに、あんたは聞かなかった。だから、いらないよな?」
 工藤が無表情に言った。
「え? なにが?」
 加藤が蒼白な顔で訊ね返した。
 工藤がポケットから両手を出した――左手で掴んだ加藤の耳に、右手に持ったナイフを振り下ろした。
 飛散する鮮血――加藤の絶叫と春江、好子、園子、愛子の悲鳴が交錯した。
 露出した耳孔を血塗れの左手で押さえてのたうち回る加藤を無表情に見下ろしていた工藤が、いきなり譲二に顔を向けた。
「あんた、チョコレート屋の親父のとこの人?」
 唐突に、工藤が訊ねてきた。
 右のブルーアイが、譲二の心臓を凍てつかせた。
「そ、そうだ。俺は、『東神会』の……元組員だ」
 譲二は、精一杯の勇気を振り絞り言った。
 直美の一の舎弟である自分が、半グレを前に委縮するわけにはいかない。
 自分はどれだけ馬鹿にされても構わないが、直美が舐められるのだけは我慢ならない。
「手間が省けたよ。ちょうど捜してたんだ。チョコレート屋の餌をさ。連れて行け」
  工藤が抑揚のない口調で言うと、半グレ達に命じた。
「え!? 餌!? おい、ちょっと……どこに……」
 半グレ五人が、一斉に駆け寄ってきた――譲二の身体が宙に浮いた。
「目隠し!」
 誰かの声が聞こえた。
 粘着テープを剥がす音に続き、視界が闇に染まった。

 

(第9回へつづく)