番外編

 連載も第七回となり、ここからは具体的に「死に方探し」の話に入っていく予定だった。

 だが、今回は元の話題から少し外れ、番外編的な内容にすることを許してほしい。

 どうしても、今、触れておきたいことがあるからだ。

 もちろん、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の話である。

 この中途半端なウイルスは、いかにも本連載で扱うのにふさわしいクソ面倒くささを持っている、らしいからだ。

 わざわざ読点で区切った上で「らしい」と付け加えたのは、COVID-19の全容はまだ誰にもわからず、専門家でさえ何一つ断言できない現況を踏まえてのことである。

 COVID-19の最初の発症例は、「らしきもの」を含めると昨年十一月にまで遡れるそうだ。だが、武漢でのアウトブレイクが世界的に報道されるようになったのは十二月のこと。登場してまだ半年ほどなのに、全世界を席巻し、今やその名を知らぬ者なきやまいにまで出世した。疾病スターダムに乗ったスピードは、きっと史上最速なんじゃないかと思う。

 ただし、こいつは超新参者であるゆえ、性格や振る舞いについてまだよくわかっていない。 いわば、試用期間の新入社員のようなものだ。現在はやたらと高いパフォーマンスを発揮しているが、今後どうなるかはまったくの未知数。現在世間に流布しているCOVID-19情報は、まだ十分整理や検証がついていないもの、もしくは既知のコロナウイルスの性質から類推したものにすぎないという。

 玉石混淆の情報から玉だけをふるいにかけるのはなかなか面倒な作業だ。

 その面倒な作業ができるのは誰か。

 私のように取材仕事が次々に飛んで、ぽっかりと時間ができてしまったライターである。

 おまけに、私は「死に方」を探す旅に出ている最中だ。

 突然飛び込んできた「死に方」のニューフェイスについてリサーチするのは、あながち的外れな仕事ではあるまい。

 COVID-19は世界に病死だけでなく、経済死と社会死をももたらそうとしている。私がなんとなく想定していた死況(造語です。詳しくはバックナンバーをご参照下さい)を、短期間かつ広範囲に振りまいているのだ。

 よって、COVID-19の情報を私なりに解釈し、今の状況に向き合うのは、本連載の目的に叶うことだろう。ただし、医学にはまったくの素人なのが痛いところ。そこをしっかりと自覚した上で、話を進めていきたい。

 さて、COVID-19に関わる話を進めるにあたって、まずは読んでくださっている皆様と基礎情報を共有しておきたいと思う。以下に記すCOVID-19に関する情報は、特記がなければすべてWHOが四月八日に発表した「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関する Q&A」という文書に拠る。

 まず、COVIDとはなんであろうか(毎度毎度「そこからかーい!」ですみません)。

 発音は「コヴィッド」、COronaVIrus(コロナウイルス) Diseases(疾患)の略であり、19は最初に報告された年が二〇一九年なので、末尾についた。シンプルな名前だ。名付け親はWHOである。

 コロナウイルス自体は太古から存在してきた古参ウイルスであり、その新しい変異体の一つがCOVID-19を引き起こすSARS-CoV-2というコロナウイルスだ。

 整理すると、昔からあるコロナウイルスが変異して生まれたウイルスSARS-CoV-2が引き起こす症状全般の病名がCOVID-19、ということになる。ヒト免疫不全ウイルス(HIV)が引き起こす病気が免疫不全症候群(AIDS)というのと同じ関係性である。ちなみに、SARSは“severe acute respiratory syndrome”の略で、「重症急性呼吸器症候群」と訳される。

 ところで、そもそもウイルスとはどういうものなのか。なんらかの病気の病原体、ということは何となく知っている。だが、病原体といえば細菌や真菌(カビとか酵母とか)もいる。ウイルスは、彼らとは何が違うのだろう?

