風呂ナシ物件は若者に人気なのか? メディアによるアップデートされた清貧
評論家の真鍋厚さんは、近年のこうした流れに鋭く切り込む論客である。今年2月に現代ビジネスに寄稿した「『風呂ナシ物件が若者に人気』報道の先にある『恐ろしい地獄絵図』」という衝撃的なタイトルの記事が大きな注目を集めてTwitterにトレンド入りした。彼は、若者たちが現在の社会状況に対して異議を唱えず、進んで低成長時代に適応してやり過ごそうとしている動きを「社会課題の自己啓発的解決」と名づけ、警鐘を鳴らしている。メディアやマーケットなどがブームを作り出している側面があり、幅広い世代で同様の動きが広がっているという。真鍋さんは、憤る。
「私たちは誰もが自分を弱者とは思いたくない。だから、なんとかして灰色の現実をバラ色にコーティングしようとする。最近の自己啓発本は、とにかく支出を抑えて、節約することを推奨したものが多い。質素の再発見というか“アップデートされた清貧”とでもいうべき新しいライフスタイルを提案しています。そこに貯蓄と投資がセットになっている。
生活レベルを下げつつ金銭的な自己防衛に努め、日常の小さな幸せに目を向ける生存戦略です。要は、『自分が幸せに感じるなら、究極的にはお金持ちかどうかは関係ない。幸福度の高い者が人生の真の勝者』という発想の転換です。これなら低所得者でも成功のチャンスが開かれていると感じる。しかし、これは『社会が変わらなければ、自分が変われ』という自己啓発的な思考があるので危険なのです」
環境に適応すれば経済的負担を強いる社会を放置する
真鍋さんは、それは生活のサイズを小さくする適応行動として現れると指摘する。例えば家計が苦しいならボロアパートのような家賃の低い物件や、シェアハウスに移り住むというわけだ。その際、人間は必ずポジティブな面を見つけようとするらしい。例えば、「レトロな物件に一度住んでみたかった」「銭湯は地域の人と交流できる」「水回りの掃除が不要になった」など。
思わず、ハッとさせられる。そういえば私が書店で手に取ったオシャレな生き方本にも、「街を一つの部屋だと思えば、お風呂は銭湯、スーパーは冷蔵庫」といったことが書かれてあったっけ。その時の私は一瞬、「そういう考え方もあるのか!」と妙に納得してしまった気がする。しかしそこには、落とし穴があった。私たちがそうやって、今の環境に適応すればするほど、経済的負担を国民に強いる社会そのものを放置しかねないからだ。
「生活防衛自体は否定しません。それが社会の問題を個人の問題にすり替えるような使われ方をしていることが問題なのです。社会環境によって不自由になっている人々が、『人生は心の持ちよう』だと認知を変えると、当然ながらその社会環境はそのままになります。それがどころどんどん悪化していく。これは自分で自分の首を絞めることに等しい」
なるほど、と思う。しかしこういった「社会課題の自己啓発的解決」は残念ながら、すっかり社会に浸透していると感じる。私も含め、大なり小なり、多くの人たちが知らず知らずのうちに足を取られているだろう。その結果どうなるのか。これからの日本に待ち受けるのは、阿鼻叫喚の地獄絵図だという。
困窮を認識しなくなる国民は実験動物のマウスのように
「なぜなら国民が、経済的な困窮を社会課題として認識しなくなるからです。そうなると、政府や政治家は無茶なことをやっても、結局国民は受け入れてくれる=適応してくれると考えて、すべてを自己責任でやってくれとなります。年金の支給開始年齢だって85歳になってもおかしくない。フランスだと支給開始年齢を62歳から64歳に引き上げる改革案を発表しただけで100万人規模のデモが起きましたが、日本だと粛々と受け入れるのではないでしょうか」
あとは自己責任で野となれ山となれというわけだ。考えてみると、私たちはまるで狭い檻に入れられた実験動物のマウスのようだ。少しずつ餌や水が減らされ、移動範囲が狭くなっていっても、マウスたちは与えられた条件の中で試行錯誤するだろう。それは、年金に留まらない。私が高い電気代に必死に適応しようとしたように、Yちゃんがデパートの洋服を諦め500円のブラウスを手に取るように――。そう考えると、頭がくらくらした。
冬の寒さが一瞬だけ和らぎ、春のような陽気のある日曜日――。近所の公園を散歩しながら、私は行き交う人々をぼんやりと見ていた。カップルに、ファミリー、高校生たち。麗らかな日差しの下で、誰もが笑顔で楽しげに休日をおう歌しているようだ。しかしそんな風景が、今の私には少しうすら寒いものに思えてくる。
