餓死が一段落つき、次の「嫌な死因」を考え始めた時に、すっと脳裏をよぎったのは、一昨年に入院した際、同室で闘病生活を送っていた皆さんの姿だった。

 私が入院したのは、赤ちゃんの頭並に大きくなった子宮筋腫を、子宮ごと全摘する手術を受けるためである。もっとも、手術とはいえ開腹なしの腹腔鏡下手術で、入院も経過に問題なければ一週間未満で済むのがわかっていたので、当人はいたって気楽なものだった。仕事しなくていいし、家事しなくていいし、一日寝ていていいなんてむしろ天国では? とバカンス気分だった。

 事実、私の入院生活は、術後数時間を除けばその通りになったのだが、相部屋の患者さんたちは違った。皆さん、婦人科系の癌を患い、加療している方々だったのだ。私はそこで初めて抗癌剤治療の過酷さを思い知ることになった。

 入院当日は明るく朗らかだった方が、抗癌剤投与を始めたとたんに悪心に悩まされ、一言も話さなくなった。また、ある老婦人は一向に収まらない高熱と倦怠感に耐えかねてしばしば感情的になり看護師さんにきつく当たるも、すぐに後悔して謝罪する、を繰り返していた。食事の時間になると、匂いだけでも無理だといって、どこかに行ってしまう人もいた。他にも、薄くなった髪を隠すための帽子を一日中編んでいる方、繰り返す入退院で仕事を失ったことを苦笑交じりに語る方など、皆さんそれぞれのステージで懸命に病と闘っておられた。

 そんな姿に敬意と同情を覚えつつ、これほど苦しいのであれば、やっぱり癌にだけはなりたくないなあとしみじみ感じたものだった。

 昔と違って、死病ではなくなった癌だ。しかし、闘病生活の苦しさは何も変わっていない。子宮頸がんワクチンを除いて、目覚ましい効果を望める予防法があるわけでもない。 一般的な癌が加齢による遺伝子複製エラーを原因とする老人病であることは、先述した通りだ。老化が加速し始める四十代になれば、誰もが癌になる可能性がある。現在では、日本人の二人に一人が死ぬまでに一度はなにかの癌を発症するといわれている。

 私の場合、母方の祖父母と伯父が癌を発症し、うち祖父と伯父はそれが原因で亡くなった。私が遺伝性腫瘍を発症しやすい体質かどうかはわからないが、可能性は高いと思っている。

 予防はできない。

 けれども、絶対になりたくない。

 では、どうすればいいのか。

 早期発見早期治療を心がけるしかないのである。

 よし、決めた。

 絶対に嫌な死に方その二は癌死。癌で死なないために何に気をつければいいのか、ぼちぼち調べていこう。これは自己管理や医療との関わり方の話になってくるな。「死に方」に関して、餓死とはまた別のアプローチができそうだ。

 よきかな、よきかな。方針が定まってきた。

 ところで、癌といえば日本人の死因ナンバー・ワンである。

 二位以下は心疾患、脳血管疾患、肺炎、老衰と続くわけだが、私の場合、これらの死因には餓死や癌ほど拒否感がない。

 たとえば二位の心疾患。もちろん、一言で心疾患といってもいろいろな病気がある。その中の「心室細動」はどうやら結構楽に死ねそうなのだ。ソースは私の従兄伯父いとこおじ、つまり母の従弟である。彼がわりとつい最近、まだ六十にもなっていないのに心室細動で死にかけたのだが、本人曰く「あれで死ねたら楽やで。痛いも痒いもないままふ~ぅっと意識がなくなって、そのままやったから」だそうなのだ。

 まあ、彼はすぐに適切な処置を受けて無事生還したのだが、将来死ぬならあれがいいと断言していた。経験者の言葉は強い。

 一方、心筋梗塞はかなりつらいらしい。これもまた、経験者に聞いたので間違いない。なので、こちらは嫌だ。

 幸いなことに、私には不整脈の気がある。子供の頃から何度か検査で引っかかり、そのたびに「別に気にしないでいいよ。経過観察ぐらい」で片付いているのだが、この不整脈を大事に育てていけば、うまく心室細動死に繋げられるかもしれない。そうすれば、一番楽な死に方ができるじゃないか。

 おお、嫌な死因を検討しているうちに、理想の死因が浮かび上がってきたな。これはよい。どうやれば心室細動死に繋げられるか、しっかりと調べていけばいいわけだ。

 だが、その他の心疾患は苦しそうだからいやだ。ということは、動脈硬化や高血圧は絶対に避けなければならない。この二つは、第三位の脳血管疾患の大敵でもある。

 脳血管疾患は、出血性脳血管疾患と虚血性脳血管疾患に大別できる。出血性の方は脳の血管が破れて脳内に血がドバーッと出るタイプ、虚血性の方は脳の血管が詰まって脳に血がいかなくなるタイプだ。

 脳血管疾患の怖さは、命が助かっても重度の後遺症が残る率が高い点にある。

 父方の祖母は、九州の自宅で倒れているのが見つかり、意識不明のまま病院に運ばれた。なんとか一命は取り留めたものの、植物状態となって数年をベッドの上で過ごし、一度も意識を取り戻すことなく八十二歳で死去した。倒れた原因は脳梗塞だった。脳梗塞は虚血性の方の脳血管疾患である。

 入院中は実娘である叔母が、他家に嫁いでいるにもかかわらず一切の世話を引き受け、大変な献身ぶりを見せたと聞いている。私はというと、一度も見舞いに行っていない。今思えばひどい話である。一回ぐらい行けよ、と当時の私に説教したくなるが、まだ中学生だったこともあり、遠方に住んでいたためさほど行き来があったわけではない祖母の病室は、心に遠いものだった。