 簡単にいうと、細菌や真菌が私たち人間と同じ「細胞を持つ仲間」であるのに対し、ウイルスはDNAやRNAといった核酸、つまり遺伝情報しか持たない、わけのわからない存在であるらしい。生物という概念をむちゃくちゃ広く取ればウイルスも生物だが、狭く限れば生物ではなくなるため、未だ生物分類上のどこに位置づけるか定まっていないそうだ。

 何やねんお前、である。

 こんな中途半端というか、わけのわからないヤツに私たちは振り回されているのだ。

 なんだか悔しい。

 悔しいからこいつのことをもっと知りたいけど、今は図書館も閉まっているし……と思っていたら、Twitterで「新妻免疫塾」というYou Tube動画の存在を知った。

 これは、アメリカのスタンフォード大学(世界の大学ランキングで必ず上位に入ってくるむっちゃ賢い大学)で免疫学の研究をしている科学者・新妻耕太氏が作成した動画で、専門用語を使わずにウイルスの仕組みや振る舞いを説明している。

 とってもわかりやすいので、ウイルスとはなんぞやと興味を持ったら「新妻免疫塾」をググってぜひ視聴してみて欲しい。私があやふやなまま下手な説明をするより、よっぽどよい。

 とにかく、ウイルスと細胞を持つ生物の最大の差は、ウイルスは自己増殖ができない、という点にある。

 細胞を持つ生物は、無性・有性を問わず、細胞分裂が増殖の基本だ。だが、ウイルスはこの機能を持たない。よって、宿主しゅくしゅの細胞分裂システム(動画では工場に例えられていた仕組み)を利用して増えようとする。人を噛まないと仲間を増やせないソンビみたいなものである。

 一方、生命維持に必要なシステムを乗っ取られた生物は、そのまま放置しているとえらいことになるというので、免疫機能を発動する。この免疫機能発動の仕組みも、ちょっと調べてみるとむちゃくちゃおもしろいというか、二重三重の防護壁があって、生物って本当によくできているなあと感心するわけだが、それはひとまず置いといて、対ウイルス戦の場合、どうなるかを見ていきたい。わかりやすくするため、ちょっと単純化するので専門家が読むと「違う!」とイラつくかもしれないが、大きく誤っていなければ許してほしい。

 さて、中学の生物の授業などでは、白血球が体の外敵退治の担い手と勉強した。だが、実は白血球は二種に分かれ、うち私たちがイメージするところの白血球は顆粒白血球といい、主に細菌相手の戦いを担う。外敵に対する軍隊のようなものだろう。

 一方、ウイルスをやっつける場合はナチュラルキラー細胞やキラーT細胞といったリンパ球所属の戦闘員が活躍するそうだ。このキラー細胞たち、外敵にはからっきしだが、獅子身中の虫となってしまった自分の細胞、つまりウイルス感染した細胞や癌細胞には滅法強い。片っ端から撃滅していく。治安部隊の狙撃手的役割を果たしているのだ。

 大変に心強い連中なわけだが、問題もある。彼らはどうやら脳筋タイプらしく、強い戦闘力に頼んで暴走しがちなのだ。ウルトラマンが怪獣と戦うのはいいが、おまけで街を破壊しまくるように、時として正常な細胞まで攻撃してしまう。怪獣と守るべき人間の区別がつかないバーサーカー(狂戦士)状態になるわけだ。この現象には「サイトカイン・ストーム(免疫の暴走)」というヒーローの技名みたいな名前がついているのだが、発動するとえらいことになる。肺炎を始めとする諸症状が発生してしまうからだ。

 武器も使い所を間違ったらえらいことになる、の典型だが、逆にいえば彼らがバーサーカー化して「サイトカイン・ストーム!」と叫ばなければ問題ないわけで、そのためには彼らが冷静に対ウイルス戦線に臨める環境を作ってやればよい。

 その環境づくりこそ、今世界的に推奨されている「手洗い」と「社会的距離」だ。要するにこの二つは、体内の免疫細胞たちが余裕をもって仕事をし、誤作動を起こさない環境づくりに役立つのである。

 SARS-CoV-2ウイルスが一度に大量に流れ込まなければ、キラー細胞たちは十分対応できる。戦力に余裕があれば一つ一つ殲滅していくのは難しくないからだ。よって、体のオーナーたる私たちは、彼らが働きすぎ状態にならないよう、気をつけていればいい。

 逆にいえば、戦場が過酷になればなるほど、作戦ミスが起こりやすくなる。戦場のみならず、どんな職場でも過重労働が続けばミスが多発するのは社会人ならよく知っていることだろう。その結果、現場が立ち行かなくなるケースさえある。

