第二章

二(承前)

 夕方、大神学校の図書室で多聞がラテン語の書物を探していると、ロドリゲスが入ってきた。ロドリゲスの眉間には、微かに皺が刻まれており、険しい表情をしている。

「パードレ、どうかなさいましたか?」

「いえ……」

 ロドリゲスは、書棚の前で屈むと、持ってきた木箱を一番下の引き出しに収め、鍵をかけた。

「あの、パードレやイルマンたちのようすがおかしいのですが、なにかあったのでしょうか? どなたも話してくださらないのです」

 ロドリゲスは、立ち上がると、多聞に向き合った。

「セバスチャン、内府様から書状が届きました。ペソア総司令官に駿府へ来るようにと。マカオのことが内府様のお耳に入ったようです」

 徳川家康からの書状は、セルケイラ司教だけでなく、ロドリゲスとイエズス会日本副管区長宛てにも出されていた。それを受けて三人は、先ほどまで書状を持参した使者から詳細を聴いていたとロドリゲスは言った。

「え? 内府様は、長崎のポルトガル人を全員処刑し、イエズス会を追放するとおっしゃったのですか? そんな……ここにいる信者はどうなるのです? 迫害を受けても信仰を捨てずに、必死の思いでここまで流れてきた者もいるのに」

 多聞の脳裏に浮かんだのは、西坂の丘で処刑されたというキリシタンたちの話だった。よもや、そのようなことがあってはならない。

 多聞は、怖かった。キリシタンが捕縛される時、処刑されると決まった時、自分がどのような振舞いをするのか、どんな感情が沸き起こるのか、想像もつかない。

「ご使者の話では、内府様はお言葉を発しても、その処遇について書状に認めるに及ばずとされたそうです。つまり、まだ正式な決定ではなく、われらの出方次第ではお言葉通りのことがなされるかもしれないという意味です。それまでは、われらの態度を見ておられるのでしょう」

「ペソア総司令官に対するイエズス会の態度をですか?」

「そうです。われらが信用に値するかどうかを試しておられるのです。これまでもわれらは捕縛や処刑、追放の危機はありましたが、その都度、なんとか手を打ち、身を潜めて信仰を守ってきました。ですから内府様の意を酌んで行動すれば、そして内府様に交易を続けるご意思さえあれば、われらと日本との繋がりが断ち切られることはないはずです」

 そう話すロドリゲスの顔には、あまり余裕は見られない。

「なにか……懸念があるのですね? パードレ」

「いえ、わたしたち三人が内府様の御下命を果たせればよいのですから」

「内府様からの御下命とは?」

「駿府へ赴くよう、ペソア総司令官を説得することです」

 ロドリゲスは、窓辺に立ち、暮れなずむ空を見つめる。

「パードレ、ペソア総司令官はどうなるのですか?」

「弁明の末、無罪であるとされれば、解放されるそうです。たとえ有罪であっても、異国人なので、許しを請えば許されると」

「罪の有無にかかわらず、御命は無事ということですね?」

 それならば、説得は容易だろうと多聞は思った。

「言葉通りに受け取っていいのか、わたしにもわかりません。おそらくペソア殿は信じないでしょう。戦の交渉で敵をおびき寄せるためによく使われる手ですから。相手を交渉の場に出向かせ、その場で身柄を確保し、処刑する。これまで戦場で指揮を執ってきたペソア殿なら、警戒するに決まっています」

「では、ペソア総司令官の説得はどうなるのです? 御下命に従ったけれど、果たせなかった……それでお許しいただけるのですか?」

 ロドリゲスは、答えなかった。

 パードレ・ロドリゲスも悩んでいるのだ。そう思うと、多聞は、それ以上強く言えなくなった。

「パードレ、それにしても、マカオでのことがどうして内府様に知れたのでしょう? パードレのお話では、駿府で拝謁した時は、なにごともなかったと」

「ご使者からは、有馬家から訴えがあったと聞きました。マカオから帰国した者が自ら出向いて事件をお伝えしたとか。明日、わたしと、ペソア総司令官の代理としてパードレ・バレンテが、長崎奉行を訪ねることになりました。今後の対応を話し合うつもりです。お前もついてきなさい。どのようなやり取りかを、念のためにその耳で聞いていてほしいのです」

