「わー! かわいい! ハートとか貝殻とか、超インスタ映えするじゃん」
 ギャルが、ショーケース越しにスマートフォンで撮影を始めた。
「そんなことしてないで、さっさと買えよ」
 ホスト風の男が、面倒くさそうに言った。
「うるさいな~。 ちょっと待ってよ!」
 ギャルが、キレ気味に言った。
「お前のちょっとはいつも長いんだよ!」
 ホスト風の男もイラついていた
「ご自宅用ですか? プレゼント用ですか?」
 譲二は、ホスト風の男に声をかけた。
 痴話喧嘩に発展しないうちに、適当にチョイスして早く追い返したかった。
 店内で言い争いなどやられるとほかの客の迷惑になるし、なにより直美がキレて暴れ出すと大変なことになる。
 幸いなことに直美はミクを相手にしながらガナッシュを箱詰めしており、カップルの言い争いには気づいていない。
「おい、由美、ちょっと!」
 振り返ったホスト風の男が譲二の顔を見て吹き出し、ギャルに手招きした。
 譲二は、胸騒ぎがした。
「なによ!?」
「ほら、こいつを見ろよ……」
 ホスト風の男が、譲二の頭を指差し笑った。
 胸騒ぎが、現実となりつつあった。 
「え……嘘! なに、変な頭!」
 ギャルも、譲二の頭を指差し笑った。
 屈辱に、膝が震えた。
 譲二は拳を握り締め、歯を食い縛り、怒りを抑えた。
 
「お姉ちゃん、アイスコーヒーとミルフィーユをくれ!」
 直美は歌舞伎町の純喫茶のテーブルに座るなり、ウエイトレスに大声で注文した。
「少々お待ちください」
 ウエイトレスは言うと、先客の注文を取りに向かった。
 直美が席を立った。
「どこに行くんですか?」
 少年の問いには答えず、直美はウエイトレスのもとに大股で歩み寄った。
 次の瞬間、少年は眼を疑った。
 店内にウエイトレスの悲鳴が響き渡った。
 直美が右腕をウエイトレスの腰に回し、軽々と抱え上げると戻ってきた。
 ウエイトレスを横取りされた先客の中年男性が直美を見て、慌てて眼を逸らした。
 無理もない。
 ライオンに獲物を奪われて取り返そうとする動物はいない。
 ほかのスタッフを含め、飛び火を恐れているのか誰も直美に注意しようとする者はいなかった。
「な、なにをするんですか!」
 床に下ろされたウエイトレスが、顔を真っ赤にして猛抗議した。
「アイスコーヒーとミルフィーユをくれ」
 直美が、何事もなかったように注文した。
「先客の方の注文が……」
「ぼ、僕は次でいいですから……」
 ウエイトレスを遮るように、先客の中年男性が言った。
「ほら、いいって言ってるじゃねえか? お前も注文しろ」
 直美がウエイトレスから少年に視線を移した。
「俺はアイスカフェラテをお願いします」
「お前、なに女の子みたいな飲み物を注文してるんだよ!」
 少年が注文を告げると、直美が大声で茶化してきた。
「直さんのミルフィーユのほうが……女の子みたいですよ」
 少年は言った端から後悔した。
 絶対に殴られる……肚を決め、少年は歯を食い縛った。
「そりゃそうだ!」
 予想に反して、殴るどころか直美は大笑いした。
 直美は傍若無人だが、妙に素直なところがある。
 ウエイトレスが、不満げな顔で直美を睨みつけていた。
「なんだ? お姉ちゃん、俺に抱かれたいのか?」
 直美が言うと、ウエイトレスが逃げるようにテーブルを離れた。
「あの……直さんは、街の安全を守るためにパトロールしてるんですよね?」
 恐る恐る、少年は訊ねた。
