第二章

 一六〇九年九月 長崎

 多聞は、二か月前、李旦から受け取った龍之進の書状を読み返した。

 その内容は、マカオで有馬家の家臣を含めた日本人が四十人、乱闘騒ぎに巻き込まれて下手人同様に無残に殺されたという報告が大半を占めている。龍之進が目の当たりにした事件のようす、その時のマカオ事情、日本人と倭寇の関係などが詳しく書かれていた。

 多聞は、文机の前に座り、筆を手に取った。

『龍王、私もこれからそう呼ぶことにする。マカオでの騒乱は、こちらにも伝わっている。ポルトガル人から日本人がそのような目に遭ったと聞いて、私も言葉を失うくらい驚いた。まずは、長崎での反応と事件への対応から認めることにする。長崎の日本人聖職者や神学生たちは、多くの日本人が殺傷されたと知り、強い衝撃を受けた。家ごと火炙りにし、出てきた者を銃殺するとは酷過ぎると怒り、嘆いた。中には、ペソア総司令官への憎悪を口にする者もいる。そのため、ポルトガル人と日本人の聖職者や神学生の間に対立が起こり、司教様がなんとか宥めている状態だ。そして、マカオから来航したポルトガル代表団は、豪華な贈り物を携えて恒例の駿府参りをし、内府様のご様子をお窺いしながら、マカオでのことを穏便に収めようとしているところだ』

 多聞が龍之進の書簡を受け取る数日前、マカオからの定期船が長崎に多くの貨物を積んで入港した。毎年来日するはずが、オランダ船の海上封鎖が続いたため、二年ぶりの来航だった。

 定期船のノッサ・セニョーラ・ダ・グラサ号船長は、マカオ総司令官ペソアだ。日本人に多数の死者を出した前年の事件について調書を作成し、長崎奉行の長谷川左兵衛に提出した。自ら駿府に赴き、事件の釈明をすると申し出たそうだが、長崎奉行は、かえって徳川家康が立腹し、ポルトガル人に対する感情を悪くしかねないと斟酌し、駿府行きを止めるようペソアを説得したと多聞はパードレ・ロドリゲスから聞いた。

 パードレ・ロドリゲスによると、長崎奉行は、ペソアの代理人を立てて使者とし、マカオでの真相は伏せる。長崎奉行の身内をいざという時のとりなし役として同行させて、その場で臨機応変に対応させる考えらしい。本来は定期船入港にあたって行われる徳川家康への拝謁だが、マカオ事件を穏便に済ませるという密命も帯びる形になった。通辞のパードレ・ロドリゲスも同行したそのポルトガル代表団は、今駿府にいる。

 多聞は、一旦筆をおいて、木箱にある龍之進からの三通の書状を手に取った。書かれた場所は、マニラ、ホイアン、マカオで、どこも多聞の見知らぬ異国だ。

 龍之進の行動力が羨ましかった。龍之進は、度胸があって未知なことにも尻込みせずに飛び込んでいける。そんな性格だから、異国でも動き回れるのだろう。私があれこれ考えているうちに、いつも龍之進はどこかへ行ってしまうんだ。思い立ったら、すぐに行動に移せるから。それは、子供の頃から変わらない。

 気を取り直して、多聞は筆を握る。

『長崎は、人が増えてますます賑やかになった。五年前に比べると、倍以上だろう。慈善院の教会は新しく建て直されて大きくなった。山の聖母マリア教会堂も増築されてきれいになった。他の教会堂も増築され、修錬院や住院じゆういんが増えて、年々景色が変わっていく。龍王も見れば、町の変貌ぶりにきっと驚くだろう。

 信者は相変わらずだ。敬虔な信者もいるが、商いや食べていくために信仰したと公言する人もいる。寺社にもよくお参りをして、祈る神様は多ければ多いほど御利益があると考える人もいる。パードレたちは、そんな日本人に慣れっこで、呆れた顔もせず諭している。でも、私は時々日本人の信仰心の節操のなさが恥ずかしくなる。だから、これまで身近だった日本の神仏とデウス様との違いを熱心にパードレに尋ね、キリシタンの教えから外れないよう、信仰を守ろうとする信者の姿に感動を覚える。