 ノッサ・セニョーラ・ダ・グラサ号の船長室で仁王立ちしたペソアは、バレンテが入ってくるなり、両腕を組んだ。

「パードレ・バレンテ、聞いたぞ。内府様から書状が届いたそうだな」

 バレンテは、努めて平静を装った。「はい。内府様が駿府へお越しになるように――」

「わざわざ逮捕されに駿府へ行けというのか! 見せしめに処刑されるために」

「内府様は、ただ駿府へ参上し、マカオの一件について申し開きをするようにと――」

「その場で捕まって終わりだ!」

「罪に問われて、たとえ有罪となったとしても、ペソア殿は異国人ですから、命を奪うまでにはいたらぬそうです」

「そんな話を誰が信じる。駿府へ誘き出すための策だ。そもそもわたしが駿府へ参ると申した時、止めたのはパードレたちであり、長崎奉行だぞ! わたしが当初から駿府に参っておれば、このような事態にはならなかった!」

「それはどうかと……」

 バレンテは、小声で言いかけた言葉を呑みこんだ。過去を蒸し返すとは、なんと思い切りの悪い男だ。

「ペソア殿、ものは考えようです。むしろ好都合ではありませんか。こうして弁明の機会が与えられたのですから」

「どの口が言う! ことがこじれてから、責任を押し付けるつもりか」

「ペソア殿は、マカオ総司令官です。聴取も形式だけで、あとは追放という形で帰国となるのでは?」

「信じられるか。よくも……なにが穏便に収めるだ。むしろ怒らせてしまったではないか!」

「ペソア殿、長崎奉行には、ペソア殿を厚遇するよう根回しいたしますので――」

「パードレ・バレンテ、その長崎奉行の言うとおりにしたら、こうなったのだ。わたしは駿府には参らん。今後一切、船からは一歩も出ない。交易を終えたら、マカオへ帰らせてもらう!」

 使えない男だ……バレンテは、内心悪態をついた。仮にも総司令官なのだから、それらしく振舞えないのか。

「ならば、長崎のポルトガル人の命はどうなります? あなたの言動には人の命がかかっています。イエズス会も――」

 それを聞いたペソアは、目を剥いて突っかかった。

「知ったことか。パードレが対処すればよかろう! 今までもそうやってきたのだろう! それとも、長崎にいるポルトガル人やイエズス会のために、わたしに死ねというのか。犠牲になれと? 自分たちの保身のために、人の罪悪感に付け込み、思い通りに操ろうとするのはよせ。わたしは、お前たちの都合のいい駒ではない!」

「誤解なさっておいでです。われらは、ペソア殿の身の安全を図ろうと、尽力しているのです。ペソア殿がマカオで日本人を見境なく死に至らしめたことがそもそもの発端なのですよ。それをお忘れなく。もし、あの場でよくよく状況を見極め――」

「今さらそんな御託はいい! パードレ、出て行ってくれ。船から下りろ!」

 ペソアは、無理やりバレンテを船長室から押し出した。保身に走りおって! こっちの身に立っているように見せかけながら、自分のことしか考えていない。

 マカオにいた時、わたしに近づいたのは、総司令官という肩書きに利用価値があると思ったからに違いない。しかし、利用するどころか、一緒にいては自分の立場が不利になるとわかると、身を翻して距離を取りおった。

「まったく! 卑怯者め!」

 ペソアは、机にあったゴブレットを掴むと、バレンテが出て行った扉に向かって投げつけた。

 あのパードレを信用すべきではなかった。こっちの命まで危うくなる。

 翌朝、多聞は、ロドリゲスとバレンテに付き従い、内町うちまちの慈善院の近くにある長崎奉行所を訪ねた。書院に通され、ロドリゲスとバレンテが並んで畳に正座する後ろに多聞は控えた。仲がよいとはお世辞にもいえない二人がこの事態の処理にあたるとは。大丈夫なのだろうか。

 まもなく長崎奉行の長谷川佐兵衛と長崎代官の村山等安が書院に入ってきた。

 長谷川と村山は、共に齢四十。三年前に長崎奉行になった長谷川はほっそりとした体躯で、眼光が鋭く、躊躇することなく、的確に物事を処理していく人物だと多聞は聞いている。それに、キリシタン嫌いとして知られていた。内町でよく見かけるが、間近に接したことがないので、少し緊張を感じる。

