第二章

二(承前)

「二枚舌の交渉人。そなたのほうがよほど信用なりません」

 ロドリゲスは、バレンテの後ろ姿を見送り、そう呟く。

「よろしいのですか? パードレ・バレンテお一人で」

「今は、バレンテのほうが適任かもしれません。わたしは、お奉行様とお代官様に目の敵にされていますから、バレンテのほうが表向きの受けはよいでしょう。なにより、わたしの推察が真をついたようで、お奉行様のご機嫌を損ねてしまいました」

「お奉行様が、内府様へマカオの事件を訴えるよう、有馬家に手を回したということですか?」

「さすがです、セバスチャン。よく理解しましたね。ペソア総司令官がお奉行様を訴える書状を作らなければ、そしてその通辞がお奉行様に内容を報告しなければ、このようなこじれたことにはならなかったでしょう」

 ロドリゲスは、深い溜め息を漏らす。「人と人との関係とは、心が伴う分、難しいものですね。おそらくお奉行様は、当初、ほんとうにことを穏便に収めようとしていらしたのでしょう。でも、ペソア総司令官が駿府に自分のことを訴えに行くつもりでいると知り、それをわれらがペソア殿をそそのかしたに違いないとお考えになられた。御心を踏みにじられたというお怒りから、お奉行様は有馬家に使いを出したのではないかと推察します」

 バレンテの姿が奉行所の中に消えた。多聞は、バレンテのことが気になった。胸の内に黒い霧が立ち込めてくるのを感じる。なにかに突き動かされ、このままにしてはおけない衝動に駆られた。

「あの、パードレ、パードレ・バレンテお一人での交渉が気になります。私も奉行所に戻り、どのようなやり取りなのか、パードレに同席をお願いしてみたいと思うのですが、よろしいでしょうか」

「パードレ・バレンテ、お奉行はご多忙なのです。先ほどで話は済んだはず。どうしてもとおっしゃるのなら、手短に願います」

 不機嫌な面持ちで、代官が言った。

「御二方にとって、よい話をお伝えしたく再度お目通りを願いました」

 バレンテが少し顔を上げると、長崎奉行と代官は一瞬顔を見合わせた。

「イエズス会のパードレから、どのような話を聞けるのか。単刀直入に申せ」

「はい、お奉行様。パードレ・ロドリゲスを内府様の通辞のお役目から外し、強いては日本から退去させたいというお考えをお持ちかと存じます。わたしが長崎にいた時から、お奉行様は、交易に深く関与するパードレ・ロドリゲスの排除を内府様に訴えていらっしゃいました」

 長崎奉行は、いぶかしみ、片眉を微かに動かす。このパードレは、いったいどういう了見だ? 先ほどとは態度が違うではないか。ここは、バレンテの意にかなうふりをして、その腹を探らねばなるまい。

「パードレ・ロドリゲスは、長年内府様の通辞というお役目を利用し、次第に政にまで口を出すようになった。あの者は権力を持ち過ぎた。人間、金と権力を握るとろくなことにはならない。いつの時代も変わらぬようだな」

「ロドリゲスについては、イエズス会の中からも不満の声が上がっております。内府様の要望であると口にすれば、ロドリゲスの意見はなんでも通ってしまいます。通辞を武器に日本とポルトガルの間を自分一人で取り持っていると傲慢になり、なににでも口を出します。そのような態度ゆえ、お奉行様やお代官様にも不遜な振る舞いをし、ご不快な思いをさせてきたのでしょう」

「あの性格では、周りに敵を作るだろう。ものごとの白黒をつけ過ぎる。思ったことを口にするのも、日本人の美徳に反する。にもかかわらず、日本にいる異人の中で一番日本に通じているなどと申すから、片腹痛い」

 長崎奉行の不平を聞き、バレンテは、冷たい微笑みを浮かべた。「左様でございます。聖職者は常に謙虚であらねばなりません。ポルトガル人、日本人と言葉や風習は異なっていても、ロドリゲスに感じているものは同じでございます。そこで、ロドリゲスの失脚について、わたしに妙案がございます」

「ほう……申してみよ」

「おそらくペソア総司令官は、船から出ようとしないでしょう。ペソア総司令官は、頑固者ゆえ、副管区長であれ、パードレ・ロドリゲスであれ、説得がうまくいくとは思えません。そこで、お奉行様には、ロドリゲスに対して内府様のお言葉を根拠にして、圧力を加えていただきたいのです。わたしはイエズス会のほうを動かして、ロドリゲス一人に責任が及ぶように仕向けたいと思います。そうすれば、ロドリゲスは今の立場を失い、長崎にはいられなくなるでしょう」

