第一章(承前)

 二年九か月後―― 一六〇四年 二月

 長崎の町は、ますます大きくなっていた。今や八千人以上の人々が住み、岬を含む内町の外に田畑をひらいて外町ができ、新たな町屋が立ち続けている。

 岬の突端に壮麗な聖パウロ教会堂が完成すると、迫害で追われたキリシタンが長崎へ流れてくるようになった。木造瓦葺きの三層造りの聖パウロ教会堂に、敬虔なキリシタンは日に三度訪れてミサにあずかり、教義や聖歌を学び、連祷れんとうを唱えている。

 槍の稽古のために龍之進が家を出ると、ガスパールとパードレ・バレンテが並んでこちらへ向かってくるのが見えた。バレンテは、ガスパールと別れ、「タデウス、訊きたいことがある。付いてきなさい」と、龍之進に声をかけた。

 龍之進は、バレンテに従い、聖パウロ教会堂の二階の廻縁に上がった。稲佐山いなさやまを頂く対岸は冬枯れで、潮を含んだ寒風が時々廻縁を吹き抜ける。

「お前は、長崎へ来て三年だな。ちゃんと教会に来ているか? パードレに告解をしているか?」

 龍之進は、敬虔なキリシタンではないと自覚しているので、一瞬返答に困った。

「まだ信心が足りないようだな。マヌエルは、お前を教会へ連れていかないのか?」

「商いに忙しくしています。でも、降誕祭や復活祭の時は一緒に行きます」

「商い……なるほど。信心深い者から聞いたのだが、カルバジャル家にはよこしまな者たちがよく訪れているそうだな」

「邪な? パードレ、おっしゃる意味がわかりません」

「邪教徒という意味だ。キリストの教えに従わない者たちだ。長崎には表向きはキリシタンを装いながら、邪教を信ずる者がいる。ポルトガル人しかり、イスパニア人しかり。日本人もキリシタンを自称し、平気で神社や寺へ参るだろう?」

 寒風を受けたバレンテは、黒いマントの襟首を寄せる。「カルバジャル家では、肉をよく食べるのか?」

 話題が唐突に変わった気がした。「肉も魚も食卓に出ます」

「金曜も土曜も食べるのか? 金曜日の夕方から土曜日の夕方までどのような食事をしている? 温かい料理は出ているか? 金曜日の夕方から土曜日の夕方まで召使いはなにをしている?」

 なにを知りたいのだろう? さっぱりわからない。

「食べてはいけないものについて、聞いたことはないか?」

「いいえ。あの、パードレはなにをお知りになりたいのですか?」

「そろそろ四旬節しじゆんせつが始まるが、カルバジャル家では昨年肉を食べていたという告発が寄せられた。それはほんとうか? 豚肉は食しているか?」

 嫌な予感がする。龍之進は、慎重に答えた。「覚えていません。豚肉かどうか、意識したことはありません」

「聖人像はあるか?」

「聖母像があります」

 バレンテは、じっと龍之進を見据えた。「タデウス。敬虔なキリシタンは、他の信者の行いに厳しい目を向けていることを忘れるな。もうよい。下がりなさい」

 龍之進は、バレンテがなにを言いたいのか理解できなかった。カルバジャル家で暮らして三年二か月。確かにマヌエルには、少し不可思議なところがある。マヌエルは、他に名が三つくらいあり、ペドロの話では国によって使い分けているという。訪問者は拒まないが、自ら出向くことは少なく、あまり外出したがらない。そのせいか教会に熱心に通うほうではなかった。でも、それにどういう意味があるのか、龍之進にはわからなかった。

 バレンテとのやり取りが気になった龍之進は、マヌエルに一部始終を話した。すると、聞いていた他の召使いたちも、最近、バレンテから一家に変わった点はないかと訊かれたと話し始めた。

 龍之進は、一年前を思い出した。ペドロが高熱を出し、滋養のために鶏肉入りの汁物を食したことがあった。そこへたまたま町年寄がやってきて四旬節に肉を食べていると驚いた。ペドロの滋養のため、パードレから許可を得ているとマヌエルは答えたが、バレンテはあの時のことを言っていたのだろうか?

