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 死んだら善光寺に骨を納めて、回忌ごとにきちんと法要してほしい。
 お母さんが亡くなる前に望んだことのなかでも、これが一番面倒で嫌だったな。東京駅で買った鰊みがき弁当と牛肉どまん中弁当に舌鼓を打ちつつ、梶田真冬は懐かしく思い出す。
 世間様からどう思われるか、そればかり気にしていた母。何年も前から認知症が進んで、ずっと自分のことを中学生の女の子だと思っていたくせに、亡くなる三日前になってふいに「葬式にワンピースなんかぜったいに着ないでよ」と真剣な顔で言った。だから真冬は母が死んだ後すぐに、五つ紋付きの黒無地の着物を用意した。通夜の席で母方のおばの一人に「身分不相応だ」と叱られたが、もうどうでもいい気分だった。母のいうことをきいてよかったことなんて、一つもない。
 けれど、四十九日法要ではじめて冬の長野を訪れたとき、そのあまりの美しさに、今回ばかりは母の命令を素直にきいてよかったと、心から思ったのだった。とくに法要の当日、散歩ついでにでかけた早朝の善光寺は、素晴らしかった。様々な濃淡の蒼に染まっていた、雪も、道も、善光寺も、何もかも。明かりがぽつんぽつんとともり、こっちへこいと真冬を手招いていた。
 母が亡くなるまで、旅行なんてほとんどしたことがなかった。
 法要のあと、ここ数年、バイトしているコンビニの春来店長に頼んで休みを延長してもらい、松本と小布施にも足をのばした。何もかも素晴らしかった。松本駅で食べた山賊焼きも絶品だった。
 新幹線はくたかが二つ目の駅、大宮駅にすべりこむ。ここから長野までは一時間弱、あっという間だ。
 遠方の寺に納骨したメリットは、もう一つあった。法事のたびに母の姉妹たちと顔を合わせずに済むことだ。四十九日の際にも一応、四人のおばたちに声をかけたが、うち三人とは連絡自体がつかず、残りの一人、母より十六歳下の末っ子のみどりには「もう二度とかかわらないで。あんたもいい加減、自由になりなさい」と言われて終わった。
 だから四十九日は誰も呼ばず何も用意せず、一人で善光寺にいって、当日の合同法要に参加した。今回も、そうするつもりだった。
 みどりは母の生前、よく言っていた。家族が全員死んだときが、あんたが自由になるときだよ、と。
 ふいに、窓の向こうに広がる大宮の住宅街が、白くかすんでいく。かわりに目の前に浮かび上がるのは──

「テレビって本当、嘘ばっかりだよね」
 ジャイアントコーンをまずそうに食べながらつぶやく、女子高生時代のみどりの横顔。ひどいニキビにうめつくされた頬は、いつも真っ赤でてかてかしていた。 
 夏だった。蒸し暑い夜。蛍光灯のまわりを、小さな蛾が二匹飛んでいる。古い市営団地の3LDKは、季節問わず何らかの虫が飛んだりはいつくばったりしていた。
 常にわめき声や怒鳴り声でうるさい我が家だが、その日は静かだった。それもそのはず、真冬以外の家族は今、目の前にある小さなブラウン管の中にいるからだ。
 三歳上の姉の渚と年子の弟の風太、そして母が、三人ならんで大きなステージの上に立っている。まわりにはたくさんの芸能人。司会者が、母にいろいろなことを聞いている。二人の年齢、渚のダウン症と風太の自閉症について。障害児を二人育てる苦労。養護学校で風太が熱中している切り絵のことと、それがコンクールで大きな賞をとり、さらに画集が発売されてたくさん売れていること。この家で一緒に暮らしているはずの家族が、なぜかまったくしらない赤の他人に見える。
 司会者の横にいる女性のアナウンサーが何か言って、画面が切り替わり、いきなり我が家が映し出された。「梶田家の朝は大忙し」というナレーション。母が渚の食事の世話をしてやりながら、癇癪を起こして暴れる風太をなだめている。部屋中が衣類や食べ物のクズで、ぐちゃぐちゃだ。
