見守りサービスに登録したことで、最悪の死況だけは逃れられそうだ。おかげで精神的安定を獲得できたワタクシである。

 だが、これで万事メデタシではない。腐る可能性はまだまだ残っている。根っからの心配性としては安心しきれない。一ミリも腐らない状態で発見され、スムーズに火葬されるためには、死後半日以内に発見されるに如くはないはずだ。

 そして、独居の身でそれが確実に叶う手段は、ほぼ一つしかない。

 病院死である。

 病院なら、九割は死ねば間髪を容れずにわかるだろうし、東日本大震災級のエマージェンシー下でもない限り、半日以上放置されるなんて絶対にありえない。よって、百パーセント腐ることはない。“腐敗、ダメ。ゼッタイ。”の観点に限るならば、病院死がもっとも望ましいわけだ。

 ところが、である。

 今、病院死は徐々にハードルが高い死に方になりつつあるのだ。

 その背景には、国の政策がある。

 一九五一年、戦後すぐの社会では人口の約八割が自宅で死を迎えていた。だが、一九八〇年に病院死の割合が五〇パーセントを上回ると、二〇〇五年には完全に戦後の状況と逆転し、介護医療施設なども含めれば八三パーセントが病院で死ぬ状況になっていた。自宅死はほぼ一割の一二パーセント。病院で死ぬのが当たり前、の時代になったのだ。

 だが果たして、病院は死に場所として適切なのか。

 そんな疑問が各方面から湧き上がった。そして、ほとんどの人たちが否定派に回った。「人は病院のベッドで死ぬべきではない。家庭や住み慣れた場所で死ぬべきだ」と。

 ここから、官民挙げての「入院死から在宅死へ」運動が始まる。

 結果、二〇一八年には数値が七ポイントも下がり、医療施設で亡くなるのは七六パーセント、逆に自宅や入居中の老人施設で亡くなる人が二〇パーセントまで増えた。

 何事も遅々として進まないのが国家的病である我が国で、緩やかとはいえ確かな結果を出し、継続して減少傾向を維持できているのは椿事といっていいだろう。

 では、なぜそんなことが可能だったのか。

 もちろん、在宅医療体制の充実や、老人施設の対応力のアップなど理由は様々あるだろうが、最大の勝因は“兵糧攻め”だった。

 厚労省は、長期入院患者が増えれば増えるほど、病院が儲からないシステムを作り上げたのだ。

 損益分岐点は「三ヶ月」。

 それ以上になると、診療報酬がガクンと下がってしまう。だから、病院側は意地でもリミットまでに退院させようとする。病床の回転率が即、経営状態に影響するからだ。ぶっちゃけ、長居をされては儲からぬ、のである。

 しかし、人体は厚労省の決めたスケジュール通りに治るわけではない。三ヶ月を超えても退院できるような状態にない患者はどうするのか。

 転院させるのである。転院すれば、カウントはリセットされるから、もう三ヶ月入院できる。在宅での加療が難しい病気であれば、あとは治るか死ぬまで転院の繰り返しだ。とはいえ、今はほとんどの病気で在宅医療が可能になっている。伝染病のような隔離が不可欠な病気でないかぎり、退院を求められると考えておけばいいだろう。

 この制度がいいのか悪いのか。方針自体の是非は、ここでは問わない。だが、間違いなくいずれは自分に降り掛かってくる問題である。

「でも、それは急性期病院の場合だけでしょう? 緩和ケアのホスピスなんかだと、死ぬまでずっと入っていられるんじゃないの?」

 と思ったあなた。私もそう思っていました。

 とある記事を読むまでは。

 二〇一九年七月十一日、ぼんやりYahooニュースを眺めていると、こんなタイトルが目に入った。

「がんの末期なのに緩和ケア病棟やホスピスを出される?」

 ん? どういうこと?

 クリックしてページを開くと、きちんとした医療記事で、書き手は大津秀一氏という現役の緩和ケアのお医者様だった。どうやら週刊誌的煽り記事ではなさそうだ。

 読み進めると、冒頭に終末期の肺がんを抱える七〇代女性の実例が記されていた。

 仮名で鈴木さんというその女性は不治の病に罹っていたが、独居だったため、最期の日は緩和ケア病棟で迎えることを希望していた。ホスピスに入った末期がんの友人が穏やかに他界していったのを見て、自分もあんな風に、と思われたそうだ。

 余命はその時点で数ヶ月。すでに足腰はかなり弱り、いつ歩けなくなるかわからない状態だという。安心して死に逝ける場所を希望するのは当然のことだろう。

 それなのに、鈴木さんへの病院側の宣告は驚くべきものだった。

『まだ早い、”本当に”悪くならないと入院できません』(記事より引用)

 しかも、

『入院が長くなったら帰ってもらいます、それを約束してください』(同)

