第二章

 

二(承前)

 多聞は、通りに居並ぶ信者たちに紛れて、声がしたほうを見る。

 鋭い鞭の音が徐々に近づいてくる。鞭打ち苦行の行列だ。

 鞭打ち苦行は、自分の肉体に苦痛を与えることで、自らの罪をあがない、キリストの苦しみを思い、信仰心を奮い立たせようと行われる。今は、それに加え、これから起こる迫害や殉教の痛みと苦しみに耐えようという願いが込められていた。

 大勢の老若男女が手首を縛った両手で聖画像やキリスト像を持ったり、十字架や石を背負ったり、裸の背を鞭で打ったり、両手と首を縛って互いに鞭で打ちあったりして練り歩いている。

 痛々しい苦行の行列はとても長く、およそ千人の規模になるだろう。町外れのトードス・オス・サントス教会堂からやってきて、昼過ぎから夜まで七日間続けられるらしい。トードス・オス・サントス教会堂から行進を始めるのは、教会の墓地に殉教者が埋葬されていて、自らの運命を殉教者と重ね、心を強く持ち、教えに殉じられるよう願うからだ。

 道に並ぶ信者たちは、悲愴な決意を秘めた行列を見て涙を流し、祈りの言葉を呟いている。

 多聞は、行列の中に岩を担ぎ、苦痛に耐えて歩く喜久の父の姿を見つけた。ずっと後方には、大きな杉板や十字架像を掲げて進む喜久とその兄もいる。喜久が持つ杉板には「われらの罪を贖い、信仰のために死ねるように神に誓い奉る」と書いてあった。

 まだわらべなのに! 多聞は、胸が痛んだ。

 八歳の喜久が〝信仰のためならいかなる苦しみに耐え、死さえ厭わない〟という意味を理解しているとは思えない。健気で信心深い娘と感動すべきなのだろうが、むしろその純粋さが痛ましかった。

 パードレ・ロドリゲスが日本にいらしたなら、国外追放や殉教を案じるような事態にはならなかったのではないか……あのお方は、さまざまな場面で内府様にとりなしを願い出て、ことを穏便に収めてこられたのだから。

 パードレ・ロドリゲスは、優れた交渉役で、イエズス会の柱だった。そのことに、皆、気づくのが遅すぎた。

「パードレ・ロドリゲスが日本を退去されて四年。今は、イエズス会そのものが追放されそうだ。たった四年のために……イエズス会は、パードレ・ロドリゲスを手放したのだな」

 多聞が振り向くと、背後にパードレ・原が立っている。

「これも神の御心とはいえ、なんとも皮肉なものだ。そう思わないか? イルマン・甲斐」

 そうだ。パードレ・ロドリゲスを失ったイエズス会は、明らかに打撃を受けたのだから。通辞と交易交渉役をイギリス人の三浦按針が引き継ぐと、オランダとイギリスは、敵対するポルトガルとイスパニアの来港をやめさせるよう、内府様に働きかけるようになった。

 危機感を覚えた長崎のイエズス会は、パードレ・ロドリゲスを日本へ戻せるよう、内府様の側近に働きかけたが叶わなかった。パードレ・ロドリゲスの退去後もイエズス会は何度か内府様にお目通りをする機会を得ているが、二年前の謁見の際には、内府様は一度「ロドリゲスを呼び戻す」と口にされたそうだ。しかし、それが実現することはなかった。

 内府様もおそらく「ロドリゲスがいれば」と思うことがあるのだ。有能さを認め、長い間親しくしていたというし、おそらく心底嫌ってしまわれたわけではない。でも、内府様の一存では決められないさまざまな事情があり、日本へ呼び戻すことができないのだろう。

「ノッサ・セニョーラ・ダ・グラサ号事件の後、まさかこのような事態になるとは誰も想像していなかった。少なくともイエズス会は、パードレ・ロドリゲスが日本を去れば、穏便に過ごせるはずと思ったはずだ」

 原は、そう言った。

 多聞は、記憶をさかのぼらせ、四年間のできごとを思い浮かべた。

 グラサ号事件で兵を指揮した有馬晴信は、同行していた幕府側目付役と親しくなった。目付役は、内府様の側近、本田正純ほんだまさずみの重臣だった。事件後、その重臣から所領加増の口利きを持ち掛けられた有馬晴信は、話を信じて資金を渡すという贈賄事件を起こした。しかし、重臣の話はすべて嘘だった。捕らえられた重臣は詐欺を認めたが、有馬晴信が長崎奉行殺害を企てたと証言した。結果として、重臣は火刑に処せられ、有馬晴信は謀反の罪で死罪になった。悪いことに、二人の武将はキリシタンだったのである。