「ああ、そうだ。ついさっき、汚職マル暴をゲロ塗れにしたの見ただろうが?」
 直美がホットコーヒー用のスティックシュガーを口に入れながら言った。
「な、なにしてるんですか?」
「ミルフィーユがくるまでの繋ぎだ」
 直美は言うと、二本、三本、四本、五本とスティックシュガーを流し込んだ。
「見ているだけで胸やけしそうです……あ、話を戻しますが、直さんのやってることって、街の人達に迷惑をかけてませんか?」
 少年は、率直な疑問を口にした。
「俺がどんな迷惑をかけたっつーんだよ?」
 六本目のスティックシュガーを流し込みながら、直美が訊ね返してきた。
「どんな迷惑って……ほかのお客さんの注文を取っているウエイトレスをさらうことですよ」
 少年は呆れた口調で言った。
「俺は一秒でも早くミルフィーユを食いたかった。それだけだ」
 当然といった口調で、直美が十本目のスティックシュガーを流し込んだ。
「それは、あのお客さんだって同じ……っていうか、そうじゃなくても、あんなことするのは店にもお客さんにも大迷惑ですよ」
「あの禿ちらかったダサいスーツの客が、僕は次でいいですからって言ってたの、お前も聞いてただろうが?」
「聞こえますよ」
 少年は声を潜め、人差し指を唇に立てた。
「聞こえてもいいじゃねえか、本当のことなんだからよ」
 開き直っているのならまだわかるが、直美の場合至って真剣なのが信じられなかった。
「あなたって人は……」
 少年は、呆れ果てた顔で直美をみつめた。
 出会ってまだ数時間だが、直美が傍若無人な男だということは嫌というほどにわかった。こんなに破茶滅茶な言動の男は、少年漫画の世界でしか見たことがない。
 普通なら一刻も早く逃げ出したくなるものだが、不思議と少年にその気はなかった。
 直美は猛獣のように凶暴な男だが、極悪人という感じはしなかった。
 どこか憎めない、人を惹きつけるところがあった。
 歌舞伎町を二時間くらいパトロールしている間に、ほかのヤクザは直美を見かけると俯くかこそこそと隠れていたが、水商売風の女性や年寄りは嬉しそうに寄ってきた。
 恐らく、いろいろと直美に助けて貰っているのだろう。
 強きをくじき弱きを助ける……だから、弱者の自分に目をかけているのか?
 少年は複雑な気分になった。
 被食者から捕食者になるためにヤクザ世界に飛び込んだというのに、いまのままでは捕食者の威を借りる被食者だ。
「前に生肉が落ちてたらライオンやトラは食うだろう? だからって、ライオンやトラは捕まるか?」
 直美が周囲に首を巡らせつつ、屁理屈をこねた。
「動物は捕まりませんが、俺ら人間には法律があります」
「その法律を作ったのは俺じゃなく、ほかの人間だ。だから俺は法律には従わず、ライオンやトラのように大自然の法則に従う。食べたいときに食べ、寝たいときに寝て、ヤリたいときにヤル」
 言いながら腰を浮かせた直美が、隣のキャバクラ嬢と思しき女性客のテーブルからモンブランを皿ごと奪い一口で食べた。
「な、直さん……」
 少年は絶句した。
「ちょっと、人のケーキを……」
「ごちそうさん! 釣りはいらねえよ」
 直美は財布から抜き取った一万円札を女性客のテーブルに置き、あっけらかんとした口調で言った。
「まあ、いいわ。また、頼むから」
 女性客の眉間に刻まれた皺が消え、口角が吊り上がった。
「人のケーキを勝手に食べるなんて、直さんっ、正気ですか!?」
 唇に付着した生クリームを舌先で舐め取る直美を、少年は諫めた。