もしかしたら最も恐ろしい社会とは、自らが抱えている生きづらさすら、もはや自覚できなくなってしまうことなのではないか。私たちの生きているこの世界は、すでにSFのようなディストピアなのかもしれない。
キレる17歳、就職氷河期……時代に翻弄されて
私はいつだって、そして今も、生きづらさと無縁ではなかった。
過去を振り返れば、母からの虐待があり、学校での壮絶ないじめがあり、それをきっかけにしたひきこもりがあった。さらに私の世代は、三重苦四重苦ともいえる生まれ落ちた時代特有の不条理にさらされてきた。14歳の時には、同世代の少年による神戸で酒鬼薔薇聖斗の殺傷事件がセンセーションを巻き起こしたし、その後は様々なメディアからキレる17歳世代と名指しされた。そして大学を卒業する頃には、悪夢のような就職氷河期が待ち受けていた。昨今、そういった社会状況に翻弄されてきた同世代による犯罪も目につくようになっている。
安倍晋三元首相を襲撃した山上徹也容疑者、そして社会学者の宮台真司さんを襲撃し、自殺した容疑者も、私とほぼ同世代だ。報道に接していると、ロスジェネやひきこもりなど、改めて私の人生と重なる部分も多いことに驚く。彼らの過去を知れば知るほどやれきれない思いがこみ上げ、胸がキリキリするのを感じる。きっと、私と彼らの違いなんて紙一重だったのではないだろうか。私はたまたま今の居場所に流れ着いただけで、多くの偶然が作用したに過ぎない。人は時代と無関係に生きることはできない――。
心を不自由にするしがらみやコンプレックスを手放すには
そんな思いは、これまで私のライフワークとしてきた社会問題に対する姿勢に底流している。私は2015年頃から、日本で急増している孤独死と向き合ってきた。取材を通じて挫折や人間関係の悩みなど、一人ひとりの「声なき生きづらさ」と出会う中で、それが私と死者の共通点だと気付いたことが、私を動かした。特殊清掃業者とともに凄惨な現場に入り、死者やその遺族、時には福祉関係者の声を拾い、ウェブや本を通じて人々のもとに届ける。身を削るような現場主義を貫いて、今の私がある。
孤独死はえてして個人の問題にされがちだが、その背景にある孤独や孤立は、必ずしも本人のせいで済まない部分がある。国や社会がもっと関心を持って取り組まなければならない。それを問題提起していくことが、この社会をよくするものと信じて、微力ながら世間に発信してきたつもりだ。しかしその根底には、やはり私自身の等身大の生きづらさがくすぶっていたのだと思う。
このエッセイは、日本を取り巻く社会問題を追ってきた私が、自らの生きづらさの正体と、初めて正面から向き合ったものだ。心を不自由にするしがらみやコンプレックスを手放すにはどうすればいいのか。時には情けなく、ジタバタともがく「小文字の私」の日常をただ描いた。
その過程では当然ながら、七転八倒させられた。私を縛ってやまない母の呪縛と向き合う作業は何よりも苦しかったし、コンプレックスの宿るモノや、虚栄に彩られたSNSを手放すことも、辛かった。愛犬を亡くした時は、子どもを失ったかのような喪失感に襲われ、死にたくなった。
「生きづらさ」と向き合いつづけるのは欠けたパーツを埋める作業
けれども、一面では決して測れないのが人生だと思う。時が経つにつれて、私は愛犬からは親から得られなかった無償の愛を受け取っていたのだと深く感じるようになった。そんな愛犬には「ありがとう」という気持ちでいっぱいだ。また不必要なモノを手放したことによって、肩の力が抜けて身軽になった。母親とは絶縁しているが、私の心は軽やかだ。例え血の繋がった親子であっても、苦しければ離れてもいいと思う。距離が大事なのだ。世間の形から逸脱していても、そういう親子の形もありなのだと考えられるようになった。私は、やっぱり私に正直でありたい。
こうして自らの様々な生きづらさと向かい合うことで、私は人生の後半戦において、少しずつ欠けたパーツを埋めていく作業を行ってきたのだと思う。
なりふり構わず突き進んできた本連載だが、振り返ってみて発見したことがある。それは、市井の人たちがとても多く登場するということだ。彼らは、かつてはどこか私と似た生きづらさを抱えていた人たちである。彼らがどのように困難と立ち向かったか、その再生の物語を、思いのほかたくさん綴っていた。連載の終わりを迎えるに当たって、そんな事実に改めてはたと気づかされた。
