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 午後九時を過ぎた歌舞伎町は、ほろ酔い加減の酔客で賑わっていた。
「驚きました。直さんって義理堅いんですね。『歌謡曲』の十周年記念をお祝いしてあげるだなんて」
 百本の薔薇の花束を抱えた譲二は、区役所通りを歩きながら直美に言った。
「仕方ねえだろ。毎日店にくるたびに十周年十周年って、馬鹿の一つ覚えみたいにアピールするんだからよ」
 直美が大袈裟なため息を吐き、裸の上半身に羽織った毛皮のベストから露出したメロンをくっつけたような肩を竦めた。
「照れなくてもいいですよ。去年も、一昨年もお祝いしてあげていたじゃないですか」
「あたりめえだ。カバみてえな顔をしてても、ウチの大事な太客だからな。それにしても、最近のコンビニスイーツは侮れねえな」
 直美が新作のガトーショコラを齧りながら言った。
「春江さんに、ちゃんと感謝してるんですね~。でも、カバみたいな顔は余計ですよ。それに、キャバクラじゃないんですから太客って言いかたはやめましょうよ」
「わかった、わかった。おめえは、小姑みてえに小言が多いな」
 ガトーショコラを完食した直美はレジ袋からあんこプリンを取り出し、プラスティックスプーンで掬い上げた。
 暇があれば、直美は他店のスイーツを研究していた。
 近年目覚ましい勢いで進化を遂げているコンビニスイーツも例外ではなく、新作が出るたびにまとめ買いして移動中に食べているのだった。
「直さん、お疲れ様です! これから、キャバクラに繰り出すんですか? よかったら、うちで遊びませんか? 直さんには世話になっているから、もちろん、お代は頂きません」
 整髪料でゴキブリの翅のように光ったオールバック――黒いスーツ姿の正岡が、揉み手で直美に擦り寄ってきた。
 正岡は「ハーレムナイト」という大衆キャバクラのオーナー兼店長だった。
 半年ほど前に、関西から進出してきた組織のチンピラに嫌がらせを受けていたところを直美が助けてやったのだ。
「ただでも、化け物だらけの店で飲むのは勘弁だ」
 直美が、歯に衣着せずに言った。
 譲二は頭を抱えた。
「化け物だらけはひどいですよ~」
 正岡が半泣き顔で落ち込んだ。
「なら、妖怪だらけにしといてやるぜ。ほら、やるから元気出せ」
 食べかけのあんこプリンを一方的に正岡に渡し、直美はどらマカロンを取り出した。
「もうちょっと、優しく断れないんですか?」
譲二は、直美のために小姑の小言を再開した。
 直美に悪気がないのはわかっているが、できるだけ敵を増やしたくなかった。
「あんことコラボさせるんならよ、プリンの甘さは控え目にしねえとだめだ。どっちのいい面も出そうとするから、個性が喧嘩してまずくなる。男女と同じだ。どっちかが譲ってやらねえと、毎日喧嘩ばかりだろ? ま、俺は譲る気はねえけどな」
 直美が高笑いし、どらマカロンを口に放り込んだ。
「直さん! お疲れです! これからどちらへ?」
茶髪をポニーテイルにした長身痩躯の若い男性……南井が、直美に駆け寄ってきた。
 南井はさくら通りのダーツバーの店主だった。
「おう、繁盛してるか?」
 直美が足を止め、南井の肩を叩いた。
 軽く叩いただけなのに、南井が二、三歩前によろめいた。
 二年前に南井は、自身の店で金を払わずにダーツを始めようとしたチンピラに注意したことがきっかけで喧嘩になった。
 南井は見かけによらず学生時代にボクシング部に所属しており、チンピラを叩きのめすくらいは容易なことだった。
 だが、それが仇となった。
 そのチンピラは「東神会」と敵対関係にある「鳳凰連合」の準構成員で、後日、報復に現れた組員に南井は拉致された。
 直美が「鳳凰連合」の組事務所に単身乗り込み南井を救出した。
 事務所には八人の組員がいたが、直美の敵ではなかった。
 面子を潰された「鳳凰連合」は「東神会」に乗り込んだが、当時の直美は既に組員ではなく抗争の大義名分は失われた。
 ターゲットを直美個人に切り替えなかったのは、暴力団新法が理由だ。
 堅気になった直美を組員が襲撃したとなると、「鳳凰連合」は組事務所の閉鎖、解散に追い込まれてしまう。
「まあまあってところっすかね。それより直さん、最近、『東神会』の若頭となにかあったんですか?」
 南井が、直美に訊ねた。
「あ? 海東と? なにもねえぞ。っつーか、ここ二、三ヵ月会ってねえし」
「そうですか……」
 南井は、なにかを逡巡しているように見えた。
「なんだ? 海東がどうかしたのか?」
「直さん、早く行かないと春江さんが待ってますよ」