「ミルフィーユが遅いから待ちきれなくて食った。十倍以上の値段を払ってるから、文句はねえだろうよ」
 悪びれたふうもなく、直美が言った。
「そういう問題じゃ……」
「瀬里奈! 大変!」
店内に駆け込んできた茶髪で派手なドレスを着た女性が、ケーキを奪われた女性客のテーブルに走ってきた。
「彩、そんなに慌ててどうしたのよ?」
「尚也が、ウチの店の前で半グレにボコられてるよ!」
「弟が!?」
 女性客……瀬里奈が蒼白な顔で叫んだ。
「うん……『東京倶楽部』の連中だと思う。この前、店の中で暴れていた何人かを尚也が出禁にしたから、逆恨みじゃないかな……」
 震える声で、彩が言った。
「どこの店だ?」
 運ばれてきたミルフィーユのフィルムについた生クリームを舌先で舐めながら、直美が訊ねた。
「は? あなた誰ですか?」
 彩が怪訝そうな顔で訊ねた。
「お前ら、歌舞伎町に移ってきて日が浅いだろう?」
 直美が立ち上がりつつ言った。
「私も瀬里奈も、一昨日まで六本木のキャバ嬢だったから……」
 怖々と、彩が答えた。
「だろうな。歌舞伎町に一週間いる者で、俺を知らない奴はいねえからな。で、お前らどこの店だ?」
「『エスペランサ』よ」
 瀬里奈が言った。
「行くぞ」
 直美が立ち上がり、少年に命じた。
「え……どこにですか?」
「『エスペランサ』に決まってるだろ」
「『エスペランサ』に行って、なにをする気ですか?」
 少年は胸騒ぎに襲われた。
「仕事だ。とにかく、ついてこい。あ、そうそう」
 出入り口に向かっていた直美が、なにかを思い出したように足を止め瀬里奈を振り返った。  
「入れパイ巨乳のネエちゃん、さっきの一万円の釣りの中から俺らの会計を払っておけ」
「はぁ!? あれは私にくれたんじゃないの!? それに、これは入れパイじゃなくて天然だし!」
 瀬里奈が両手で豊満な乳房を持ち上げ、直美を睨みつけた。
「報酬はお茶代で勘弁してやるって言ってんだよ!」
「報酬ってなによ!?」
 瀬里奈の質問に答えず、直美が店を飛び出した。
「待ってください!」
 少年も、直美のあとを追った。  
 
「譲二、ミクちゃんのためだけに特製ガナッシュを作ってあげるから接客を頼むぜ。お姫様とババアは、そこに座って待っててくれ」
 直美が譲二に命じ、視線を春江とミクに移すとショーケースに向かい合わせになっているベンチを指差した。 
「ババア!? 失礼な男だね! あたしはまだ四十五だよ!」
 すかさず春江が言い返した。
「だからババアだろうが」
 涼しい顔で言い残し、直美が厨房に入った。
「まったく、口の悪いケダモノだよ。じゃあ、ほかの買い物をしてくるから、できたら携帯に連絡を入れるように直ちゃんに伝えてちょうだい」
 春江が譲二にことづてを頼み、ミクを促し店を出た。
 春江は、言葉ほど気を悪くしているふうには見えなかった。
 それは、直美が思ったままを口にしているだけで、春江を馬鹿にしたり攻撃しようという気持ちがないことをわかっているからだ。
 娘のために頼まれてもいない特製のガナッシュを作ってくれるような優しい一面があることも……。
「パンチパーマなんかしてる奴、まだ存在してたのかよ」
 ホスト風の男の声が、譲二を現実に引き戻した。
「レアなヘアスタイルだろう?」
 屈辱をウイットに富んだジョークで切り返し、譲二はタメ語を使った。
 本来なら客には絶対に敬語だが、自分なりの細やかな抵抗だった。
「レア? 古臭いだけじゃん」
 ホスト風の男が、嘲るように言った。