 とまで言われた、と記事にはある。

 なぜ鈴木さんはこのような扱いを受けなければならないのか。

 当該記事では、その理由を、二〇一八年に緩和ケア病棟の入院料支払いの基準が改定されたためだとしている。

 新基準では、直近一年間の入院実績において、

1)全患者の平均入院日数が三十日未満で、患者の入院希望から平均十四日未満で入院させていること 

2)患者の一五パーセント以上が在宅に退院あるいは診療所等に転院すること

のいずれかを満たしていれば、診療報酬が高くなるように設定された。

 条件一は病院の回転率をあげること、条件二は病院で死亡する患者を減らすことを目的としているのだろう。緩和ケア病棟で二つ目の条件が提示されるのは奇異に思えるかもしれないが、緩和ケアは必ずしも看取りばかりを目的にするわけではない。患者のQOLをあげ、病状を改善することもミッションに入っている。よって、ある程度回復して退院していく人もいるわけである。

 このような国の方針自体の是非は、ここでは問わない(今回二度目)。

 だが、少なくとも、緩和ケア病棟ですら、真に安定した死に場所でなりえないことだけは確かなようだ。当該記事は二〇二一年三月現在、まだネット上で読むことができるので、興味のある方は一読されるといいと思う。

 少なくとも、記事中にあった「国は緩和ケアを普及させるという方針と裏腹に、緩和ケア関連の診療報酬を引き下げています。」との文言に、私は新型コロナ対策でも垣間見えた政府の本音が顔を出しているような気がした。

 経済成長に直接結びつかない分野には、金を出したくない。

 これに尽きるのだろう。

 しかし、国がどう制度設計しようと、人の命ばかりは彼らの思惑通りにはならない。当初は二ヶ月で済むはずだった入院が、何らかの理由で四ヶ月に伸びて、三ヶ月を過ぎる前から毎日矢のように転院を促される、なんてことも十分起こりうる。というか、日々実際に起こっている、らしい。

 そこで、だ。

 ちょっと自分を主人公にして想像してみた。

 

 人生最後となる正月を家で過ごし、松の取れないうちに入院することになった。

 余命数ヶ月と宣告されたのは去年の十月。当初は年を越せるかすら怪しかったが、治療が功を奏したのか、現在は小康状態を保っている。だが、体力も体重も見る影はなく、桜を見られるかどうかすらおぼつかない。どれだけ生きても、梅雨のニュースは聞けないだろう。

 でも、それはいい。死ぬのは怖くない。後悔もない。

 だが、ひとつだけ心配していることがある。

 緩和ケア病棟での入院期間が三ヶ月に達してしまったら、私は転院しなければならないのだ。

 今回の入院は、すでに身の回りのことをするのも難しくなってきたために決まったものだ。だが、まだ意識はあり、体も動く。今日明日死ぬ、というわけではないのだろう。

 だから、もし、緩和ケアが功を奏して多少寿命が伸びてしまったら。

 私は転院しなければならない。今回の入院にあたって、私は住居を処分してしまった。もう帰ってこられないのはわかっていたから、後始末だけはきちんとしたかったのだ。つまり、私にはもう家はない。

 だから、三ヶ月で死ねなければ、他の病院に行くしかないのだ。

 去年の十月の状態では年越しすら危うかった。でも、今こうして生きている。治療は、数十日単位とはいえ、確実に寿命を延ばしてくれるのだ。だから、今回も同じことが起こるかもしれない。

 けれども、無事四月を迎えたとして、その頃の私はどんな状態になっているのだろうか。果たして転院手続きができるほどの心身を保てているのだろうか。

 実は、前回の入院時、初めてせん妄を経験した。

 時間の感覚がなくなり、今自分がどこにいるのかもわからず、パニックに陥った。記憶の混乱が起こったせいで、とっくに辞めた職場に連絡しなければと大いにあせったり、十五年前に死んだ猫のルーちゃんに餌をやらなければと病室で大騒ぎしたりした。幸い、その状態は一週間ほどで解消されたが、もし入院が長引けば、再び認知に問題が出てくるかもしれない。それでなくても、薬剤でボーッとする時間も増えるだろう。体力が落ちれば、決断力や思考力も低下する。

 三ヶ月後に転院の手続きをできるのだろうか。

 もしできなければ、一体誰が私の残り少ない人生のサポートをしてくれるのか。まさか、ホームレスになることはない、はずだが……。

 不安で不安で、仕方ない。

 