 その日の夕刻、家主と町年寄が訪ねてきた。マヌエルを店の間に呼ぶと、家主は借家からの退去を要求してきた。

「突然、どうしたのですか?」マヌエルは、当惑した。

 家主は、顔を強張らせている。「パードレから聞きよったと。マヌエル殿がキリシタンのふりばするユダヤ教徒やと。マカオからやってきたカピタンモールもあんたが隠れユダヤ教徒やと証言したそうばい」

 渋面の町年寄が重々しく口を開いた。「長崎は、キリシタンの町ばい。キリシタンであるがゆえ、商いがでけるんや。あんたをキリシタンと信じたけん、こん借家ば口利きした。ばってん、あんたは、我らば欺いた。あんたが我らに売っとった生糸や異国の品々もまがい物かと言い出す者も出てきとる」

「ほんものです。偽りなく」

「イエズス会の生糸より安かけん、なにかからくりがあると思うとった。まさかイエズス会ん活動ば妨げるためとは」

「そのような意図はありません。ただ、みなさんにより安くと――」

「とにかくなにも言わんで、こん家から立ち退いてくれ」

 町年寄は、深々と頭を下げた。それから、家主を先に帰すと、マヌエルににじり寄り、囁いた。「マヌエル殿の過去になにがあったかはわからん。ばってん、日本人のため尽力してくれた心に空言そらごとはなかと信じとる。マヌエル殿の寄付で、貧しか者がどんだけ救われたか!」

 町年寄は、マヌエルの手を両手で握った。「マヌエル殿、二三日のうち、もっと早かかもしれん、イエズス会の手の者がここへやってくるやろう。一刻も早うここば出んね。儂ができるんはこれくらいばい。よかね、早う!」

 町年寄りも出ていくと、マヌエルは、従者以外の二人の召使いを奥座敷に呼び、当座のお金を渡し、暇を出した。それから、ペドロと沙羅、龍之進も呼び、こう言った。

「ペドロ、沙羅、龍之進、すぐに荷物をまとめなさい。明朝早くにこの家を出る」

「どこへ行くの? お父様」

 マヌエルは、ペドロの肩に手を置く。「平戸だ。そこからマニラへ行く」

 龍之進は、事情を訊くこともできないまま、手近な荷物をまとめ、寝床に入った。なかなか寝つけなかった。ふいに、沙羅に揺り起こされた時、いつの間にか眠っていたことに気づいた。

 夜明け前、揃って笠を被った日本人のなりをし、マヌエルと従者に続き、ペドロ、沙羅、龍之進は家を出た。

 雪が舞う中、まだ暗い長崎の外町を抜けて田畑の広がる道を急ぐ。

 海沿いの山道を進む頃になると、周りはぼんやりと明るくなっていた。粉雪が絶え間なく落ち、波の音が聞こえる。

 しきりにマヌエルは後ろを振り返っていたが、「つけられている!」と叫んだ。

 龍之進たちは、走り出した。龍之進が振り返ると、駆け出す前は三人だったのに、いつの間にか十人くらいに増えている。

 あれよと言う間に、龍之進たちは追いつかれてしまった。追っ手は、ポルトガル人に率いられた日本人だ。行く手を阻まれたにもかかわらず、龍之進たちが逃げようとするので、兵らは槍を構えて襲いかかってきた。

 従者はペドロを守り、龍之進は沙羅を庇いながら、先へ進もうと走った。マヌエルは、腰に差した剣を抜いて前方で道を開いた後、最後尾について応戦するが、兵と刃を合わせるうち、剣の刃が折れてしまった。

 背後から頭や肩を槍で叩かれた龍之進は、堪らず振り向き、相手の槍を奪い取ると、槍を左回しに思い切り振り、兵の横腹を打ち、続いて他の兵の脚を槍で打ち据えた。

 ペドロと従者が兵に捕まった。ポルトガル人に腕を掴まれたペドロは逃れようとして暴れ、その男の足を踏みつける。かっとなった男が手に持った剣の柄でペドロの頭を突き、さらに横から殴打する。ペドロはゆっくり崩れ落ちた。