 この男の狙いはなんだ? 長崎奉行は、バレンテの作り顔をうかがう。

「それで……そなたになんの得がある? パードレ・ロドリゲスの後釜に納まろうとでも考えているのか?」

「いいえ、そのような意図はございません。このままロドリゲスを放置すれば、日本とポルトガルにとって弊害となり、下手をすれば人命にかかわると案じたからでございます。ロドリゲスは、頭がかたく正攻法でしかものを考えません。ですから、策を練って、否応なく辞職へ追い込めばよろしいかと」

 長崎奉行は、我が意を得たようにうなずいた。

「相わかった。パードレ・ロドリゲスの失脚と追放を引き換えに、長崎のポルトガル人と信者たちの身の安全に尽力せよということだな」

「はい」

「三年前、マニラからイスパニア船が来航し、大量の生糸を持ってきた。ルソンからの船が七、八艘に生糸を積んできたのだ。ポルトガルとイスパニアが競えば、生糸の価格はより安くなる。マカオからの定期船が来ない間も、マニラからの船はやってきた。今年も生糸を含め、マカオと同じ量の財を積んできたはずだ。そして、昨今はオランダも交易に加わっている。これがどういう意味かわかるか? マカオの定期船を待たずとも、日本は困らない。なにか問題が起これば、ポルトガルとの関係を絶つことも可能ということだ」

「わたしもそれを案じております」バレンテは、うやうやしくこうべを垂れた。

「しかし、今すぐということはなかろう。内府様には、我が国にはポルトガルは必要だと訴えておく。さすれば、ポルトガル人の処刑やイエズス会の追放といった前言を撤回されるであろう」

 バレンテが再び書院から退出すると、長崎奉行は代官のほうへ体を向けた。

「どう思う? 儂は、あのパードレを信用できない。同胞を裏切り、裏で画策するとは。一朝ことあれば、われわれに対してもたやすく手のひらを返すだろう」

「確かに。われらには窺い知れないポルトガル人同士の諍いがあるのかもしれません」

「そうだな。バレンテは、ロドリゲスに私的な恨みでもあるのだろう。こちらはどう転んでもいいように対処しておこう。パードレ・バレンテがわれらの思惑通りに動いてくれれば、それでよし、もしこちらを裏切るようなまねをすれば、ロドリゲスともどもバレンテも処罰してくれる。それまでは、バレンテに協力するとしよう」

「はい。その通りに」

 長崎奉行は立ち上がると、書院から見える庭を眺める。群生する菊の花が風に揺れる。一定方向に、乱れることなく、同じように動いている。

「キリシタンは好かん。天にいるとか申すデウスを崇め、自らの命、財、誉れすら捧げるとか。そもそも国への敬いなく、内府様をも軽んじるのであろう。放置すれば、必ずや世に混乱をもたらす。昔から神仏を掲げて物を言い、まして神仏を背負い争うなどと口にする者どもは、不気味この上なく危険な一団だ。キリシタンもしかり。それで、代官はどうなのだ?」

 意表を突かれ、キリシタンである代官は一瞬口ごもった。「わたしは……ひとえに内府様の命に従うのみでございます」

 長崎奉行は、代官を一瞥する。「ならば、安堵した。この国に支配者は一人でよい。さもなければ、また戦の世が始まる」

 多聞が長崎奉行所に戻り、先ほども対応してくれた役人にバレンテとの同席を願うと、玄関で待たされ、間もなくバレンテがやってきた。もう話し合いは済んだので、帰るという。

 そのため、多聞は、バレンテが奉行や代官とどのようなやり取りをしたのかを聞くことができなかった。

 後にロドリゲスがセルケイラ司教から聞いた話では、

「お奉行様に、ポルトガルは日本にとって必要だとする書状を内府様宛てにしたためていただくという約束を取り付けました。交易の実情を把握している方からのお言葉は重みがございます。よって、今すぐポルトガル人を捕まえたり、イエズス会を追放するようなことにはならないでしょう」

 と、バレンテは報告したらしい。

 ただし、ペソア総司令官の駿府への出頭については、引き続き説得を続けるよう長崎奉行から求められたそうだ。

 当のペソアは、ひたすら船に籠っている。予定通り年明けに長崎を発つならば、駿府へ行っている時間はないと言い張り、駿府へ行くのを固辞していた。

 一六〇九年十一月。

 ペソアが駿府行きを拒み続けて、ひと月が過ぎた。ペソアは、上陸を避けるため、教会のミサにさえ参列しなかった。

 岬から、多聞は、沖に停泊するノッサ・セニョーラ・ダ・グラサ号を眺めた。

 ロドリゲスは話し合いの場を設けようとしているが、なにかと理由をつけられてペソアに断られている。逮捕されるのがわかっているのに、ペソアが駿府へ赴くわけがない。長崎のポルトガル人の命に危機がなくなったのならなおのことだ。