 私と同じようにパードレを目指す日本人神学生はいるが、司教様やパードレたちは彼らの心を鋭く見ている。なぜパードレになりたいのか。そこに人より上に立ちたい、称賛されたいという邪な心はないか、驕りはないか、と。

 私は、修練をかねて、サン・ティアゴ病院で病人の世話をしている。日々、書物では得られない、人に仕える難しさを理屈ではなく、経験で学んでいる。治療で良くなっていく人、死に向かっていく人、彼らはいろいろなことを私に教えてくれる。人の心に触れると、自己との対話も深まり、自分の中にある称賛や虚栄を求める心、慢心に向き合うからだ。私は、大神学校に進みたいと思っている。でも……』

 そこで、多聞は、筆を止めた。このままでは愚痴を書いてしまう。龍之進をうんざりさせるだけだ。

 五年前に知ったことだが、小神学校は、もともとは武士や有力者の子弟が入学できるとされていたそうだ。しかし、人数を増やすために条件を緩和したため、後ろ盾のない多聞も入学を許されたのだという。

 いくら小神学校で優秀でも同宿どうじゆく止まり。同宿は教会の雑務や伝道、通辞を担う欧州人聖職者の助手だが、周りを見回せば、パードレになれず、同宿のまま活動する日本人は多かった。日本人をパードレにしようと、たとえ長崎司教が請願したとしても、ローマのイエズス会本部の許しが下りないらしい。そして、たいていの日本人は大神学校へさえ進めない。

 日本にいるイエズス会のパードレとイルマンは約百三十人。うち、パードレは約六十人いるが、日本人は十人もいなかった。他は、ポルトガル人やイタリア人、イスパニア人だ。

 ある同宿が言っていた。パードレたちは、どうせ日本人にはキリストの教えは身につかないと思っていて、大神学校へは進ませず、同宿として宣教活動の手伝いをさせ続けるつもりなのだと。

 そのような中、長崎代官の村山等安むらやまとうあんの息子は、三年前パードレになり、昨年小教区の主任になった。その上、父である代官の寄付で大きな聖堂が建てられるという噂だ。

 権力とお金のある後ろ立てを持つ者は違うと多聞は思った。

 人生は、公平ではない……。

 多聞は、淋しい笑みを浮かべた。生きていれば、死ぬまでにどこかで帳尻が合うのだろうか。それとも、死後に報われるのだろうか。

 持っていた筆から墨が紙に垂れそうになり、多聞は慌てて脇にあった紙で筆先を押さえた。

『私は、パードレ・ロドリゲスの補佐として会計係を務めるようになった。パードレ・ロドリゲスを覚えているだろうか。イエズス会士の中で、誰よりも日本の言葉を流暢に操り、内府様との交渉では通辞を担う方だ。パードレは、十七歳の時に日本にきたそうだ。それから約三十年間日本にいるせいか、今ではポルトガル語の文をうまく書けないというほど日本に馴染まれた。日本と日本人を愛し、日本の衣を着て過ごしたり、童と一緒に無邪気に遊んだりする気さくな方でもある。けれど、生真面目さゆえに頑ななところもあって、私は時々はらはらする。

 パードレ・ロドリゲスは、イエズス会の財務責任者で、長崎とポルトガルの交易も任されている。生糸の価格を決めるため、マカオの役人と日本側との間で交渉が行われる時、通辞としてパードレも参加する。日本側は価格を低く抑え、マカオ側は高く見積もりたい。ところが、通辞を務めるパードレのせいで価格がやたらつり上がっているという。そのため価格が折り合わず、延々と交渉が長引いたこともあったらしい。イエズス会の中には売値が法外過ぎるのではないかと案じる者がいるし、日本の商人の中には高過ぎて買えないと内府様に訴えた者も出た。怒った内府様がキリシタンを弾圧すると言い出したこともあったそう……』