 では、職場崩壊が起こった時、それは誰の責任だろうか。当然ながら、マネージャーである。それもトップ・マネジメントの責任だ。

 自分の体に対するトップ・マネジメントは誰か。

 自分だ。

「思考する自分」だ。

 私の免疫細胞たちが働きやすい環境を整えてやるのは、私にしかできないのである。

 もし、あなたが職場で理解のない上司、頭の悪い上司に苦しめられているのだとしたら、それを反面教師にして、せめて自分の体にはよい上司になってあげようではないか。

 まず、現在の状況下では「人と人が感染可能性のある距離で接すること」そのものがリスクになる。

 増殖が唯一の存在目的であるくせに、自己増殖はできないという致命的な欠陥を持つウイルスにとって、私たち人間は狩場であると同時に運び屋だ。私たちが動かない限り、彼らも動けない。私たちがお互いを感染させるような距離に近づかなければ、彼らは生活の場を失い、滅んでいくしかない。

 SARS-CoV-2ウイルスと同じ家系に連なるウイルスが原因となるSARSやMARSのSMブラザーズは、この性質を人間に利用され、鎮圧された。

 SMブラザーズは感染症としてはかなり強力だ。COVID-19など比べ物にならない重症化率および致死率をもつ。だが、ウイルスの戦略として、これは完全に失敗だった。罹った人間はほぼ発症し、重症化したことで宿主が移動できなくなり、結果としてSMブラザーズも足止めされたのだ。個体の中でいくら増殖しても、その個体が滅んでしまえば自分たちも共に滅ぶしかない、という罠にすっぽりハマってしまったのである。

 SARS-CoV-2ウイルスは先輩たちのそんな体たらくを見ていたのだろうか。

 実に嫌らしい戦略を取ってきた。

 宿主の多くが無症状で終わる程度にまで毒性を弱め、移動能力を失わせないことで、自分たちがより拡散されやすい状況を作ったのだ。

 もちろん、ウイルスに意思があるわけではないので、結果的にそうなったという話ではあるのだが、SARS-CoV-2ウイルスを狡猾と呼びたくなるのは私だけではあるまい。人工ウイルス説がまことしやかに語られるのはそのせいだろう。(ただし、SARSのウイルスにも当初は同様のへっぽこ陰謀論があったことは明記しておきたい。)

 現状において、COVID-19に感染した総数はわからないのでCOVID-19の不顕性感染(無症状感染のこと)がどれぐらいの割合なのかは正確な数字は出せないそうだが、例のクルーズ船ではだいたい二割弱ぐらいが不顕性感染だったという調査結果がある。

 これを実数に置き換えてみると、症状のある感染者が一万人出ていれば、(10,000÷(1.00-0.2))で不顕性感染者は二千を超える数字で存在することになる。もちろん、クルーズ船は特殊環境下なので、そのまま当てはめられないだろうが、一つだけはっきり言えることがある。誰が不顕性感染者であってもおかしくない、ということだ。

 不顕性感染者が感染を広げるかどうかに関しては、まだ明確な結論は出ていない。なにせ、COVID-19は新参病だ。こいつがどんなヤツかわかるまでには、まだまだ時間がかかる。

 これぐらいは大丈夫だろう。

 気にしすぎたらきりがない。

 SARS-CoV-2ウイルスが、そんな油断を見逃してくれるならいい。だが、全然見逃してくれない可能性もある。だから、私たちは、最大限の防御行動を取るしかない。

 もう一つCOVID-19が面倒なのが、年齢や体調によって重症化率や致死率が大きく変わるところである。

 まず、前提として理解しておきたいのは、医学的に重症化とは要入院状態、さらに「重症」とされるのは人工呼吸器の装着などの高度医療を必要とする状態であるらしい。

 私たちにしてみれば、四〇度近い熱がでて、枕をあげられない状態になれば十分に「重症」だが、おうちで寝ていれば治るというレベルだと、医学的には軽症に含まれる。

、COVID-19で入院が必要になるほど重症化するのは、顕性感染者の約二割といわれている。

 この二割というのがまた嫌らしいというか、微妙な数字だ。思案ロッポウにゴケ勝負ではないが、判断に妙な迷いの出る数字である。

 毎年流行するインフルエンザの場合、重症化率はどの年代でも一パーセントを切っている。たしかに、インフルエンザでどれだけひどい目にあっても「入院しましょう」となった話はあまり聞かない。