 膝の震えが激しくなった――握り締めた拳に力が入った。
「お客さん、どこの店?」
声が上ずらないように気をつけつつ、譲二は訊ねた。 
「『Ai』だけど。なんで?」
 ホスト風の男が、怪訝そうに訊ね返してきた。
「『Ai』……ああ、昔の『プリンスナイト』ね。たしか、税務署対策で店名を変えたんだよな」
 譲二はさりげなくホスト業界の裏事情を口にすることで、自分がただのチョコレート専門店のスタッフでないことを匂わせた。
 
「いいか? お前を受け入れるには条件がある。俺はもう、『東神会』の特攻隊長じゃねえ。ボンボンショコラ専門店の経営者だ。俺がこれから目指すのは任侠道じゃなくショコラ道だ! お前も俺を追ってスイーツ界に飛び込む以上、二度とヤクザだった過去を持ち出すんじゃねえぞ! 一流のショコラティエになるために、ショコラ道に邁進するんだ! その約束を守れねえときは、お前はクビだ!」
 直美との約束が、譲二の脳裏に蘇った。
 目の前のナメたホストを黙らせるには、自分が「東神会」の組員だったことを明かせば話は早かったが、それをやってしまえば直美から縁を切られてしまう。
 八年の歳月をかけて、歌舞伎町の百獣の王として畏怖されていた直美の一の舎弟になった。
 当初の夢だった猛獣にはなれなかったが、猛獣使いにはなれた。
 なにより、譲二は星咲直美という男に惚れ込んでいた。
 究極の戦闘力、究極の勇気、究極の肉体、究極の自己中心的性格……自分にはないすべてを兼ね備えている直美といることで、譲二は夢を叶えている気になれた。
「女顔したパンチ頭のくせに、やけにホスト事情に詳しいじゃん」
「やだ~! 本当のこと言っちゃだめじゃーん!」
ホストが言うと、ギャルが譲二を指差し笑った。
「まあ、俺も昔、歌舞伎町でヤンチャしてた時代があったから」
 譲二は、遠い眼差しで言った。
 ヤクザだったと言ってないので、問題はないはずだ。
「おい、女パンチ! あんた、なに悪ぶってんの? かわいい顔して、無理しない、無理しない」
 ホストが、譲二の頬を平手ではたきながら小馬鹿にした。
 二十五歳の譲二より、三、四歳は年下のはずだ。
 イジメられ、馬鹿にされ続けてきた過去が脳裏に走馬灯のように蘇った――激憤、屈辱、恥辱が譲二の五臓六腑を焼き尽くした。
 できることなら、眼の前で薄笑いしているホストをぶちのめしてやりたかった。
 客に手を出すなんて言語道断……譲二は、己に言い聞かせた。
 本当は、わかっていた。
 ホストをぶちのめさないのは、客だからという理由ばかりではないことを。
 本当は、わかっていた。
 ヤクザという看板がなければ、自分は負け犬だった昔と同じ、無力で憶病な男でしかないことを。
 自分に、あの人の千分の一の勇気と腕力があれば……。
 
「エスペランサ」の前には、黒山の人だかりができていた。
 暴走列車のように直美が、人だかりに突っ込んだ。
 直美によって開けた視界――五人の男が路上に倒れた一人の男を競うように蹴りつけていた。
 男達の手には、木刀や金属バットが握られていた。
 少年の足が止まった。
 両膝から全身に震えが広がった。
 少年とは対照的になんの躊躇いもなく突進した直美が、飛び膝蹴りで金髪坊主の背中を蹴りつけた。
「なんだてめえは!」
 ドレッドヘアが振り返り、目を剥いて木刀で殴りかかってきた。
 直美は木刀を左手で掴むと、まるで割り箸をそうするように呆気なく折った。
「嘘だろ!?」