 一方、代官の村山は中肉中背で、人好きのする顔立ちをし、弁舌が明るく、まるで商人のようだと多聞は思っている。豊臣秀吉により任ぜられてから約十五年、長崎代官を務めているそうだ。外町で人々と気さくに話しているのをよく見かけ、噂では妾を何人も抱えているという。洗礼名のアントンから等安と名乗るキリシタンでもある。

 短い挨拶を済ませると、ロドリゲスが口を開いた。「お奉行様、マカオ事件が内府様に知れました」

「存じておる。こちらにも使いが参った」

 長崎奉行は、表情一つ変えず、平然としている。多聞は、不思議に思った。事実を伏せるよう指示したにもかかわらず、マカオのできごとが内府様に知られてしまい、一大事と思わないのだろうか。

 ロドリゲスが続けた。「どのような経緯で内府様の知るところとなったのか、お奉行様のお耳に入っていらっしゃいませんか」

「それを聞いてどうする」

「この夏、内府様への拝謁のためわたしが駿府へ赴いている間、ペソア総司令官は内府様宛ての書状を作成しました。その時、通辞をした者が書状の内容をお奉行様にお伝えしたと申しております。認めた書状は交易とお奉行様に関することでございましたが、その内容がお奉行様に誤解を招いたのではないかと案じております」

 長崎奉行は、ロドリゲスからバレンテに視線を移す。「誤解というのは……?」

 バレンテが殊勝顔をして答える。「わたくし共は、お奉行様の意に沿うよう、行動しております。司教様以下、イエズス会の者たちがペソア総司令官の駿府行きを止めたからこそ、書状は内府様に届けられることはなかったのです」

 一瞬にして空気が張り詰めるのを多聞は感じ取った。二人は、長崎奉行のなにか触れてはいけない点を衝いたらしい。

「なにが言いたい?」長崎奉行は、ロドリゲスとバレンテを鋭く見つめる。

「われらは、ペソア総司令官にお奉行様を訴える書状を書き、駿府へ届けるようにそそのかしたりはいたしておりません。むしろ、それを止めたのでございます。仮にそう推断され、われらにご立腹されたとすれば、遺憾であります」

 多聞には、ロドリゲスがなにを言いたいのかよくわからなかった。長崎奉行の手前、わざとそのような物言いをしているのだろうと察したが、まどろっこしい。

「儂が立腹したら、どうだというのだ? パードレ?」

 ロドリゲスは、長崎奉行を見つめたまま、沈黙を守っている。

「パードレ・ロドリゲス、よもやお奉行がマカオのことを駿府に知らせたとでも? 口をお慎みなされよ!」

 察した代官が口を挟んだ。

「まさかそのような」ロドリゲスは、鷹揚に否定した。「マカオ騒乱について自ら弁明すると主張したペソア総司令官の駿府行きを引き留めたのはお奉行様でございます。事実を伏せて拝謁し、うまく対応するためにお身内の方まで付けてくださいました。それなのに、マカオのできごとを内府様に告げるなど考えられないことでございます」

 長崎奉行は、とぼけるロドリゲスを睨みつけている。

 そういうことか! 多聞は、思わず声を発しそうになった。パードレ・ロドリゲスは、長崎奉行がマカオ事件を内府様に密かに報告したと疑っているのだ。それならば、長崎奉行が落ち着いているのもわかる。

「パードレ・ロドリゲス、儂に疑念を持つならば、そう行動させるだけの要因がそなたたちにあるとは思わぬのか。イエズス会は、ポルトガル人と日本人の間で訴訟が起こると、いつもポルトガル人の味方をする。昨今、日本人商人から奉行所に出訴された投銀なげぎんについてもそうだ。日本人はポルトガル船に投銀したと申しておるのに、ポルトガル人は借金はないと言い張り、マカオからの船荷の分け前を拒んだ。結局は相対あいたい (当事者同士の話し合い)で済ませ、二千両の内済ないさい(示談)で決着したが、内府様からこの件に関してイエズス会に見解を示すようにとのお言葉があったにもかかわらず、そなたたちはかかわりを避けたではないか。ポルトガル人に不利とわかれば、中立を保つふりをして口を出さぬのであろう」