 ふいに画面の中に、中学校の制服を着た自分が現れた。真冬は思わず、息をのんだ。
「ねえ、エプロンってほかにない? 調理実習で使うんだけど」
 ブラウン管を通してきく自分の声は、自分じゃないみたいだ。
「しらないよ。いつものは?」
「フウがジュースこぼした」
「自分で探してよ」
 画面の中の自分が、ふてくされて自室に引っ込んでいく。本当はそのとき、食事介助に苦戦する母に「なぎちゃんはシリアルなんか食べないよ」とアドバイスしてやったはずだが、その部分はカットされた。暴れる風太に服を着せたのも、養護学校にいくための用意をして玄関で靴を履かせたのもいつも通り真冬だったが、そこも放送されなかった。かわりに、風太にまとわりつかれて「フウ! やめてよ! ちょっと、おとなしくして!」と怒る場面と、一人で登校するところをカメラマンとスタッフに追いかけられた挙句、「家族に何か不満はない? 一つぐらいあるでしょ?」としつこく聞かれて、「ないけど、どうでもいいです」とむくれて答える場面が放送された。
 それから、養護学校まで母が二人をつれていく様子や、切り絵に熱中する風太、食事の介助をされる渚の姿などが、次々映し出された。そして再び、画面が生中継のステージに戻る。風太の作った大きな切り絵が披露され、芸能人たちがすごいすごいと騒ぎ立てる。涙をぬぐう母。不安げな様子で体をゆする風太と、いつも通りニコニコ顔の渚。
 これが家族。わたしの家族だ。間違いない、そのはずだ。この家で暮らし、昨日も一緒にご飯を食べた。渚がハンバーグを食べるのを手伝ってやりながら、いつまでも床に寝転がってパズルに熱中する風太に「ご飯だよ」と声をかけ続けた。風太は今やっている作業に区切りをつけるのが苦手で、食事にしろ風呂にしろ、とにかく時間がかかる。昨晩も風太が夕食を食べ終えたのは、夜の九時過ぎだった。
「お母さん、この先の夢はありますか?」
 司会者が聞いた。
「夢なんて、そんな」と母は顔の前で、けなげに手を振る。「家族みんなが笑って、幸せに暮らしていけたら、ほかに望むことなんてないです」
 真冬は立ち上がり、隣の自室に入ってふすまをぴしゃりと閉めた。涙がこぼれそうになるのを、ぐっとこらえる。数日前の三者面談。担任が「県内上位の高校も狙えますよ」と言うと、母はしおらしくはなをすすりなげながら「うちはわたし一人で三人育ててるもので、しかもほかの二人は生まれながらに障害もあって、正直、苦しいんです。高校にいかせるのは、とても無理そうで……」と答えた。
 お金の問題じゃないのは、真冬も担任もわかっていた。風太の本の売り上げもあるし、母は今日だけでなく、障害児二人を育てるシングルマザーとしてたびたびテレビに出たり、講演会に呼ばれたりしていた。その活動に本腰を入れるために、これまでより一層、二人の世話を真冬に押しつける算段であるのは明らかだった。
「いずれは国立大にいって、弁護士になるのが夢だと聞いてます」担任の若い女性教師はめげずに言った。「梶田さんは優秀なので、勉強する時間を確保できれば、十分可能だと思いますよ」
「そんな、そんな」母は顔の前で手を振って、笑った。「この子が弁護士なんて、無理ですよ。せめていかせるのなら、商業高校とかなら……」
 ふいに、ふすまの向こうから物音がした。「あのさ……」とみどりの声。「あの、真冬はさ、本当、よくやってるよ。えらいよね。わたしはちゃんとしってるから。真冬ががんばってること。ちゃんと見てる」
 何かが洪水のようにあふれ出てきて、とっさにその場に三角座りして、膝と膝の間に顔を埋めた。みどりは何かを察したのか、居間に戻っていった。声を漏らさぬよう、奥歯が砕け散りそうなほど歯を食いしばりながら、お母さんと渚と風太が帰ってくるまでに、泣き顔をどうにかしなきゃと考える。