 多聞の胸に、深いもやが立ち込めた。ペソアが出頭しなかったらどうなるのだろう? ペソアがこのままマカオへ帰還しても、ポルトガル人やイエズス会の聖職者、キリシタンは、大事に至ることなく済むのだろうか。

 われらは、まるで薄氷の上を歩いているようだ。権力を握る人々の胸三寸次第でどうとでもなる。

 気を落ち着けようと、多聞は胸に手をあてて大きく息を吸い込んだ。吐き出す息は、微かに白い。

 ふと故郷を思い出す。来月の今頃は、たいてい関ケ原に雪が降る。みんな、息災にしているだろうか。私がキリシタンとなり、長崎にいて、パードレになるために修練をしていると知ったら、きっと驚くだろう。

 長崎の空は雲一つなく、真っ青な天は高く、どこまでも広がっている。澄み切ったこの空は、関ケ原に繋がっている。そう、龍之進がいるマカオにも。南国の空がどんなようすなのか、多聞にはまったく想像つかない。でも、繋がっていると思うだけで、多聞は満足だった。

 多聞は、大神学校へ向かった。校内で神学生たちとすれ違った時、羨む気持ちが沸き上がった。が、すぐにそれを飲み込んで、印刷インキのにおいが充満する印刷室に入った。

 室内に印刷版にインキを叩きつける音が響いている。金属活字を棚から拾う人たちから少し離れて、刷り上がった紙を見ているパードレがいた。

 四十歳くらいのパードレ・原は、日本人聖職者の中で最もラテン語に通じているといわれ、実際にポルトガルやイスパニア、ローマを訪れ、教皇様にも謁見したことがあるという。以後、マカオの大神学校でも学び、去年聖パウロ教会堂でパードレに叙階じよかいされた、多聞にとって憧れの人だ。学問を好み、博識で、もの静かに理路整然と話すので、周りから〝学者〟と称されている。多聞は、そんな原のそばにいると、なぜか心地よさを感じる。

「文字にむらがありますね。美しいできとはいえない」

 原は、そばにいた印刷技術者に話しかけた。

「ここは文字がかすれているし、消えている文字もある。こっちの文字は潰れている。インキは、ほどよい量にして、つけすぎはいけない。インキを均等につける技術を、もっと練習したほうがいい」

「はい。パードレ」

 男は、紙を受け取り、作業場に戻った。

「パードレ、またきてしまいました」

 多聞は、原の背後から近づき、挨拶をした。

「セバスチャン、病院はいいんですか?」

「病院から退院して長屋に戻った方のようすを見てきた帰りです。ここには、立ち寄っただけですから」

「そうですか」原は、微笑んだ。「セバスチャンは、ほんとに本が好きですね」

「知識を身に付けると、視界が広がる気がするんです。もっともっと多くのことを知りたい。天体の動き、人体、言語、算術、音楽……神が創造された、ありとあらゆるこの世の在り様を知りたいんです。でも、私はまだ上級ラテン語を学ばせていただけなくて」

 イエズス会の聖職者たちは、小神学校を終えた日本人にラテン語教育をすることに消極的だ。ラテン語で授業が行われる大神学校への進学、つまりはパードレになれる期待を抱かせるからという理由らしい。

「パードレ・ロドリゲスはなんとおっしゃってます? セバスチャンが修練院や大神学校へ進むことについて」

「まだうかがったことはありません。私はラテン語を独学で学び続けるつもりです。学問を続ける上では必須ですし、教会では公式な会話も文書もラテン語ですから」突然、多聞は声を潜めた。「パードレ、そこでお願いがあります。ご迷惑とは思うのですが、ラテン語でわからない点があったら、おうかがいしてもよろしいでしょうか」

 原は、意表を突かれたのか、身を引いて多聞を見つめる。

「それはかまいませんが……日本人がラテン語を習得しようとする際、どのような箇所でつまづくことが多いのか、学習法も含めてわたしが答えられる範囲でおつきあいしますよ」

「よろしいのですか? ほんとに? 他の神学――」

 原は、多聞の言葉を受ける形で続けた。

「他の日本人神学生もなかなか上へ進めないと不満を口にしてやる気を失いますが、では、実際になにか行動を起こすかというと、そうでもない。学び続けることができず、諦めていく。わたしが修練院を出て、大神学校で学びパードレになるまで十七年かかった。これでも、日本人にしては短いほうだといわれるのですがね。それに、わたしに教えてほしいと言ってきたのは、あなたが初めてです」

「え?」図々しかったか! 多聞は、恥ずかしさから、思わず顔が火照るのを感じた。

「努力をしない人は、努力をしない理由を見つける。努力をする人は、どんな状況でも努力する。たとえひと月後死ぬとわかっていてもね。一人なら、なんとかなります。ただし、他の誰にも内緒に。いいですね」