「ペドロ!」

 沙羅とマヌエルが駆け寄った。マヌエルは、ペドロを抱き寄せるが、人形のように力を失い、まったく動かなかった。

 ペドロに気を取られた龍之進は、兵から肩に槍の一撃をもらい、思わず後ずさった。次の瞬間、足を滑らせ、崖から落ちていった。

「パードレ・バレンテ、お教えください。カルバジャル殿はどのような罪を犯したのですか?」

 聖パウロ教会堂の祭壇の前で、多聞はバレンテを捉まえた。

「マヌエルは、キリスト教信者を装った隠れユダヤ教徒だ。これまで信徒から多くの告発が寄せられている。彼は、キリスト教の禁忌を犯し、四旬節や金曜、土曜に肉食をし、教会に通わず、十字架を前にして帽子を取らない無礼を働いたそうだ。ユダヤの生活様式を守り、キリストの教えに敬意を払わない証拠だ」

 踵を返すと、バレンテは、身廊しんろうを進んで教会から出ていった。多聞は、茫然とバレンテの背中を見送った。

「セバスチャン、マヌエルはいわば先祖がユダヤ人であるとがにより裁かれるのです」

 支柱の陰から、ロドリゲスが現れた。バレンテより少し年上で、イエズス会の中で最も日本語が堪能なため、徳川家康との交渉役と通辞を務めている。

「ペドロは亡くなり、マヌエルと沙羅、柬埔寨人の奉公人が捕まったそうですね。もう一人、日本人の奉公人は逃げたとか……」

「パードレ・ロドリゲス、カルバジャル殿はこれからどうなるのです?」

「インドのゴアにある異端審問所へ引き渡されます。家中の者も証人として連行されるでしょう。真のキリスト者か否かの裁判が開かれますが、実際はマヌエルは、弁護の機会を奪われ、ユダヤ教徒と認めるよう強要され……連行された者たちも裏付けの証言を強いられるでしょう」

「認めれば、どうなるのですか?」

「有罪と宣告された後、火刑に処せられます。マヌエルの財産はすべて没収です。キリスト教徒でありながら、ユダヤ教徒の儀礼、教義、生活風習を守る者は、カノン法上〝棄教〟の罪にあたり死罪だからです」

 残酷な刑に、多聞は言葉を失った。

「ユダヤ人であるが故に裁かれるのですか?」

「日本人のお前には、理解できないことかもしれませんね。ユダヤ教徒とキリスト教徒は長きにわたり反目してきました。ユダヤ人はキリストを否定しています。ゆえに教会から敵対するものとされました。パードレ・バレンテは、弁舌に長け、狡猾で、油断なりません。バレンテの主張は道理にかなっており、覆すのはおそらく無理でしょう。長崎には、他にもユダヤ教からキリスト教に改宗した隠れユダヤ教徒の商人や聖職者がいます。彼らは普通に暮らし、おそらくマヌエルとも親交があったはすですが、下手にマヌエルを庇えば、我が身が危うくなります。誰もマヌエルを救うことはできないでしょう」

「聖職者にも……いるのですか?」

「そうです。なぜマヌエルが異端審問所送りになるのかわかりますか? 彼が裕福な上、生糸取引きで儲けたからです。マヌエルはここで目立ってしまったのでしょう。それゆえ、生贄の羊となったのです」

「そんな……儲けてはいけないのですか?」

「金銭や富は、持つ者と持たざる者との闘争を生み出し、キリスト教社会の秩序を混乱させます。ゆえに、富を生み、豊かなユダヤ人は、社会の転覆を企む者とみなされ、弾圧の標的になりやすいのです」

 多聞が言葉を詰まらせていると、ロドリゲスが続けて話した。

「でも、欺瞞、保身、出世、儲けといった自らの欲を捨てた者がこの長崎にどれだけいるのか。『罪なき者だけが石を投げよ』、イエスはそう言われました。ここで、キリストの教えに忠実だと断言できる者はどれだけ……その者だけがマヌエルを責められます。果たしてパードレ・バレンテに教えに適う志があるのか……はなはだ疑問です」