 キャーッという叫び声が車両の端からとどろいた。まもなく、男児三人が、風のように通路を走り抜けていった。そのとき、窓の向こうに真っ白な浅間山が現れた。真冬はあわててスマホを構えたが、一瞬で通り過ぎてしまった。
 午後二時前、長野駅に着いた。ホームに降り立つと、胸いっぱいに冬の透き通った空気を吸い込んだ。今夜か明日には初雪が降るらしい。楽しみだ。
 駅直結のホテルにチェックインしたあと、少し休憩して、散歩に出かけた。善光寺は明日ゆっくりまわることにして、今日はずっといってみたかった水野美術館へ足を延ばした。
 一時間ほどでささっと出るつもりが、あちこち夢中で見てまわっているうちに、気づいたら閉館時間になっていた。使い道があるわけでもない日本画のポストカードを、二十枚近くも買い込んでしまった。何に使うべきかと考えて、すぐにアイディアが浮かんだ。
 信号を渡ってすぐのコンビニにかけこんで、ペンを買った。それから近くのカフェに入り、カフェオレを注文して(本当はケーキも食べたかったが、ぐっと我慢した)、三人の友達にむけて、買ったばかりのポストカードをつかって手紙を書いた。
 書き終わると同時に、ぐーっとお腹が鳴った。もういつの間にか、午後六時半すぎ。七時に店を予約してある。前にランチで訪れて以来、いつか夜にこようと楽しみにしていた地元料理の名店だ。地鴨のたたき、野沢菜の天ぷら、するめいかの一夜干し。もちろん地酒も。しめには二八そばのもり。でも、温かい鴨せいろもいいかも……いやいや食べすぎだ。半もりにしておこう。ドカ食いになったら、楽しい食事が台無しだ。そんなふうに、数日前から食べログのメニュー画像を見ては頭を悩ませてきたのだ。急いで荷物を片付けて、席を立つ。
 そして外に飛び出して、真冬は思わず「わあ」と声をもらした。
 雪が降りだしていた。漆黒の夜空から、小さくてふわふわの粉雪が、まるで何かを祝福するように舞い降りてくる。結婚式のライスシャワーみたい、と思う。結婚式なんて、いったことないけれど。
 人目も気にせず、両手を広げてその場でくるりと回った。通り過ぎていく若い女の子二人組が、こちらを横目で見ながらくすくす笑った。真冬は何事もなかったような顔で、タクシーを拾うために片手をあげた。

 翌日は、午前中のうちに門前町をぶらついて、お気に入りのカフェでアップルパイを食べたり、味噌屋でこがね味噌を大量に買い込んだりした。昼は栗のお菓子で有名な竹風堂で、栗おこわ。蒸したてのおこわが目の前にやってくると、その甘い香りを胸いっぱいに吸い込みながら、生きていてよかったと心から思った。
 午後の法要と霊前のお参りは、心を無にして挑むつもりだった。何日も前から、何も考えないよう、感じないよう、ただそこにいて時間が過ぎ去るのを待とう、と自分に言い聞かせ続けていた。
 が、ダメだった。
 ほかの参列者にまじって僧侶の読経を聞いていると、どうしても、渚が死んだときのことを、思い出してしまう──

 医者からはもともと「成人するまで生きられない」と言われていた。実際、生まれたときから消化器や心臓に疾患を抱えていたし、十代後半に入ってからは、糖尿病も発症していた。それでも受け入れてくれそうなグループホームはあったが、母と周りの支援者たちが許さなかった。
「家で面倒を見ることに意味がある」と支援者たちのうちの誰かが言っていた。風太の切り絵に続いて、渚の書道も何かの賞をとり、母は二人の障害者アーティストを育てるシングルマザーとして、これまで以上の注目を浴びるようになっていた。
 家に取材にくるメディアも一社ではなく、テレビ局、出版社、新聞社、とにかくたくさんありすぎて、真冬にはもう到底把握しきれなかった。なぜだか彼らは母以上に真冬に対してえばりくさって、飲み物を出させたり買い物を頼んだりした。スタッフ全員分の食事を用意させられたこともあった。
