第三章

一(承前)

 元老院庁舎からディアスの家に戻った多聞は、気もそぞろで仕事が手につかなかった。

 もし破門されたら、パードレの道は閉ざされてしまう。パードレになって日本へ戻るという喜久との約束を果たせなくなる。身のほどをわきまえず、生涯を神と人のために捧げると決めて生きてきたのに、ここで破門? もしそうなったら、どうすれば……?

 それに、公判を強行すれば、ディアス殿まで破門される。私はまた人を助けるつもりで、人を追い詰め、その人生を狂わすのか。私が相談しなければ、ディアス殿はこの件にかかわることはなかったはずだ。私さえ黙っていれば……いや、しかし、それでは藤九郎たちを見捨てることになる。

「セバスチャン、そろそろ修道院に戻らなくていいのかね? 晩課ばんかの祈りに間に合わなくなるぞ」

 いつの間にかディアスが部屋に入ってきたのにも気づかなかった。

 窓から夕陽が射し込んできて、室内を橙色に染めている。

「ディアス殿、フェルナンデス船長の公判をどうなさるおつもりですか?」

「どうとは?」

「バレンテ司教代理は、躊躇いなくお言葉通りのことを実行されるはずです」

「わたしは国王陛下の命を受けてマカオにやってきた。マカオの統治権限を行使する聴訴官ちようそかんとして、わたしの責務を果たさなければならない。バレンテ司教代理の横暴な振る舞いが国王陛下のお耳に届けば、必ずや処罰が下されるだろう。とはいうものの、なにぶん本国が遠すぎて陛下からの信書が届くのには時間がかかる。司教代理の件については、ゴア総督にも訴えてはいるが、今のところ返事がなくてな」

「このままでは、公判を開けば、我々は破門されてしまいます」

「わたしは、以前からパードレ・バレンテがマカオ管区を治める司教職にふさわしくないのではないかと思っていた。かつてパードレ・ロドリゲスから、バレンテが長崎でどのような行いをしてきたのかを聞いたことがある。マカオでも元老院との接点が増えるにつれ、次第に行政に口出しするようになった。それゆえ、バレンテが司教代理になるのを元老院は反対していたのだ。わたしもドミニコ会が推していた候補が司教代理にふさわしいと思っていた。ところが、パードレ・バレンテは他の聖職者に巧みに働きかけてその候補を破門に追いやり、さもパードレたちから推されたかのようにして司教代理の座についてしまった。あのお方は、野心が強すぎる。教会ばかりか、行政をも思いのまま動かそうとし、破門を乱用することで、明らかにマカオの統治を混乱させている。これは由々しき問題なのだ!」

 語気を強めて言い放ったディアスは、室内のある方向に視線を向けた。多聞もつられるようにしてそこを見た。棚の上にある聖母子像とキリスト像。その棚の両側に、亡くなったディアスの妻と、マカオを背景にした夫妻の肖像画が壁に掛けられていた。

「セバスチャン、そなたのおかげで、明の民が個別に訴えてきた失踪事件の正体がはっきりした。フェルナンデスの商いに関して、そもそも前金として渡した金額の十倍以上も受け取ること自体、『与える以上に受け取ること』を禁じた教会法に反する。それこそ貪欲という、キリスト教の教えに反する大罪だ。それをあのお方が知らないはずがない。それなのに、司教の権力を振りかざし、公判の中止を強要するとは!」

 まさしくその通りだ!

「ところで、そなたはどうするのだ? 破門されては困るだろう? わたしの秘書を辞するもよし。なにもわたしに付き合って、イルマンまで破門されることはない。そなたにはそなたの使命があるのだから」

 ディアスは、そこで激しく咳き込み出し、胸を押さえて上半身を折り曲げた。

 ディアス一人に背負わせていいのか? 背中を優しく摩りながら、多聞は思い詰めた。

 そもそもディアスを手伝うようになったのは、彼一人で仕事をこなすのが大変そうだったからだ。そして今、老いて病んだ体を押してディアスは業務を遂行しようとしている。それなのに、私は破門に惑い、決断ができないでいる……なんと情けない!

 私は、どちらの道を選べばいいのでしょうか。

 顔を上げて棚の上にある十字架像を見つめ、問いかけた。

 ディアス殿にすべてを預けて秘書を辞めるのは、藤九郎たちの苦難を見て見ぬふりをすることになります。でも、ディアス殿を助けて藤九郎たちのために裁判を開けば、私は破門され、喜久との約束を果たせなくなるでしょう。

 いったいどうしたら!

 フェルナンデスに監禁されていた男女は解放されたものの、公判の証人でもある彼らがどこかへ消えたりしないよう、聴取が終わるまで一所ひとところに滞在してもらうことになった。その先として安宿が提供され、藤九郎を案じた龍之進は、たびたびそこを訪れた。

「藤九郎、慈愛堂で手伝ってほしいことがあるんだ」

 他の人に話を聞かれないように、藤九郎を宿の表に連れ出し、古い木樽に二人して腰かけた。藤九郎は、細身の袴と明の短い上着という身なりで、上着は宿の主人から安く譲ってもらったと言った。

 浜辺の向こうでミズナギドリの群れが獲物を狙って海面近くを舞っている。藤九郎は、陽射しを眩しそうに見上げた。目の下にうっすらとクマが見え、体調のせいで夜中よく眠れていないのではないかと心配した。