 自分で書きながらどんどん暗い気分になっていったわけだが、十分起こりうる事態である。

 もし、“想像のワタシ”が六十五歳以上であれば、高齢者としてケアマネージャーや生活相談員に差配を任せられるかもしれない。

 だが、六十五歳未満には、同じような役割を果たしうる公的システムはない。

 独身独居の人間は、六十五歳になるまでは孤立無援のサバイバルでやっていかなければならないのだ。

 もっとも、まったく手がないわけではない。

 民生委員制度の活用である。

 民生委員とは、

民生委員法により厚生労働大臣の委嘱を受けて地域の福祉増進のために活動するボランティア。児童福祉法による児童委員も兼ねている。かつては経済的に困っている住民を支援する仕事が中心であったが、現在では高齢者や障害者や児童の福祉に関する訪問活動などが増加。(『イミダス2018』より一部抜粋)

という存在で、今風にいえばソーシャルワーカーなのだが、残念ながら地域によってはほぼ機能していない。

 あなたは、自分が住んでいる地域の民生委員が誰で、どこに住んでいるか知っているだろうか? 私は知らない。というか、これまで何度か引っ越しを繰り返してきた中で、一度として「地域の民生委員」を意識したことはない。自治体から何らかの案内があったこともない。完全に透明な存在である。もしかしたら、若い人は「民生委員」という言葉すら知らないかもしれない。

 なぜ、制度が目論見通り機能しないのか。理由はいくつか考えられるが、本来であれば高度な専門知識を持つスペシャリストが担うべき社会福祉を、素人のボランティア任せにしているのが最大の敗因だろうと私は睨んでいる。

 相談したところで頼りになるかどうかも心許ない隣人に、自分のプライベート、それももっとも弱い部分を晒す気になれようものか。民生委員法で、民生委員に任命された人は「常に、人格識見の向上と、その職務を行う上に必要な知識及び技術の修得に努めなければならない。」と定められているが、絵に描いた餅なのは言うまでもない。

 欧米の先進諸国では、ソーシャルワーカーは修士以上の学歴が当たり前の専門職だ。医学で人を救うのが医師、法学で人を助けるのが弁護士だとしたら、ソーシャルワーカーは複雑な社会制度の知識を駆使して人を泥沼から引き上げる人たちだ。無事、抜け出せた人が多ければ多いほど、社会は安定し、発展していく。功利主義的にみても、ソーシャルワーカーの仕事は欠かせない。

 それなのに、未だこの部分を素人のボランティア任せにしているあたり、いかにも日本である。大の公助嫌いを平気の平左で表明するトップが四〇パーセント近い支持率をずっと保っている国だ。これはもう国民病だし、今後も劇的な改善は望めそうにない。

 しかし、希望はある。

 医療の分野にフォーカスしてみると、実はいるのだ。

 プロのソーシャルワーカーが。

 その名を医療ソーシャルワーカー、略してMSWという。

 仕事内容は、医療を必要とする人の経済的、心理的、社会的問題のフォローや、社会復帰の援助など。つまり、病気になって発生する、病気以外のあれこれを解決してくれる人、というわけである。

 こんな人がいたのか! 存在を知った時は、ちょっと感動した。

 感動したが、なぜ今まで知らなかったのだろうと不審にも思った。

 そこで、医療ソーシャルワーカー(以下MSW)について、調べることにした。この方々は、完全にいざとなった時の私が「繋がるべき人」だからだ。

 まず、MSWはどこにいるのか。

 答えは「一定規模以上の病院」である。医師や士業のように個人で開業しているわけではなく、総合病院や大学病院などの医療機関に所属しているのだ。

 現在のところ、MSWそのものの資格はない。ただし、多くのMSWが国家資格である社会福祉士や精神保健福祉士の資格を持っている。民生委員と違って、ド素人ではできない立派な専門職なのだ。

 そんな彼らと患者の接点は当然院内にあるわけだが、患者だったら誰でもお世話になるわけでもない。経済的、心理的、社会的問題を抱えている、あるいは治療中や社会復帰時になんらかの援助が必要になる場合に限られる。

 たとえば、私が入院した時はMSWとはまったく接しなかった。当時の私が抱えていたのは医学的問題だけで手術は無事成功、予後も順調で、帰宅後に体力さえ戻れば後はそのまま日常生活へ、だったからである。

 だが、たとえば後遺症が出るような疾患だったら、入院時か退院時のカンファレンスで会うことになっていただろう。また、先程想定したような緩和ケア病棟への入院などが必要になるレベルだと、確実にサポートしてもらうことになる。

 相談相手は、ちゃんといるわけだ。これは大きな安心材料である。

 しかし、実際にはどのようなコミュニケーションが行われるのだろうか。なにせ、自分は恩恵に預かることができなかったので、制度の概要はわかっても、具体的な内容は皆目わからない。

 これはなんとかして現役医療関係者のお話が聞けないか……と思ったのが、一昨年の暮の声も聞こえ始めた頃だった。

 そして、ひらめいたのである。あの人がいるじゃないか、と。

 あの人?

 あの人とは誰なのか。

 無意味に引っ張った状態で、また次回!

(第26回へつづく)