「それは……つまり、ペソア総司令官がポルトガル人ゆえ、われらが彼の肩を持っていると? まったくの誤解でございます。司教様は、駿府へ訴えに参ろうとするペソア総司令官を止めるため、キリシタンにとって恐ろしい破門罰を口にしてまで説得したのです」

 長崎奉行の表情は、変わらなかった。

 庭から聞こえるコオロギの鳴き声だけが響く。多聞は、息を止めているのに気づき、そっと息を吐き出した。

「内府様がマカオの案件を知ったのは、肥前日野江藩主有馬十郎殿がマカオから帰国した者を連れて駿府へ直接訴えたからだ」

 ロドリゲスの真剣な物言いに納得したのか、長崎奉行の声音はいくぶん柔らかくなった。

「有馬のお殿様が駿府へ?」

「そうだ。それ以前に儂のところへ有馬家の使いが参った。マカオでのできごとはご存じかと。知らぬとなれば、奉行のお役目として芳しくなかろうと詳細を伝えてこられた。長崎で把握しているペソア総司令官の調書とは幾分差異があり、一方の言い分だけを鵜呑みにするのはよろしくないと判断した。また、有馬家の無念も察するに余りあるゆえ、有馬家にはお好きなようになされるがよろしいとだけお伝え申した」

「なぜそのことをこちらにもお伝えくださらなかったのですか」

「これは日本のまつりごとである。それゆえ、異国人に知らせる義務はなしと存ずる」

 長崎奉行は、一筋縄ではいかない。多聞は、内心唸った。長崎奉行は、まるでああ言えばこう言う、だ。巧みに言い逃れるので、なにを考えているのか、さっぱり掴めない。これでは、有馬家から使いがきたということ自体信じてよいのかどうかさえ疑わしくなる。もしかすると、長崎奉行が有馬家に使いを出し、内府様にマカオ事件を訴えるよう背中を押した可能性も考えられるではないか……。

「パードレ・ロドリゲス。そなたたちは、速やかにペソア総司令官が駿府へ参上するよう力を尽くすこと。さもなければ、儂は長崎のポルトガル人とイエズス会の者を全員捕縛せねばならなくなる。以上である」

「お待ちください!」ロドリゲスは、切り上げようとする長崎奉行を押し止めた。「ペソア総司令官は、駿府でどうなるのでしょうか」

「それは、あずかり知らぬことゆえ、答えようがない。これは、そもそもマカオにおけるポルトガル人の日本人への非道な行いが招いたこと。パードレ・ロドリゲス、内府様の覚えめでたきそなたも、今度ばかりは恩恵は賜れぬとお覚悟めされよ」

 なおも食い下がろうとするロドリゲスをバレンテが窘め、バレンテに促される形でロドリゲスと多聞は奉行所から退出した。

「パードレ・ロドリゲス、あのような諍いはやめていただきたい。これ以上、お奉行様の神経を逆なでしてどうする? あなたは、なんにでもまっすぐに突き進み過ぎる。それが周りに迷惑になると理解できないのか!」

 奉行所から少し離れると、バレンテは、珍しく声を荒らげた。「われらの本分は布教にある。でも、パードレ・ロドリゲスは、通辞や財務責任者のお役目に度を越して入れ込んでいる。その上、お役目を超えて、長崎の政、交易や公事くじなど、いらぬことまで首を突っ込むから、お奉行様やお代官様に疎まれるのだ」

 ロドリゲスとバレンテの間に険悪な空気が流れ、多聞はどうしたらいいのか狼狽えた。声をかけられる雰囲気ではない。居心地が悪く、思わず目が泳いだ。

「あの……それで……お話し合いの目的は……果たせたのでしょうか……?」

 蚊の鳴くような声で多聞は、二人に問いかけた。

 バレンテは、多聞に鋭く視線を向けた後、ロドリゲスに言う。「わたしが奉行所に戻ってもう一度お奉行様にお目通りを願う。あなたがいたのでは、交渉がおかしくなる。とにかく長崎にいるポルトガル人と信者の命は守らねばならないからな」

 バレンテは、すぐさま踵を返して長崎奉行所へと戻っていく。

(第12回へつづく)