 それが、COVID-19の場合は二割というのだから、確率としてはかなり高い。ちなみに、ししとうを食べてとびきり辛いのに当たってしまう確率は一割なんだそうだ。そこから類推すれば、なんとなくCOVID-19重症化の割合もイメージできるのではないだろうか。

 さらに致死率になると、年齢や基礎疾患があるかどうかで大きく数字が変わる。

 四月十九日に厚労省のまとめとして発表された数字では、五〇代までの致死率が0.5パセーントにも満たないのに対し、六〇代では1.7パーセント、七〇代では5.2パーセント、八〇代では11.1パーセントとなっている。

 結局、自粛要請(変な言葉だが)に対する人々の行動に迷いがあるのは、このなんとも判断に迷う中途半端さが原因になっているように思う。

 罹っても症状が出るとは限らない。出たところで、八割は変化なし、もしくは「あれ? 風邪かな?」ぐらいで終わって、ひどくてもインフルエンザ程度の症状で収まる(インフルエンザだって大変なのは重々承知です。昨年、ひどい目にあいましたから)。

 今ひとつ切迫した数字に感じられない人がいてもおかしくはない。まして、感染が拡大している都市部ならともかく、まだ二桁台の地方、さらに普段からロックダウン状態の町村に住んでいたら、遠い話に感じられてもおかしくない。

 一方で、二割の重症化という危険性は無視できない。医療関係者が危惧するように、いっぺんに多数の患者が発生したら、確実に医療崩壊が発生し、局地的な致死率は高くなるだろう。イタリアやニューヨークのような状態になったら大事だ。

 だが、日本は今のところ、そうはなっていない。

 なるかもしれないけど、ならないかもしれない。

 これは、もっとも人間に判断ミスを起こさせる状況だと言っていい。

 もし、COVID-19がエボラ出血熱のように致死率が最大八割を超える超弩級の殺人ウイルスであれば、みんな亀のように家に引っ込んでおとなしくしていることだろう。

 だが、現実はそうではない。

 遠い海の向こうでは、医療崩壊が起こり、本来なら助かったはずの命まで失われていった。本来なら以て他山の石とすべきところだが、実際にはすぐ間近で火がつくまで行動できないのが人間というものだ。

 それは、この連載のために色々と調べている現在、とても実感している。

 私たちはいつか絶対死ぬ。そしてその「いつか」は今この瞬間かもしれない。

 それはわかっているはずである。

 はずなのに、万全の死を迎えるアクションを起こすことはなかなかできない。私だって、えらそうにこんなものを書きながら、書いている部屋は散らかし放題、遺言状すら書いていない。全然覚悟ができていないのだ。

 だが、COVID-19に関しては、誰もが比較的簡単にできることがある。

 自分がウイルスの運び屋にはなることを防ぐ。

 これである。

 これをみんなが実施すれば、制圧の時期は少しでも早まるに違いないのだ。

 同じ災害でも、地震や台風などの自然災害の場合は、被災者とそれ以外は比較的パキッと別れる。ところが、疫疾災の場合、誰もが被害者になると同時に、加害者にもなりうる。

 たとえば、マスクの着用は、自分が被害者になるのを防ぐという意味ではあまり効果がないとされる一方、自分が加害者になるのを防ぐのには大きな効果が見込まれている。

 人に会わないというのも、そうだ。自分が誰かからウイルスをもらう心配より、自分が誰かにウイルスをうつす心配、もしくはウイルスの運び屋となる心配をして、それを防がねばならない。

 なにせ、感染していても無症状かもしれないのだ。住処が南極基地や宇宙ステーションでもない限り、自分が百パーセント感染していないとは誰もいえないはずである。

 この期に及んで、休日になると観光に出かける人々がいると報道されていたが、彼らは自分がうつらないと思っているだけでなく、自分がうつすとも想像できないのだろう。

 だが、人が動けばウイルスも動く。荷物もまた然り。動くことで、あなたは誰かを「二割の重症者」「一パーセントの死亡者」にするになるかもしれない。

 それだけでない。

 感染者への差別や、自粛が長引くことでの経済死が顕在化してきているが、現状が長びくほど、拍車かかるだろう。

 医療崩壊が起これば、医師にトリアージ(治療対象者の選別)を強いる事も出てくるだろう。自分の浅はかな行動のせいで、誰かが他人の生死をジャッジしなければならない苦境に陥る。

