第三章 試験
カンファレンスホールには、痛いほどの静寂が流れていた。
「あの……会場、間違ってません?」
沈黙を破ったのは雫石だった。その発言に、右端に座っていた女性が頷く。「内閣情報局の織笠」を名乗った女性が答えないのを見て、右端の女性が続いた。
「採用試験の会場だったら、多分隣ですよ!」
右端の女性はこちらを見やりつつ、よく通る声で言う。そうした案内をすることが多いのか、その声掛けはどこか手慣れている感じもある。織笠という名の女性は、右端の女性に向き直ると言った。
「百瀬さま、ご親切にありがとうございます。ですが、我々は会場を間違えてはおりません。この部屋も隣の部屋も、本日は我々、内閣情報局が貸し切っております」
織笠はあくまで淡々と、驚くべきことを言った。百瀬と呼ばれた女性は、自らの黒縁眼鏡に触れ、元々大きな目をさらに大きく見開いていた。
「えっ、いや……情報社会綜合研究所は?」
「我々の別名です。隣の部屋の先端情報研究所も同様です」
「……入局試験っていうのは? 私、試験の準備なんてしてないですよ」
間を置いて、百瀬が少し怒ったように言う。織笠はその質問を予期していたように、百瀬をまっすぐに見て答えた。
「この試験に、事前の準備は必要ありません。ここにおられる皆様は、普段のお仕事、生活から当局への適性があると判断され、個別のお声がけにより集められています」
言いながら、織笠は持っていたタブレットを操作する。まもなく彼女の背後に現れたスクリーンには、四人の顔写真が大きく映し出されていた。
「……なんだよ、これ」
左端にいた長髪の男性が、はじめて口を開く。スクリーンには春名、雫石、百瀬の写真に並んで男の写真も表示されていた。写真の下には「氷坂徹」と綴られている。
「皆様には、入局試験としてある『ゲーム』に挑戦いただきます。先んじて私からは、『チーム』の皆様について、簡単なご紹介をさせていただきます」
織笠はそう前置きをして、手元のタブレットを見ながら話し始めた。
「氷坂徹さん。日本における最大手テクノロジー企業・NETのセキュリティ部門に所属するも、ある事由から会社の上層部と衝突の上、退職。現在はフリーのエンジニアとして活動されています」
憮然とした表情で話を聞いていた氷坂は、説明が終わると同時に立ち上がった。
「氷坂さん、どうされましたか」
「帰ります。話が違う」
氷坂は冷たく言い放つと、大股でカンファレンスホールの出口へと向かう。出口の前には、受付にいた内閣情報局の山野が、不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「お戻りください。まだお話は終わっておりません」
「これ以上、話したってしょうがないでしょ」
山野と氷坂は真正面から対峙し応酬する。周囲には一触即発の空気が漂っていた。
「ご参考に、氷坂さんがお聞きしていた『話』をお伺いしてもよろしいですか?」
全員が固唾を呑んで見守る中、山野が不気味な笑顔のまま尋ねる。氷坂はしばらく黙っていたが、山野と奥の頑丈そうな扉に目をやった後、大儀そうに語り出した。
「……特例で、クソみたいな中抜き挟まずに、国の仕事を直接受けられるって話だった。それが実際来てみたら、『試験』だとか言われた上に、見ず知らずの連中に、個人情報ペラペラ明かされてる」
氷坂は振り返って織笠を睨む。上背のある氷坂が凄む姿は、遠目でも迫力があった。
「氷坂さまのプロフィールは、公益性の観点から皆様にお伝えしています」
「どこに公益性があんだよ」
事務的に答える織笠に、氷坂は吐き捨てるように言う。織笠は一瞬の間を置いて、落ち着いた声で言った。
「氷坂さん。まず契約条件のお話ですが、『クソみたいな中抜きを挟まずに、国の仕事を受けられる』のは事実です」
織笠が氷坂の言葉を引用してそう言うと、室内がかすかにざわめく。百瀬が「クソって……」と小さくつぶやく中、織笠は続けた。