 この一件を機に、内府様はいたくキリシタンを警戒するようになってしまったと多聞は聞いた。

 周りにキリシタンの家臣や旗本、奥女中などが思いの外多くいることにおどろかれた内府様は、身近にいるキリシタンの排除をはじめた。キリシタンへの改宗を禁止し、キリスト教を棄教しなかった家臣を改易にしたのだ。

 二年前の三月に駿府、江戸、京都に布告された、教会を破壊し、教えを説くことも禁じる禁教令は、同年の九月には関東の幕府領全域へと広げられた。そして、今年二月には全国へ発布されたのだった。

 多聞と原は、群衆から少し離れて彼らのようすを見守った。

「セバスチャン、われらはいつ国外へ追放されるかわからない身の上になった。今はあの大勢の鞭打ち苦行者の行列をご覧になったお奉行様が、禁教令に対する反乱とみなさないことを願うのみだ」

「迫害」と「殉教」は、少しずつ多聞の身近に迫っている。昨年十月、長崎奉行と有馬晴信の跡を継いだ嫡男、直純の差配の下、有馬でキリシタン八人の火刑があった。その中には棄教を拒んだ有馬家の重臣三人が含まれ、有馬川のほとりで二万人の信者が見守る中、殉教した。

 潮が徐々に満ちてくるように迫害の手は、確実に近づいている。

「パードレ、お奉行様は、『日本には儒教思想があり、宗教は神道と仏教である』と仰いました。『キリスト教国は、南蛮船で商いをしながら、邪教のキリスト教を広めて民と日本の政を混乱させようとしている。キリシタンは、キリスト教国の侵略の先兵であるから即刻追放し、キリスト教を禁止すべし』と。でも、私は、パードレ・ロドリゲスに訊いたことがあるのです。日本を侵略するために、パードレたちはいらしたのですかと。パードレは、聖職者にそのような意図はないから、安心しなさいと仰せになりました」

「あの方は高潔だから、そう説明されたのだろう。いいかね、セバスチャン。たとえ聖職者が束になって日本への侵攻をやめるようにと訴えたところで、ポルトガルの国王陛下が侵略を決断され、兵が攻め込んできたら、武器を持たない聖職者はなにもできない。そうだろう?」

「はい……」

「それに、かつてわたしは、貴人や聖職者たちが日本の侵攻について話すのを聞いたことがある。彼らにとって、日本は、キリスト教をなにも知らない蛮族の島国という認識だった」

 では、あの時、パードレ・ロドリゲスが説明してくれたことは単なる気休めだったのか。多聞は、失望を隠せなかった。

「しかし、彼らが実際に日本を攻めてきたことはない。それに遠い異国に遠征するほどの財力が今のポルトガルとイスパニアにあるのか。そういったことも含め、総合して考えなければならないが、仮に戦の意思はないとイエズス会がいくら説明しても、今の内府様はお信じにはならないだろう」

「パードレ、ドミニコ会士たちは、自分たちの行いを見れば、日本のへの侵略の意図はないとわかるはずだと言います。ドミニコ会の宣教師は、貧しい暮らしをし、裸足で暮らし、命に執着せず殉教に赴く。死んでしまっては侵略するどころではない、理解できるはずだと」

「残念ながら、それはキリシタンではない者には通じない理屈だ」

 原は、きっぱりと言う。

「日本の武将たちは、殉教という悲惨な刑死の熾烈な印象こそが信者を奮い立たせると考え、忌み嫌う。キリストが悪人として十字架にかけられたように、キリシタンは悪人として処刑された宣教師や信者を崇拝するが、武将にはそれが理解できない。なぜ刑死の罪人を崇めるのか、理解に苦しむと言う」

 多聞は、「殉教は、新しい信者の種になる」と教えられた。殉教を恐れてはならない、むしろ誉である。なぜなら、殉教とは、キリストに倣って、キリストと十字架にかかること。キリストを自らの体内に現し、人々にそれを見せることになるからだ。

「殉教という、命に執着にしない心構えがどうやらお上の恐れを生んでいる。いつか死を恐れぬ兵となり、幕府に向かってくるのではないか。お奉行様もおそらく内府様も、そのような猜疑心さいぎしんを持たれているのだ。なにぶん……戦の時代が長すぎた」

 原は、通り過ぎる行列に祈りを捧げる信者たちの背を見つめる。

「日本では戦禍や飢饉でいったん孤児となれば、そのほとんどが死を受け入れるしかない。だが、キリスト教宣教師が日本にきて、世に見捨てられた孤児を引き取り、育て教育し、あなた方は愛され、大切にされるべき存在だと教える。そして、自らを愛するように他人を、敵をも愛せよと教え、宣教師が手本となって実践してみせる。その教えが戦で家族を失い、周りから無視されてきた人々の心に温かい光を灯す。孤児ばかりではない。貧困のせいで牛馬のように扱われたり、病やケガ、高齢のために捨てられ、生に絶望した人々の心にどれほど沁みることか。そういった心の飢えを見る余裕がこの国のお上にはないのだ。それこそが殺伐とした戦乱から、日本がまだ脱していない証なのかもしれない」