 こうしたことがあっていいだろうか。

 もし、近年多発する高齢者によるひき逃げ事件に憤ったことがあるのであれば、今は「無駄な外出」自体がそれと同じ行為だと考えた方がいい。あれは、「自分は大丈夫」という根拠のない自信が起こした、本来であれば発生しなかったはずの事故だ。

 COVID-19も同じ。自分はウイルス保菌者かもしれないとして動けば、今以上のアウトブレイクは防げる。

 自己過信は、いつでも取り返しのつかない事態を招くのだ。

 今、私たちが個人としてできることは、できる限りCOVID-19の広がりを阻止する行動を取ることだけである。そして、医療やあらゆる社会インフラを担っている方たちに必要以上の負荷をかけないこと。

 そのふたつを意識して行動すれば、十分社会貢献を果たしたことになる。

 COVID-19が空気感染はしないのはほぼ確実だろう。もし空気感染するのなら、通勤電車など全滅だ。だからそこは安心していい。

 また、ノロウイルスのようにやたらと感染力が強く、かつ少量のウイルスでも発症するわけではないようだ。高齢者や基礎疾患を持っていない限り、ちょっと入った程度ならキラー細胞たちが頑張って殺してくれる。ちなみに、ノロは十から百個程度入っただけで感染するが、COVID-19は結構な数が入らないと発症しないと見られている。

 だから、私たちは、手洗いを励行し、できるだけ人と会う機会を減らし、マスクを着用して他人に感染させる行動を慎めばいい。

 それさえしっかりやっておけば恐るるに足りぬというのもまた、COVID-19の真実なのだ。正しく恐れろと、というのはそういう意味なのだろう。

 COVID-19のワクチンが開発され、集団免疫を持つようになるには少なくとも年単位の時間が必要になるはずだ。そうなると、私たちが以前の生活に戻るのは相当先になる。

 私のような零細ライターは、今後生き残っていけないかもしれない。

 昔から、未来予想図の一つに「ホームレス」があったが、今はよりはっきりした輪郭をもって視野に入ってきた。つまり、第六回までに書いてきた状況よりも、さらに悪い死況を迎えるかもしれない。

 正直、三日に一度ぐらいは崖っぷちから奈落を覗き込んでいるような気分になる。

 だが、座して状況の悪化を待つわけにはいかない。

 生きている限り、あがき続けるしかない。

 COVID-19は、改めて「死に方を考える」ことの重要性を、私に突きつけてきた。

 電子顕微鏡を使わないと見えないぐらいちっぽけなヤツのくせに、えらそうだ。

 たいへんムカつく。

 ムカつくので、こいつが出してきた宿題を、私なりに解決してやろうと思う。

 人間、死ぬ時は死ぬ。

 それは間違いない。

 だが、本連載でもつらつら訴えているように、現代社会において「死ぬ」のは簡単なことではないのだ。

 死ぬまでに越えておかなければならない、数々のハードルが存在するのである。

 つまり、COVID-19なんぞでいきなり死ぬわけにはいかないのだ。COVID-19が巻き起こす恐慌にも負けたくない。

 怖いからといって困難を見ないようにしていると、しっぺ返しを食らうのが人生である。

 同時に困難ばかりを見つめていたら足元がおろそかになり、すっ転んで怪我をしてしまうのも、また人生だ。

 私のモットーは、「最善を願い、最悪に備えろ」である。

 COVID-19対策も然り。

 一日も早い収束を願いつつ、ダラダラ続く異常社会に備えなければならない。気が重いが、それに対応するのもまた大人の仕事なのだろう。

 というわけで、次回からまた通常運転に戻るが、これを読んでくださっている皆さん、くれぐれも御身お大事に。数年後、「こんなこともあったね」とお互い笑いあえるよう、今はできる限りの努力をして乗り越えていきましょう。

(第八回につづく)