「もし入局試験を突破した場合、内閣情報局のITセクションのトップは氷坂さんとなります。氷坂さんは国の仕事を差配する立場となり、氷坂さんの仕事を理解できない上司も、庁内には存在しません」
氷坂の表情がかすかに変わる。織笠は畳みかけるように続けた。
「次に待遇面ですが、氷坂さんがNETに所属していた時代の最低二倍を保証します。これは、他の皆様に対しても同様です。過去に得られていた最高年収の約二倍。これを待遇の基準としています」
織笠は透き通った声で、生々しい待遇の話を始めた。雫石は小さく目を見開き、百瀬は眼鏡を掛け直している。
「いかがでしょう、氷坂さん。まずは試験の内容をお聞きするまで、お部屋に留まってみては?」
頃合いを見計らって、山野がにこやかに言う。氷坂は不機嫌そうな表情を浮かべたまま、近場の席へ乱暴に腰を下ろした。
「……それでは、ここにいる皆様のご紹介に戻らせていただきます」
氷坂の着席を確認して、織笠が再び説明を始めようとする。百瀬も雫石も、言葉にこそしないものの、この状況に戸惑っているのは表情から見て取れた。「チーム」とは何だろう。そもそも、「試験」の内容は何だ。尋ねたいことはいくつもあったが、それを言葉にする前に、スクリーンに見知った顔が大写しになった。
「春名宗平さん。一般社団法人公論通信社の政治部に所属し、防衛省担当の記者として活躍。特に防衛族に強いコネクションがあり、これまでも独自取材のスクープ記事を世間に発信されています」
「……さすが未来のキャップ」
雫石は笑みを浮かべてささやいたが、春名はうまく笑い返せずにいた。今の紹介には、春名に関する世間に明かされていない「事実」が含まれていたからだ。織笠は、感情を抑えた口調で続けた。
「百瀬美弥子さん。刀剣美術館学芸員として勤務。美術品、特に刀剣と日本史に極めて造詣が深く、その専門性を活かした同人誌を定期発行し、人気を博しています」
「ちょっと!」
百瀬は紹介の途中で立ち上がり、両手を机について周囲を見渡した。
「……えっ? 私だけ、紹介内容おかしくないですか?」
紹介された百瀬が抗議するように言う。織笠は、動じず百瀬を見つめ返して言った。
「公益性の観点から、お伝えしています」
「公益性ってそんな便利な言葉でした?」
百瀬は早口に尋ね返すが、織笠は無言で小さく礼をする。百瀬を尻目に、織笠は再びタブレットに目を向けた。
「チーム紹介を続けさせていただきます。雫石沙希さん。防衛大学校を卒業後、陸上自衛隊地方協力本部を経て、陸上幕僚幹部の広報室に所属。現在は──」
「あ、もう大丈夫です」
雫石は笑顔で言葉を遮った。織笠をはじめ、全員の視線が雫石に集まる。雫石は明るい笑みを浮かべたまま、カラッとした声で言った。
「公益性って言うなら、そのくらいがちょうどいいんじゃないかなって」
織笠は手元の資料を一瞬目で確認した後、資料を閉じる。
「……では、皆様のご紹介はここまでということで」
趣味を含め洗いざらい明かされた百瀬は不服そうだったが、織笠は構わず進行した。
「次に、今回の試験について、実施内容をご紹介いたします」
そう言って織笠がタブレットに触れると、スクリーンから四人の姿が消える。それからまもなく、春名には見覚えのない地形が描かれた白地図が現れた。
「皆様が内閣情報局の業務に適しているか否かを確認するため、我々は、ある課題をご用意しました。名前は『プロパガンダゲーム』」
一瞬、自らの耳を疑う。「プロパガンダゲーム」。たしか、電央堂が採用試験で実施し、その内容を学生たちに暴露されたことで、大きな問題になったゲームの名だった。課題の内容は、国民を扇動し、「戦争賛成」へと導くというものだったはずだ。織笠は、はっきりと春名に目を合わせると説明を続けた。
「プロパガンダゲーム 偽情報戦」は全4回で連日公開予定