 葬式で久しぶりに見た祖母の死に顔はとても穏やかだった。だが、動けず話せずの数年間が晩年としてどうだったのだろうかという点については、色々と思うところがあった。人生において「人の死に際」に思いを巡らせたのは、あれが最初だったと思う。

 ちなみに母方の祖母も九十歳を過ぎてすぐに脳梗塞を起こし、寝たきりになった。以来、私の中では「脳梗塞=寝たきりになる病気」の図式が出来上がり、嫌な死因というより嫌な死況を作る病というイメージが強い。

 一方、同じ脳血管疾患でも、出血性の方を起こして突然死を迎えた親戚もいる。母方の大叔母だ。

 ある日、孫娘を預かって面倒を見ている最中にくも膜下出血を発症して死亡。我が子を迎えにきた息子によって発見された。死後、少なくとも一時間以上は経っていたらしい。孫娘はまだまだハイハイがやっとの赤ん坊。見つけた時には、祖母の遺体の横で、涙でグシャグシャになった顔のまま寝ていたという。きっと、動かなくなった祖母を起こそうとして必死だったのだろう。思えば哀れだが、事故がなくて不幸中の幸いだった。

 私は、この大叔母とはとても親しかった。幼い頃は家が近かったのもあり始終遊びに行っていた。だから、死んだ時は、本当に悲しかった。あれほど泣いたお葬式は未だかつてない。

 だが、日が経つにつれ、大叔母の死はあれでよかったのではないか、と思うようになっていった。大叔母の享年は五十九。まだ死ぬには若すぎた。だから、その意味ではとても悔しかったし、今でも早すぎる死だったと思う。

 だが、もし、大叔母が父方の祖母と同じような経過をたどっていたら、果たして彼女は、祖母と同じような介護を受けられたかどうか。

 大叔母には子供が一人しかいなかった。発見者となった息子である。彼は結婚して独立し、いわゆるスープの冷めない距離に住んでいたが、日中は働きに出ている。息子の妻は当時出産直後で、生まれたばかりの嬰児とひと時も目を離せない幼児を抱えていた。とてもではないが、病人の世話をする余裕などなかっただろう。

 大叔母には近所に済む姉妹がいた。だから、まるっきり世話をする人がいないわけではないが、それでもいずれ限界がきたはずだ。

 あくまでも結果論だが、大叔母の突然死は、周囲だけでなく、自分自身を助けたような気がしてならない。

 誤解しないでほしいのだが、私は長患いが負担になるといいたいわけではない。現在、必死になって闘病し、命をつないでいる人とそのご家族を否定するわけでもない。

 だが、祖母の死と大叔母の死を身寄りの少ない我が身の上に重ねてみると、「そのまま死ねた」大叔母の死に理想を見てしまう。

 あ、心配していた通り、少し話がずれてしまった。これでは死因ではなく死況の比較だ。この祖母と大叔母の死に際の対比には改めて言及することになると思うが、今はここで止めておく。

 死因としての脳梗塞と、くも膜下出血を比べると、くも膜下出血の方が嫌な感じである。

 脳梗塞の症状が麻痺や言語障害として出るのに比べ、くも膜下出血は激しい頭痛が起こるのだ。大叔母も、死の数日前から頭痛を訴えていた。私もそれを聞いている。我慢強い人がとてもつらそうにしていたのだから、よほどのことだったのだろうと思う。だが、病院に行かず、売薬を飲んですませていた。なぜあの時、病院に行くよう勧めなかったのか。十数年が経った今でも、大きな後悔となって心に残っている。

 だからこれを読んでいる皆さんは、明らかな異常を感じたら迷わず医者に行ってください。

 そういうわけで、私にとって脳血管疾患は発症してそのまま死ねるなら可、そうでなければ不可の死因ということになる。

 第四位の肺炎は、八十代以上に限ると三位、二位と順位が上がり、九十歳以上だとトップに躍り出る。老衰は九十代以降になって初めて出てくる死因だ。先述した通り、この二つは老人の死因としてごくごく一般的であり、老衰の中には隠れ肺炎もかなり含まれているようだ。要するに老齢になってからの肺炎は自然死の一形態と考えていいのだろう。

 とはいえ、肺炎は結構辛い。一度、風邪をこじらせてプチ肺炎を起こしたことがあったが、相当堪えたのを覚えている。よって、肺炎死はできれば避けたい。

 よし、ようやく整理がついた。

 

【私が嫌な死に方、死因編】*不慮の死は除く

第一位 餓死

第二位 癌

第三位 肺炎

第四位 脳血管疾患(ただし突然死は除く)

第五位 心臓疾患(ただし突然死は除く)

【希望する死因】

心室細動で一気死

 以上。

 ……で今回は終わろうかと思っていたのだが、念の為、追記を。

 このランキングは私の狭い経験と浅い見識から導きだしたものであり、各死因の実態とは大きくかけ離れているかもしれない。

 全然違う! と憤懣やるかたない思いをされた方がいたら、ぜひ私の認識不足を指摘し、正してほしい。

 こと「死」に関わる事柄は、個人の経験だけで結論を導くのは大変危険だ。よって、この連載でも、私の脳みそから絞り出したことだけでなく、取材していろんな方々に話を聞いていこうと思っている。

 嫌な死因、歓迎する死因も、連載が終わる頃には全く違うものになっているかもしれない。

 そこんところがわからない以上、一歩一歩「よりよき死」を探していくしかないのである。

(第四回につづく)