さて、第六回までさんざん「死んでから腐るのは嫌だ」と言い続けてきたが、もう一つとっても嫌なことがある。

 まったく意識がなく、快復の見込みもない状態なのに、生命維持装置に繋がれて生かされ続けることだ。

 言い換えれば、死に時に死ねなくなるのが嫌なのである。

 高齢者の過剰な延命治療が問題になって久しい昨今、たぶんみんなぼんやりとそう思っているのではないだろうか。

 けれども、この問題は決して軽々しく答えを出していいものではない。

 まず、「では死に時とはいつなのか」をじっくり考えなければならない。次に、「死に時」を自決していいのかどうかという問題も出てくる。この部分については、四つに組んでじっくり取り組みたいとは思っているのだが、いつまでも観念的な話ばかりしていては先に進まないので、今回は一旦保留する。

 その上で、現実的な話をすると、私の場合、とりあえず母親が生きている間は死ねないなと思っている。

 父は昨年逝った。自損事故がきっかけで発症した認知症が進んだことで体も衰え、最終的には老人性の肺炎で亡くなった。七十代前半だったので、今のご時世では早めの死ではあったが、晩年の諸々を考えるとまずは上出来の死だったと私は思っている。

 一方、母は昨年古稀を迎えたが、まだまだ元気で勤めに出ている。遠く離れた地で一人暮らしをしているものの、近隣に親類が住んでいるし、何より友達の多い人なのであまり心配していない。しかし、いつかは働けなくなるだろうし、一人で置いておけないことも出てくるだろう。事実、今年の正月に身動きできない腰痛を発症して、最終的に入院する騒ぎになった。降って湧いた出来事に私の仕事のスケジュールも多大な影響を受けたのだが、こればかりは仕方ない。今後のリハーサルだと思えば、学びは多かった。

 親孝行云々を持ち出すまでもなく、子が親の最期に付き合うのは、親が子の成長を助けるのと同様に「やらなくてはいけない」ことなのだろう。子に無責任であった親は捨てられても仕方なかろうが、幸いなことにうちの両親はきちんと愛情をもって育ててくれた。ゆえに、私にも義務がある。

 そんなわけなので、私の死に時の第一ポイントは「母親が死んだ後」ということになる。

 うちの母がほぼ平均寿命で亡くなるとして、そうすると私は七十歳前あたりが最初の「死に時」ということになる。ということは、ここらあたりの年齢を仮想ゴールにすればいいだろう。

 一方、仮想ゴール以下での死も、視野に入れておかなければならない。

 では、どちらを優先して「死に方」プランを作るべきか。

 それは間違いなく後者だ。七十歳まではまだ二十年以上あるが、突然死はいつやって来るかわからない。

 というわけで、まずは突然の発病もしくは死に備え、快復不可能な場合はそのままあの世に旅立てるよう、なおかつ腐敗後に見つからないようにするための方法を模索することにした。

 まず、第一に考えなければならないのは「異変があったらすぐに気づいてもらえる体制づくり」である。

 うむ、これは大事だ。と、考え始めて、すぐに行き詰った。

 これがすでに無茶苦茶難しいじゃないの。

 もっとも理想的なのは、何らかの計器類を体に着けておいて、バイタルサイン(呼吸・体温・血圧・脈拍)に異常が出たらどこかに通報され、すぐに様子を見に来てくれるシステムに繋がることだろう。

 実際、こうしたシステムはすでに開発されていて、介護施設などでは利用が始まっているらしい。しかし、個人利用となると費用がなかなかの負担になる。

 そして、最大の問題は、提供されているのは「異常が発見されましたよ」というアラームを発する機械とそれを察知するシステムのみ、という点だ。

 たとえアラームが適切に発信されたとしても、肝心なのはそこから先である。狼煙のろしがあがっても、それを見つける見張り番がいなければ意味がない。現状では狼煙の道具を提供する業者はいくらでもあるが、見張り番までセットでサービスする業者となるとグッと少なくなる。しかも、いくら見張り番がいたところで、報告を受け取って「うむ、ではこのようにせい」と命ずる殿様がいないと意味がない。だが、そんな存在はどんな業者であっても提供不可能だ。

 結局、アラームを見つけた誰かが駆け付け、様子をみて適宜処置するという一番重要な流れは自前で構築しなければならない。近ごろ流行りのIoTも同じである。どれだけ機械的なシステムが整っていようが、その先に通報先がなければ意味がないのだ。