 そして風太がふざけて真冬にじゃれつき、真冬が「やめて!」と叱りつけると、すかさずカメラが向けられ、その様子がテレビで放送される。その後は真冬あてのいたずら電話や、いやがらせの手紙が殺到するのがお決まりだった。ときには「お母さんに利用されているのではありませんか?」「助けがほしかったら連絡をください」などといった、真冬に手を差し伸べるような内容の電話や手紙もあった。が、その頃の真冬の心は、誰も見向きもしない何の使い道もない小石のようで、人の優しさも思いやりすらも、しみこまなくなっていた。
 実際、自分に優しくしてくれる大人も、助けてくれそうな大人も、まわりには一人もいなかった。なんとか志望していた県立の進学校には進めたが、勉強する時間が確保できず、あっという間に授業についていけなくなった。高校一年のとき、担任に相談すると「家事や介護を今の半分の時間で終わらせたらいいんじゃない? もっと効率よくやれば?」と突き放すように言われ、何もかもどうでもよくなった。
 渚は医者の予想より少し長い、二十三歳まで生きた。
 高校を卒業してからの二年間、毎日一緒に過ごした。朝おきて散歩に出かけて、書道のけいこをしたあと、お昼を食べて軽く昼寝、それから体操をして、夕食を食べたあとまた書道につきあって、同じ部屋で眠る。渚は小さなときからいつもごきげんで、周囲の人から「にこにこちゃん」と呼ばれて愛されていた。しかし、亡くなる少し前から病状が悪化し感情の起伏が激しくなり、また、トイレもしょっちゅう失敗した。そのせいで、母は渚のそばによろうともしなかった。
 けれど真冬にとっては、渚は大切な姉であるとともに、ずっと一番の親友だった。最後まで、幸せな人生を歩んでほしかった。国立大に入って弁護士になるという夢を完全にあきらめたわけではなかった。渚を見送ったあとに勉強すればいい。家を出たら、学費と生活費を稼ぐために、体を売るのさえ厭わない、と当時は思っていた。
 渚は亡くなる二カ月前に入院した。できる限り見舞い、できる限り長く一緒に過ごしたかった。
 ある秋の雨の日。母の長姉夫婦と同居していた七十代の祖母が、庭で転んで骨折した。なぜか真冬が呼ばれて、手術に立ち会うよう命じられた。おば一家は翌日から、ハワイ旅行にいくことになっていたからだ。
 五時間の手術が終わるまで、病院の待合室で一人、待った。その間に、渚が死んだ。祖母が入院していたのとは別の病院で、母と取材にやってきたテレビスタッフに見守られて。
 なぜだか、涙は出なかった。通夜と葬式にもどこかのメディアがやってきて、写真を撮ったり、母にインタビューしたりしていた。通夜だったか葬式だったかはっきり記憶していないが、僧侶が経をあげている途中で真冬はふらふらとその場を抜け出し、控室に入っていって、テーブルの隅に積み上げられていた仕出し弁当を食べはじめた。一つ、二つ、三つ。ドカ食いをするようになったのは、高校に入ってからだ。ふいにつきあげるような衝動に襲われて、冷蔵庫をあけて、中のものを貪り食う。冷蔵庫の中に何もなければ、母の財布から金を盗み、コンビニにいって菓子パンや弁当を買い込んで、外で食べた。金が手に入らないときには万引きをした。一度、近所のスーパーでつかまったが、パート店員の中に真冬の境遇をしっている人がいたようで、見逃してくれた。以来、万引きはやめた。
 五つ目の弁当に手をかけたとき、背後から話し声が聞こえた。どこかのメディアの若手スタッフだった。
「なにやってるの? アレ?」
「きょうだいが死んだんだろ? ひでえよな」
 不思議だった。その陰口を聞いた瞬間、渚はもういないんだ、と心から実感できた。大きなエビフライを口にねじ込みながら、渚が死んで以来、はじめて泣いた。