 少年は思わず叫んだ。
 直美が右手でドレッドヘアの頬を鷲掴みにすると、五メートルは離れているだろう少年のところまでバキバキという音が聞こえた。
 直美はドレッドヘアを、円盤投げの選手のように回転しながら放り投げた。
 少年の足もとに、ドレッドヘアが飛んできた。
 野次馬達が悲鳴を上げながら左右に分かれた。
「え……」
 少年は息を呑んだ。
 黒目を反転させたドレッドヘアの上顎と下顎が、壊れたカスタネットのように左右にズレていた。
「てめえ! ふざけんじゃねえぞ!」
 不自然なほどに陽灼けした褐色の肌の男が、金属バットをフルスイングした。
 顔をブロックするためにL字に折り曲げた直美の左腕に、金属バットがグシャリという音を立てながら叩きつけられた。
 直美は眉一つ動かさず、左腕はビクともしなかった。
「痛っ……」
 陽灼け男の手から、金属バットが弾かれたように吹き飛んだ。
 野次馬がどよめいた。
 無理もない。全力で振り回された金属バットで殴られれば、人間の腕なら粉砕骨折するはずだ。
直美は陽灼け男の喉と足を掴み、高々とリフティングした。
「直さん、後ろ!」
 少年は叫んだ。
「死ねやーっ!」
 頬にスカルのタトゥーを彫った男が、直美の背後から木刀を振り下ろした。
 鈍い音とともに、木刀が直美の後頭部にめり込んだ。
 少年の場所からも、宙に飛散する血が見えた。
「直さん!」
譲二は駆け寄ろうとしたが、足が動かなかった。
 兄貴分の危機に恐怖に足を竦ませている自分が情けなかった。
 だが、直美は何事もなかったように、陽灼け男をリフティングしたまま百八十度回った。
「な、なんで倒れない……」
 驚愕するスカルタトゥーに、直美は陽灼け男を投げつけた。続けて折り重なって倒れる二人の右と左の耳を掴み引き摺り起こすと、遠心力を利用して物凄い勢いで回転し始めた。 
 グングンと回転速度が上がり、直美の姿が見えなくなるほどだった。
 残る一人の半グレ……ロン毛をポニーテイルにした男も、立ち尽くすだけで近寄ることさえできなかった。
 三十秒ほど回転したときに、二人が野次馬のほうに飛んできた。
 野次馬から尋常ではない悲鳴が上がった。
 少年は二人のほうに駆け寄った。
「うっ……」
 少年は口を押さえた。
 涙に滲む視界――左耳がちぎれた陽灼け男と右耳がちぎれたスカルタトゥーの凄惨な姿に、少年の背中が波打ち逆流した胃液が唇を割った。
「そこの金髪坊主は背骨がイカれて、使い物にならねえ。残るはロン毛が似合ってないおばちゃんみてえな顔をした兄ちゃん、お前だけだ。もう二度と、この店に嫌がらせをしないと約束するなら許してやってもいい」
 直美が、凍てつき震えるロン毛ポニーテイルに歩み寄りつつ言った。
「あ、あなたは……誰ですか? エ、『エスペランサ』と……ど、どういった関係なんですか?」
 極寒の大地に全裸で放り出されたように震えながら、ロン毛ポニーテイルが訊ねた。
「なんの関係もねえよ」
 あっさりと、直美が言った。
「じゃ、じゃあ、ど、どうして……?」
「俺のいる歌舞伎町で、鼠一匹殺すことは許さねえ!」
 直美の切った啖呵があまりにも格好よく、少年の全身に鳥肌が立った。
 この瞬間、少年は直美に一生ついて行こうと心に誓った。 
「兄貴、そのへんで勘弁してやって貰えませんか?」
 不意に、スカイブルーのスーツを着た若い男が直美に声をかけてきた。
 兄貴、と呼んでいることから察して「東神会」の構成員なのだろうか?