 そして、私のような身寄りの少ない人間にとって、ここが一番のネックとなるわけである。

 今現在、通報先の第一候補は母ということになる。しかし、私自身に何かあった時の第一通報先として最適かというと微妙である。

 第一に離れて住んでいるので、何かあってもすぐ駆け付けられるわけではない。

 第二に勤務中は携帯電話などを所持できない環境なので、即時対応できない。

 第三にいくらしっかりしていると言っても高齢者であり、パニックになる可能性が高い。

 では、上記の三つをすべてクリアする相手がいるかというと、いない。

 はい、手詰まり。

 結局のところ、今すぐ「異変があったらすぐに気づいてもらえる体制」を打ち立てるのは無理、ときっぱりあきらめるしかない。

 実際の話、家族がいたとしても「いつでも即座に連絡が取れ、すぐに駆け付けることができ、常に冷静に的確な判断を下せる人」がいるかどうか、結構微妙なのではないだろうか。せっかくだから全条件が当てはまる人が身近にいるか、ちょっと思いを巡らせてみてほしい。案外、ぱっと頭に浮かぶ顔はなかったのではないだろうか。いたらならば幸せなことだ。ぜひその方を大切になすってください。

 では、いない私はどうすればいいだろうか。

 体制づくりの条件を下げるしかない。

「異変があったらすぐに気づいてもらえる体制づくり」を、

「異変があったら気づいてもらえる体制づくり」にしてみる。

 これだと、いきなりばったり倒れていたとして、そのまま死んでしまう可能性は高くなるが、その後腐る可能性は少しだけ減る。

 そういうわけで手始めに、せめて三日以内には気づいてもらえる体制づくり、について考えてみることにした。

 さて、現在のところ、短いメールやLINE程度なら毎日送っても嫌がらずに受け入れてくれそうな人は、片手で数えられるほどにはいる。その人たちに「これから毎日連絡するから、丸一日連絡が途絶えたら通報してね」とお願いしておくことは可能だろう。

 だが、私はどうも人に物事を頼むのが苦手だ。親でさえできる限り頼りたくない。誰かに無償の働きを求めるという行為自体が、どうにもむずがゆくて落ち着かないのだ。これはもう専ら器の小ささゆえなのだが、一朝一夕で性格が改まるわけもない。

 そう考えると、頼む相手も同じような境遇で、お互いに益がある人がいい。いわゆるWin-Winの関係ってやつなら、心理的負担も少なくて済む。

 その条件を組み込んで再度脳内検索したら、一人しかヒットしなかった。

 そこで、さっそくかくかくしかじかと話をして、一日一度のLINEでのやり取りを提案したところ、あっさり「いいよ~」と引き受けてくれた。

 やることは単純。一日一度、手が空いたらスタンプを一個送る。相手から届いたのを見たら、自分も一個送る。これだけである。言葉を入力する必要がないから気が楽だ。たぶん、これ以上のコミュニケーションが必要となると、絶対すぐに嫌になる自信がある。相手も、たぶんそうだ。そこは似た者同士なのである。そして、この手のコミュニケーションは、量や質の不均衡が起きないように、似た者同士でやるに限る。まめな人はまめな人と、ものぐさはものぐさと組むのがちょうどいい。

 というわけで、「異変があったら気づいてもらえる体制づくり」はものすごく姑息な一歩から始まった。

 できることからコツコツと、である。

 では、次にやらなければならないことはなんだろうか。

 これは明確である。

 「異変があったら気づいてもらえる体制づくりの強化」と「気づいてもらった後のフローづくり」だ。

 ぽちぽちスタンプをやり取りする方法は地味ながらも、ある程度は有効な対策になりそうだ。しかし、不測の事態でぽちぽちができなくなる可能性はある。デジタルは実に手軽で便利な一方、インフラとしては案外もろい。高度な技術で支えられているがゆえに、一朝事あらば簡単にダウンする。サービスが終了することもある。それに、今お願いしている人が突然面倒になって「やっぱりやめるわ」って言い始めるかもしれない。

 何事も一つの手段だけに頼るのは危険だ。二の矢、三の矢を要しておいてこそ「備え」になりうる。二度あることは三度ある。仏の顔も三度まで。三度目の正直。とにかく、三つ用意しておくことが大事だと私は思っている。

 よって、ぽちぽち作戦の次を探さなければならない。ぽちぽち作戦とは異なるスキームかつアナログという条件で。

 毎日欠かさず、アナログで接触可能なもの。

 となると、あれだ。

 新聞宅配である。定期宅配といえば牛乳や乳酸菌飲料などもあるが、毎日となると新聞しかない。ないのだが……。ここで、ちょっと考えてしまった。新聞を取るとなると新たにコストがかかることになる。毎月だいたい四~五千円というところだろうか。