 周りにいた人々が一斉に立ち上がり、真冬は思わず「わ、びっくりした」とつぶやいてしまった。いつの間にか、読経が終わっていた。慌てて立ち上がろうとしたら、足がしびれにしびれていて、畳の上で無様にひっくり返ってしまった。その場にいた誰もが見て見ぬふりをした。それはありがたくもあり、さみしくもあった。
 近くの納骨堂にお参りをして(ここではなんとか無心でやり過ごせた)、その後はホテルにあずけてあった荷物を取りに行き、北陸新幹線あさまで一路、軽井沢へ向かった。

 軽井沢高原教会のイルミネーションは、今後も母の法要があるたびに、旅のメインイベントになるだろう。冬の澄み切った夜空の下、ランタンキャンドルの光が一面に広がる森の前に立ったとき、真冬は確信した。四十九日のときは時期が少しずれて、間に合わなかった。何カ月も前から、この風景を目にするのを楽しみにしていた。
 森に、光があふれている。高さ6メートルのモミの木のクリスマスツリーの輝きに圧倒され、教会にむかってまっすぐのびる星明かりのプロムナードを、静かな気持ちで歩く。ふと夜空を見上げると、本物の星が光を放っていた。幻想の中にいるようだった。
 ふいに教会から、バイオリンの音が聞こえた。真冬は少し早足になって中に入り、なるべく前のほうに空いている席を見つけて座った。クラシックのことなんて、全然わからない。使われている楽器が、本当にバイオリンなのかも自信がない。けれど、こうしてクリスマスシーズンに教会で音楽を聴きながら、心静かに過ごせているということに幸せを感じて、ふいに涙が出そうになる。
 演奏が終わり、再び外に出た。クリスマスツリーのところに戻ると、さっきより人が増えていた。カップルが八割、残りは家族連れ、たった一人でいるのは自分だけ。旅の前にみんなでカラオケにいったときの、夏枝の言葉が脳裏をよぎる。
「軽井沢のイルミネーション? えー? カップルばっかりでみじめになるだけだって。やめなよー。わたしなら絶対にそんなところに一人でいかない!」
 思わず、くすりと笑ってしまう。ちっともみじめなんかじゃない。幸せそうな人々の姿を見ると、こちらまでじんわり胸が温かくなる。きっと夏枝にとって、冬のイルミネーションを恋人や家族と見にいくことなんて、それほど難しくもないんだろう。これまで何度も経験しているんだろう。やすやすと手に入るもののはずだから、それを手にしている他人を見ると、憎らしくなってしまうのかもしれない。
 真冬のこれまでの人生には、異性とのデートもプロポーズも結婚式も、入り込む余地は全くなかった。予感を抱いたことさえない。あまりにも自分とは無縁のことだからか、外で出会うカップルや家族連れは、遠い惑星に暮らす人々に見えるときがある。
 駅に戻るとさらにタクシーに乗り、旧軽銀座の近くにあるホテルにチェックインした。個人経営の小さなホテルで、朝食に食べられる手作りの焼き立てパンが何よりの楽しみだった。
「あれ?」
 宿泊カードに必要事項を記入して渡すと、オーナーらしき男性が妙な声を出した。
「どこかで見た名前だと思ったら、あなた、昔、テレビ出てなかった? ほら……絵を描いてた障害者の男の子の……」
 真冬ははいともいいえとも言わず、ただカウンターの隅に置かれた猫のぬいぐるみを見つめた。
「最近、あんまりテレビに出なくなっちゃったねえ。弟さんだっけ? 元気?」
「あの、これカードキーですか?」
「え……ええ」
「じゃあ、おやすみなさい」
 カードキーを奪うように手にすると、荷物を持ってエレベーターに乗った。部屋に入るとすぐにバスタブに湯を張って、顎の下までつかった。昔、叱られてふてくされた風太が、よくそうしていたように──

 

(第8回につづく)