 騒がしい足音が近づいてきて、そこで多聞は顔を上げた。開け放たれた窓に、息を弾ませた神学生が現れた。

「セバスチャン、早く! イルマン(修道士)が!」

 多聞は、サン・ティアゴ病院へ急いだ。しかし、床に横たわるイルマン・レオーネは、既に事切れていた。痩せ細り、顔は骸骨のようであったが、苦悶の表情は浮かんでいない。まだ三十歳と若いのに、草が枯れるように静かに亡くなってしまった。

 貧者や病人に献身的に尽くしていたレオーネは、僅かな持ち金を叩いて道端で親に売られていた幼い孤児を引き取った。パードレ・ロドリゲスは、日本人の売り買いは禁じられている、多くの孤児や捨て子がいる中、ひとり引き受けたところで、それは自己満足にすぎないと指摘した。レオーネは、この子の親が生きていけるよう持ち金を渡しただけで、幼子は川に捨てられ、命を奪われるところだった。それを見過ごすことはできないと訴えた。

 幼子は、教会に付属する孤児院に預けられた。孤児院にも出入りするようになったレオーネは、他の童の世話をしつつ、その幼子を特に気にかけた。教会は、寄付で賄うのが基本とされたが、寄付だけではやっていけなかった。孤児院も同様で、教区の聖職者やイエズス会日本準管区長に訴えて、資金の調達をしていた。そんな余裕のない孤児院で、子供たちは、いつもお腹を空かしていた。

 幼子が空腹を訴えると、レオーネは、密かに食べ物を持ち込み、幼子に分け与えた。すると、他の童も欲しがるようになり、不公平にならないようにレオーネは自分の口に入る食べ物を削って食べ物を確保し、彼らに与えた。そんなことを続けているうち、レオーネは痩せていき、流行病を罹患するとあっという間に悪化した。

 多聞は、レオーネの行いが正しいのか、わからなかった。でも、彼は彼の信念に従ったのだと思った。自らの命を削り、血と肉を他人に分け与えた。自分ならそんな献身ができるだろうかと多聞は自問した。

 多聞は、レオーネの死を司教に伝えるため、病院から司教館へ向かった。

 司教館は、岬にある聖パウロ教会堂のそばに建っている。敷地内にはポルトガル交易の商館を兼ねる大神学校もあり、生糸を始めとした交易品が運ばれているため来客が多く、商人たちもよく出入りする。

 賑やかな内町を抜け、多聞は、聖パウロ教会堂の大門を潜った。レオーネもひと月前まではここに出入りし、教会で共にミサに参列していた。まさかあっけなく亡くなるとは思いもしなかった。

 レオーネは、身振り手振りが大きく、陽気でよくしゃべった。「大丈夫、なにも問題ない」が口癖で、亡くなる数時間前もそれを口にしていたそうだ。

 ――セバスチャン、ミサの祈りは、助けを必要とする人々への愛と慈しみに繋がるんだよ。もっと愛と慈しみを深めるために祈るんだ。そうすれば、ごく自然に慈愛の行いを周りの人々に実践できるようになる。

 多聞の胸に淋しさが去来した。もうあの笑顔を見ることも、あの声を聴くこともできない。

 ふと立ち止まって周囲を見ると、信者は教会堂の中に消え、日本人と異国人の商人たちが商いの交渉をするためにパードレたちを捜して行きかっている。いつもとなんら変わらない光景だった。

 一人の献身的なイルマンの死は、私の心に深く刻まれたけれど、多くの人々にとっては関係ないことなのだ。虚しさが募った。

 臨終の床にあるレオーネに秘跡を授けたパードレは、

「神の御用があり、イルマン・レオーネは神の身許に召されました。これからは、神と共に生きるのです」

 と言った。

 レオーネは、神のそばにいる……。でも、多聞は別れが辛かった。いつものように動き、笑うレオーネにもう会えなくなるのが悲しかった。

 司教館の扉は開いていた。多聞が一歩足を踏み入れた時、ポルトガル語でがなる男の声が響いてきた。

「なぜわたしが駿府に行ってはならんのだ! マカオ事件についても、わたしが説明したほうがいいだろう! あの騒動を起こした日本人たちは、自らの非を認め、事件の措置に文句はないとする書面に署名もした。それに、今後は、日本船のマカオへの寄港を禁じる朱印状を内府様から賜るよう代理人に頼んである。それはマカオ財政のためにも、今回のような騒乱にならないためにも、適切な措置なはずだ。そもそも禁じられているにもかかわらず、あの日本人らが刀を手にして町中に現れた上、暴れたのが悪いのだ。わたしは、その暴動を鎮圧した。総司令官として当然のことをしたまでだ! それの、どこに非がある!」