 仕事柄、情報への対価は惜しみたくない。実際、ネットでは新聞にきちんと課金して閲覧している。だが、紙の新聞となると、なんとなく躊躇してしまう。これまで新聞勧誘員に嫌な思いをしたことが何度もあるし、新聞紙の処分もめんどくさい。回収日に縛って出すという、やればものの数分で済む作業が、なんとも億劫に感じられるのだ。そもそも、ネットで新聞を読んでいる以上、情報媒体としての価値がない。さて、どうしたものかと思案していた時に、ふとひらめいた。

 地方新聞を選んでみてはどうだろうか、と。

 大阪で生まれ育ち、三十歳を過ぎてから東京に移住した私のような人間にとって、地方紙というのは人生の中でほぼ視野に入ることがない存在だった。

 だが、神奈川県横須賀市という小さな地方都市に住むようになった今、地元密着型の新聞を試してみるのもいいのではないかと思ったのだ。

 今後、一人で老人になっていくにあたり、地域社会との接続は必要不可欠になってくる。好むと好まざるとに関わらず、だ。ならば、地域情報が充実している新聞を購読するのは広く考えてリスクヘッジの一貫になるだろう。

 そこで「神奈川県 地方紙」で検索したところ、神奈川新聞がよさそうだったので(というか、他の地方紙はミニコミ誌に近い規模であるようだ)、これを購読することにした。調べてみると全国紙よりも購読料が安い。今時はオンラインで申し込みができるので、さっさと済ませ、あとは代理店からの連絡を待てばよい。クレジットカード決済もできるので、集金に煩わされることもない。よきかな。

 さて、これで二の矢も整えた。残るは三の矢だが、さてこれはどうするか。

 ぽちぽち作戦は個人の人間関係&デジタル、新聞宅配作戦は私企業&アナログで成り立っている。

 そうすると第三の矢は公共機関&デジタルor アナログの組み合わせがよさそうだ。

 よし、この線で調査を進めよう。調査の取っ掛かりは、やっぱりネットだ。

 そこで「横須賀市 孤独死」で検索してみたところ、市のサイトの中に「横須賀市の地域福祉」という項目があるのがヒットした。さっそく閲覧してみたのだが、案の定見守り事業の対象者は高齢者だけだ。がっくりである。

 しかし、耳寄りな情報もあった。横須賀市では独自の終活支援事業を二つほどやっているようなのだ。ざっと内容を見ると、これはいい! と膝を打つような内容だったのだが、残念ながら今検討している「三の矢」とはちょっとずれる。そこで、それはひとまず横に置くことにして「年齢不問の見守り事業」を探したが、やはり見当たらない。

 まあ、当たり前である。普通の四十代は働き盛りで子育て世代。独り死んで腐る心配などほとんどない。行政の視野に入らなくても仕方あるまい。

 そんなわけで自治体はあきらめた。

 自治体以外で、こうした事業をしているところとなると何があるだろう?

 NPO法人? NPO法人は、非営利で社会貢献活動や慈善活動を行う市民団体が運営する法人だから、行政サービスからはこぼれ落ちる私たちみたいなのを対象にする事業があるかもしれない。これはいけるんじゃないかなと「NPO法人 孤独死」で検索したところ、なんと「ぽちぽち作戦」と同じことをやっているNPOがあったのだ。しかも、サービスは無料で提供されている。

 これはどういうことだろう? せっかくだから取材したい! と張り切って取材申し込みのメールを書こうとしていたところに突然やってきたのが、コロナ騒ぎだった。こんな時期に取材を申し込めるはずがない。というわけで、三の矢はまたしてもおあずけになってしまった。

 さらにさらに、別の有力な三の矢候補もあったのだが、それもコロナ騒ぎで進展がストップしたのだ。

 コロナめ……ことごとく邪魔しやがって……、絶対に許さねえ……今時のJK風にいうと絶許だ、絶許。ところで、これなんて読むの? ぜっきょ? ぜっゆる? ぜつゆる? 最近、こういう読み方がわからない言葉が増えて、おばちゃんほんと嫌になっちゃう。

 いずれにせよ、「第三の矢」探しはコロナ明けを待たなくてはならなくなった。迷惑この上ないが、仕方あるまい。

 私は粛々と次の課題に移ることにした。

(第九回につづく)