 切れ長の鋭い眼、きれいに整えられたツーブロックの七三……男は、直美とは対照的にクールで知的な印象だった。
「海東じゃねえか? どうしてお前が出張ってくるんだ?」
 直美がロン毛ポニーテイルから男――海東に視線を移した。
「こいつらは、盃は交わしていませんが私の舎弟も同然です」
 海東の物言いは丁寧で紳士的だが、少年には好きになれないタイプだった。物腰は柔らかくても、肚の中ではなにを考えているかわからない不気味さがあった。
「だったら、きちんと躾をしねえとな。堅気衆を武器まで持って袋叩きじゃ、行儀悪過ぎだろうが?」
「すみません。今後、二度とこんなことがないようにします。ただ、彼は貰っていきますよ」
 海東が血塗れで倒れている瀬里奈の弟に視線をやった。
「こいつはただのボーイだろう? これ以上、痛めつけてどうする?」
「兄貴も知っての通り『エスペランサ』は『東神会』のみかじめ料を拒否しています。こいつらに暴れさせたのは、戒めるためです。黒服として注意したまでは許容範囲ですが、出入り禁止にした上に警察サツにまで通報しました。一介のボーイにここまでやられちゃ、みかじめきちんと払っている店や同業に示しがつきません。心配しないでも、兄貴みたいに顎を砕いたり耳をちぎったりしませんから。せいぜい、ナメた口をきけないように舌を半分ほど切除するだけです。医者じゃないので、運が悪ければ死んでしまうかもしれませんが」
 慇懃な言葉遣いだが、海東が口にしていることは身の毛がよだつような残酷なものだった。
「お前、チーターがライオンから獲物を奪うつもりか?」
 直美が、ドスの利いた声で言って海東を睨みつけた。
「それは、どういう意味でしょう?」
「俺が歌舞伎町の王という意味に決まってるだろうが」
 直美が胸を張って高笑いした。
「お巡りさん、こっちでヤクザ同士が喧嘩してます!」
 少年は声がするほうを振り返った。サラリーマン風の若い男が、二人の制服警官を引き連れていた。
「ほら、あそこです!」
 サラリーマン風の男が、直美を指差した。
「え……あれは……」
「直さんじゃないですか……」
 制服警官達の顔が、直美を認めて強張った。
「ほらっ、あちこちに怪我人が倒れてますっ」
「こいつらは『東京倶楽部』の半グレですよね?」
 若いほうの制服警官が、顎が外れているドレッドヘアを見下ろしながら訊ねた。
「そうみたいだな。行くぞ」
「ちょっと、待ってくださいよ! 止めないんですか!?」
 サラリーマン風の男が、驚いた顔で二人を引き止めた。
 驚いたのは、少年も同じだった。
「こいつらは振り込め詐欺やら合法ドラッグやら未成年買春やら悪さばかりしてる半グレ集団です。あのビッグフットみたいなヤクザは、歌舞伎町のチンピラの教育係なんですよ。だから、私らの出番はないということです」
 年配の警察官が言った。
「お巡りさん、いまは昭和じゃなくて平成ですよ!? 街の治安をヤクザに任せるなんて……」
「とにかく、彼がパトロールするようになってからヤクザや半グレの犯罪が著しく減少したという事実があります。もちろん、犯罪が増えているなら話は別ですがね。そういうことで失礼します」
 二人の制服警官は、逃げるようにその場をあとにした。
 少年は、耳を疑った。
 尤もらしい理由を並べてはいたが、ようするに直美が怖いに違いない。
「歌舞伎町の王……それは、若頭かしら組長おやじの前でも言えますか?」
「おう、もちろんだ。歌舞伎町で悪さするヨソ者のヤクザや、こいつらみてえな半グレを見かけたら俺流のやりかたで制裁していいって言われてるからよ」
 涼しい顔で、直美が言った。
 ふたたび、少年は耳を疑った。
 直美は、組のトップとナンバー2にも恐れられているのか? それとも、全幅の信頼を置かれているのか?