 譲二は、直美を促した。
 南井が躊躇する理由――譲二には見当がついていた。
 彼が口にしようかどうか迷っている話を、直美の耳には入れたくなかった。
「あ? ババアは待たせときゃいいんだよ。海東がどうした?」
直美は譲二に素っ気なく言うと、南井に顔を戻した。
「ここんとこ、『東京倶楽部』の奴らが歌舞伎町の飲食店に若頭の名刺を配って歩いてるんですよ」
「ここらは『東神会』のシマだし、『東京倶楽部』の半グレどもは海東の舎弟みたいなもんだからな。それがどうした?」
 直美が、怪訝な表情で南井に訊ねた。
「……今度から、なにかあったら直さんじゃなくて若頭に連絡しろって。それから、みかじめ料を倍にするって」
 南井が、遠慮がちに言った。
「は? なんだそりゃ? 俺はなにも聞いてねえぞ」
 瞬時に、直美の形相が険しくなった。
「直さん、その話はまた今度に……」
「お前は黙ってろ!」
 話を遮ろうとする譲二を、直美が一喝した。
「直さんに世話になってるからと断った店には、『東京倶楽部』の半グレどもが毎日のように押しかけています。ビール一杯で開店から閉店まで居座り、バカ騒ぎして、女性客にちょっかいを出して……そんな店、怖くて客は寄りつきませんよ。警察に相談しても、注文してるんだから客だろうって取り合ってくれないし。『東神会』とズブズブなんだと思います。直さんに義理を立てていた者達も、一軒、また一軒と、次々と陥落しています。幸い、俺のところにはまだ現れていませんが……直さんをナメてるみたいで、悔しいっすよ」
 南井が、声を震わせた。
 譲二は、小さく舌打ちした。
 恐れていたことが、現実となった。
 海東の噂は、南井に聞くまでもなく譲二は知っていた。
 歌舞伎町の飲食店、風俗店、遊戯場のケツ持ちは、直美が組員だった頃から「東神会」だった。
 直美は堅気になってからも、店主達のケツ持ちを続けた。
 店主達も、直美の圧倒的な武力に頼った。
「東神会」の組長にしても、ボランティアで店主達の面倒を見てくれている直美に文句を言う理由はなかった。
 だが、海東は違った。
 堅気になった現在でも歌舞伎町を仕切る直美を海東が快く思っていないことを、譲二は店主達から聞かされていた。
 口が裂けても、直美には言えなかった。
 海東の野望と謀略を直美が知ったら、歌舞伎町に血の雨が降る。
 直美が規格外の怪物だということは重々承知の上だが、相手は歌舞伎町を支配する「東神会」の若頭だ。
 差しの勝負なら直美の圧勝は間違いないが、海東には兵がいる。
「東神会」の組員はもちろん、「東京倶楽部」の半グレも含めたら大変な数になる。 
 百獣の王ライオンでも、百頭のオオカミとやり合えば肉片にされてしまう。
 譲二も、ただ手をこまねいていたわけではない。
 何度も、いや、何十度も直美にパトロールをやめるように促した。
 海東を刺激しないためとは言えないので、もうヤクザではないのだからショコラ作りに専念してほしい、という大義名分を立てた。
 パトロール中にいろんな店のスイーツを食べ歩いているから大丈夫だ……と、直美は真剣に取り合ってくれなかった。
 直美が堅気になってもパトロールに拘るのは、父親を自殺に追い込んだ「大山会」のような阿漕な連中を蔓延らせないためなのはわかっていたし、少しでも力になりたかった。
 しかし、海東がそれを快く思っていないと知った以上、取り返しのつかない事態になる前に直美にパトロールをやめさせたかった。
 譲二は「東神会」の組員だった頃から海東のことを生理的に受けつけなかったが、彼が直美を疎ましく思う気持ちは理解できる。
 いくら直美が伝説的な猛獣でも、いまはチョコレート専門店の店主に歌舞伎町を仕切られたら海東の若頭としての面目は丸潰れだ。
 舎弟に示しがつかない上に、同業のヤクザにナメられてしまう。
 直美が足を洗ってから五年の間に、海東はメキメキと力をつけ「東神会」のナンバー2にまで伸し上がった。
 いまなら、直美とやり合っても勝てると判断したのだろう。
「どおりで最近、泣きついてくる奴が少ねえと思ってたんだ。これで、ようやく謎が解けたぜ。俺が面倒を見てた店主のケツを海東が持つ代わりに、みかじめ料を二倍払えっつうことだな? 従わねえ店には半グレどもに嫌がらせをさせて従わせる……間違いねえな?」
 直美が、押し殺した声で南井に念を押した。
「ま、間違いありません」
 強張った顔で、南井が頷いた。
「……直さん、まさか若頭に問い質す気じゃないでしょうね?」
 恐る恐る、譲二は訊ねた。
「問い質す? そんなことしねえよ」