「それで、儂はなにをすれば?」

「慈愛堂は、いつも人手が足りない。体制を整えないといけないと思っていた。俺は海に出ていることも多いから、もう手一杯だしね」

 龍之進の構想は、慈愛堂に出資している組合員で評議会を作り、そこで運営にかかわる事柄を決めていくというものだ。組合員の中から、院長、書記、会計係の他に五名の議員を選び、その八人で月一回総会を開いて物事を決め、実行していく。そうすれば、自分が不在でも慈愛堂の運営は滞りなく進むだろう。そんな説明を、藤九郎は、真剣な眼差しで聞いている。

「藤九郎に、その体制作りを手伝ってもらえないかなと思って。組合員への連絡や調整、定書さだめがきの作成、勘定といったことを担う番頭の補佐だ。もちろん賃金は払うよ。文字の読み書きは?」

「多少は……鍛冶屋の親方に教わりました。あのぅ、儂にもできますか?」

 藤九郎がもじもじしながら訊いた。

「大丈夫さ。今、慈愛堂の勘定役を番頭にするつもりだ。彼がいろいろ教えてくれるよ」

 藤九郎の表情が明るくなるのを見て、龍之進はほっとした。

 家に戻ると、万吉が奥の作業場で、鋸やノミの手入れをしていた。

「おかえり。さっきイルマンが来たよ。龍王に伝えてほしいっていわれた」

「多聞が来たの? 少し待っててもらえば会えたのに」

「忙しいみたいでさ。伝言だけど、『公判については、すべてこちらで準備するので、あとは任せてほしい』って」

「ふぅん、これ以上かかわらなくてもいいってことかな?」

「そうかも。素人が口出しすると、じゃまになることも多いしね」

「龍王はいるかい?」表から、童の声がする。

 玄関に行くと、見知らぬ唐人の童男が立っていた。薄汚れ、ところどころ破けて穴の開いた衣を着ている。そして、なぜか満面に笑みを浮かべていた。

「どうした?」

 しゃがんで声をかけると、童男は付いてきてほしいと言う。わけもわからないまま、手を引かれて家から少し離れた小さな広場に連れていかれると、そこに天蓋つきの金襴の布地で四方を覆った豪奢な輿が置かれていた。輿の周りには誰もいない。

「連れてきたよ」

 童男が輿に声をかけると、輿の幕の間から握った手が出てきて、ぱっと手を広げた。すると、なにかが地面に散らばった。童男は急いで落ちた銀貨を拾うと、礼を言って駆け去っていく。

 その手が幕を除けた。輿の中にいたのは、バレンテだった。

「そなたに話があってな」

 いやな予感に、身構えた。

「そなたは、フェルナンデスが金を貸した相手を逃がそうとした。彼らは、フェルナンデスに十クルザードの借金がある。それを踏み倒す手伝いをしたのだ」

「それは……解釈が違うのではありませんか?」

「そうかな? 彼らは金を返済しなければならない。支払い終えるまで、彼らはフェルナンデスから自由にはならない。つまり、フェルナンデスの奴隷だ」

「そのような契約ではないはずです。証文はあるのですか? それに、これは借金の問題ではなく、明や日本との外交にかかわる事案です」

 龍之進の強気な態度が意外だったのか、バレンテは眉根を寄せる。

「セバスチャンから聞いていないのか?」

 多聞からなにも聞いてはいないが、それを正直に答えていいのか。多聞に迷惑をかけそうな気がしたので、一言も発しなかった。

「セバスチャンと聴訴官には、フェルナンデスの公判をやめるよう忠告した。なるほど……お前に説明していないのだな」

「バレンテ司教代理、先ほどからいったいなんなのです? 借金の返済を口にしたり、公判をやめさせるなど、司教代理としてのお振る舞いがあるはず。人買いをやめさせることはあっても、加担することなどあってはならぬことです!」

 一瞬のうちに、バレンテは、龍之進の頭から足元まで眺め、言った。

「長崎で死んだものだとばかり思っていたぞ、タデウス」

 心臓を摑まれたかと思うくらいの衝撃だった。

「『獣は傲慢なことを言う』か……黙示録そのままだな。もしお前がこの件に首を突っ込むのなら、お前がタデウスであり、隠れユダヤ教徒のマヌエルのもとにいた反キリスト者だと訴えるつもりだ。聖書にもある。『海から上がってきた異邦人、すなわち獣である反キリストは、神に敵対し、最後に打ち負かされる』運命にある、と。そなたがタデウスとはっきりすれば、マヌエルと同じくゴアの異端審問所へ送る。タデウスである証拠は、マカオにいるマヌエルの従者だった柬埔寨カンボジア人に訊けばわかるであろう。そうでなければ、シルバ家の沙羅、今はカリバーリョ家に嫁いだあの女に訊けばいい」

 沙羅を巻き込む気か!

「そんなことは、トリスタン殿が承知しない!」

「質問するくらいはできる。正直な答えが得られない時は……知っているか? ゴアのインディア人たちの扱いはひどいものだぞ。奴隷になれば顔に所有者の焼きごてを押され、異端者と訴えられれば取り調べ中に手足を失う。あのような残虐な目に遭わなければよいのだがな。たとえ命はあっても、その体が無事かどうか。二人を巻き込みたくなければ、自らの立ち振る舞いをよく考えてみることだ」

 吐き気を催すような言葉を残して、輿に乗ったバレンテは去っていった。

(第21回へつづく)