 大神学校を出ると、司教館から出てくるロドリゲスの姿を目に入った。ロドリゲスは、顔を強張らせ、両手を胸のところできつく握り締めている。

「パードレ・ロドリゲス、どうかなさったのですか?」

 ロドリゲスは、はっとして多聞を見ると、足を止めた。「セバスチャン……わたしは、内府様の通辞を罷免されました」

「え? どうしてですか?」

「内府様から新たな書状が届きました。ひと月経っても、ペソア総司令官を説得できないことへの不信感……それ以前にマカオ事件を知りながら、拝謁した際に正直にご報告申し上げなかったことがご不興を買い、信頼を失ったようです」

「ですが、いざという時のために、側近の方に書状をお渡ししてあったのでは?」

「やはり、わたしの口から直接申し上げるべきでした」

「それは、お奉行様のご提案を退けることになります。それはそれで、後々まずいことになったのでは?」

 ロドリゲスは、渋面を作った。「そうですね、その通りです。お奉行様に従ったということは、わたしがそれを受け入れたということ。今さら撤回するのも……内府様の書状には、四十日後の十二月三十日までに誠意を見せれば再考もなくはないと書き添えてありましたが、状況は膠着こうちやくしていて手も足も出ません」

「内府様のおっしゃる誠意とは、なにをさすのですか?」

「ペソア総司令官を出頭させることでしょう。内府様は、われらがペソア殿を庇い、守っているとお考えなのです」

「そんな……これまでパードレが長く通辞をなさっていたからこそ、内府様とポルトガルとの関係が保てていたのではありませんか。通辞を罷免……? 他にパードレの代わりを務められる者がいるのでしょうか。日本語に通じ、ポルトガル人や日本の武将たちとも対等に交渉できる人物が」

「います」ロドリゲスが答えた。

「どなたですか?」

「おそらく……三浦按針みうらあんじん

「え? イギリス人ではありませんか!」

「そうです」

「パードレ、では、内府様と、いえ、日本とポルトガルとの関係も危うくなるということではありませんか? ことはパードレの罷免だけでなく、長崎のポルトガル人、イエズス会やキリシタンにも影響を及ぼすのではありませんか?」

 ロドリゲスは、応えない。たぶん同じ懸念を抱いているのだと多聞は察した。

 これまで懇意と思われてきたロドリゲスとの関係を、徳川家康は断ち切ろうとしている。それは、ただ単に通辞で交易交渉人の役割から外すという表面的な意味だけではなく、もっと大きな思惑があるように多聞には思えてきた。

「パードレ、駿府に参られては? 内府様にもう一度お目通りを願うのです」

「それは、お奉行様からとめられました。お奉行様も内府様からの書状の内容をご存じで、内府様はわたしにお会いにはならないだろうと」

 もしロドリゲスが駿府へ向かうため、長崎を離れたらすぐわかる。長崎奉行がとめたにもかかわらず、従わなかったとすれば、ロドリゲスの立場は悪くなるだろう。下手をすれば、長崎奉行とイエズス会との関係もこじれてしまうかもしれない。

「せめて内府様にパードレの書状をお渡しすることはできないのでしょうか……」

 多聞の脳裏に浮かんだのは、長崎で暮らす人々だった。とりわけ信心深いキリシタンを思うと、心がざわめく。彼らは、聖職者たちが捕らわれるようなことになれば、パードレたちを守ろうとし、身を挺して役人に抵抗するだろう。そんなことになったら、この町は、ここにいる人々はいったいどうなってしまうのか。

 薩摩を追われて長崎に逃れてきた喜久は、せっかく全快して笑顔で走り回れるようになったのに。また放浪の身になるのか。いや、捕らわれの身になるかもしれない。そして、刑場に引き出され……やめろ、とまれ、それ以上考えるな!

 多聞は、首を振った。喜久を見ていると、同じ年頃で別れた故郷の弟を思い出す。成長を見ることもなく、あれから九年も経ってしまった。弟の代わりに見守るわけではないけれど、喜久には苦しみではなく、笑顔でいてほしかった。

 多聞は、決意し、顔を上げた。

「パードレが駿府へ向かうことができないのなら、私が参ります。私ならば、長崎を出ても、誰も気にとめないでしょう。内府様の側近にはキリシタンもおるのでございましょう? その方を通じて、内府様にとりなしていただき、パードレの書状をお届けします。どのようないきさつでパードレが真相を口にしなかったのかを明らかにし、せめて心の行き違いを正して、内府様のご不快を和らげていただいたほうが、日本とポルトガルのためにも、ここにいるキリシタンのためにも、よいのではないかと思うのです。このままでは、誤解がどんどん膨れ上がり、後々おおごとになりそうな気がいたします。なんとしても多くの人々が捕らえられ、処刑されるような事態だけは……それだけは阻止しなければなりません!」

(第13回へつづく)