 直美の返事に、譲二は肩透かしを食らった気分になった。
 直美は安心させるために嘘を吐く男ではない。
 てっきり、「東神会」に乗り込むつもりだと思っていた。
「よかった……」
「ぶん殴ってやる!」
 譲二を遮り、直美がオープンフィンガーグローブをつけたような右の拳を宙に掲げニヤリと笑った。
「ぶん殴る!?」
 譲二は裏返った声で直美の言葉を繰り返した。
「ああ。悪さした奴はお仕置きしねえとな。昔はよく、海東をぶん殴ったもんだ」
 直美が、ワクワクした顔で高笑いした。
「そんなこと、だめですよ! 海東さんは、昔の海東さんじゃないんですから!」
 譲二は、大声で訴えた。
「は? なに言ってんだ? 海東は海東じゃねえか?」
 直美が、不思議そうな顔で譲二を見た。
「直さんの記憶ではそうでも、現実は違いますって! いまや海東さんは『東神会』の若頭ですっ。昔の平組員だった頃みたいに扱っちゃいけませんって!」
 譲二は、懸命に訴えた。
 直美の尋常ではない破壊力は、誰よりも知っているつもりだ。 
 だが、海東はだめだ。
 直美とは正反対の悪辣な男――海東は、野望を達成するためならどんな卑劣な手段でも使う。
 譲二の直感が、直美を海東に関わらせてはいけないと告げていた。
「馬鹿野郎っ。おめえ、俺に何年くっついてるんだ! 悪さしたらな、組長{おやじ}でもぶん殴らなきゃだめなんだよっ」
 直美が、握りしめた拳を譲二の鼻先に突きつけた。
 予想通りの展開――譲二は、眩暈に襲われた。
 長いものには死んでも巻かれないのが直美という男だ。
 だが、直美を死なせるわけにはいかない。 
なんとかして、直美を止めなければ……。
「天下の往来でずいぶん物騒なこと言ってるじゃねえか? 誰をぶん殴るって?」
 角刈りの中年男――下呂が、茶渋で汚れた湯呑みたいに黄ばんだ歯を剥き出しにしつつ歩み寄ってきた。
「反吐野郎を相手にしてる暇はねえんだよ」
 直美が下呂を一瞥して吐き捨てた。
「まあ、そう毛嫌いすんなって。今日は、直さんじゃなくてチョコパンチ坊やに用事があってな」
「あ? おめえが譲二になんの用があるっつーんだ?」
 直美が訝しげに訊ねた。
 代官山で警官に職務質問された直美の身分を保証する謝礼――七万円の回収に現れたに違いない。
 直美といるときに現れるあたりが、下呂のいやらしいところだ。
「俺は言ってもいいんだが……どうする?」
 持って回った言いかたで、下呂が譲二に水を向けた。
「なんだ、俺に言えねえことか?」
 直美が譲二に厳しい口調で訊ねてきた。
「いえ、そんなことないですよ。ちょっと……」
 譲二は直美に平静を装い言うと、下呂の腕を掴み三、四メートル歩いた。
「今週中には……」
「直さん、チョコパンチ坊やが……」
「明日、明日払いますから」
 直美に暴露しようとする下呂の耳もとで、譲二は囁いた。
「譲二がどうしたっつうんだ?」
 直美の顔つきが次第に険しくなってきた。
「俺がこの前補導したギャルがタイプだったみたいで、連絡先教えてほしいっつうから一万で売ってやるって言ったら渋りやがってよ」
 下呂が、苦々しい顔で言った。
 瞬間焦ったが、直美を助けるために七万円の謝礼を払うことがバレるよりも遥かにましだ。
「ギャルの電話番号に一万円!? お前、馬鹿か? ヤレもしねえ女の電話番号買うくらいなら、プラス五千円払えばギャル専門のデリ嬢呼べるだろうが」
「す、すみません……」
 一万円でギャルの電話番号を買おうとした男に仕立て上げられ屈辱的だったが、事を大きくしないために堪えた。
「てめえもてめえだ。補導したガキの電話番号を売るなんて、ろくでもねえ……」
「直さん! さすがにヤバいですから、もう行きましょう!」
 譲二は直美の丸太サイズの腕を両手で引いた。
 下呂を怒らせて、真実を暴露されたら大変なことになる。
「おう、そうだな。早く行かねえと」
 珍しく素直に、直美が従った。
 幸いなことに、トラブルに巻き込まれたくないと避けたのだろう南井の姿も消えていた。
 とりあえず、海東の問題は時間稼ぎができそうだ。
 直美の足は、区役所通りに向かっていた。
「直さん、『歌謡曲』はさくら通りですよ」
「誰が『歌謡曲』に行くって言った? 『東神会』の事務所に行くんだよ」
 直美が大股で歩きつつさらりと言った。
「直さん、マジに駄目ですって!」
「嫌なら、先にカバ女のところに行ってろ。あとから合流するからよ」
 直美の歩く速度が上がった。
「待ってください! だったら俺も行きますよ!」
 譲二は、慌てて直美のあとに続いた。

 

(第6回へつづく)