「ペソア殿、お静かに。外まで聞こえますよ」

 バレンテのやけに落ち着いた声がする。

「ペソア殿、ここは道理を説いてもしかたありません。わたしもペソア殿のために、こうしてマカオから同行し、長崎奉行や司教様に証言いたしました。ですが、いくら調査書にペソア殿に非はなしと書かれていても、事件のあらましを知れば、内府様は日本人擁護の立場を取られるだろうというのが大方の日本人の見方です。四十人もの臣下を殺されて黙っているとはとうてい思えないと言っています」

 沈黙が続いた。

 多聞は、足音を立てないように壁に張り付き、声のしたほうを覗く。玄関から横に伸びる廊下の奥に、ペソアとバレンテが立っていた。ペソアは両腕を組み、睨むような鋭い目つきをしている。

「ペソア殿の駿府行きを止め、いざという時のために代理人を立て、内府様との直接の対話を避けた長崎奉行の判断は正しかったのかもしれません。うまくいけば、うやむやにすることができますから」

「しかし、それでは――」

「お気がすみませんか? イエズス会は六十年間日本に滞在しています。日本人については、ペソア殿より存じているつもりです。日本人は生来引っ込み思案で、あまり本心を語ろうとしません。その態度から自らの思いも口にできない弱き者と思われるかもしれませんが、そう決めつけるのは早計です。強硬に押せば言いなりになるどころか、むしろ逆効果となります。これまでも強気の態度を見せたことで、追放されたり、処刑されたりした異国人を何人も見てきました。内府様は、異国で乱暴狼藉をする輩は、異国の法で裁くよう申されたことがあるとか」

「ならば、わたしの行為は正当だ――」

「最後までお聞きください。マカオで命を落としたのは、武士なのです。藩主の家臣なのです。そこらの名もなき乱暴者とは扱いが違います。ポルトガルで、貴族が殺されるのと商人や農民が殺されるのとではわけが違うのと同じです」

 苛ついたようにこつこつと壁を小突く音がした。きっとペソアがやっているのだろうと多聞は察した。

「パードレ・バレンテ。だが、今回わたしは、それだけでなく、ポルトガル商人たちの代表として長崎奉行への苦情を申し立てるためにも駿府へ行こうとしたのだ。長崎奉行は、積み荷目録を提出しろと言ったり、荷揚げの監視人を配置したり、検分前の積み荷の売却を禁止したりと、取引方法を勝手に変更した。これまでそんなことはなかったそうではないか!」

「内府様に長崎奉行の行いを訴えるなど、とんでもない! 長崎奉行の妹君は、内府様のご側室なのです。ご寵愛も深いと聞いています。それがどういう事態を招くか、おわかりになりませんか。だからこそ、司教様は、ペソア殿がそんなことをすれば、破門だとおっしゃられたのです! どうかここは冷静に」

「まったく! 長崎奉行は、やることがまるでちぐはぐではないか。駿府行きを止めたのは、わたしの身を案じてのことかと――」

「違います。おそらく長崎奉行の頭にあるのは、まずもって交易です。その利益のために、マカオ事件を表沙汰にしないほうがよいと判断なさったのです」

「定期船の入港をなくすとか……交易に支障が出るのを恐れてか?」

「そうです。とにかく内府様を刺激しないほうがよいでしょう。気がかりは、マカオ事件の生き残りです。もし彼らが無事帰国して内府様に訴えでもしたら……内府様がどのような判断を下されるか」

 ペソアは、大きな溜め息を漏らし、わざとらしく明るく言った。

「では、パードレ・バレンテがあの場で言ったように皆殺しか、全員投獄したままにすればよかったか? そうすれば、真相を語る者はいなくなった」

「それは、マカオの司教様がお許しになりません」

 バレンテのぞっとする冷たい声が響いた。

(第10回へつづく)