 五か月後―― 十月二十四日 長崎

「イルマンは、マカオに行かれるのじゃなあ?」

 慈善院の入り口で、喜久の父が寂しそうに多聞に言った。

「儂らは、日本に残ります。長崎におる信者全員が船に乗れるはずもあいもはんし、儂は伝道するような賢さもあいもはんで、国外追放されることはなか。これからは縁者を頼って九州を転々とします」

 去る十月初旬に、駿府の内府様から宣教師とキリシタンの追放の布令が長崎に届いた。それを知ったキリシタン六千人がトードス・オス・サントス教会堂に押しかけ、最後の聖体拝領にあずかった。長崎奉行がキリシタンの暴徒化を案じ、兵を町のあちこちに配備したほどの混雑ぶりだった。

 長崎奉行は、早く宣教師たちを国外へ追放したいと考えているようで、十月中に長崎の町を出るよう宣教師たちに申し伝えてきた。教会や修道院など教会施設を出て、船出する海岸で風を待つように命じたのだ。

 多聞は、明後日、慈善院修道院をパードレたちと共に追い出されることになり、その後は海岸の漁師小屋で出帆まで待機するようにと役人から伝えられた。

「イルマン、冬は波も荒う、危のうごわす。船出を春まで待てんのやろうか」

「お奉行様は、どんな荒波でも風さえ吹けば船出を命ずるだろう。一刻も早く宣教師と信者を追放したいようだから」

「じゃっどん、海岸にあるどの唐船も今にも壊れそうな状態だとか。あれで、マカオやマニラとかいう異国まで行けっとな。まるで難破させるために船出するようなもんじゃ」

 信者たちは、外洋に出て大波を受ければ船は木っ端みじんになると言い、船出は殉教そのものだと言っている。とはいえ、長崎奉行にしてみれば、それでもかまわないのだろう。

「イルマンは、異国へ行っちゃうの?」

 喜久が訊いた。

「そう。パードレになるために行くんだ。天に召された司教様の御意思でもあるからね」

「じゃ、パードレになったら戻ってくるの?」

「そうだね。でも、とても年月がかかると思うんだ」

「どれくらい?」

「そうだなぁ。十五年、いや、十年…できるだけ早く。その頃、お喜久は所帯を持ってるかもしれないね」

「イルマンは、日本へ戻ってこらるっとな?」

「ポルトガルとの交易が続いていればその船で、そうでなくても唐船を捕まえれば日本へ帰ることができますから」

「では、また会えますね。パードレとなってお戻りなる日をお待ちしちょります。どうぞそれまでお達者で」

「みんなに神のご加護を」

 喜久は、別れを惜しんで淋しそうだ。喜久の兄も表情が硬い。喜久の父は、悲しげに微笑んでいる。決して口には出さないものの、もう二度と会えないかもしれないとその表情は語っていた。多聞も、十年、十五年後、どうなっているのか想像できなかった。それこそ唐船で出帆した後、数日もしないうちに難破し、そこで死を迎えるかもしれない。

 多聞は三人と別れ、物々しくなった町の人ごみに消えていく彼らの姿を見送った。

 ――日本へ戻ってこらるっとな?

 あれは手段を訊いたのではなく、その気持ちがあるのかと訊いたのかもしれない。これからも迫害が続くだろう日本へ戻る気があるのか。イエズス会は、キリシタンたちを鼓舞するために、交易の事務処理のためという名目で、パードレ百十五人のうち、十八人を残すと決めた。多聞は喜久たち信者を思うと、追放されても帰ってこなければと思う。

 それには、まず冬の海で死ぬわけにはいかない。

 これまで死がすぐそこにあるという認識はどこか他人事だった。戦場で何人もの屍を見てきたし、武者に追われたこともある。しかし、心のどこかで自分は大丈夫、まさか死ぬわけはないと信じていたように思う。

 成長するにつれ、死や痛みに怖さが増すのはなぜだろう。今は心の奥に恐れがある。平静を装っているけれど、胸の内は怒涛のように気分が激しく上下していた。

 多聞が踵を返すと、慈善院からちょうど高山右近が出てきた。彼は、慈善院にたびたびやってきて、病人や貧者の食事の世話をしたり、キリストの教えを話したりしている。

 国外追放される前に殺されるかもしれないという噂もあったそうだが、右近は、常に心穏やかに過ごしているように見えた。

 右近と親しい武将が長崎に訪ねてきて、国外追放を内府様に取り下げていただくよう手を回すと申し出たり、いよいよ大坂で豊臣方との戦が始まるので、右近を豊臣方の総大将に迎えたいという使いが来たりしたこともあったそうだが、右近はいずれも断ったらしい。