 ロドリゲスは、率直だった。多聞は、時々心底を見透かすような目つきをするロドリゲスが怖くなる。聖職者にも批判の目を向け、躊躇なく口にするので、ある者からは称賛され、またある者からは疎まれている。

「パードレ、カルバジャル殿の裁判の後、他のカルバジャル家の人々は……?」

「ポルトガル人であれば、信仰を問われるでしょうね。彼の財産である年季奉公人、つまり奴隷は、インドで売られることになるでしょう」

 龍之進……! 多聞の心はざわめいた。

 青い着物の上に黒いマントを羽織り、多聞は弁天窟へ向かった。もしまだ長崎にいるなら、あそこしか考えられない。

 蝋燭を灯し、岩屋の奥へ進む。潮風が吹き込むたび、不気味な笛の音を奏でる。小さな声で龍之進の名を呼びながら進んだ。ごつごつした岩肌が陰影を作り、なにかが潜んでいるようにも見える。風で炎が消えないように手で守り、ゆっくり歩いた。

「多聞か……?」微かに声がする。

 岩陰から、龍之進が顔を見せた。

「やっぱりここだったか!」多聞は、龍之進に駆け寄った。「よかった!」

「多聞!」龍之進は、多聞の腕を強く握る。それから、多聞の背後を警戒するように見た。「平気なのか?ここへ来て」

「慈善院へ行くと伝えてある。そんなことより……」多聞は、持ってきた布包を開き、何枚かの古着を龍之進に渡した。「寒いだろ。これを着ろ。それとパンと飯を持ってきた。蝋燭も」

 多聞は、龍之進のケガの具合を看た後、龍之進に自分のマントをかけた。

「漁夫が助けてくれて、傷も看てくれてさ。多聞、ありがたいよ。こんなに持ってきて……大丈夫なのか?」

「気にするな。慈善院に寄せられたものだから」

「三人は? マヌエルと沙羅は? ペドロは無事か? なにか知ってる?」

 多聞の顔が強張った。「ペドロは……身罷みまかった。町に戻ってきた時にはもう……息をしていなかったって」

 龍之進は、脱力したように項垂れた。「またか……俺の大切な人が……いなくなる」

 力なく囁く龍之進の哀しみを多聞は思いやった。そして、慰める代わりにこう言った。「とにかく食え。腹減ってんだろ」

 多聞から押しつけられた竹筒と菜入りの握り飯を龍之進は受け取り、ぼそぼそと言った。「マヌエルと沙羅はどうなった?」

「牢にいるよ」

「牢か……どんなようすなのかな?」

「わからない。でも、お前は長崎を出たほうがいいよ」

「俺だけ逃げるわけにはいかない」

「ここはキリシタンが多いから、カルバジャル殿を助けられる者はいないと思う。敬虔なキリシタンならなおのこと、パードレに従うし。信者になにか変わったことがあると、たいていパードレに密告するんだ。下手に動くと、お前も捕まるぞ。キリシタンではない商人で、カルバジャル殿と親しい人なら手を貸してくれるかもしれないけど、そんな人がいるのか、どこにいるのかもわからないし……」

「多聞、なんでこんなことに? マヌエルはなにをしたの?」

 多聞は、バレンテとロドリゲスから聞いた隠れユダヤ教徒の話をした。「私にもよくわからないけど、パードレたちは、彼らを拒み、退けようとする。ポルトガル人だけじゃない。イスパニア人も同じことを言うんだ」

「どうしたらマヌエルと沙羅を助けられる? 多聞、お前だけが頼りなんだ」

 龍之進に両腕を掴まれた多聞は目を固く瞑った。「私にはなんの力もない。力になりたいけど、カルバジャル殿を救うことはできない。すまない。私は……無力なんだ。教会ではパードレでもイルマンでもなく、小神学校で学ぶ身で、ちっぽけな存在だよ。誰も私の言うことなど聞きはしない」

 二人は、無言のまま俯いた。

「多聞、マヌエルに、沙羅に会わせてくれないか? 頼む!」

 多聞は、しばし黙り込んだ。「わかった。なんとかする」

(第4回へつづく)