 どちらにしても、「東神会」において直美がVIP待遇なのは間違いない。
「だからといって、私の子飼いにこれはやり過ぎだと思いますがね」
 海東が直美の眼を見据えながら言った。
 一瞬で半グレの背骨を破壊し、顎を外し、耳をちぎり、警官さえ見て見ぬふりをする猛獣を前にしても海東は恐れている様子はなかった。
「それなら、飼い主を躾てやってもいいんだぜ? どうする? 海東」
 直美のナイフのように鋭い眼が吊り上がり、海東を睨めつけた。
 五秒、十秒……海東は視線を逸らさず直美を見据えていた。
 直美も般若のように恐ろしい三白眼で海東を睨み続けていた。
「出過ぎたことを言いました。すみませんでした」
 沈黙を破り、海東が頭を下げた。
 だが、少年の眼には海東が心から詫びているようには見えなかった。
「わかりゃいい。いつもの病院に連れて行ってやれ。こいつは貰ってくぜ」
 直美は海東に言い残し、瀬里奈の弟を肩に担ぎあげると少年のほうに歩み寄ってきた。
「パンチ坊や、こいつを入れパイ巨乳姉ちゃんのとこに連れて行け」
 言い終わらないうちに、直美が少年の足元に瀬里奈の弟を下ろした。
「えっ……直さんはどうするんですか?」
「俺はパトロールを続けるから、入れパイ巨乳姉ちゃんにこいつを戻したら合流しろ」
 直美は少年に一方的に命じ、恐怖の表情で道を空ける野次馬の間を悠々たる足どりで歩き去った。
 
 譲二は記憶の扉を閉め、ホストを睨みつけた。
「東京倶楽部」の半グレを相手にしたときの直美になり切った。
「俺がチョコレート屋だからって、あんまりナメないほうがいいと思うけどな。人には、語りたくない過去の一つや二つあるもんだぜ」
 譲二は必死に余裕の表情を作り、自分が元ヤクザだったということを匂わせた。
「は!? あんたさあ、さっきからなにイキがってんだよ? 女みたいな顔したパンチ頭のしょぼいチョコレート屋だろ?」
 ホストが、譲二の両頬を抓み引っ張った。
「イジメるのやめなよ~。本当のことを言ったらかわいそうじゃ~ん」
 涙を流しながら、ギャルが嘲笑した。
「おい、そこのギャル、カメラの用意しろ」
 業務用のアルミキング片手鍋を持ち厨房から出てきた直美が、ギャルに言った。
「え……なんでよ?」
「インスタ映えするボンボンショコラを撮影してえんだろう?」
 直美は言いながら、ホストの髪の毛を鷲掴みにした。
「痛っ……な、なにするんだよ……」
「お前も男なら、彼女の望みを叶えてやれや」
 直美はニヤつきながら、ホストの頭上で片手鍋を傾けた。
「あちちちちちちちちぃーっ!」
 脳天から四十度前後の液状のチョコレートをかけられたホストが腰から崩れ落ち、悲鳴を上げながらフロアをのたちうち回った。
「直さん! なにやってるんですか!?」
「動くな! お前は黙って見物してろや」
 直美は嬉々として譲二に命じると、陸地に釣り上げられた魚のように跳ね回るホストの全身に満遍なく熱々の液状チョコレートをかけ続けた。
 業務用のキングサイズなので、十二リットルのチョコレートが入っている。
 それだけの重量の片手鍋を右腕一本で軽々と持つ直美の腕力も桁外れだ。
 みるみる、ホストの身体が艶のあるチョコレート色にコーティングされた。
「おらっ、なにしてる! シャッターチャンスだぞ! 次は、お前もボンボンギャルにしてやるからよ」
 直美はホストの顔面を右足で踏みつけ、ギャルに言った。
「嫌っ……嫌ぁーっ!」
 ギャルが悲鳴を上げ、店から逃げ出した。
「あ~あ、逃げちまったよ。仕方がねえ。お前が撮れ」 
 相変わらずニヤつきながら、直美が譲二を促した。
「直さん……」
 譲二は震える手でスマートフォンを取り出しカメラ機能にした。
 直美のやり過ぎだがさりげない優しさに、ディスプレイに映るボンボンホストが涙で霞んだ。

 

(第3回へつづく)