「高山様は、なぜそのように心安らかなお顔をされていらっしゃるのですか?」

 多聞は、目礼してすれ違おうとする右近に話しかけた。

「国外追放も間近に迫り……恥ずかしながら、私は精神が乱れております」

「イルマン、これも修行の賜物たまものです」右近は、多聞に微笑んだ。「旅立つ最後まで、こうして慈善院で隣人愛を手伝うことができるのは喜びですよ。心と力を尽くして神を愛し、神を愛するように、自分を愛するように隣人を愛する。これこそ神の大切な掟ですからね」

 あくまでも右近の口調は穏やかだ。

「大坂城にキリシタン武士たちやパードレも入城していると聞きました。その件で、高山様にご使者が参ったと聞きました。武将として戦に力を尽くそうというお考えはなかったのですか?」

「とうの昔に財産も名誉も捨てましたから。儂は、もう武器を持って戦わない。神の教えの通りに忍耐と謙虚という徳で戦う。そう決めました。使者は、儂が大坂城に入れば、キリシタン武士が大坂に集まり、士気が高揚すると申した。戦は人をむやみに殺し、民に多くの不幸をもたらす。儂が参戦すれば、それに加担することになる。それは、キリシタンの法に反する。今の儂の望みは、ただ追放の刑に従うのみ」

 右近は死を覚悟している。口調は優しいが、そのゆるぎない思いは、多聞にも伝わってきた。

「イルマン、人間は立場ではない。武士だから、聖職者だから、商人だから、貧者だからではなく、どのような人物なのかが大事なのだ。どのように生き、葛藤し、どの道を選んできたか。それが人生の節々に、最期に現れる」

 右近の慈しみの中にも強い意思を感じる目が多聞を見据える。

「儂は、この追放で死を迎えるだろう。今は人生の最期の準備をしている。信仰の形は人それぞれ。一つではない。これが儂の形だが、イルマンにはイルマンの形がある」

 右近は、いつもと変わらぬ微笑を多聞に向けると、静かに去っていく。

 その凛とした背中を多聞は、しばらく見つめていた。

 これが右近と話す最後になった。

 

 教会や修道院を追い出された多聞たちは、海岸にある漁夫の藁小屋に押し込められた。追放命令を確かに執行するために、兵一人が小屋について出入りを監視した。

 出帆にいい風が吹くまで、多聞たちは日がな一日波の音を聞きながら、祈りの日々を送った。

 小屋の外で兵たちが長崎に二十一ある教会堂や修道院、修練院などが壊されていると話すのを聞き、多聞は、居ても立ってもいられなくなった。

 十一月五日、多聞は、ある兵が当番中必ず居眠りするのを知り、その兵が番に当たった時を見計らって小屋を抜け出し、町の近くまで戻ってみた。

 遠目ではあったが、岬の教会の無残な姿を見た時、自然と涙がこぼれた。瓦をはがされ、壁もなく、教会堂は柱だけになっていた。

 岬の教会は、多聞にとっていつも温かく迎え入れてくれる家そのものだった。

 十四年前、教会堂の普請のようすを見ていた頃のことが蘇ってきた。十歳からのさまざまな記憶は岬の教会堂と共にあった。龍之進との再会と別れ、パードレ・ロドリゲスやセルケイラ司教との穏やかな時間、小神学校の仲間と海岸で遊んだ楽しい日々、病院で看取ったイルマン・レオーネと信者たち、喜久の無邪気な笑顔……一気に押し寄せる回想すべてが貴重で愛しい年月だった。それが荒々しく、力づくで壊されていく。

 三日後の十一月七日、多聞は、マカオ行きの唐船に乗った。同じ船には、イエズス会士や日本人信者もいる。マカオに向かう唐船は三隻で、マニラへは二隻。そのうちの一隻で、高山右近とその家族は翌日、マニラへ向かうという。

 多聞の乗る唐船が長崎の港を出て、兵や役人の目が届かなくなると、近くの岸辺から小舟が唐船に向かってやってくる。唐船に小舟が横づけされると、日本に残るため予め下船を決めていたパードレ三人が小舟に乗り移った。多聞と原が彼らに無事を願う言葉をかけると、小舟は静かに唐船を離れ、岸へと戻っていく。

 多聞は、唐船の船上から、夕日を受けて金色に染まる山々が徐々に小さくなっていくのを見つめた。

 私も戻る。必ず日本へ帰ってくる。

 それから、両手を合わせて強く祈った。

 神よ、どうか私に勇気をお与えください。この体であなたの栄光を表すために、あなたの栄光を表す道を歩むために。

 何年かかろうとも……私はパードレとなり、ここへ戻る。

 たとえ、それで肉体が滅ぶことになるとしても。

(第17回へつづく)