人が紡ぐ人生の喜びと悲しみと伴走して分かったのは…
その理由を考えてみると、彼らの姿にある種の救いを見出したからなのだろう。街をすれ違う無数の人々や、私を取り巻く周囲の人々。芸能人でも知識人でもなく、市井の人々が紡ぎ出す人生の喜びや悲しみ。それらの物語と伴走することで起こる、「人が人によって救われる」という奇跡。間接的にでもその瞬間に触れた時こそ、無意識のうちに私自身の傷が癒され、浄化されたからなのだ。
公園を掃除するひきこもりのサノさんには、人間関係に困難を抱えたとき、社会とどう繋がればいいのか、実践的な生き方として学んだ気がする。元プロ野球選手の高橋さんの人生には、晴れ舞台から降りた後にも続く人生とどのように対峙するのかという命題について、考えさせられた。その苦悩と再起を巡るリアルな物語は、人生100年時代が叫ばれる今だからこそ、私自身「人生とは何か」を深く問い直すきっかけとなった。
また女性用風俗を通じて、コンプレックスと向き合い、自分の人生を歩み始めた女性たちにも、とても勇気づけられた。さらに紆余曲折の苦しい婚活の末に「愛」を見つけた友人、ごみ屋敷に住む人たちや、そして孤独死した人たち――。残念ながら死後にしか出会えなかった人たちからも、私はいつもたくさんのことを教えてもらっていた気がする。そう考えると親でも教師でもなく、私にとって市井の人たちこそが、人生の師なのだとわかる。
自らが抱えた「傷」は人の存在で治せるのか?
だからこのエッセイは、私が様々な生きづらさを抱えた人たちと出会うことなどで、何かを発見しようともがいてきた証である。人や時代によって傷を受けた私は、それでもなお人の力を信じることで、自身の人生と懸命に向き合いたいと思っている。それが果たして正しいやり方かどうかはわからない。一般的には不安や恐れが瞬時に和らぐようなケミカルや医療的な手段に頼るのが、正当なのかもしれない。
それでも、人物ノンフィクションを多く手掛けてきた私は、やっぱり人が大好きだし、自らが抱えた「傷」を薬ではなく、人の力によって回復するという願いを大切にしたい。
それはこの時代においてドン・キホーテのごとく、とてつもなく無謀な戦いだとわかっている。マクロレベルでは勝ち目がないからだ。令和とは、これまで以上に人々が繋がれなくなり、孤独が蔓延する荒涼とした時代でもある。特に右肩上がりで増え続ける孤独死の悲惨な現場を目の当たりにしてきた私にとって、この日本社会の変容に対する危機感は、人一倍大きい。それは私のように日々生きづらさを感じ、苦しんでいる人々が多い時代だということを痛感しているからでもある。
だからこそ、となおさら思う。私はやはり人の無限の可能性をどこかで信じている。こんな時代だから、むしろ人の愛のかけがえのなさに触れたいし、それを丹念に拾い上げていくことで、なんとかこの社会の悪化に全力で抗いたい、と。わずかであってもそれが伝播することで、誰かの心が少しでも楽になればいいと思っている。例えそれが、一縷のはかない望みであったとしても。
「生きづらさ時代」は「生きやすさを渇望する時代」
私に限らず、生きとし生ける人すべてが、誰しもが大なり小なり苦しみや傷を抱えて生きている。だけど、人は一人では生きられない。生きづらさまみれの私が、こうして人々の生き方や愛に触れることで回復できるのだという事実が、見知らぬ誰かの希望になればいい。そうしてまだ人は捨てたものじゃないと、感じて欲しい。このエッセイはそんな私の祈りにも似た思いが詰まっている。
「生きづらさ時代」は、「生きやすさを渇望する時代」でもある。だからこそ、私たちの足もとで輝く人間の小さな営みにも目を向ける意味があるはずだ。それは蛍の灯す光のように儚いかもしれない。だが、自分一人の足元を照らし、前に進むのにそれはきっと頼りになるのではないかと思う。少なくとも、私はそうだった。先の見えない混沌とした時代だからこそ、私たちはどう生きていけばいいのか、そして社会はどうあるべきなのか。このエッセイがあなたのヒントになれば、幸いである。
最後に私の敬愛する映画監督である、森達也さんの大好きな言葉を、贈りたい。
「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」
ご愛読ありがとうございました。本連載をまとめた書籍は2023年7月に刊行予定です!